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第二章 舞踏会は命がけ(一)

 秘密の露見した夜から、五つの日が過ぎた。


 まだ中天には達していないはずだが、日の光はずいぶんと強い。開け放たれた窓から心地よい風が吹き込んでくる。


 与えられた部屋の長椅子にぐったりと身をまかせ、軽く掲げた右手の指を折り、今日で最後……とカレンは気持ちのよい陽気とはまるで相容れない声の低さで空ろに呟いた。


 「やあ、いとしい婚約者殿、ご機嫌いかがかな」

 「上機嫌に見えるようでしたらお医者にみてもらってください。あと、おとないの知らせくらい先にしてください、殿下」


 何の前触れもなく扉を開け放ったリューイに呆れながら、のそりと姿勢を正す。


 無茶な予定のおかげで多忙を極めたカレンの機嫌は最悪だった。リューイへ対する態度もだいぶぞんざいになっているが、王太子本人はまったく気にしている様子がない。

 今日の夜、カレンは伯爵家令嬢として正式に社交界へお披露目される。本来、半年以上かけて準備されるものを、たった数日ですませようというのだから無理も出ようというものだ。連日訪れる仕立て屋の主人が日に日にやつれていく様がどれほど心苦しかったことか。

 当然、元凶に向けるカレンの視線は厳しく、かつ、冷たい。


 「そんなに怖い顔をしないでほしいな。僕は君の恋しい婚約者なんだからね」

 「……たわごとはお止めください」


 誰が誰のいとおしい婚約者だというのか、茶番もはなはだしい。

 音を立てずに立ち上がり、つい先ほど用意された茶器一式に手を伸ばす。出来るだけひとりの時間を持ちたかったので給仕は断ったのだが、なぜかカップが二脚ある。リューイのおとないは、カレン以外にとって予定調和だったらしい。


 「どうぞ」


 ふくよかな香りを漂わせる紅茶を注いでため息混じりにティーカップを差し出す。ありがとう、とリューイはすんなり受け取った。


 「――よろしいのですか、毒味」


 気分の荒んだカレンは、やや意地が悪くなっていた。馬鹿なことを聞いているな、という自覚はある。

 だが、信用されているのかいないのか。時折垣間見える親しげな態度に気が緩んだところで、リューイは試すようにカレンを突き放す。そうかと思えば、カレンが差し出したものをこうして無警戒に受け取ってみせもする。

 昔より格段に性格が悪くなっていやしないかこれ、と、ほんの数日のうちにどれだけ思ったことか。


 「入っているの? 毒」


 リューイが不思議そうに首をかしげた。

 そんなもの入っているわけがなかった。カレンがリューイに害をなすなどありえない。


 「さあ、どうでしょう」


 それでも、簡単に否定してしまうのが癪で、そっけなく呟くと、何の躊躇もなくリューイが紅茶を飲み下した。

 え? と思わず声が漏れた。てっきり先に飲むことを要求されるだろうと思っていたのだ。目を見開いて呆気にとられているうちに、間をつめられ、左手首をつかまれた。引き寄せられた指先にリューイの唇が触れる。


 「もし毒が入っていたとして、いま口付けたら君も道連れだね」

 「……え? は? え、ちょ……っ」


 指先から離れ近づいてきた美貌に慌てて顔を背けそうになり、いやまてここで拒絶したら毒が入っていたと思われるのでは? と、どうにも動けなくなってしまった。

 策士、策にはまる。自分の間抜けさに臍を噛むが、もう手遅れだ。焦点が定まらないほど間近にある青い瞳に鼓動が激しく音を立てる。


 「ふ、追い詰められた子栗鼠みたいだよ?」

 「……あまり追い込みすぎると、噛みつきますよ」


 完全なる負け惜しみだとわかっていた。カレンよりも、リューイが上手だ。


 「怖いな、気をつけよう。散々足も踏まれたしね」


 腰に手が回され、くるりと一回転させられた。リューイをきっと睨みすえるカレンの頬がうっすらと赤みを帯びる。

 夜会への出席が決まってから、ダンスの練習相手を務めたリューイの足を何度か踏みつけたのは事実だ。が、踏みたくて踏んだわけではない。まさか王太子殿下自らが練習役を務めるとは思っておらず、結果、緊張で動きが固くなってしまった。

 もともと、カインの時に男性パートを習い、カレンとして暮らし出してからは、シーバルグ伯が寄越した教師に女性パートを一通り教わっている。

 基礎は出来ているので、リューイの足を踏みつけたのは初日だけで済んだのだが、この様子では当分からかわれそうだった。カレンとして踊る機会はないだろうと気楽に構えていたのに、とんだ誤算だ。


 「もう練習は充分と思いますが」

 「うん、そうだね。それじゃあ、カレン、左手をかしてくれる?」


 不審に思いながらも左手を差し出す。薬指に青い石がはめ込まれた金の指輪がはめられた。


 「外しちゃ駄目だよ? 揃いの指輪だから」

 「ああ――はい、わかりました」


 リューイの指に同じような金の指輪があることを確認し、用意の良さに感心しながらカレンは頷いた。いわゆる婚約指輪というものなのだろう。

 本来であれば正式に発表がなされてから交わされるものなのだろうが、仮の婚約ではいつどうなるかわからない。そもそも正式な発表があるかも怪しいとカレンは思っているが、リューイとカレンの関係を非公式にでも知らしめておけば、夜会における効果は望める。


 「確かにお預かりいたします」


 王太子殿下と揃いの指輪は、あまり装飾品に詳しくないカレンが見ても価値あるものだとわかった。この関係が解消された暁には、リューイに返すことになるだろうと、それまで傷をつけないようきちんと扱うというつもりで言ったのだが、なぜかリューイは機嫌を損ねたようだった。

 相変わらずの貴公子然とした笑みだが、目が冷ややかになっている。


 「……まあ、最終的には王家所有に戻るけどね」


 言うなりリューイは、カレンの手を持ち上げ、長い指を絡めてきた。


 「今晩を楽しみにしているよ、婚約者殿」


 身を強張らせるカレンを面白がるように、長身をかがめたリューイが耳元で囁いてくる。

 かっと頬が熱くなった。動揺を悟られてしまった悔しさにまかせ、手に力を込めた。ぎゅっとリューイの指先を一度だけ握りこむと、さっと手を離し、目に前にある固い胸を思い切り押し返した。


 「殿下、まだこれから支度がありますので」


 くっと顎をそらし、背筋を伸ばす。見下ろされていることに変わりはないが、これ以上隙を見せてしまえば、決定的に何かが崩れてしまう。

 崩れてしまう何かについて、カレンは深く考えることを放棄していた。


 「うん、退散するよ。でも最後にひとつだけ。カレン、最初のダンスは僕と。いいね?」

 「……いいもなにも……殿下以外にわたしを誘ってくださる方がいるとは思えませんが」


 ぼそりと呟くと、なぜかくくっと咽喉の奥で笑われた。艶めいた青い瞳に見つめられ、思わず踵が後ろにさがる。

 やや乱れていた銀の髪が一房、追いかけてきたリューイの手に掬い上げられた。笑みを刷いた形のよい唇が、銀の房に口付ける。

 伏せられた瞼に、髪と同じ金色の睫を、カレンは直立不動のまま見つめていた。筋張った手から零れ落ちた髪が、カレンの胸元をさらさらと覆う。


 「じゃあまた後でね、カレン」


 すべての髪がその手から離れたところで、含み笑いを残したままのリューイが軽く手を上げた。

 踵を返し遠のいていく広い背中を、見開いた目で見送る。音もなく重厚な扉が閉ざされると、全身から力が抜けたカレンは再び長椅子に座り込んだ。


 ――ものすごく自然に髪に口付けたぞ? どれだけタラしなんだあの人は。


 両手で挟んだ頬は、だいぶ熱を持っている。わずかだが、左手にある金の冷たい感触が心地よかった。

 カンディアにいた頃から女性関係の噂は絶えることがなく、カレン自身も何度かリューイが女性といるところを目にしている。

 が、よもや自分がその対象になろうとは、夢にも思っていなかった。それが、どうしたことか、仮とはいえ、いまや王太子殿下の婚約者だ。


 カンディアにいた頃には考えられなかった。性別を偽っていたのだから当然といえば当然なのだが、もしカレンが女性として育てられていても、リューイとの接点はなかっただろう。あったとしても舞踏会で軽く挨拶を交わすか、あるいは遠くからその姿を見る程度か。


 ――本当に、人生はありえないことの連続だ。


 生れ落ちたその瞬間、すでにありえない人生を背負ってきたカレンにとって、安穏とした生活はいまだ遠かった。

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