第二話*六人の海賊団
弟の手に引かれて入っていったのは船の中甲板にある大部屋だった。中はランプが灯され明るく、一人の男がグラスを傾けていた。薄紫の短い髪で、肌は色白くどこか表情が薄いような感じがした。その脇に水晶がついた長い杖が立てかけられているので、呪術師のようだ。水晶は呪術の力を増幅させる宝石として一般的な物であった。
部屋にはテーブルや椅子が幾つかあったが、その色白の男以外には人の姿がない。船の上からも下からも、人の声は聞こえてこなかった。
「おかえりジラルド。そっちが君の言っていたバジリオ兄さん?」
「ただいまスカトラさん! さっきはありがとうございました。で、こっちが俺のバジリオ兄さん! これから一緒になるんで宜しくお願いします!」
「ジラルド! ちょっと待て、俺はまだっ…」
あまりの人の少なさにバジリオは戸惑いを募らせる。勝手に話を進める弟を捕まえ、バジリオは勇気を振り絞って声を上げた。
「俺は海賊船だなんて聞いていないっ!」
その一言に弟はきょとんとした顔をする。
「そうだっけ? あ、そっか! 俺、兄貴に会えたのが嬉しくって忘れてたわ!」
「馬鹿、笑って言うことかっ!」
バジリオは相変わらず大口で笑うジラルドを叱責した。
この船はどうやら今、人数が少ない。もしかしたら陸に上がって船員たちが出払っているのかもしれない。それならば何とか逃げられるのではないか。時間が経って人が増えてしまえば勝ち目はない。逃げるなら今だ。バジリオはそう思い弟の手を強く引いた。
しかし弟はそんな兄の思いを知ってか知らずか、逆に兄を引き寄せてソファーに押し込んだ。革張りの上等な物である。バジリオを座らせるとジラルドはその隣に座り、グラスを寄せてラム酒を注いだ。
「そんなに怒んないでよ兄貴。大丈夫だって。みんないい人たちだからさ」
「いい人って! そんなこと言ってもこの船は…」
ドサリッ。
説教を続けようとしたバジリオの向かい側に、髭の男が無言で座った。その動作一つが厳めしく、バジリオの心を驚かせる。彼は説教の声を小さくして言葉を途切れさせた。
バジリオはこれまで海賊になど縁が無かった。縁が欲しいとも思わなかった。むしろ、たまに自分が手を掛けていた船を海賊船に沈められ、その存在を忌々しく思っていた。海賊は海を行く者たちの敵であり、忌避すべき存在である。そんな船にまさか弟が乗っていただなんて。赤い獅子耳が下を向き、不安を露わにしていた。
その隣で弟のジラルドは上機嫌である。
先ほど「船長」と呼ばれた長髪の男もソファーに腰掛け、酒の続きを始めた。
男は清潔なシャツを身につけ、無精髭もなく、端正な顔立ちをしていた。頭には赤いバンダナを巻き、髪の毛をすべて後ろに流してある。よく見ればその一本一本は全て細い三つ編みになっており、それが腰の辺りまで続いていた。
船長とは言え海賊とは思えないほど身なりが良い。残虐さや粗暴さが少しも感じられない男だった。変わっている点はただ一つ、右手がフックということである。
バジリオが渡されたグラスを手にしたままちらちらとそれを見ていると、船長はそれを顔の前に持ち上げてみせた。丸く弧を描いた先が少しだけ外側に括れている。
「珍しい? 昔ミスをしてね。義手なんだよ」
「ひっ、あっ、すみません! そうですか、大変でしたね…」
「ちょっと不便だけど、元々左利きだったからそうでもないさ。丈夫にできてるから剣を折ったり殴ったり、意外と便利だよ」
「は、はあ…」
突然つき出されたカギ手にバジリオは驚いたが、船長の明るい口調に心がするっと緩みかける。明るくて、人当たりの良い、本当に海賊とは思えない男だった。
相変わらず酒に口を付けないバジリオを見て船長は続けた。
「上の海賊旗を見て驚いたんだろう? まあ、普通の反応さ。でももっと驚くよ? うちの海賊団、君をいれて六人しかいないんだ」
「えっ! 六人っ? えっ、ていうか俺を入れないでもらえますかっ?」
「いやいや、君がいないと五人になっちゃうからね。五人より六人の方がいい。初めてのことで戸惑ったりするかもしれないが、私も海賊になったのは数ヶ月前からだ。海賊初心者同士、気楽にいこうじゃないか」
「ええっ? ちょ、ちょっと待ってください。いろいろ追いつかないです……」
よろしく、と可愛らしくウインクを飛ばす船長に対してバジリオは驚きを隠せなかった。小型船とは言え、通常船を動かすにはもう少し人数がいる。それなのにこの船にはたった五人しか乗っていないと言う。それで今までどうやって操縦してきたのだろうか? それに数ヶ月前から海賊ということにも驚いた。そんな出来たてほやほやの海賊船に弟は乗っていたのか。バジリオは何だか不安の種が増えたような気がした。
整理が追いつかないバジリオのために、船長はまだ浅いリード海賊団の歴史を語った。
明るい赤茶色の毛を揺らす三つ編みの船長が、リッキー・リード。この海賊船の船長だ。数ヶ月前までは海軍に所属し、アウロラ帝国の辺境の地で働いていたと言う。元は名家の出身で中枢本部に務め、船に乗れば大尉を担っていたらしい。将来有望なエリートであった。
ところが、二年前の任務で右手首から先を失った。海賊討伐の最中で、仲間をかばってのことだった。何とか一命を取り留めたリッキーだったが、右手を失った彼は瞬く間に左遷され辺境の地へ追いやられた。家もまた、そんな彼を邪魔者扱いし見放した。
地方へ飛ばされてもリッキーは諦めず、何とか中枢へ戻ろうと苦心した。アウロラ帝国海軍はその目標に『大海洋統一による安定』を掲げていた。それはメモーリア地域一体に接する航路を全て帝国海軍が掌握し、それによる海の安全と安定を為すというものだった。一つの大きな力で海を押さえ、海賊や私掠船による被害を減らそうと考えたのだ。
リッキーはその理念に賛同し、そのために海軍にいた。だから右手を失った後も、中枢に戻りそのために働きたいと願った。
しかしそれは悉く却下され叶わなかった。
失意に飲まれそうになったリッキーはそれでも強い望みを失わず、考え方を改めることにした。海軍で叶わないのであれば、海軍以外で叶えれば良い。海に船を浮かべるのは何も軍だけではなかった。海には漁船や商船、客船、いろいろな種類の船がある。その中で海軍を出し抜き、大海洋を掌握するのに適した船は、海賊船だった。
リッキーはそうと決めると直ぐに準備を整えた。手始めに自分を見放した軍や家からありったけの物資を騙し取り、この上等なカラベル船を手に入れたのだ。事は中枢から離れていたので楽に行えた。物の在処も、役人の使い方も、中枢にいた頃十分に学んでいだ。
海賊に転身したリッキーを追いかけてきたのが、バジリオの正面に座る厳つい男、ロブ・リリーだった。彼もまた元海軍で、軍にいた頃からリッキーの部下だった。リッキーが左遷されると、自らも転任届を出しついてくる程に彼を慕っていた。そしてそれは海賊になったときも同じであった。今はリード海賊団の副船長として、リッキーを支えている。
口髭を生やした様子から年上のように思えたが、話を聞いてみるとバジリオよりも一つ年下であった。青みがかった銀髪は肩より少し下まである。よく見れば彼もまた清潔な身なりをしていて、元海軍ということが頷けた。
たった二人で海賊になった彼らは直ぐに仲間を探した。そこで最初に出会ったのがジラルドの向こうに座る、呪術師のスカトラ・カッジャーノだった。彼は蛇の獣人で、本人曰く一世らしい。一世とは奇病が流行ったときに直接呪術を受け獣人となった世代であるから、それが本当であれば少なくとも六十を超えている。だが静かにグラスを傾けるスカトラはシワ一つなく、どう見ても二十五、六であった。
「蛇の獣人はその特性として見た目が変わらなくてね。ほら、少し鱗が見えるだろう? これのお陰さ。それに俺は呪術を使っているから、体の機能も衰えていないんだよ」
そう説明しながらニタリと笑う目はまさしく蛇のそれで、怪しい輝きにバジリオは少しぞっとした。
スカトラは呪術師協会に所属する呪術師の一人だった。もう何十年も前のことであるらしい。呪術師協会とは昔からある呪術師の集まりで、元は細々とした呪術の研究や発表の場であった。それが呪術による奇病の治癒に成功した後、アウロラ帝国の後ろ盾を得て大きく性質を変えた。
呪術師教会は単なる研究の場ではなく、呪術師を統括する組織になった。時の大呪術師を教祖とし、各地方に伝わる呪術を収拾、統一していった。その結果、メモーリア地域で学ばれる呪術の種類や方法は全て同じ物となった。また呪術を習う者はその全員が教会に名を連ねることを義務づけられ、行事ごとに寄付をする決まりが出来た。
協会は今も帝国から絶大なる信頼を得て陸軍、海軍に次ぐ第三の軍と言われている。
スカトラはそんな呪術師協会から追われる身であった。何でも、協会は呪術の方法と教えを統一した裏側で強力な呪術、人心を操ったり災害を引き起こすような術を禁書としてまとめたと言う。それを協会の中枢だけが共有、保持し過去何度か帝国に協力したらしい。スカトラはその秘密に気付き禁書の一部を読んだ。そのために協会から追っ手が差し向けられ、海賊になる前から札付きだったのだ。
先ほど突然船が現れたのは、スカトラが船に施していた呪術を解除したからであった。元々船はこの湾に停泊していて、それが呪術によって見えなくなっていたのだ。しかし幾つもの船を見てきたバジリオでさえ、船全体に施される程の巨大な呪術は聞いたことがなかった。専門学校で学べる呪術とはせいぜい火を起こすとか、治癒力を高めるとか、基本的に手の届く範囲のものである。術が大きくなればなる程その手順は複雑で、失敗することが多い。バジリオは呪術の心得が全くないので簡単な物でもさっぱり分からなかった。
歳のことと言い、船全体への呪術と言い、スカトラが並の呪術師でないことは明らかだった。
更に驚いたことに、人手が足りないこの船の操縦はスカトラが呪符を使って行っていると言う。船は船首に伸びるバウスプリットの先から船尾の手すりまで隈無く呪術が施され、聳え立つマストに張られた帆まで操れる。バジリオはこれを聞いてただ驚くしかなかった。
そしてもう一人、今は自室に引き籠もっている航海博士が乗っているらしかった。博士も元は帝国で暮らしていた一般市民で、航海学研究の第一人者であったと言う。本人が不在なので詳しい経緯は語られなかったが、やはり訳あってこの船に乗ったようである。やや気難しい性格なので会ったときには気を付けるように、と注意をされた。
リッキーの明るく紳士的な態度にバジリオはすっかり安心していた。海賊と名乗ってはいるが、とてもそんな風には思えなかった。それぞれの理由で志を絶たれた者が、それでも尚目標を追っている。そういう集まりに思えた。
それなら今、船大工としての居場所を失った自分にも合うのではないか。
バジリオには最高の一隻を造りたいという夢があった。
それは夏の嵐や冬の流氷と言った過酷な航海に耐え、船員を守る船である。その夢を叶えるために街一番の貿易商に務め船大工として働いていたが、丹精込めて整備した船は悉く壊されてしまった。最高の一隻は、船の造りだけでなくそこに乗る船員の手にもかかっていたのだ。あの貿易商にはその船員たちがいなかった。
今この船の話を聞くに、船長と副船長は海軍で船の操縦を学んだ手練れである。呪術師のスカトラも扱いが上手いようで、この岩の多い湾内にきちんと停泊している。未だ見ぬ航海博士もその腕前は一流とのことだった。
いつの間にか空になっていたバジリオのグラスに、ジラルドが酒を注いだ。
「なあ、兄貴。兄貴の夢は、最高の一隻を造ることだったろう? 俺、小さい頃にした約束まだ覚えているんだぜ。一緒に船を造る、って。兄貴が最高の一隻を造る手伝いを、俺はするんだって。この船でならそれが出来ると思わないか?」
「ジラルド…」
バジリオは再び赤らんできた顔で弟の方を見た。子供の頃に交わした小さな約束を、彼は覚えていてくれたのだ。船に関わる場所を失ってバジリオは将来を案じていた。何とか夢を叶える希望を掴みたいと、そう願っていた。
それが今、目の前に転がり込んできたのだ。
乗っているのが商人でも海賊でも船は船。
バジリオは注ぎ足された酒を直ぐに飲み干し、船長に向かって言った。
「俺を、この船に乗せてもらっていいですかっ? 俺は船大工です。戦ったことはありませんが、船のことなら何だってできます。補修も、改造も! ジラルドと一緒にこの船に乗せてくださいっ!」
「勿論だよバジリオ。さっきも言っただろう?この船の船員は君を入れて六人。ジラルドから話を聞いて、ずっと会えるのを楽しみにしていたんだ。これから宜しく頼むよ」
「はいっ!」
リッキーがにこやかに笑って左手を差し出すと、バジリオはそれを熱く両手で握り返した。
夢をまた追える。掴み取った希望にバジリオは胸を膨らませ、自ら海賊団の一員となった。




