第六話*レオーネ兄弟
一行はティアという小さな田舎町に辿り着いた。港へ近づく前に海賊旗を降ろし、適当に模様のついた旗を掲げた。一目見て所属が分かるような旗でなければ、家の紋章だ何だと言い訳が立つ。数隻しかいない船着き場の端に泊め、使用料を少し多めに払って停泊記録をつけさせないでおいた。
リッキーは港に着くと酒場へ行くと言って早早に船を出た。他の面々も、船に誰かが残りつつ交代で出掛けることになった。バジリオは先に陸へ上がらせてもらえた。支度をして甲板に上がっていくと、舷梯を渡る手前にジラルドの姿があった。
先日喧嘩をして以来、特に会話をしていない。いつもは上を向いている黄色い耳の先端が下に垂れていた。あんな風に人を怒鳴りつけたことを少しは反省したのだろうか? だが、バジリオはまだ弟を許すつもりがなかった。
「兄貴っ、あのっ…」
「俺は一人で出掛ける。ついてくるなよ」
「……絶対戻ってきてくれよっ! 兄貴っ!」
船の上から叫ぶジラルドの声は、先日のものと同じとは思えない程情けなかった。
時は少し遡る。ティアの港に船が着く前日、ジラルドはロブの部屋を訪れた。兄と合流して以来上機嫌だった顔は、先日の喧嘩でどこかへ消えていた。獅子の耳をぺたりと垂らし、尻尾も項垂れている。
ロブは少し面倒臭そうな顔をしながらも、ジラルドを中へ入れてくれた。
部屋に入っても、ジラルドはしばらく黙ってしょげたままだった。ロブはそれを放置し、幾つかあるクロスボウの手入れをした。彼はその驚くべき腕力でクロスボウの弦を直接手で引き寄せる。本来ならば足で踏みつけ体全体で引き上げたり、弦を張るためのハンドルで巻き上げたりする物だ。そのため一発の威力は高くとも、連射できないという点がクロスボウの欠点だった。それをこの男は素手で引き発射してしまうので、軍にいた頃から一目置かれていた。甲冑を貫く弓を早撃ちされては敵も堪ったものではない。
ロブは何種類かのクロスボウを持っており、その内の一つは解体してケースで持ち運べる物だった。街中で武器を担いでいるとさすがに目立つので、戦闘目的でなければこちらを持ち歩いているらしい。
ジラルドは黙々と手入れをするロブに視線を送りながら、どう切り出せば良いのか迷っていた。悩みの種はもちろん兄のことである。
「あの、ロブさん…」
クロスボウ本体の手入れが終わりロブが矢を点検し始めた頃、ジラルドはやっと口を開いた。ロブは黙って視線で「何だ?」と問い返し、一端作業の手を緩める。ジラルドはまだ少し迷いながらも、訥々と喋りだした。
「あの、気を悪くしないで欲しいんですけど、ロブさんって、船長が一人で出掛けるとき後を付けて行ってますよね……?」
ジラルドがどきどきしながら口にしたのは、今までに何度か見た事実だった。リッキーが一人で陸に上がるとき、ロブはそれを見送った後で出掛けている。少し離れたところからずっとリッキーの後を付けているのだ。そしてリッキーが戻る少し前に戻ってきて、まるでずっと待っていたかのように振る舞う。ジラルドはこの船に来てから何度も船番をしていたので、それが思い過ごしではなく事実であると知っていた。
ロブはいつもリッキーを尾行しているのだ。
それを面と向かって言われた本人は何でも無い顔つきで「ああ」と答えた。
「リッキーは私の一番だ。かつて私がその側を離れたことで右手を失わせてしまった。もう二度とそんなことがないように、しっかり見守っていなければならない」
「ロブさんでもそう思いますかっ!」
「お前の場合の一番はあの兄なんだろう? だからこの船に兄を呼び、先日は兄を怒鳴りつけた。バジリオは船を下りたいと言ったのか」
「……そうです。兄貴は人を殺したことがショックだったみたいで。それで海賊は無理だって…」
ジラルドは一瞬、ロブと気持ちが共有できたことに沸いた。自分の一番を手元に置いておきたい。自分の一番をこの手で守りたい。あまり他人には理解されてこなかったこの感覚を、ロブは的確に読み取ってくれた。彼もまた、一番のために人生を捧げている男なのだ。
理解者を得られたことにジラルドは喜んだが、直ぐに兄との状況を指摘されまた項垂れた。船を下りたいと言った兄を、つい怒鳴りつけてしまった。もっと上手く伝えれば、あんなに怯えさせずに済んだのかもしれない。もしかしたら殺人への恐怖も薄れて、前言を撤回してくれたのかもしれない。そう思うとジラルドはやりきれない気持ちだった。
兄はジラルドにとって全てだった。
そもそもが双子である。ほんの僅かな差があるだけで、二人は生まれ落ちたときからずっと一緒だった。同じ環境で育ち、一緒に学び、ともに生きてきた。平凡な幸せの中で、兄との楽しい生活がずっと続いていくものだと信じていた。それが幼いジラルドの夢だった。
しかしそれは脆かった。
彼らが六つのとき、街で黒眼病という病が流行った。眼球が変色し高熱が出る病気で、体力の少ない老人や子供が罹ると致死率が非常に高かった。体が弱かった父は、それであっけなく死んでしまった。
父が死んだ後、兄までが黒眼病に罹りジラルドはこの世が終わるような気持ちになった。兄が死ぬかも知れない。それが幼い彼にとってどれだけの恐怖であったことか。眼が黒くなり、高熱でうなされる兄を見て、体を取り替えたいとさえ思った。俺が代わりに死ぬから、兄貴を殺さないでくれ! そう神に願った。
必死の願いが届いたのか、或いはバジリオが丈夫な体だったのか、兄は右目に後遺症を残しながらも回復した。自分とお揃いの赤茶色の瞳が減った兄の顔を見て、ジラルドは大粒の涙を零した。兄が生き残ってくれたことに感謝し、その片目が色を失ったことを嘆いた。
ジラルドが自分の人生の中心に兄を重く据えたのはそれからのことである。
何をするにも必ず兄の側に立ち、この世のあらゆるものから兄を守るつもりで生きてきた。だから当然、大人になっても兄は自分と一緒に暮らし、ずっと二人で幸せに過ごすものだと疑わなかった。
だが二度目の受難が彼に訪れる。バジリオは昔から興味のあった造船を学び、船大工として貿易会社に就職したいと言ったのだ。兄が会社に入ってしまうと、四六時中一緒にいるわけにはいかない。同じ会社に入ろうにも、当時のジラルドには船大工としての知識がなかった。考え抜いた末、彼は断腸の思いで別の船大工のところに転がり込んだ。兄と一緒になるために、兄の仕事を覚えなければ。そう思って一時の苦しみを受け入れたのだ。
師匠の元で学んでいる間は、時間が出来る度にそっと兄の様子を窺いに行っていた。兄を困らせる奴はいないか? 兄に言い寄る奴はいないか? ジラルドは自分で決めた事とはいえ、自分の側を離れた兄を心底心配した。
そうしてようやっと一人前の腕を身につけたジラルドは、次の行動に移ったのである。
会社などにいては、兄と四六時中一緒にはいられない。どこかもっと二人に適した場所を見つけなければ。そう考えて思いついたのが船乗り兼船大工という立場であり、その途中で海賊となってリッキーたちと出会ったのだ。
正直、普通の海賊船であればとてもじゃないが兄を連れてなど来れなかった。自分の命よりも大切な兄である。危険な船乗りたちと一緒には置けない。けれどもこの船は変わっていて、それにロブが自分と同類であると感じていた。
この船ならきっと兄と一生を送れる。
ジラルドは長年待ち望んできたチャンスに胸を膨らませた。その上好都合なことに、兄は会社を首になったところだったのだ! 直ぐにでも迎えにいきたいところを、恐がらせないように家まで手紙を届けた。結局、久しぶりの兄に舞い上がってろくな説明もせずに連れてきてしまったが、船長のおかげで兄はこの船の一員となった。
六年以上もの時間をかけて待っていたのだ。もう一日たりとも兄をこの手から離したくない。それがジラルドの本心だった。
けれどもバジリオは戦闘を恐れ、船を下りたいと言い出した。
それはいかな兄の願いといえども、ジラルドは決して許せなかった。
「……明日、港に着いたら兄貴は一人で街に行くと思うんです。ついて行きたいんだけど、俺の毛色は人混みだと目立って。ロブさん、俺の代わりに兄貴を尾行してもらえませんかっ? それでっ、もし本当に兄貴が戻らないようなら、そのときには力尽くでもっ…」
「尾行をするのは構わないが、私は乗りたくない奴を船に乗せる気はない」
「ロブさんっ!」
「バジリオが去ったときにはその方角ぐらい教えてやる。自分で連れ戻すんだな」
ロブの冷たい物言いに唇を噛みしめつつ、ジラルドは兄の尾行を頼んだ。
***
小さなティアの街で、バジリオは久しぶりの地面を踏みしめていた。弟を置いて一人で来たので、少し寂しい感じもしたが気楽だった。
街はこぢんまりとしながらも商店が並び、飯屋からはいい匂いが漂っていた。バジリオは途中で買い食いをしながら街をぐるりと一周した。
その中で武器屋が目に留まり、壁に掛けられた剣を見て先日の戦いを思い出した。やはり戦うことは恐ろしく思える。決して慣れたい感覚ではなかった。しかしまた同時に、マスケラが海賊になった理由も思い出していた。自分の大切なものとは一体何なのか? もちろん最高の一隻を造ることが夢だが、一番大切かと聞かれると少し違うような気もした。
バジリオは街に郵便が通っていることに気が付いて、手紙を買って一筆書いた。
それからもう少しだけ地面の感触を味わい、ふらりと船へ戻っていったのだ。
船に戻ってみると、弟はまだ甲板の上で丸くなっていた。けれどもバジリオが帰ったと見るや否や、耳がぱっと飛び起きて表情を明るくする。ジラルドは転げるように駆け寄って、勢いよく兄に飛びついた。その決して軽くはない体を兄は踏ん張って受け止める。
「おかえり兄貴っ! おかえりっ!」
「ジラルド、俺はまだこの前のことを許してないんだからなっ! 突然怒鳴りつけやがって! 俺はお前と違ってあんなことは初めてだったんだ! 気落ちするのは当たり前だろうっ?」
「うん、うんっ。ごめんね兄貴っ。怒鳴ってほんとごめんっ! 俺、兄貴が戻ってきてくれて本当に嬉しいよっ! おかえり兄貴!」
ジラルドは尻尾をぱたぱたと振って兄の帰りを喜んだ。バジリオはまだ少し怒っていたのだが、弟の馬鹿みたいな喜びようを見て段々どうでも良くなってきた。弟は昔から調子ばかりが良くてこちらの手を煩わせた。どんなに喧嘩をしても、怒っても、弟は自分の後ろを離れなかったし、数日経てば元に戻っていた。
久しぶりに会った弟も、昔と何ら変わっていないことにバジリオは気付いていた。
そうすると、結局折れるのは兄である。
それでも一応のけじめとして、バジリオは弟を一端突き放し真面目な声で問いかけた。
「ジラルド、もう一度聞くぞ。お前は、どうしてもこの船じゃないと駄目なのか?」
突き放されたジラルドが一瞬だけ目を大きく開く。でもそれは、直ぐに照れくさそうな笑顔に変わった。
「この船じゃないと駄目なんだ、兄貴。この船で、兄貴と一緒にいたい。俺は兄貴の代わりに何だってするよ。もう怒鳴ったりしない。この船で、兄貴と一緒に暮らしていきたいんだ。だから俺と一緒に、ここにいて欲しい」
「……自分のことぐらい自分でする。昔から俺はそう言っているだろう? お前は本当に人の話を聞いていない」
「だって、俺は兄貴のためなら何だってしたいんだもんっ!」
ジラルドはそう言ってもう一度兄に抱きついた。バジリオは自分と同じ大きさの弟を、小さい子をあやすように撫でた。
弟の左肩には太陽とアンカーをモチーフにした刺青が入っている。それは自分の右肩にある刺青と全く同じ模様だった。一緒に船を造ろうと言った若い頃に、揃いでそれぞれの肩に刺したのだ。
アンカーは二つで一つの船を固定する大事な重りだった。
「お前がここだと言うのなら、俺はそれを信じるよ。船大工兼海賊でも構わない」
「ありがとう! 俺、絶対兄貴のことを幸せにするからね。一緒に最高の一隻を造ろうね!」
バジリオはいつまでも可愛い弟に頭を寄せて、短く「おう」と答えた。




