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第一章 秘密は甘い(三)

 「しばらくこちらでお待ちください」


 案内役を務めた侍従長の礼に、カレンは軽く頷いた。


 王宮に入ってすぐ、カレンとリリーにはそれぞれ別の案内が付けられた。

 王族に謁見するための身支度くらいはさせてもらえるだろうと思っていたのだが、どうやら思惑ははずれたらしい。

 おそらくリリーは控えの間で待機しているのだろう。


 簡易な旅装のまま通された客間で、綾織りの一枚布が掛けられた長椅子に浅く腰掛けると、カレンはゆるりと周囲を見回した。王宮のずいぶんと奥まった場所にあることから考えても、ここは私的な客人をもてなすための一室なのだろう。長椅子ひとつを見ても、よそよそしい威圧感ではなく、ゆったりとくつろげるよう配慮されている。


 だが、ここに通されたことの意味を思えば、うかうかと気を許すことはできそうにもなかった。いったいどこまで気づかれているのか。最悪を考えれば、偽装が露見しているということだが、流石にそれはないはずだと湧き起こる嫌な予感をカレンは強引に封じ込めた。


 「やあカレン」


 カレンが案内された入り口とは反対側、書棚の影から柔らかな金の髪に続き、すらりとした長躯が突然あらわれた。

 やわらかそうな絹の白シャツに袖なしの黒いシュミセット(胴衣)、首元には紺のクラバットがゆるく結ばれている。細身のショス(ズボン)も黒でそろえられていた。

 多少着崩されている所為か、妙に艶めいて見える。


 「……殿下」


 座っていたカレンからは死角になっていたが、書棚の脇に簡素な扉があったらしい。だが、姿が見えるまで足音すら聞こえなかった。

 咄嗟に立ち上がろうとしたカレンを片手で制して、リューイは自身も長椅子に腰を下ろした。なにを思ったか、カレンの真横に。


 「ひさしぶりだね、来てくれて嬉しいよ」

 「お招きいただき光栄です、殿下」


 きたくてきたわけではないが、馬鹿正直に言うわけにもいかない。


 「リューイと呼んでくれてかまわないのに」


 どこぞの親ばか伯爵が言っていた台詞にそっくりだ、と内心でぬるく笑いながら、カレンは腰を上げた。


 「まあ、殿下をお名前で呼ぶなんて……わたしの身には余ります」


 曖昧な笑みを浮かべつつ、向かい側に据えられた長椅子に移動しようとしたのだが、思わぬ強さで右手首をつかまれた。


 「どこにいくの?」


 座ったままのリューイが、貴公子然とした笑顔で問いかけてくる。


 どこに行くかなど、わかりきったことだ。カレンが向かったのは、もうひとつある長椅子だ。どちらの長椅子も大人三人程度が座れる広さがあるものの、手を伸ばせば相手に届いてしまう距離だ。立派な長椅子が二脚に、一人掛け用の椅子が二脚もあるというのになにを好き好んで仲良くふたり並んでいなければならないのか。


 「お話でしたら向かい合ってしたほうがよろしいかと思いまして」

 「内密な話は、お互いの息がかかるくらいの距離でしたほうがいいんじゃないかな」


 リューイからちらちらと見え隠れする捕食者の気配に、カレンは自身が獲物とみなされているらしいことを知った。

 カインとして過ごしていた時、自分以外の相手に向けられる場面は何度か見ている。だが、実際にいたぶられた挙句止めを刺されるのはご免だった。


 「――わたしに疚しいところはございません。ですから、招待状の真意をうかがいにまいったのです、殿下」


 先手必勝。とりあえずはったりをかましてみる。こうしてやってきている以上、カレンに、というよりもエディンバ家に疚しいところがないわけがない。が、それなりに歴史ある貴族であれば、清廉潔白、一点の曇りなくというほうがおかしい。重要なのは、どこまで尻尾を捕まれているのかを知ることだ。


 「へえ、そこまで率直に聞かれるとは思わなかったな。なら僕も、そうあるべきだろうね」


 どこか面白がっているかのように呟いたリューイが、カレンの手首を強く引いた。咄嗟に踏みとどまったまではよかったのだが、すぐに手を離され、重心が定まらなくなった。よろけたところを立ち上がったリューイに抱きすくめられ、一瞬で全身がこわばる。


 「……っ、お戯れは、およしください」

 「戯れでなければ許してくれる?」


 甘やかな囁きが耳朶をうつ。動揺を誘うための罠に違いないとわかっているのに、カレンの鼓動は面白いくらいに跳ね上がっていく。


 「わたしは話をしにまいったのです」

 「うん、知っている。だから身体で話し合うっていうのはどうかな」

 「申し訳ありませんがその方法は存じ上げません。言葉での話し合いをお願い致します」


 軽口のようなやり取りの最中もカレンは身じろぎを繰り返していたのだが、リューイの拘束が解けることは無かった。


 旅装用の簡易なローブがめくられ、薄い浅黄色のモスリンで仕立てられたドレスがあらわになる。馬車旅ということもあり、肌触りと締め付けのゆるさを優先してしまった自分をカレンは悔いた。とてもまずい状況だ。たとえカレンがいま叫んだところで、出自の怪しい伯爵令嬢が王太子との醜聞を狙って――ひいては名誉を傷つけられたと婚姻を迫る手段として――騒ぎを起こしたと思われかねない。いや、思われるだけならかまわないが、余計な注目を集めたくはなかった。


 「兄に言いますよ、殿下から手ひどい扱いを受けたと」


 子供並みの脅し文句に、自分でも呆れた。が、意外なことにリューイの手はぴたりと止まった。予想外の効果にカレン自身が戸惑ってしまう。

 しかし抱きこむ両腕の強さは変わらず、そのままひとつふたつと呼吸が繰り返される。十を数えたところで、ゆっくりと身を起こしたリューイが、カレンの顔を覗き込んだ。完全なる捕食者の――獣の目で。


 「どうぞ? なんなら今すぐにでも」


 実際に対峙してみなければ、わからないこともある。穏やかなはずの声が、端正な容貌に浮かぶ優美な笑みが、今はなによりも恐ろしい。

 背中に流れる冷や汗を感じながら、カレンはこわばる表情を無理やり動かし、どうにか淑女らしい微笑を浮かべた。


 ――多分これは最悪だ。確信があるのかはわからないが、間違いなく殿下はわたしをカインだと疑っている。


 カインに害をなしている可能性を疑われるのではないかとは思っていた。そうであれば、エディンバ家の醜聞には違いないが、持って行きようではカレンひとりで責を負う事も可能だ。しかし、性別を偽っていたとなれば、それはどう取り繕ってもひとりで仕組めることではなくなってしまう。


 常に最悪の事態を想定してその先を読め、そして行動しろ、とカンディアで己に叩き込んでいたはずだというのに、ずいぶん緩んでしまったものだ。

 高をくくっていたのだ、気づかれているはずがないと。何事にも絶対は無い、身に染みてわかっているというのに、半隠居生活でこんなにも衰えていたとは。


 ――守られることに慣れすぎていた。


 消しかけていた伯爵家嫡男として育まれた矜持が、身のうちによみがえる。


 自然な笑みがカレンの口元に浮かんだ。

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