クレナダの死霊 Ⅲ
「え、私がですか?」
クリスはヴァンの申し出に小首をかしげた。
クレナダ村の現状はたった今ヴァンから報告を受けた。
背後にある会議スペースで上司たちが今後の対応を話し合っている最中に、受付の台越しに向かい合ったクリスは、ヴァンから「助っ人として同行してくれないかな」と頼まれたのだ。
「私は冒険者ではありません」
クリスはきっぱりと断った。
たかが16歳の学生が、死霊はびこる村まで魔物退治に行けるはずがない。
しかもパーティを組むのはギルド最高峰Aランクのヴァンである。
足手まといにしかならないだろう。
しかしヴァンは緩く首を振って苦笑した。そして自身の後ろで相変わらず嫉妬と羨望の混じったうっとうしい視線の先の数人を指さす。
「俺が声をかければあいつらのうちの何人かはついてきてくれるだろうな。けど、俺が欲しいのは浄化のできる魔法使いか、その手段を知ってる錬金術師だ。実力を監視したり、物見遊山でついて行きたいやつらは御免だな」
「でしたら、腕の立つ魔法使いをお探しになったらいかがですか?ヴァンさんがギルドに登録されてから10年ほどたっていますし、心当たりの方もいらっしゃるのでは」
「いないこともないが時間がない。それに浄化の魔法はあんた得意だろ?」
その指摘にクリスは押し黙った。
浄化の魔法は一般的に水系統の魔法を使う。
青の森の魔女エレオノーラが伝えた魔法の中には、さらに上位の光系統の魔法で浄化する技もあるという。
エレオノーラは500年前の戦争後、魔法を理論的に体系化し、錬金術の基礎を築いた。
火の魔法、土の魔法、風の魔法、水の魔法。そして500年以前には発見されていなかった光と闇の魔法。
この最後の2つは、前の4つの魔法よりも魔力を消費するが、効果も大きいとされている。
モナド国立魔術学校の魔法学科では、それらの系統化された魔法をもとに講義が行われており、最終的には卒業する時にわずかでもいいから光か闇の魔法を使えるようになることが目標とされていた。
クリスはまだ修行中で光系統の魔法は使えなかったが、水系統の魔法ならウンディーネの力を借りて人の数倍の威力で発現させることができる。
よく思い返せば、あの雨の日。
クリスが立て看板を仕舞うところにウンディーネは立ち会っていた。
気づかなかったとはいえ、おそらく横を通り過ぎただろうヴァンには水の精霊の契約者であることがバレている可能性が高い。
そのことに思い当たったクリスはため息をついた。
錬金術師になりたいのに、どんどんその道から遠ざかっているのは気のせいだろうか。
関わりたくない、とクリスは眉を寄せた。
人と関わってわずらわしい思いをしたくない。
人間関係で悩みたくない。
そしてなにより傷つけられたくない。
幼いころからともにいるウンディーネくらいしか気づいていないが、いつも周りに冷たい対応のクリスの裏側はとても人見知りで怯える子どものままの部分があった。
色よい返事がもらえそうにないことが伝わったのか、目の前のヴァンは困ったように眉を下げた。
そうしているとやっぱり凄腕の冒険者には見えない。
街の土木業にたずさわる男たちの方がまだ筋肉もついてたくましい印象を受ける。
そうしているうちにギルドでの結論が出たのか、上司のひとりが近づいてきた。
クリスは椅子から立ち上がって、その場を初老の上司に譲った。
上司の男は疲れたように椅子に座ると、クリスに目礼したあとヴァンに話しかける。
「待たせたね、ヴァン君。こちらの結論としては魔法使いか錬金術師の支援を追加することに異論はない。その分の追加料金は本来依頼人が負担するものだが、依頼人の安否がわからないので、一時的にギルド負担に決まったよ」
ヴァンは無言でうなずいた。
むしろ依頼人が生きているとは思っていない様子だ。
「それで助っ人の件はどうなるんだ?俺としてはこの子に頼みたいんだけど」
ヴァンがクリスを指し示すと、上司は驚いた表情をした。
「この子はまだ学生だよ?・・・もしや契約精霊が顕現しているところを?」
「ああ、見たよ」
やはり見られていたらしい。
クリスは上司のわきに控えながら、そっと落ち込んだ。
湖面のように青く透き通った瞳が、彼女の内心を表して曇った。
もっと慎重に行動すべきだったかと思ったが、誰がこのようなことを想定できるだろうか。
そもそも皇都で暮らす人間で、一定以上魔法に関わる者ならクリスとウンディーネのことを知っていてもおかしくない。
現にギルドの採用試験に現れたクリスを見た試験官は、すぐに彼女が水の大精霊の契約者クリス=ルクスだと気づいていた。
皇都に根をおろしていないヴァンでも、遠からずクリスの存在を知ったことだろう。
上司はしめつらしい表情で悩んでいたが、クリスに問いかけた。
「水の魔法を使うだけなら、君ほどの適任者はいないだろうね。ギルドとして答えるなら是非受けてほしい。だけど一人の上司として、大人としては安全なところで守られるべきの、まだ学生の君に危険なことはしてほしくない」
「・・・はい」
「ご家族とよく相談してみてくれ。・・・ただ、ことはひとつの村が魔物に蹂躙された極めて危険な状態だ。国に判断をあおぐことになるだろう。もし国もギルドと同様に君に応援を求めたときは・・・」
そのあとの言葉は口にしなかったが、クリスはこの初老の男が言いたいことを正確に理解した。
国家の命令となれば、ほとんど平民と変わらない生活をする末端とはいえ、貴族のクリスに否は唱えられない。
国家につらなるものは民を守る義務と、国を栄えさせる役目を背負う。
クレセント王国がモナド皇国になった当時から「高貴なるものの責務」として、貴族の家に生まれたものは、その責任の重さを教え諭されてきた。
二度とこの国に戦乱を起こさせないために、民を守る国家と貴族の模範は守られねばならない。
クリスは内心の苦い感情を押し殺してお辞儀した。
「心得ております。明日の朝までに家族の説得は済ませましょう。おそらく国の判断はギルドと大差ないでしょうから」
「すまない」
「お気になさらず。当然の義務です」
ヴァンはクリスと上司のやり取りを見ながら、驚きに目を見開いていた。
「あんたさっきと全然言うこと違うな。てっきり断られるかと思ってたよ」
「断ることができない状況になったのです。私は貴族の娘ですから」
クリスが能面のように感情の見えない顔で淡々と言うと、ヴァンは納得したようにうなうずいた。
「ああ、「高貴なるものの使命」とか「責務」とか言われてるやつか。あんたが貴族とは思わなかったよ・・・いや、いい意味でだ。俺が知ってる貴族はもっと近寄りがたい雰囲気とかあって苦手なんだよ」
「私の家は貴族と言っても、ギルドの受付をするほど資金繰りに困るような財政状態ですからね。普段の生活は一般の民と変わりません」
「・・・そ、そうなんだ」
答えに詰まった様子のヴァンに、クリスは内心苦笑した。
Aランクの実力を持つヴァンを雇うような金銭的余力のある裕福な貴族を、普通の貴族だと思っていたのだろうことが透けて見える。
実家の家計が火の車です、と堂々と言うような貴族には会ったことがないのだろう。
ばつが悪そうに頬をかく彼は年齢よりも幼く見えた。
夜のうちに王宮から使者が送られてきた。
ご丁寧にも口頭でなく、クレナダ村へAランク冒険者ヴァンとともに向かい事件を解決に導くように通達書を持参して。
翌朝、クリスは父親と母親に見送られてギルドへの道を歩いていた。
彼女のほかに兄妹はなく、一人娘が危険な場所へ赴くことを止められないことに両親はひどく罪悪感を持ったらしい。
見送る表情は苦悶に満ちていた。
彼らに精一杯の笑顔で手を振ることだけが、クリスに出来たことだった。
クリスは旅のあいだ動きやすいように薄紫の髪を耳の両サイドで結い、白の丈夫な革のブーツを履いている。
服は藍色を基本に、淡い水色で彩った丈の短いワンピースだ。
戦いには向かない衣装だが、右ふとももに刻印されているウンディーネの契約の紋を出せるようにしておかないと、いざというときすぐに彼女を呼び出せないかもしれなかった。
服で紋が覆われていても召喚可能だが、直接触れて実行したほうがこめる魔力も少なく、かかる時間も短いので便利なのだ。
手には母が用意したお弁当と、水。それから少しのお金が入った袋。
遠出の旅行くらいしか経験したことのないクリスは、なにが必要なのか判断がつかなかったので、ほかに必要なものがあれば道中買い揃えようと考えた。
ギルド本部の入口をくぐると、すでにヴァンが待っていた。
「おはようございます、ヴァンさん」
「おはようさん」
挨拶を交わしたヴァンはクリスを上から下まで眺めてきた。
クリスはやはりこの服は場違いなのだと、居心地の悪い思いで視線を受け止める。
「すみません。旅の服は手持ちになかったのです」
「そっか・・・そうだよね。冒険者じゃあるまいし。ま、あんたは後ろで援護してくれれば充分だから」
「はい。仕事は果たします」
気楽に言うヴァンに対して、クリスは生真面目な返答を返した。
そこに朝の受付の業務についていたマリーと、上司たちがふたりに気づいて近づいてきた。
マリーは心配げな表情でクリスの手を両手で包み込んだ。
「無理はしないようにね。ヴァンさんの言うことを聞いて、無事に帰ってきてね」
「ありがとうございます、マリーさん」
初老の上司も心配そうに顔をしかめている。
「おはよう、ふたりとも。気をつけて行っておいで。クリスの学校にはギルドから連絡をまわしておくから、そちらは任せなさい」
クリスはうなずいて礼を返した。ヴァンは背に負った自身の荷物を背負い直すと、クリスのほうを向いて笑った。
「じゃ、行くか!」