ディスムーンの魔王 Ⅱ
ヴァンは吹き飛ばされて地面に寝転がった姿勢のまま、汗ひとつかかずにたたずむ金髪の少年と眼鏡の男を見た。
本当に彼らが皇帝から依頼を受けているのか。
なぜ自分たちを鍛えるのか。
そもそも何者なのか。
疑問はつきないというのに、問いただす前に叩き伏せられる。
――答えが聞きたければ勝てってことだよね、これ。上等じゃないか。
ヴァンは手に持った剣の柄を握りなおした。
腹筋で起き上がりざまに少年の足を狙って剣を薙ぐ。
しかし読まれていたように、あっさりバックステップで回避された上に剣の上に足を乗せられて動きを止められてしまった。
「負けず嫌いだな。けっこう手加減抜きでやってる自覚あるのに」
「これでもAランクの意地ってもんがあるんでね」
剣を固定されているので、柄を手放して肉弾戦に切り替える。
ヴァンの蹴りが少年のみぞおちを狙ったが、横から家宰が割り込んできた。
家宰の手がひるがえり、ヴァンの足が軌道をはずれて力の軸を失う。
そのまま体勢を崩したところに回し蹴りを叩き込まれて、再び地面に伏した。
「あなたの場合は意地や矜持ではないようにお見受けします。自分より実力があるもの、手加減無用の敵に出会うと挑発行動をとりやすいようですね」
「なにそれ。俺なんか分析してどうしたいんだか」
はっとヴァンが皮肉っぽい笑いを浮かべると、家主の少年が艶めく金髪をかきあげながらうなずいた。
「なるほど、納得した。威嚇せずにはいられない。負け犬の遠吠えというやつだな」
「はったりを重視した生存本能とも言えますね」
「・・・あんたたち、ほんと好き勝手言ってくれるよね」
ヴァンは相手にしないことに決めて体力回復のために、地面に大の字になる。
こうして攻撃意志がないときは、彼らは攻めてこなかった。
それはここ一週間で学習したことの一つだ。
ここの夫人に連れて行かれたクリスの安否が気になるが、Aランク冒険者をふるぼっこにする男たちがそろって「彼女の側より安全な場所はない」と豪語するので、少しばかり信用することにした。
ただ、彼らを全面的に信じるのはかなり難しい。
先ほどの疑問もそうだが、ヴァンは己の心の内を暴かれたことに顔をしかめた。
物心がついてしばらくの間は平和だった。
しかしすぐに生みの母親によって樹海に捨てられ、魔物に殺されかけた。
なにが原因だったのかわからないまま、助けも来ずに逃げて逃げてさ迷った日々。
たまたま依頼を受けて魔物狩りに来ていた冒険者にあわなければ、あのまま死んでいただろう。
そして拾ってくれた冒険者を師と仰いで大陸を放浪するようになって数年。
ヴァンは世界がキレイごとと汚いことを併せ持つ、やっかいで面倒でどうしようもなく関わりたくないもので構成されていることを知った。
さいわいヴァンには才能があった。
それは武術一辺倒にしか発揮されなかったが、常人が100努力する間に、1の努力で1000の成果を出すようなでたらめな具合だった。
その素質のおかげでヴァンはあっという間にBランク冒険者に登りつめた。
そしてAランク冒険者の昇級試験は、いわくのある例の樹海で1か月間魔物を狩りつづけることだった。
ヴァンにとっては庭も同然の樹海だが、他の冒険者は違う。
結果、冒険者の師が昇級試験の失敗で死亡しても、ヴァンだけは生き残った。
師もヴァンを拾った一度目は生還したが、二度目の幸運は訪れなかった。
親とも慕った人の遺骸は、そのまま魔物の腹に消えた。
弱ければ死ぬ。
樹海の鉄則だった。
死にたくなければ逃げ足を鍛えるか、撃退するか、はったりでもいいから威嚇して怯んだ隙をついて致命傷を与えることが望ましい。
その後、ひとりだけAランクとなったヴァンは、何度か仲間を組んだこともある。
彼らは師の足元にも及ばなかった。
ヴァンの速度についていけないし、攻撃も稚拙。
魔法の威力もムラがあって全体的に低め。
そのくせこちらの実力が上と見るや、媚びて他人任せにしようとする。
そんなことが続けば、パーティを組んで冒険しようという気も失せた。
ただ、ときおり本物の実力者とすれ違うこともある。
武闘大会や、貴人の警護の際に見かけるのだ。Aランクの己と同等か、下手をすれば負けかねない相手がいるということは、ヴァンの神経を高ぶらせた。
彼ら相手には真正面からやりたい。
小細工無用でぶつかりたいと思った。
それがここの規格外れの住人達を前にしていると、いらだちが前面に出てしまう。
小細工上等!卑怯と言わば言え!とにかく勝つ!という意気込みで日夜威嚇交じりの剣をふるっている。
意地。
プライド。
矜持。
言い方はなんでもいいけれど、それにこだわっては勝てない相手だと認識していた。
そうして鍛錬と称して投げられ、打たれ、剣げきをかわしながら、ふと気づいたことがある。
母親に捨てられ、育ての師を同じ樹海で亡くしてから他人に対して警戒感を常に持っていたというのに、いまはその感覚がかなり薄くなっていた。
この家の住人たち相手に警戒してもしてなくても、力の差が歴然としすぎていて無駄だと開き直ったことも一因ではある。
しかし思い返してみれば、もっと前から警戒心は薄れてきていた気がした。
そう―――クリスとクレナダ村へ行った、あの短くも始まりの旅からだろうか。
青空から太陽が照りつけてまぶしい。
ヴァンはつらつらと考えていた思考を一時的に打ち切って目を閉じ、手のひらで顔を覆いながら息をついた。
一週間の間に季節は豊穣の実りが豊かな時期に移行しつつあった。
乾いた風がヴァンの茶にも金にも見える髪をなでていく。
今ごろ拉致されたクリスは無事だろうか。
彼女が冒険者となった原因が自分なら、説得も自分がしなくてはならないと思う。
クリスには陽だまりの下で本を読みながら、魔法と錬金術を学び。そしてギルドで受付嬢をしているのが似合っていると思った。
ああ、でもあの子もたいがい頑固だから俺の話聞いてくれるかな。
無理かな。
いや根性入れればなんとか。
一転して弱気になったヴァンの思考回路は、正門へ続く道をこちらへ歩いてくる人影によって遮られた。
頭頂部辺りは金色に。
くるくると巻いた髪は下へいくほど茶を帯びて重厚さを出している。
少女から女性に羽化しようとするあやうい色気を持った女だった。
体の線に沿うような扇情的な服装で現れた女は、スリットの入った黒いドレスをさばいて優雅にこちらに近寄ってくる。
まずギルベールが家主の少年の前に立って女を警戒した。
少年も手に剣を握って、いつでも飛び出せるように姿勢を低くしている。
「何者だ?誰の許しを得て私有地に入りこんでいる」
少年の緑の瞳が剣呑な輝きを放っていることに気づいているのかいないのか、女は艶っぽいため息をついた。
「我が子に会うのに許可が必要か」
荒っぽい口調にも関わらず、艶麗さは少しも損なわれない声音で答える女はヴァンを見つめる。その視線に言いようのない悪寒を感じたヴァンは、とっさに地面から立ち上がりざまに腰に履いた短剣を投げつけた。
正確に女の額めがけて飛んだ凶器は、彼女の皮膚を傷つける前に灰塵となった。
そのあいだに女がした動作はまばたきひとつ。
魔法を行使や、錬金術による道具を使用した動きもなかった。
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「やれ、嫌われたものよ。手癖も悪くなったようだの、ヴァーヴァティ」
「なん・・・で・・・。俺のもとの名前知ってるんだよ」
「名付けたのは我。産んだのも我。覚えておらぬのか」
ヴァン―――ヴァーヴァティは顔をしかめた。
樹海で拾われた親代わりの冒険者は「その名前は長すぎるな」と笑いながら、ヴァンという新しい名を贈った。
だから冒険者ギルドに登録するときもヴァンと名乗ったし、育ての親以外に本名を知る者は一人しかいない。
この女が言うように、産みの親だ。
だが、目の前の女はどうみてもヴァンと同じ年齢か、少し下くらいにしか見えない。
キールがギルベールに前衛を任せたまま一歩下がって、ヴァンの耳に口を寄せた。
「知りあいか?母親だと名乗っているが」
「若すぎるでしょ。仮に本物だとしても、そんなガキのころに会った人の顔なんて覚えてないよ」
ひそめられた声に同調しながら、ヴァンは苦々しい思いで黒服の女を見る。
戯言だと一蹴するには、あまりにも女は堂々としていた。
ギルベールがパンパンと手を叩いて注目を集める。
「どちらにせよ、招かれざるお客様のようです。お引き取り願いましょう」
女は眉をひそめて首を振った。
「ひとつ尋ねたいことがあるだけだ。すぐに終わる。ヴァーヴァティ」
本来の名で呼ばれて反射的にヴァンの身がこわばる。
記憶の奥底でなにかが琴線に触れた気がした。
それがなんであるかを掴む前に、女が再度口を開く。
「瘴気の流れが悪い。お前、何かしたか?」
「・・・は?なにそれ」
思いも寄らない問いかけに、ヴァンだけでなくキールたちも唖然とした表情をした。
女は動揺する男たちを一瞥して、ひとつうなずく。
「無関係のようだ。邪魔をしたな」
身をひるがえしてさっさと元来た道を戻る女の背に、ヴァンは声を張り上げた。
「ちょっと待てよ!あんた、あんたは・・・ほんとに俺の母親なのか」
女は立ち止まり、顔だけ振り返って嫣然と微笑んだ。
「そうだ。首のすわらぬ赤子のお前に何度も呼びかけてやったろう、ヴァーヴァティ。無事に独り立ちできたようでなによりだ」
―――独り立ちってなんだよ。どうして俺を樹海なんかに捨てたんだ。死んでほしかったんじゃなかったのか。
言いたいことが山のようにヴァンの頭の中を圧迫して、喉がひりついた。
くちびるを湿らせてようやく声を出す。
「意味わかんないよ。だいたいあんた・・・ほんとに母親ならどうして年とってないんだ」
女はからだごと振り返って、腕を組んだ。呆れたようなまなざしでヴァンを見る。
「それすら忘れているとは。人の子はかくも忘却を愛するものなのか。我は人と違って変化せぬ。・・・瘴気の調停者、そして瘴気そのもので構成された魔王ゆえに」
「魔王・・・?」
どこかで聞いた単語だと、ヴァンは記憶をさらった。
ふいに脳裏で瓦礫と死臭のただよう場面が再生される。
『名無しハ、魔王になるんダヨ』
耳障りな口調の薄汚れた金髪の男。
『死んでヨ死んでヨ死んでヨ死んでヨ』
繰り返される暴力と対峙する自分。
カッと目の前が赤く染まった気がした。
「あいつの仲間か!」
「あいつ?」
「しらばっくれるなよ!あの金髪の変な術を使う野郎だ。瘴気を集めて魔物を作ってるし、死体は食うし。なんなんだよ、あんたら」
「ああ・・・あやつが原因であったか。礼を言う」
「いや、礼とかじゃなくて!」
衝動のままに女に突進しようとするヴァンの足元を、がっつり蹴って地面ころがしたキールは冷ややかな目で見降ろした。
「その猪突猛進的な攻撃はやめたほうがいい。冷静に話を聞くほうが今は有益じゃないか?」
ヴァンは悔しげに地面に爪を立てた。
その様子を見守っていたギルベールが半歩身を引いて、女を奥へと手招きする。
「主人の命令が出ましたので最低限のもてなしはさせていただきます。不本意ですが」
言外に「さっさと話して、さっさと帰れ」と聞こえたのは気のせいではない。
ヴァンは身を起こしながら、家宰の青年が庭先に手際よくテーブルをセッティングしていくのを見つめた。
キールは正しい剣技、騎士流で戦います。
極めてるので隙などありません。
ギルベールは合成獣のパワーで押します。
もともとスパイ用に体術を習っていたので、つかまると気絶するまで絞め技かけられます。
うん。ヴァンが弱い子じゃないんです・・・。