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第一章 秘密は甘い(五)

 「簡単に言うと、五代前の王がね、どうも公爵家の次男に王位を譲ると遺言書を残していたらしいんだ」


 さらりと告げられた内容に、カレンは絶句した。

 少し力を入れただけで割れてしまいそうな繊細な白磁のティーカップを持ち上げ、リューイが手ずから淹れた紅茶を一口。極上の茶葉が使われているはずだが、まるで味がしない。


 「意味はわかるよね?」

 「……ええ」


 残念なことに、と続く言葉と共に、カップを受け皿に戻す。指先が微かに震え、磁器の触れ合う小さな音が静かな室内に響いた。


 いまから二十四年前、隣国であるプロカン皇国は、カールスト王国に突然の宣戦布告を送りつけてきた。

 開戦の理由は、数代前の女皇に婿入りした王国の公爵家次男が正式な王位継承者だったという根拠のない主張のみ。王国は当然猛反発した。

 それから十二年、確かな証拠も無く、決めの一手を突きつけることもできなかったプロカン皇国は徐々に士気の低下を招き、カールスト王国の英傑たちの活躍により、度重なる敗退をきすことになった。

 結局、王国からの莫大な補償要請と共になされた休戦申し入れを受け入れざるおえなくなり、さらにその七年後、停戦を迎える。


 ――それが、正当な後継者に指名されていた?


 国家機密どころではない。きり方を間違えれば、再び戦火を招き入れることになる手札だ。


 ――いまさらそんなものが出てくるなんて、冗談じゃない。


 唇を浅く噛み締める。本当に冗談ではなかった。聞いてしまった以上、そ知らぬ顔を装うことはもう出来ない。けれど一介の伯爵令嬢には重過ぎる荷だ。

 なんてことに巻き込んでくれるんだと文句のひとつもいってやりたいところだが、貴族としての矜持がそれを許さなかった。


 「それが本物であるという確証は」

 「五分五分だね」

 「……楽観的に考えて、ですか」


 ため息と共にカレンが呟くと、リューイが肯定するように肩をすくめる。

 なんにせよ危険なものであることに変わりはない。火種となりうるものなら、いっそ抹消してしまうべきだ。


 「書状はいま王家の手に?」


 たずねたカレンに、王太子殿下は実に胡散臭い笑みを返した。

 答えようとしないリューイに、カレンは自身の口元が引きつるのを感じた。まさか、いやそんなまさか、と否定するものの、シーバルグ伯により培われた嫡男としての思考はそれを許してはくれなかった。そもそも、手元にあるのなら、わざわざカレンに伝える必要のない話だ。


 「手元には――ない、のですね?」


 こくっと咽喉が鳴った。この話のどこに自分は関わることになるのだろうか、と頭の片隅に不安が湧き上がってくる。

 リューイの端正な面持ちから笑みが消えた。


 「王宮の中でも古い小部屋のひとつから見つかったんだ。その後は厳重に保管されていたんだけどね。詳しい鑑定をする前に何者かが持ち去った」


 静かな室内に淡々とした言葉がしみこんでいく。

 予想していたとはいえ、やはり動揺は隠せなかった。組まれた細い両手の指先は、力を入れすぎて白くなっている。


 「わたしになにをしろと」


 思ったよりも固い声になった。頬を強張らせるカレンをなだめるように、リューイの雰囲気が和らぐ。


 「今回のシーズン、皇国の宰相が来るのは知っているよね」

 「ええ、国境からは父が案内役につきますから」


 頷きながら、隣国がシーズン前に突然、親善訪問を申し込んできた理由が見えた気がした。

 最も可能性の高い書状の行き先は、間違いなくその宰相だろう。しかし、理由なく宰相を拘束でもすれば、それこそ停戦は脆くも崩れ去る。


 「宰相殿が一枚かんでいると……? ですが、宰相殿よりも先に、ご子息が外遊からの帰国途中、こちらに寄る事になっていますよね?」


 こちらも名目は親善となってはいるが、父親である宰相とは別ルートで入国してくる息子は、ずいぶん身軽なはずだ。幾人かの供はつれているだろうが、一団を率いてくる皇国の重鎮よりははるかに機動性が高い。彼に書状が渡ってしまえば、王国からの流出を防ぐことは難しくなる。


 「宰相殿の息子はおそらく捨て駒とみなされている、と僕は思ってる」

 「捨て駒?」

 「そう、外遊に出たのも皇帝に煙たがられてというのが正直なところらしい」


 王国側から、彼らに危害を加えることはご法度だ。それこそ開戦の理由になりかねない。

 が、追いつめられれば思い余って、ということもある。それを狙っているとすれば、少ない護衛で乗りこんでくる宰相の息子は標的として最適だろう。直接危害を加えずとも、人質にするという手もあるが、あまり重用されていないらしいとなれば、皇国は彼を見捨てる公算の方が高い。


 「わかったうえで乗り込んでくるのであれば、たいした御方ですね」

 「馬鹿ではないと思うよ? 多分ね」


 意味ありげにリューイが笑む。まだなにかを隠していると直感した。

 秘密を握っているとはいえ、全面的に信用はしていない――そういうことなのだろう。簡単に信頼してもらえるとは思っていないが、わずかに胸が痛んだ。


 「書状を持ち出した人物の特定は?」


 リューイが首を振る。が、王宮から持ち去られたのだとすれば、国内の貴族、それもかなり上位の者が関わっているのは間違いないだろう。

 他国の――それも皇国の者が易々と入り込めるほど王宮の警護は甘くはない。


 最も怪しい人物といえばオルフェン公だが、どうにも腑に落ちないカレンは眉間に皺を寄せた。


 「カレン?」

 「いえ……オルフェン公は、今回の一件に関わっておられるのかなと思いまして」

 「――君はどう考える?」

 「そうですね……」


 俯いて自身の思考にどっぷり浸かったカレンは、リューイの面白がるような視線にまるで気づいていなかった。


 だいぶ西に傾いた陽光が室内に入り込み、カレンの頬に睫が影を落とす。

 紅を刷かずとも赤い唇に指先をあて、エバーグリーンの瞳を細めながら、更に深く考えこむ。


 カレンが過去に一度だけ会ったオルフェン公は、飄々として油断のならない狸親父だったが、愚かではなかった。

 皇国との取引は諸刃の剣でしかない。危険ばかりが多く、利が少なすぎる。


 ――あり得るとすれば、手を組むためではなく相手の手の内を探るための接触。


 完全に白ではないが、黒でもない。けれどカレンの中でその考えは実にしっくりとなじんだ。


 「あの方が隣国と通じるというのは考え難いと思います」

 「うん、僕もそう思う」


 満足そうなリューイに、カレンは自分が試されていたらしいと気づいた。そういえば昔、性質が悪い人だ、と散々に思ったなと、どっと疲れが押し寄せてくる。


 「首謀者は彼じゃない。色々と手を回して情報を得ようとはしているみたいだけどね」

 「……そうですか」


 ため息混じりに頷いて、再びティーカップに手を伸ばす。


 「書状および書状を持ち出した人物をさがし出すのに協力してほしい――僕の婚約者として」


 すっかり冷めてしまった紅茶に口をつけようとしたカレンは、ありえない言葉に危うく繊細な磁器を取り落としそうになった。

 しっかり指先に力を込めて、深呼吸をしてみる。ついでにこれは現実だろうか、とカップを持った手に爪を立ててみた。


 ――うん、痛い。感覚は問題ないらしい。


 「……すみませんが殿下、もう一度仰っていただけますか?」


 まさかまさか、いやいやそんな、と心の中で繰り返しながら、とりあえず聞き間違いであることを願う。


 「書状および書状を持ち出した人物をさがし出すのに協力してほしい」


 リューイがまったく同じ台詞を繰り返した。よしここは問題ない、とカレンはしっかり頷く。


 「それはもちろん協力致しま」

 「僕の婚約者として」


 答えきるよりも早く、聞き間違いであってほしいと願った言葉が被される。


 ――コンヤクシャ? コンヤクシャってなんのことだったかな……。


 現実逃避気味に、カレンはひとまずにっこり笑ってみた。すると、リューイも笑みを返してくる。どちらも目が笑っていない。

 カレンが、程よく冷めた紅茶をようやく口に含む。幾分落ち着きを取り戻しはしたものの、やはり味がしない。


 ――これ、もしかして本当に薄いんじゃ……?


 よくよく見れば、見知った紅茶よりもずいぶん水色が明るい。繊細な茶器を繰る手元があまりに優美だったのでまったく疑問に思わなかったのだが、リューイが紅茶を淹れられるはずがない。その必要もなかったのだから当然だ。薄い琥珀色の液体が入ったカップを、カレンはそっと受け皿に戻した。


 「……申し訳ありません殿下、長旅の疲れが出ているようです。なにやら幻聴が。もう下がらせていただいてもよろしいでしょうか」

 「幻聴じゃないよ、君には僕の婚約者になってもらう。了解?」

 「意味がわかりません。断固拒否いたします」


 書状捜索と婚約に全体どんな因果関係があるというのか。きっぱり拒絶するカレンの言い分は最もだった。


 「宰相殿とその子息には秘密裏に監視が付けられる。もし取引がされるのであれば、公然と交流ができる舞踏会だろうね」


 まるで聞き分けのない幼子に言い聞かせるかの如く、噛んで含めるようにリューイが説明を始める。

 親善のためとはいえ、宰相たちは王国内での行動を制限されることになる。夜会は貴族連中と接触する数少ない機会ということになるだろう。

 それに、人が集まればそれだけ監視の目も行き届かなくなる。


 ぐっと言葉に詰まったカレンは、しぶしぶ、そうですね、と相槌を打った。


 「わかってもらえてよかった。さて、そこで本題だよ。夜会ではどうにも独り身だと動きにくくてね」


 苦笑するリューイに、カレンは額を押さえた。独り身だと動きにくい、それはそうだろう。いまだ特定の相手を作らない王太子殿下は、未婚女性の間で夫にしたい男性として大変な人気を誇っている。舞踏会に参加すれば、ダンスの誘いが引っ切り無し、暗躍する間などないに違いない。


 「だからといって、なぜわたしが」

 「君にとっても悪い話じゃないと思うんだけどね」


 どこからどう切り取っても、悪い要素しか感じられない。そもそもカレンの出自は怪しすぎる。

 既成事実でもない限り、第一王位継承者の婚約者として認められるはずがない。


 「無理ですよ、殿下。周りは認めないでしょう」

 「大丈夫だよ。とりあえず父は陥落済みだし」


 さらりととんでもないことを言われ、くらりと眩暈がした。王太子殿下の父とは、つまり王以外にいない。


 「僕の伯母上は知っているよね?」

 「――もちろん存じておりますが」


 リューイの叔母であるジュリエッタ=キュリアスは、古参貴族のひとつであるキュリアス公爵家の当主グレイ=キュリアスの妻女として、カレンがカンディアにいた頃から社交界の華と呼ばれていた。馬車の中で詰め込んだ知識では、今も変わりなしとあった。


 「彼女が君の後見人になる。ほら、誰も文句は言えないだろう?」

 「……本気ですか?」

 「ふざけているように見える?」


 寧ろふざけているようにしか見えない。


 「君は伯爵令嬢で僕は王太子だ。なんら問題ないよ」

 「いや、ありますよ」


 大ありですよ、と半分以上自暴自棄になったカレンが声を荒げる。淑女としてはあるまじき行いです、と礼儀作法の教師がいれば咎められること間違い無しだが、いまこの場にはカレンとリューイだけしかいない。

 本来、王太子であるリューイにはもっと早くに婚約の話があってしかるべきだったのだが、隣国との諍いや戦後処理の諸々により、いまだ相手が決まっていなかった。なにより、浮名を流す王太子自身がまるで乗り気でなく、縁談があってもまったく話が進まないのだと、以前、父であるシーバルグ伯が零していたのをカレンは覚えていた。


 ――それが、国の一大事とはいえ、なんの益にもならない伯爵令嬢と婚約なんて馬鹿げている。


 「カレン、忘れているようだけど、君に拒否権はないよ?」

 「……っ」


 頭の上から冷水を浴びせられたように、すっと体が冷えた。

 昔と同じ雰囲気に失念していたが、脅迫者と脅迫されるもの、それがいまのリューイとカレンだ。


 きゅっと唇を引き結び黙り込んだカレンに、リューイがふっとため息をついた。


 「――事が済むまでの間だけ、それなら受け入れてくれる?」

 「……書状が見つかれば、婚約は解消するということですか?」

 「うん、遺言状が見つかれば解消する」


 わずかの間、逡巡したが、結局逃げ道はないのだ。


 カレンは、誰とも結婚するつもりはなかった。領地の片隅でひっそりと隠居生活が出来ればそれ以上の望みはない。

 フィーに迷惑をかけないよう、自活する手段もいくつか考えている。


 つまり、ここはいわゆる正念場なのだ。なんとしても踏みとどまり、幸せな隠居生活を得てみせると、カレンは決然と顔をあげた。


 「わかりました、お受けいたします」

 「じゃあまずは君のお披露目からだね。次の王宮晩餐会に参加してもらうからそのつもりで」

 「……本気ですか?」


 もっと抵抗すべきだったと、カレンは早速の後悔に襲われていた。

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