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第一章 秘密は甘い(二)

 宿を出た時の朝日は、いまやすっかり中天にあった。

 慌しく館を立ってから既に七度、昼を迎えている。馬車での道のりはもどかしいほどのんびりしていた。


 「殿下の気持ちが少しわかるわ……」


 窓から望める石畳の街路は、多くの人でにぎわっている。王家の紋を掲げた馬車に皆が道を譲ってくれるが、興味の対象になっているであろうことは明らかだ。


 つまりどこに行っても注目される。


 館から出立した日、御者も務めるという使者により車の側面から取り払われた黒い布の下には、あろうことか王家の紋章が刻まれていた。

 覆ったままにして欲しいと頼んではみたのだが、殿下のご命令ですから、と言われてしまえば、カレンにそれ以上の反論は許されなかった。


 ――もしかしてこれは、護衛の従者をつけると言ったことへの意趣返しだろうか?


 泊まった宿にやってくる土地の権力者たちからはそれとなく詮索され、町村の人々からは好奇の視線を向けられ、気疲れすることこのうえない。

 己の不運さにほとほと嫌気がさす。森の中で殿下と出くわしていなければ。いやいや、そもそもあの時間に散策になんぞいかなければ。次々浮かんでくるもしもに、悔やんでも悔やみきれない鬱々とした心情を抱える羽目になっている。

 王都に向かう馬車の穏やかな振動に身をまかせるカレンの心中は、まったく穏やかではなかった。


 「カレン様、そろそろですね」

 「……そうね」


 王都に入った途端、喧噪がまし、人の気配が密になった。馬車の中にいてもそれとわかるほどに活気が満ちている。


 ――まさか再びこの道を通ることになるとは……。


 窓に掛けられた覆い布の隙間から明るい街道を眺め、眩しさに目を細める。複雑ではあるが、素直に懐かしいと感じた。


 カンディアにいた頃、社交シーズンにあわせて王都のタウン・ハウスへやってくる父と弟に合うため、何度も往復した道だ。

 秘密を抱え、明確な答えがあるはずもない問いを自身に繰り返し、ただ淡々と毎日を過ごしていた。そんなカイン――カレンの日常を変えたのは、いい意味でも悪い意味でもリューイだったのだと、カンディアを卒業しマナーハウスに戻った後、気が付いた。


 「お嬢様、大丈夫ですよ。このリリー、おかしな虫がつかないよう全力を尽くしますから。ご安心ください」


 カレンの沈黙を不安と受け取ったらしいリリーが力強く頷きながら、励ますように握った拳を目の前に掲げた。

 出自の怪しい伯爵令嬢に戯れ以外で言い寄ってくる物好きはそうそういないだろう、と苦笑する。寧ろその程度の相手であれば、適当にあしらえる。問題は虫ではなく、獣の方だ。


 フィーを爵位継承者にするための準備として、カレンはカンディアをでた後、病を得たとの理由で一切の社交を行っていない。

 ある程度の情勢は父から伝え聞いていたが、移動の間、不足している部分を補うため、横の座席には、短い時間でかき集めた資料が積まれている。

 既にすべて目を通し終わっているが、まだわからないことがあった。どうしても、リューイが動いた理由が見えてこない。


 「……ねえ、リリー、なぜいまなのだと思う?」

 「そうですね……オルフェン公爵が不穏な動きを見せているらしい、とは聞き及んでおりますが」


 唐突な質問にも関わらず、カレンの意図を正確につかんだ答えだった。


 「オルフェン公? あの狸親父、まだ王位を狙っているの?」


 呆れ顔のカレンに、リリーが小さく頷く。


 傍系とはいえ王家に連なり、家名を領地に冠するオルフェン家は歴史が古く、筆頭貴族としての役割も担っている。

 現当主であるリルバング=オルフェンはなかなかに野心家であり、表立って言われてはいないものの、虎視眈々とリューイの後釜を狙っているらしいことは誰の目にも明らかだった。だが、リルバングの継承権は第八位であり、玉座まではいささか遠い。

 その距離を縮めるため、ずいぶんと精力的に動き回っていることを責めるつもりはない。が、その昔、被害を被ったことのあるカレンにしてみれば、迷惑以外の何物でもなかった。


 「オルフェン公が活発に動いているのはいまにはじまったことじゃないでしょう?」

 「ええ、ですがいままでとは少々性質が異なるようなのです」

 「異なる?」


 これまでは国内の有力貴族に働きかけて殿下のあら捜しにご執心だったけれど、と首をかしげた後、思い至った考えにカレンは思わず身を乗り出した。


 「まさか」

 「はい、隣国と通じているのではないか、と」

 「まさかでしょう」


 あきれを通り越してもはや失笑するしかない。腐っても筆頭貴族であるというのに、国を、ひいては民を裏切ろうとは。


 ――長年の怠慢、傲慢にすっかりおぼれ、その権力と贅を誰の血税で得ているのか忘れ去っていのか、それとも……。


 「あの狸が隣国と組む、ね。つまり――それだけの何かがある……?」

 「おそらく。己の利なく動く方ではありませんから」


 リリーの肯定を聞きながら、背もたれに身体を預け目を瞑る。右の内腿が僅かに引き攣れ、つきりと痛んだ。


 ――もう何年も経つというのに……。殿下、あなたはまだカインを望まれているのでしょうか?


 答えのない、そして意味の無い問いだ。いまのカレンに、感傷に浸っている時間はなかった。


 「お嬢様」

 「ええ、わかっているわ」


 がたりと小さな振動を最後に馬車が止まった。こつこつと戸が叩かれる。

 到着いたしました、と言うくぐもった御者の声を合図にカレンはゆっくりと瞼をあげた。緑の瞳に、決意とゆるぎない意思が閃く。


 ――望まれていようといまいと、どのみちもう来てしまった。最善を尽くすしかない。


 開かれた戸から差し込む穏やかな陽光の中、丁寧に敷き詰められた石畳に触れた靴の踵がカツリと音を立てる。

 背筋を伸ばし見上げた先に聳え立つのは、豪奢な白亜の宮殿。


 だが、ここはその美しい見た目とはかけ離れた場所、王宮という名を冠された、猛獣たちの住処に違いなかった。

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