第九話*海賊船トレチア号
一隻のカラベル船が風を受けて走っていた。その船は所々、木の種類が違っている。破損した部分の修復を、あり合わせの木材で行ったためだ。洋上で五隻の海軍船団と一戦を交えてから数日が経っていた。今は船をきちんと修復するために、以前世話になったティアの造船所へ向かっているところである。
海賊団の新顔はもちろん、船団との対戦などしたことがなかったバジリオやジラルドたちも、突然の激闘に度肝を抜かれていた。リッキーとロブ以外全員が初体験である。それでも日々の訓練が功を奏し、彼らは揺れる船の中でそれぞれの役割をきっちりと果たした。その甲斐あって、今無事にティアを目指せているのだ。
今回は衝角でぶつかるだけでなく、左舷を擦りながら敵を押しのける激しい戦いだった。スカトラが呪術で補強を施してくれたおかげで幾らかマシだったが、バジリオとジラルドは連日ひび割れの修理に忙しかった。もちろん、船大工班となった船員たちも一緒に作業をした。
三日後、船は無事に造船所に着いて大々的な修復作業に取りかかった。前回の作業で仲良くなった棟梁が必要な物資を直ぐに集めてくれたので、船は一週間ほどで元通りになった。その間に女たちがティアの街で食糧を調達したり、砲撃班が火薬や弾を買い足したりした。
船は再び海を行く。
今度こそ一稼ぎ、とリッキーは情報を仕入れ狙いを定めてから商船を襲った。前回、海軍の船団を破ったことが自信となって船員たちは果敢に戦うことが出来た。香辛料を運ぶ船、宝石を運ぶ船、織物を運ぶ船。幾つかの商船を襲い、リッキーたちは無事に戦果を上げた。
奪った積荷の中からそのまま使う物を取り除き、残りは商人を偽って売ることにした。旗を取り替え身なりを整えれば、リッキーは元が良家の息子だ。立ち振る舞いには何ら苦労しなかった。手に入れた金を船員たちに分け、次の稼ぎの資金とする。女も子供も混ざった妙な海賊団ではあったが、稼ぎはなかなか様になっていた。
***
一行は久しぶりにオケアの港に入った。相変わらず、船の行き来が多いアウロラ帝国一の港町である。この街を抜けて山際へ行ったところにアウロラの帝都があるのだ。港には海軍の船も多く浮かべられていた。だが特に特徴のないカラベル船など、旗を変えてしまえば見分けがつかない。小型で機動性に優れる船なので、多くの船乗りが使っていた。
港に着くと、船員たちは交互に陸へ上がった。オケアは大きな街なので、他では手に入らない物資も多い。それぞれ買い忘れがないように、あれこれ相談しながら船当番を決めた。
バジリオはジラルドと一緒にオケアの端にある実家に向かっていた。同じオケアの中でも、海からだいぶ内陸に入ったところで、半日かけて訪れた。二人が生まれ育った小さな家には、年老いた母が一人きりで残っていた。
街で砂糖漬けの果物を買って手土産にする。
実家へ向かう道中、ジラルドは不思議に思って兄に尋ねた。
「なあ、兄貴。なんで今更、家になんか」
「別に。オケアまで来たからついでだよ。しばらく会ってなかったし」
「……海賊になったこと言う気?」
「馬鹿。そんなことしたら心配されるだろっ!逆だ、逆」
「逆ぅ?」
二人が昼過ぎに到着すると、母は近所の人々と茶話会をしているところだった。そこへ息子たちが土産を持って現れたので、母は大層喜んだ。家族三人が揃うのは数年ぶりのことである。張り切った母が手料理を作り、二人は一晩家に泊まった。
実はバジリオが数ヶ月前に手紙を書いていて、母は二人が一緒にいることを知っていた。最初にティアへ訪れたときの話だ。一度は別々の道を進んだ兄弟が、また一緒になったことを母は笑っていた。小さい頃からの習慣は大人になっても消えなかったか、と。母の意見に賛同して兄も笑ったので、ジラルドは少しだけむくれた。
翌日、二人は貴重な一時を過ごして港に戻った。帰り際に母が揃いの組紐をくれたので、二人は腰につけて飾った。船旅の安全を願うお守りらしい。ジラルドは兄とお揃いだと言って、随分と機嫌が良くなった。
戻ってきた足で買い物をし、メーラの酒場で一杯飲んでから二人は船に上がった。
たくさんの物資が行き交うオケアには、輸入品店だけが立ち並ぶ大通りがある。そこへ行くと高性能な望遠鏡が買えたり、珍しい書物が手に入ったり、精緻な金物細工が見られたりした。オケアに着くと、マスケラはその辺りで六分儀やコンパスなどを見て周り、少し道を逸れて馴染みの時計屋へ向かった。彼が愛用しているゼンマイ式の時計を作った職人の店だ。
マスケラが店に入ると、友人は幽霊でも見たかのように驚いた。海賊になって以来、彼は行方不明扱いだったのだ。詳しい事情は話さなかったが、無事でいることを伝えると友人は泣いて喜んでくれた。マスケラはゼンマイ式の時計を何個か作ってくれるよう頼み、友人はその注文を引き受けてくれた。
バジリオたちが見知った街を出歩く一方で、初めての大きな港町にヴァーロと六人の子供たちは目を輝かせていた。港にひしめき合う船の数々、街に立ち並ぶ屋根の多さ、そして何と言っても人通りの激しさ。船から店へ、店から船へと荷車が往復する様子は、見ていて目が回る程の忙しさだった。
街に出たいと言う子供たちに賛成して、ヴァーロは船を下りた。それぞれ小さな小遣い袋を手に店を回る。屋台の串焼きを食べたり、手の大きさに合ったナイフを買ったり、みんなでわいわいと街を散策した。
子供たちは武術を教えてくれたり、遊んでくれたりするヴァーロを兄のように慕っていた。ヴァーロもそれが嬉しくて、よく子供たちの面倒を見た。彼らにとってオケアは回っても回りきれない程大きな街で、船が港にいる間中、方方を出歩いた。
リッキーはオケアに着いてからしばらく船に残っていたが、三日目の昼過ぎにふらりと酒場へ出掛けていった。目立つ右手を外し、薄っぺらで質素なコートを羽織る。少し落ち着いた雰囲気の酒場を選んで入ると、カウンターの隅に座って酒と食事を頼んだ。直ぐにデカンタで白ワインが用意される。リッキーはそれをグラスに移し、香りを楽しみながら味わった。若くみずみずしい葡萄の酸味が口に広がる。それからしばらくして、新鮮な野菜と魚のカルパッチョも並び、ささやかな贅沢を過ごしていた。
小さな店内だが程良く客が入れ替わり、リッキーの隣はずっと空いていた。そこへ一人の青年が近づく。焦げ茶色の長髪を後ろできれいに束ね、青い海のような眼をした麗人だった。
「隣、構わないかな?」
「……ジョーイ…」
リッキーは見覚えのあるその顔に目を丸くした。かつての同僚、クリストファー・ブラドル中将の息子、ジョーイ・ブラドルだった。
驚きで言葉が出ないリッキーに向かってジョーイはもう一度尋ねた。
「今日は非番でね。昼間から一杯やりに来たんだが、隣は空いているかな?」
「…そう、それは奇遇だね。私も今日はただの客として飲んでいるんだ。隣へどうぞ」
海軍の服もバッジもつけていない友人の姿を見て、リッキーは席を勧めた。ジョーイは隣へ座るとワインを注文し、デカンタの注ぎ口をリッキーの方へ傾けた。リッキーは丁度空になっていたグラスを持ってそれを受け取る。濃い赤色をしていた。
二人は一口ずつワインを味わい、しばらく黙っていた。
友人の姿は以前と変わりなかった。男らしいがっちりとした体格に整った目鼻立ち。真っ直ぐに伸ばされた艶やかな髪が、清潔感を漂わせる。彼の青い瞳がにこりと笑うと、世の令嬢たちは忽ち恋に落ちた。リッキーとともに鍛錬に励み、家柄と実力を兼ね備えた若き将校だった。
話が弾まないリッキーに対して、ジョーイは世間話をするかのように喋りだした。
「先日、父が亡くなったよ。先日と言っても、もう二月ぐらい経つかな? とある海賊に殺されたらしい。クロスボウの矢で体を貫かれていた。海賊と戦って死ぬ、軍人らしい最期だったよ」
「そう…」
「おかげで私は一階級特進で大佐にされたんだ。まだ中佐のうちに経験したいことがあったのに、本部の仕事を増やされてろくに海へ出られない! 今日の休みだって久しぶりさ」
「それは災難だった。でも、位が上がって喜ばないのは君ぐらいだろう」
「ふふふ、それは父にも言われたことがある。父は位に執着する人だった。でも、私は上へ行けば行くほど、海から遠くなってしまう気がして好きじゃなかった」
「そうだったね」
ジョーイの空いたグラスにリッキーが酒を注ぐ。二人は昔を思い出し、友人のように酒を飲み交わした。途中で塩炒りの豆を追加して、ワインの減りが一層早まる。二年ほど会っていなかったので積もる話はいろいろとあった。
しかし楽しい一時ほど過ぎるのは早い。三本目のデカンタが空く頃には西日が強くなり、ジョーイは店を出ると言った。リッキーは友人との別れに左手を出し握手を求める。友人はその手を強く握り返してくれた。
「なあ、リッキー」
ジョーイはリッキーの手を握ったまま喋りかけた。
「父が最後に指揮を執った部隊には、呪術師が混ざっていたという報告があった。君も知っての通り、私たちは剣と銃を持って戦う軍人だ。通常なら有り得ない。何か心当たりはある?」
「さあ? 詳しいことは分からないね。でも、中将ともなれば一層、中枢本部に近い存在だ。私たちの知らないことも多いだろう」
「そうだね…。一つ位が上がって、それは私も感じている。もう何年も務めているのに、初めての事が多くて驚きだよ」
友人はそう言いながら、困ったように笑ってみせた。
「それともう一つ」
「ん?」
「君の右手には、父が関わっていたのかな?」
悲しげな視線の先に、握手をすることが出来ない右手が映っていた。
リッキーは少しだけ言葉に困ったが、直ぐに笑顔を作った。
「これは私が若かった結果だ。それで先日の船団に君の旗がなかったのか」
「ろくに調べもせず出て行くのはどうかと止めたんだけど、父の部下には強気な者が多くてね。まあ結果は知っての通りさ。ただの海賊相手だと思っていた時点でこちらの負けだよ。君の統率力と戦術が、船を乗り換えたぐらいで衰える訳がない」
「高く評価してもらえて嬉しいよ」
友人からの褒め言葉にリッキーはウインクをしてみせた。長く繋いでいた手が解けてジョーイが席を立つ。その視線がふと、窓の向こうに行って、彼は少しため息をついた。
店の前の通りは夕暮れ時で往来が一層増えていた。
「あれは彼の趣味なの? 君の命令なの?」
「彼の趣味だよ」
「過保護だと思うけど」
「私がこうなって以来どうも信用がなくってね」
リッキーはそう言って短い右手を振ってみせる。その言葉に友人は「大変だね」と返した。人混みに紛れて所在は掴めなかったが、飲んでいる間中、つきまとう視線があった。リッキーはもちろん、ジョーイもそれに気付いていた。
「じゃあ、これで行くよ」
「ああ。今度会うときは、海賊と海軍かな?」
「……きっと、海軍と海賊だね」
そう最後の別れを交わして友人は店を出て行った。
残ったワインを一人で飲み干し、リッキーも別の道を帰っていった。
***
それぞれの用事が済んで、一行はオケアの港を出発した。またしばらく洋上で稼ぐ日々である。街で仕入れた商船の航路を幾つか見比べながら、リッキーは次の的を選んでいた。大きい船を襲えば一気に稼げるが、自船のサイズを考えると手が出しにくい。
品定めに悩むリッキーのところにロブが一枚の紙を持ってきた。
オケアの港で配られていた賞金首リストである。その新規の蘭に『三つ編みのリッキー』という名前が載っていた。
「標的を選ぶのも良いが、これからはやって来る船も増えそうだ」
「あれ? 本当だ。ははっ! 私一人で五百ポンドだって! 海兵が一月真面目に働いたって一ポンドなのに! これは人気者になるかもね!」
「軍はもちろん、賞金稼ぎも動き出す額だ。一層気を引き締めていかなければ」
「オーケー。これからも頼むよ、ロブ」
リッキーがそう言ってウインクをすると、ロブは膝を折り、その左手を取って忠誠を誓った。副船長の絶対的な服従に、船長は額へ口づけて応えた。
増えた仲間を乗せながら今日もカラベル船は進んで行く。メインマストのてっぺんでは黒い海賊旗がはためいていた。交差するクロスボウの矢の上に髑髏、後ろに三つ編みの輪。女も子供も混ざった海賊らしからぬ船でありながら、その力は先日の海軍撃退によって、早くも世に知られることとなった。
海軍仕込みの統率力を見せつける船長リッキー・リードに、クロスボウの名手ロブ・リリー。その下には並外れた呪術師や航海学に精通する者、武術の達人などが揃っていた。そして彼らを乗せるカラベル船を守るのが、双子の船大工である。決して強力とは言えない小型の帆船を彼らは立派な海賊船に保っていた。
バジリオとジラルドが子供を連れながら船の部位を説明していく。船の先端に突き出た棒、バウスプリット。船の前方が前甲板で、階段で一段上がった後ろ部分が後甲板。大型の帆船になると前甲板に船首楼が付いていたり、後甲板から更に一段上がった最上後甲板や船尾楼があったりする。船の説明するバジリオはとても楽しそうで生き生きとしていた。
子供たちは時々質問をしながらバジリオの後をついていく。ジラルドは全員が付いていくように後ろで見張る役目だった。
一人の少女があることに気が付いた。
「ねえ、バジリオさん。このお船はカラベルって形のお船なのよね? じゃあ、名前はなあに?」
「名前? そういえば聞いたことがないな……。ジラルド、知ってるか?」
「え? いいや、俺も聞いたことないけど」
少女からの質問に二人は揃って首を傾ける。もうこの船に乗ってから数ヶ月が経つが、船名を聞いたことがなかった。
一同が疑問を抱えたまま後甲板に上がると、丁度そこに船長の姿があった。長い三つ編みがぱらぱらと風に揺れている。子供たちがその姿にわあっと駆け寄っていった。
「リッキー船長! このお船は何て言うの?」
「船の名前を教えてください!」
服を掴んでせがんでくる子供たちをリッキーは左手で制した。
「何々? どうしたのさ。船の名前? 確か軍ではへカティア号って呼ばれていたはずだよ」
「それは昔の話でしょう? 海賊船にしてから名前をつけてないんですか?」
「うん。仮住まいのつもりだったし」
子供の後に続いてやって来たバジリオの問いかけに、リッキーはきょとんと答えた。手近に強奪できる船で海に出ただけで、そのうち乗り換えるつもりだったらしい。奴隷船を襲撃して以来、船員がぐっと増えたのでカラベル船はやや手狭になっていた。
リッキーの言葉を聞いてバジリオが思わず声を荒げる。
「ちょっと船長っ! これだけ手を掛けてる船をそんな風に思っていたんですかっ?」
「えっ、ごめん、ごめん! 怒らないでよバジリオ! 君が吼えると迫力が凄いんだから」
「毎日整備している船を粗末に扱われて怒らない船大工はいませんっ!」
「うーん、ごめんってば……」
憤慨するバジリオにリッキーはややたじたじになる。下からは子供たちの「名前がないの?」という純粋な視線が突き刺さった。
怒る兄に対してジラルドが言った。
「じゃあさ、名前つければいいじゃん! 俺たちでつけようぜ!」
「え?」
「いいですよねっ? 船長! 俺と兄貴で名前つけても!」
「オーケー。そしたらこの船にも海賊船としての名前が出来るね」
ジラルドの助け船にリッキーはひょいと飛び乗って賛成する。バジリオは弟の提案に顔を顰めながらも、乗っている船に名前がないのは嫌なので真剣に考えた。
船の名前は海神や女神、昔の英雄にちなんだ物などが多い。けれども単に好きな鳥の名前を付けたり、地名を付けたり、個人の物になればみんな自由にしている。二人はこの海賊団にちなんだ名前にしようと言ってあれこれ考えた。
「船長の通り名が〈三つ編みのリッキー〉なんだろ? じゃあさ、何かそれっぽいのが良いんじゃないかな?」
「トレチア、ってのはどうだ? そのまんまの意味だけど」
「海賊船トレチア号! ははっ、いいじゃん兄貴っ! 俺たちの船! トレチア号!」
兄の考えにジラルドは抱きついて賛成する。バジリオはじゃれつく弟を重たそうに受け止めた。弟は何かと飛びついてくるので、もう手慣れたものだ。
「船長、トレチア号でどうですか?」
弟を抱えながらバジリオが確認する。リッキーはいつもの調子で「オーケー」と答えた。
船の名前が決まり、子供たちは嬉しそうにそれを呼ぶ。
「海賊船トレチア号っ!」
「バジリオさんと、ジラルドさんの強い船、トレチア号っ!」
「リード海賊団のトレチア号ーっ!」
揺れる船の上でも平気で走れるようになった彼らは、後甲板をわあっと駆け回った。その元気な姿を見て、戦闘中の伝達係に良いかもしれないとリッキーは考える。船の上では全員が運命共同体。子供でも出来る仕事が増えれば戦力になる。
メインマストに登っていた船員が遠くに船影を見つけた。掲げられた旗印から宝石商の物だと分かる。風の強さは申し分ない。リッキーの号令で船は向きを変え、商船に狙いを定めて走り出した。
襲撃にも慣れてきた双子の獅子が、頼もしく吼える。
船の操縦と迅速な修復は海での戦闘を左右する。二人は前線に出なくても、リード海賊団を支える重要な戦力だった。
「よっしゃ、行くぜ兄貴! 俺たちのトレチア号っ!」
「おうよ! この船は絶対に沈めない! 俺とお前が乗ってるからなっ!」
風に乗って進むトレチア号の先でしばらく後に商船は煙を上げた。仕事を終え、たっぷりの略奪品を抱えた船はその場を軽快に走り去る。
髑髏の旗の下に多くの大望が集まっていた。
それぞれの望みが、やがて大きく枝葉を伸ばし、海を統べるアウロラ帝国をも揺るがす存在となる。だがそれはまだ先の出来事。
海賊船としての名前を得たばかりのトレチア号は、その波乱の種を乗せて今日も海を走っていった。
Fin.




