第四話*嵐の出航
スカトラが呪術師の接近を察知し、一行はヴァーロのいた村から馬を走らせ船へと急いだ。海から吹いてくる風が湿気ったものに変わり、直ぐに降るであろう雨を予感させる。リッキーは真っ直ぐ船へと向かわずに、その近くにある小高い崖の上へ登った。崖からは船を泊めてある湾が見渡せ、その様子がよく分かる。乏しい月明かりに目を凝らすと、湾の入り口を塞ぐように小型の船が二隻停泊していた。望遠鏡で確認した旗はアウロラ帝国海軍の物であった。
嫌な予想が当たってしまったことにリッキーは思わず顔を顰める。
「ロブ、そのクロスボウはどのぐらい飛ぶ?」
「分解できない大型を持ってきている。普通に撃って四百メートル、……ここから下に向かって撃てば、あの船の甲板には刺さる」
「オーケー。スカトラ、悪いけど発火の呪符を一枚、矢に貼り付けてくれるかな。月が陰って暗いし、あの船に松明になってもらうよ」
リッキーがそう言うとロブは直ぐにクロスボウを構え崖の先端に立った。スカトラがマントの内側から白紙の呪符と万年筆を取り出し、呪を書き付けながらリッキーに聞く。
「それは楽な仕事だけど、ここからうちの船まではどうする気ですか?」
崖から船までは距離がある。とてもじゃないが飛び込める高さではない。
「あー……そっちも何とかなったりする?」
「だから私の力を過信しないで欲しいのですが」
「でも出来ちゃうの知ってるから。やり方は知らないけど」
「並の呪術師には出来ないことですから、呪術に頼ってはいけませんよ」
「オーケー」
懲りない調子でリッキーがそう答えると、スカトラはため息をつきながらロープと杭を取り出した。ロープの一端を杭に結び、もう一端をクロスボウの矢に結ぶ。杭は崖にしっかりと打ち付け、その根元に呪を書き付けた呪符を貼った。最後に腕輪を外して唇に当て、直接呪の言葉を吹き付けると輪が大きくなった。それを紐に通してから矢をロブに渡す。
「向こうの船に火を付けたら、こっちの矢を船のマストに当ててください。俺が船に戻れば杖を使って人を転送させることが出来る」
「ここから滑空する気か? 大した度胸だ」
「副船長の失敗を疑わないところ、好きですよ」
「お前がやると言ったんだ。出来るだろう」
ロブは当たり前のようにそう言って、手前に泊まっていた船を目掛けてクロスボウの矢を放った。風を切って飛んだ矢が闇に消え、ややあってから湾を塞いでいた船で火の手が上がる。船の周りが少し明るくなったことを幸いに、ロブはもう一発メインマストにも火をつけた。下はともかく、上で起きた火事はそう簡単には消せない。甲板に慌てた船員がわらわらと集まってくる様子が見えた。
ロブが矢を放っている間に、スカトラは転送用の呪符を書いていた。それを一人一人の体に貼り付け、全員に崖の先へ立つように指示する。移動させるには、スカトラが船から皆を目視できる位置でなければいけないらしい。
突然の戦闘にバジリオは鼓動を早めながら話を聞いていた。海賊船に乗ると決めはしたが、これまで一度たりとも戦ったことなどない。稀に喧嘩をして殴り合うようなことはあっても、武器を取って殺し合うことはなかった。
兄の不安そうな顔を見て、ジラルドがその手をぐっと握る。
「大丈夫だよ兄貴。俺が絶対守るから」
「なっ、俺だって自分の身くらい守る! それに、あの船だって守るんだっ」
「へへへ、そう来なくっちゃ」
弟に心配されてバジリオは精一杯の威勢を張った。あの船は夢の欠片なのだ。そう簡単に手放す訳にはいかない。
ロブがカラベル船のフォアマストにクロスボウを向けると、リッキーはスカトラに言って輪をもう一つロープに通してもらった。
「兵が乗り込んでいるかもしれないから私が先に行く。少し待ってから来てくれるかな」
「杖が私の部屋にあるので、そこまで先導してもらえますか?」
「もちろん」
スカトラの申し出にリッキーはウインクをして答えた。
低い発射音が再び鳴り、ロープを引いた矢がマストの中心に命中する。リッキーが輪を掴んで先に船へと渡り、それに続いてスカトラも渡っていった。二人が無事に着地したのを確認し、ロブが杭を引き抜く。
後は崖の上に立ちスカトラの呪術を待つだけだった。
剣を持った左手で輪を掴み、リッキーは崖から一直線に船へと滑空した。マストへぶつかる直前で着地し辺りを警戒する。少し間をおいてからスカトラも下り、二人は足早に船内へ入った。中甲板にあるスカトラの部屋までは特に誰と会うこともなく無事に杖を手にする。リッキーは船内に侵入があるかどうかスカトラに尋ねた。
「この船以外でこんな事出来ませんからね」
「分かってる。でもこの船には君の呪術が張り巡らされているだろう?」
「ご尤も。……いませんよ。中にはいませんが、縁や下で待ち構えているようです」
スカトラは手早く木炭で床に呪を書き付け、その中心に杖の底を当てた。瞬時に読み取った船の情報を船長に伝え指示を仰ぐ。リッキーは甲板に向かいながら口早に言った。
「軍はおそらく私とロブが揃うのを待っている。ヴァーロを最初に転送し、ロブを最後にしてくれ。後の順は任せる。全員を回収次第、出航だ」
「事が収まる前に全員を呼んでいいんですか?……あの博士怒らないかな」
「私たちは海賊になったんだ。この先も戦闘は避けて通れないよ」
二人は再び前甲板まで行き、そこでスカトラはまた床に呪を書き付けた。今度は二種類の呪を少し距離を置いて書き付け、その一方に杖を置く。そこから崖の上に立つ仲間を目視し、船長に言われたとおり真っ先にヴァーロを呼び寄せた。呪の上に一瞬で移されたヴァーロは驚きつつも直ぐに戦闘態勢を取る。続いてジラルド、バジリオ、マスケラが転送された。
「ヴァーロ、ここでスカトラの警護を頼む。後の三人は後甲板下の船長室に入れっ。直ぐに中にある剣を取って入り口からの侵入に備えること! 敵が入ったら三人で対処しろ!」
「はいっ!」
「行くよ兄貴っ」
「お、おう!」
「チッ、面倒になったな…」
船長の号令でそれぞれが持ち場に向かい、最後のロブが転送される。全員の回収が終わるとスカトラは新たな呪を書き付け、船の操縦に取りかかった。
前甲板でリッキーとロブの二人が揃った。
「いたぞ! 反逆者の二人だ! 捕縛しろっ!」
「出航っ!」
どこからか上がった号令とリッキーの声はほぼ同時だった。
船の縁から一斉に海兵たちが飛び出し、リッキーとロブに飛びかかる。二人は呪術を行うスカトラから離れ、甲板の中央に移動した。船を動かすために呪の位置から動けないスカトラをヴァーロが刃を振るって守る。大勢の海兵に取り囲まれながら、リッキーとロブは背中合わせになって剣を構えた。
兵たちは剣を構えた状態で二人と距離を置き、こちらの様子を窺っている。その後ろから帽子を被った男が現れ、リッキーたちに話しかけた。
「リッキー・リード、ロブ・リリー、君たちを帝国海軍に対する反逆罪で捕縛する。ここで殺しはしないが、行き先は絞首台だ」
「クリストファー・ブラドル中将!」
リッキーは見覚えのある顔に思わず名前を叫んだ。まだ海軍にいた頃、上官として仕え同僚の父でもあったブラドル中将だったのだ。軍が自分たちのことを探していることは知っていたが、まさか中将が直々に出てくるとは思っていなかった。かつての上官にリッキーはやや顔を曇らせた。
兵たちの囲みはじりじりと輪を狭め、二人を追い詰めていく。
「久しぶりの再会がこんな形で悲しいよ。捕縛が第一命令だが、抵抗するようなら生死は問わないそうだ。ここで死ぬか、民衆の前で死ぬか選ぶと良い」
「中将自らお出ましになるとは思っていませんでしたよ。不出来な部下の後始末ってやつですか? …でも残念。私はもう部下ではない」
「もちろん。君は海賊で、私は海軍だ」
「ならば話は早いですねっ!」
リッキーはそう叫ぶとブラドルの方へ飛び込んだ。兵たちがそれに応戦し、中将を守るように剣を繰り出す。同時にロブも目の前を蹴散らすように剣を振るい乱戦が始まった。ブラドルの部下は決して弱くなかったが、それでも部下に教える立場であったリッキーの腕前の方が遙かに上だった。
剣で払い、フックで殴りながらリッキーは海兵を打ち負かしていく。しかし欄干に繋がれた梯子からはまだ後続が登ってくるようだった。
船は帆を張り少しずつ向きを変えて動き出す。湾を塞いでいた船の一隻は火の手が上がっているが、もう一隻は健在だ。外海へ出るにはどちらかを突破しなければならない。リッキーはスカトラに指示を出した。
「フルセイルッ! 燃えている船の外側を抜けろっ!」
「呪術師を殺せっ! 船を湾外に出すなっ!」
中将の命令で前方にも兵士が集まり、スカトラとヴァーロを標的にする。リッキーは一瞬だけロブに近づき、後甲板に行くよう伝えた。ロブはそれを直ぐに理解して行動に移す。海兵はそれぞれを追って三方に散った。
前甲板、スカトラに襲いかかる兵士にヴァーロが応じた。仲間に加わって早々の戦闘だったが、彼は守る者を得て生き生きとしていた。呪術に集中するスカトラを背に、二本四枚の刃が奮戦する。
軍の訓練により連携して繰り出される剣に対し、ヴァーロは自由な刃を振るった。型に囚われないそれは舞うように空を斬り海兵を退ける。ヴァーロを手強いと見た兵の一部は彼を避けてスカトラに直進していった。だが鋭い切っ先が直ぐそれに反応し、迷いなくその首を斬り落とす。相手は子供だと思っていた兵士たちは驚愕し顔つきを変えた。
足元に転がってきた首を見て、スカトラも少し意外そうに言った。
「わりとあっさり殺すんだね」
「守る者を守る。俺はその為なら迷いません」
「心強いよ。全員よろしく」
「はいっ!」
仲間がやられて兵の足並みが乱れたのを感じ、ヴァーロは攻めに転じた。
後甲板の下、リッキーに蹴散らされた兵士たちが船長室になだれ込んでいった。両開きの扉が勢いよく開き、中にいたバジリオたちがびくりと震える。兵は彼らを見つけると目標を変えて襲いかかってきた。ジラルドがそれに率先して応え、マスケラも嫌そうな顔をしつつ剣を振るう。障害物が多い室内で二人はときに物を投げつけながら善戦した。バジリオも背後を取られないように気を付けながら、慣れない剣を両手で扱う。
兵士は複数対一を訓練されているようで、二対一の攻防が続く。ジラルドが一人を斬りつつ、もう一人を部屋の外へ蹴飛ばす。マスケラは灰皿を投げつけて、怯んだ一方の喉を掻ききった。一対一になるとなかなかの剣捌きで敵を追い詰め、剣を打ち払う。武器をなくした兵士は転がり逃げるように外へ出て行った。
初の乱闘で、バジリオが部屋の隅に追い込まれ苦戦を強いられる。二本の刃を躱すのが精一杯で自分の位置を把握できなかったのだ。背中が壁につき彼は思わずハッとした。もう一歩も下がれない状況で兵の攻撃が迫っていた。
「兄貴っ!」
バジリオの危機に気付いたジラルドが兵士を後ろから斬り殺し駆けつける。バジリオは目の前でブシャッと血飛沫が上がるのを見た。それに目を奪われるのも束の間、別の兵がなだれ込み仲間を殺したジラルドに突進してくる。バジリオは声を上げながらその一人に飛び込んだ。
「うおおおおおっ!」
相手の腹に剣を打ち付け押し返すように振り払う。服の内側から勢い良く血が噴き出して、辺りに飛び散った。もう一人残っていた兵の攻撃をバジリオは剣で受け止める。そのまま力比べになりそうだったところを、銃声が響いて兵士が倒れた。
「お互い戦闘に慣れないと大変だな」
「あ、ありがとうございます…」
「兄貴、大丈夫っ?」
一段落した船長室でマスケラは次の弾を装填する。バジリオは弟の助けを借りてもう一度剣を構えた。自分も、弟も、血を被っていた。剣を握る両手が汗ばみ、必要以上に力んでいた。
甲板の中央部で兵を圧倒するリッキーはブラドル中将と対峙していた。部下と連携を組みながら攻撃を仕掛けてくるブラドルはなかなかに手強い。周囲への警戒を怠ると銃撃の隙を与え撃たれてしまう。リッキーは兵士に銃を取らせないよう気を配りながら剣の攻撃を防いでいた。
「さすがは元中佐! 君は私の部下の中でも特に戦闘が巧だった!」
「お褒めに預かり光栄っ! 両手で相手をできないのが残念ですよっ!」
「そうさ、君は片手を失った! そして失脚したんだ! あのまま辺境で朽ちて逝けば良かったものをっ! 君は本当に邪魔な男だよっ!」
「何のことですっ?」
いつの間にか勝負は一般兵が手を出せないレベルとなり、リッキーとブラドルは一騎打ちをしていた。右手で剣を扱うブラドルに、リッキーは左手で応戦する。海軍で習っていた頃は周りと合わせて右で学んでいた。
ブラドルの含みがある喋り方にリッキーが怪訝な顔をする。船が大きく揺れた一瞬を突いて、ブラドルが強く踏み込んできた。それを右手のフックも合わせながらリッキーが何とか持ち堪える。
剣を間に間近で顔を突き合わせ、互いの表情がよく見てとれた。
「言葉の通りさ。君はあの頃からずっと邪魔だった。君さえいなければ、私の息子はもっと早く中佐になるはずだった」
「息子? ジョーイのことですか? 彼は優秀な将校です。私が彼と共に学んでいたことは貴f方もご存じでしょうっ?」
「ああ、知っているとも! 君に散々、出世を邪魔されたからなっ!」
重くのし掛かってくるブラドルの体を横へはね除け、リッキーは間合いを取り直した。中将の口からかつての同僚、ともに戦った仲間の名前を聞いて驚きを隠せなかった。ジョーイ・ブラドルはクリストファー・ブラドル中将の一人息子だ。リッキーが中佐に上がると、少し遅れて彼も中佐になった。リッキーが右手を失ったのは彼が中佐に昇進した直ぐ後だった。
天候が荒れて揺れが大きくなってきた船上でブラドルは猛攻を続けた。
「少佐への昇進も、中佐への昇進も! いつも貴様が一足先だった! あんなに出来の良い息子が! 家柄の劣るお前の後に続いたのだ! 何たる屈辱っ! 貴様さえいなければあの子はもっともっと早く上り詰めることが出来たのにっ!」
「軍での昇進は個の実力と功績によって決められる。それは貴方も承知のはずです」
「黙れっ! 息子は劣ってなどいない! ただ貴様が邪魔だったのだ! ジョーイの功績を奪う貴様の存在が! だから私がそれを取り除いてやったのだっ!」
「……私の右手に覚えがあるのか」
ブラドル中将の話を聞いていたリッキーは、怒りで神経が逆立つのを感じた。とうの昔に消えた右手の痛みがちりちりと蘇る。
最早ブラドルはリッキーを捕縛するつもりがなかった。
「覚えているとも! あの戦いで君は腕を失い、中枢から退いで辺境の地で侘しく死ぬ、というのが私の立てた筋書だった。その大半が成功したと言うのに! 君はあろうことか海賊になって私の顔に泥を塗った! 元部下の反逆を咎められ、私がどれだけ苦汁を味わったと思うのだっ!今度こそ貴様を始末し、私も息子も幸せになるのだ!」
「……ジョーイは何も知らないんだな…?」
「邪魔な石を取り除くだけだ。何を断る必要がある?」
それが中将の答だった。
船はリッキーの指示通り、燃えさかる戦艦の外側に向かって走っていた。その動きに反応したもう一隻の船が方向を変えて向かってくる。ぎりぎり燃えている船を盾に躱せるか、或いは一戦交えるかというところだった。
リッキーは前甲板を背に改めてブラドルと距離をおき、船内に向かって声を張り上げた。
「マスケラッ、右舷側砲を準備しろ! 全部だっ!二人も手伝えっ!」
「イエスッ! 力仕事はそっちに任せるぞ双子」
「よし来たやってやるぜ! 行くよ、兄貴っ」
「ああっ!」
片付いた船長室からマスケラたちが飛び出し、中甲板に駆け込んでいく。とうとう雨が降り出し、甲板を雨粒が叩きつけた。ロブに任せた後甲板も既に静まりかえり戦意のある兵士は残っていないようだった。
リッキーはブラドル中将に切っ先を向けたまま尋ねた。
「今この場において、私は海賊で、貴方は海軍。そうですね?」
「そうさ。直に貴様は死体となる」
「……海賊と言うものは、軍よりもずっと自由に戦えるんですよ」
剣を構え直すブラドルに対して、リッキーは右手を高く上げた。その動きを不審に思ったブラドルが周囲を確認するよりも先に、後甲板からクロスボウが放たれる。太い矢がブラドルの背中に命中して腹まで突き抜けた。致命的な一撃に、彼は口から血を流し膝を折る。周りでまだ息のあった兵たちはその光景に目を見張った。
リッキーは右手を下ろし、船全体に届くよう大声で伝えた。
「ブラドル中将は倒れたっ! 命ある者は海に飛び込めっ! ここはまだ湾内だ、沖まで戻れる希望はあるぞっ! 中将を連れて生き延びた者には報償が出るだろう! 命惜しくばさっさと失せろっ!」
雷鳴のような声に撃たれた兵士たちはこぞって海に身を投げた。報償欲しさに中将を担ぎ上げる者たちも、這々の体で縁まで逃げる者たちも、皆真っ暗な海に落ちていった。
一層強くなった風を受けてカラベル船はぐんぐんスピードを上げていく。
軍艦は燃える船を避けるのに手間取ったらしく、側砲の射程距離にこちらを捕らえていなかった。船に残兵がいないことを確認し、リッキーはやっと一息つく。
「ロブ、下に行って砲撃を中止させてくれ。撃たずに済んだようだ」
「承知」
船は沈没していく戦艦の脇を抜けて外海に到達した。湾を抜けてしまえば後は風に乗ってどこへでも逃げられる。
血で汚れた甲板を大量の雨が洗い流した。




