閑話 魔女の見解Ⅱ
それでも朝日はやってくる。
クリスは現在、風の魔法を駆使して空中3kmほど上空にホバリングしていた。
最初この魔法を使ったときは、地面からの遠さと魔力が切れて落下したときの恐怖で目まいがしたものだ。
たった1週間と少し前の話なのに、懐かしいと思えるほど密度の濃い時間を過ごしていた。
眼下には赤黒いかぎ爪を持った全体的に黒っぽい竜種がいる。
皇都にあらわれた竜ほど大きくはないが、その爪と牙を向けられれば人間など一瞬でこまぎれだろう。
不自然に唾液がたまって、ごくりとのどから音を鳴らした。
まさか本当におとぎ話にしかいないような竜種を、あっさり見つけてくるとは・・・。
信じられない気持ちで師を見ると、彼女はのんびり自分の髪の毛を編んでいた。
隣で同じように空中ホバリングしているのに、魔法を使っている疲労を感じていないようだ。まったくもって余裕綽々である。
「いい?ほんとに危ないって思うまで手を出さないから、おもいっきりやっちゃいなさい」
「本気でやらないと死にそうなので。ええ、もう。本気で。本当に。思いっきりやります」
クリスも長く伸びてきた藍色の、夜明け色をした髪を下のほうでふたつに結んで杖を構える。目を閉じて深呼吸をひとつ、ふたつ、みっつ。
目を開けると凪いだ気分で魔物を見据えることが出来た。
エレオノーラが嬉しそうに言う。
「精神集中はますます上達したみたいねぇ。あとは威力と魔力量の底上げかしら。コントロールは水の精霊に任せて、そちらに意識を割きなさい」
「はい、先生」
クリスは杖の先に魔力を込めながら、初日にエレオノーラから説明された魂の成り立ちを思い出した。
魂の表面だけでなく、深層部分に宿る魔力を引き出すイメージを脳裏に描く。
それで扱えるようになるかはわからないが、なんとなく最近は術の効果が上がっている気がした。
「行きます」
「いってらっしゃい、気をつけてねぇ」
呑気な声援に見送られて、クリスは眼下の竜種めがけて風で切り裂く魔法を炸裂させた。
エレオノーラは地表近くの空中で戦うクリスを眺める。
ときどき光の魔法が周囲に奇跡を生んで、クリスが次々と転移しながら竜の攻撃を回避しているのが見えた。
「転移ってもともと光属性なんだけど・・・それを扱ってる自覚が皆無っていうのがねぇ。発動できるようになった時点で魂の深層から魔力を取りだせてるのに、本人が気づいてないのが不思議だわ」
クリスに戦い方やサバイバルの方法を伝授する合間に、エレオノーラは魔法の講義をおこなっていた。基本となる火の魔法、土の魔法、風の魔法、水の魔法だけでなく、500年前に自らが発見した光と闇の魔法も交えて。
魔法は理論ではなく想像。
魔法陣や呪文は想像を補うものにすぎない。
ほら、どっかの有名な中国系俳優が言ってたじゃない。
考えるな、感じろ!と。
ただ、クリス自身は勤勉なのに己を過小評価する傾向があるので、さらに雑談のように軽い口調で元の世界の知識を披露した。
「光と同等か、それより早く動くことができれば、過去や未来に行けるんですって」と。
翌日、彼女は風の魔法を使って転移に近い現象を引き起した。
しかし初めての試みだったせいか、危うく暴走して四肢がばらばらに散じかけたところで魂の深部から光の属性が引き出された。
命がけの場面で底力を引き出す案は悪くない、とエレオノーラは思う。
・・・悪くないが良くもないとも。
本人は命の危機にあっていたとは露ほども知らず、魔力の総量が上がって風の魔法の威力が増したのだと勘違いしている始末だ。
はたで見ていたエレオノーラのほうが肝を冷やした。
「別に意趣返しするほど子どもっぽくないけれど、どうせなら驚かせたいわ。この竜退治の試験が終わったら、ばーんとバラしちゃおっと」
そしてエレオノーラと同じように心底魔法のことを恐ろしいと思えばいい。
恐れるからこそ力は暴走しないのだ。
己の生徒が力に驕って、おぼれて、酔って自滅するのは見たくない。
「・・・あら?自滅を見たくないだなんて・・・私ったらあの子のことをとっくに身内認定してたのねぇ」
子孫に頼まれた仕事だからではなく、カワイイ一人の生徒として見ていた自分に気づいた。
魔女の身内認定が幸か不幸か。
少なくともキールと出会う以前の己なら、「異常だ」と切り捨てていたほどの執着を向けられるのは確かだ。
「いつか正体明かしてもいいと思えたら、養子に引き取るのもアリかもしんない。ええ、アリよね、アリ」
ぶつぶつと一人でつぶやいて、エレオノーラは満足げに笑った。
そして不意に視線を横に向ける。
「驚くあの子の顔は見物でしょうねぇ、ウンディーネ」
いつの間にかクリスに刻まれた紋から抜け出した水の精霊が、水を織り込んでつくられたドレスをなびかせて佇んでいた。
「あんまり~いじめないであげてね~」
無表情なのに豊かな感情をこめて咎める精霊に、エレオノーラは笑みを深める。
「あら?この10日間ずっと優しく指導してたでしょ?できないことは1つもさせていないわ。あの子は天才と讃えられるようになるわよ」
「人間の名声に興味はないけれど~、クリスちゃんは~きっと~すごく強くなるのは知ってるわ~」
「そうねぇ。魂の色があそこまで透き通っているなんて、ここ最近ではほとんど見かけなかったのに。しかもキレイな水色ねぇ・・・流氷の下の海とか、こんな感じかしら」
クリスに説明した魂についての話には続きがあった。
魂の透明度と色によって、そのものの才能が決まることだ。
生まれた瞬間に決定される未来。
エレオノーラは努力をあざ笑うような、この世界の摂理に吐き気がした。
「やっぱり~人間なのに~、魂が見えてるのね~、あなたは~」
「身内にねぇ。魂レベルで合成されちゃってる人がいるから。分離させようと思って、遠い昔に魂を視覚できる術を会得したのよ。・・・無駄だったけど」
帝国の悪しき遺産、合成獣ギルベールの魂はマーブル模様のように様々な異物と混ざり合っていた。異物だけをはぎとりたくても、周りにあるギルベール本人の魂まで傷つけてしまいそうで手が出せなかったのだ。
そのときエレオノーラは「なにが魔女よ!家族ひとり救えない!」と癇癪を起した記憶がある。
回想にふけっていたエレオノーラの横顔にウンディーネの突き刺さるような視線が痛い。
まばたくことなく無表情に見つめられると、なんとなく居心地の悪い思いをするものだ。
エレオノーラは眉をしかめて水の精霊を見返した。
「なんなの?」
「どうみても青、蒼、藍には見えないと思って~。あなたの魂は~無色透明よ~」
「・・・でしょうねぇ。この世界産の魂じゃないもので。色とか透明度とか関係ないとこで育ったのよ。・・・で、そんな問いかけをしてくるってことは、私が蒼の森の魔女だってわかってると判断していいのかしら?」
「最初から知っていたわ~。でも言ったでしょ~?人間の名誉とかには興味ないの~。それにあなたは蒼じゃなくて無色だし~」
白ではない無色。色がないということは無限の可能性を秘めているとも受け取れる。
それを引き出すのが人間のエレオノーラゆえに、制限がかかっている状態だ。
しかも色がないために、精霊の加護が受けられない。
精霊は己と似た性質のものと契約することが多いからだ。自然とエレオノーラは己の魔術を支援してくれる精霊の代替品を探し出した。
それは人工妖精によって解決を見た。人工妖精たちは働き者で、モナド帝都の守護者として十二分に500年間守ってくれた。
しかし再び彼らを失った今、エレオノーラは最盛期ほどの力をふるうことはできないだろう。制御を一歩間違えば世界を滅ぼすような魔法まで知っている身としては、安全ストッパー役は必須だ。
また代替品を探すことになるだろう。見つかるまでは大規模魔法は使わないことにした。
ドォ・・・・・・ン!
重低音の音に遅れて、遥か下の地面からもうもうと土煙が立っている。
エレオノーラとウンディーネが上空から様子を見ていると、丸い結界をはったクリスが風の魔法で土煙から飛び出してきた。
上空に師と己の押しかけ精霊がいるのを見て、そちらへ軌道修正する。
「た、たおし・・・たおしましたよ・・・」
息も絶え絶えのクリスの体を、ウンディーネがそっと支えた。
クリスの結界はウンディーネの来訪を拒むことなく通して、すぐに消えていく。
「古代竜や、妖精竜よりは格下の亜竜だったけれど。充分戦果はあげられたみたいねぇ。怪我したのは右上腕と左足首だけ。足は狙われやすいから、そこだけ注意ねぇ。さて、手当てをぱぱぱっとやっちゃいましょ。そのあとは卒業祝いに街へ行きましょ、そうしましょ」
「え・・・あの・・・ちょっと休ませてくださ・・・」
「鉄は熱いうちに打てっていうじゃない。ほらほら、回復の魔法かけながら行きましょうか。今から戻ればちょうど昼時!久しぶりに文化的な食事が楽しめるわよ。焼いただけ、煮ただけ、塩味だけの生活から解放されるわよ」
ウンディーネからクリスのからだを奪い取って、腰を抱き寄せながらエレオノーラは転移の魔法陣を組み上げた。
クリスは諦めの境地に至ったのか、無言で空を仰いでいる。
「じゃ、レッツらゴー!」
「何語ですかそれ・・・」
それでもツッコミだけは忘れないクリスだった。
だいぶたくましくなったクリスでも、ブンブン振りまわされるのがエレオノーラクオリティ。