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ギルド受付嬢の冒険  作者: 東風になりきれない春
第三章
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モナドの竜 ⅩⅡ

キールはもともと兄が公爵を継ぐと信じて疑っていなかったので、厄災に見舞われて公爵位についたときから腹の内を探るような会話が嫌いだった。

苦手ではないが、己の性質と相いれない。

そのため子孫といっても、貴族間のやり取りをした後は機嫌が下降する。

クリスという客人がいたので、それほど表には出さなかっただけだ。


その自制が妻のエレオノーラが帰宅したとたんに緩んだ。


幸か不幸か、玄関前で熱烈な抱擁をする公爵夫婦を見かけたクリスは硬直した。

妙齢の女性が少年に抱きしめられて困っているように見えるが、女性が奥方だった場合は邪魔するのは野暮だ。


クリスは2階から音をたてないようにそっと降りて、階段の下にいたギルベールに声をかけた。

「ギルベールさん、あの方はデューク様の?」

「奥様です。それで、どうかなさいましたか?」


ギルベールはクリスがずっとヴァンについて部屋から出てこなかったことを知っている。

茶を出しに行ったときも、そばを離れるようなことは言っていなかった。

クリスはそっと太ももに刻まれた青の紋をなぞりながら答える。

「奥様・・・やはりそうでしたか。あの・・・私は精霊と契約しているのですが、どうも先ほどから落ち着きがなくて。何かあったのではないかと来てみました」

「ああ・・・奥様ですね。あの方は大変力の強い魔法使いですから」


実体をもたない精霊は、同じく実態を持たない魂や魔力などに惹かれやすい。

ウンディーネがクリスと契約したのも、クリスの魂の色が好みだったからだと聞いている。

クリスは納得しながら奥様と呼ばれた黒髪の女性に視線を向けた。

黒の瞳と視線が交わる。

その瞬間、女性の頬に赤みがさした。

「ちょっと!見られてる見られてる!あんな若い子に見られるなんてええええ!!」

「エル、落ち着いて」

「あんたが元凶でしょうが!」


黒髪の女性は少年の胸をぐっと押して身を離した。

そのままクリスのもとへ駆けてくる。

しかしたどり着く前に、夫である少年に再度抱きしめられた。

「あああぁあ・・・ごめん。ほんと見苦しくてごめんねぇ。あなたお客さんでしょ?とりあえずどこか客間で待っててちょうだい。しばらくしたら落ち着くから」


背後から抱きつかれたまま、女性は苦笑いした。

クリスはひきつった笑みを唇に浮かべてなんとか返事をする。

「い、いえ・・・ごゆっくり」


ギルベールがクリスにそっと手を差し出した。

「こちらへどうぞ。旦那様より夕餉に招くよう言われておりますので、食堂へご案内いたします」

「えっ。いいえ、そこまでしていただくわけには」

「我が主の申し出です。遠慮なさらずに」


クリスは逡巡したあと、渋々うなずいた。

どのみち玄関で会話を続けるわけにはいかないだろうと判断したのだ。




クリスとギルベールの背が廊下の向こうに消えていくのを見送ったキールは、エレオノーラをあらためて正面から抱きしめた。これはエレオノーラが長時間出かけたときの恒例行事化したことから、充電タイムと家宰に命名されている。

腕の中の彼女は諦めたように力を抜いて、されるがままだ。

そんな500年来の妻の顔を手のひらではさみこんで、じっと目をあわせる。

「そんなに心配しなくても、今回はすぐに解放するよ」

「そんなこと言って抱きしめられたまま、72時間耐久の充電タイムしたこともあったわねぇ」

「今回は本当に。シグルドとの話も聞かせたい」


エレオノーラは脳裏に歴代の子孫たちを思い浮かべて、その名前が現在の皇帝であることを思い出した。

「あの子がどうかしたの?」

「今日会いに行ってきたんだ、約定の再確認をするために。ついでに君が拾ってきた冒険者を鍛えることを約束してきた。私たちではなく、今を生きる彼らが解決できるように」

「・・・どうしてかしら。言ってることはまともなのに、いじめの図しか浮かばない件について」


遠い目をするエレオノーラに、キールは不思議そうに首をかしげる。

「いけなかったか?」


大型犬が「褒めて!」と言っているイメージが浮かんだエレオノーラは、頭を振って妄想を振り払った。

そしてクリスの湖面のような瞳を思い出す。

「いいえ、いい案だと思うわ。鍛える人員に私とギルベールは入っているのかしら?あとあの女の子は何者?精霊の気配がえらく濃い子だったわねぇ」

「あの子は例の冒険者・・・ヴァンと言ったか。精霊の気配は知らないが、彼の知り合いらしい。今回のことを解決するのに役立ちそうなら、彼女も鍛える方針だ。当然3人で」

「・・・そう。他人のこと言えないけど、自重とか手加減とか忘れないでねぇ」

「善処する」


遠い昔にモナド皇国の騎士団を容赦なく鍛えた公爵閣下の返答に、エレオノーラは「それ日本じゃ否よ!拒否よ!」と心の中でうなだれた。

「まあ、いいわ。それなら今の時代の彼らが活躍しやすいように、私たちのことは知らせないようにしましょ」

「わかっている。私はデュークと名乗っているから、エルは・・・エレオノーラじゃなくてエルでいいんじゃないか?ギルベールは特に隠す必要はない。あまり有名な逸話が残っている訳でもないからな」

「そうねぇ。じゃ、あの女の子を鍛えることになったら私が担当するわ。精霊の気配がするってことは、魔法を使える素質があるってことだもの」

「わかった」


一通りの打ち合わせをしたあと、ようやくキールの腕から解放されたエレオノーラはほうっと息をついた。

クリスを待たせている食堂へ足を向けようと身をひるがえす。

そのときエレオノーラの耳元に口を寄せたキールがささやいた。

「またあとでね、奥さん」

「え゛」

「やっぱりまだ充電が充分じゃないから」


言い終えると、さっさとひとりだけ食堂へ向かうキールの背中をエレオノーラは呆然と見つめる。

「エロイ。嫌な予感しかしない。昔はもっと可愛げがあった気がするのに!・・・あら?でもヤンデレ化して食われた記憶が・・・。なんだ昔からか・・・そっか」


魔女は乾いた笑いを浮かべた。




クリスは焼き魚を一切れ口にふくんで首をひねった。

ヴァンとの出会いや、これまでの経緯を皇帝陛下の沈黙の命令に触れない程度に軽く説明したときだ。

エルと名乗った奥方が、クリスとウンディーネの契約について言及したのだ。

「あなたと水の精霊の契約は、見る限り下位契約しかなされていないわねぇ。どうしてもっと上の契約にしなかったの?魔法の威力が上がるでしょ」


クリスにはまったく心当たりがなかった。

魔術学校で習っていない事柄だったこともあるが、そもそもウンディーネが生まれたばかりのクリスに一方的に結んだ契約なのだ。

そばにいることが当たり前になっていた水の精霊との契約を知ろうとも思わなかった。

八つ当たり気味にウンディーネの紋に乱暴に指を滑らせて、彼女を呼び出す。

室内で同じように食事をとっていた家主と壁際に控えた家宰が目を見開いたが、クリスの前に座っている黒髪の奥方は動揺ひとつしなかった。

「あら。人型の高位精霊なのねぇ」

「はい、エル様。・・・で、どういうことなのかしら?ウンディーネ」


流水の美女はいつもどおり表情のない顔で空中に浮かびあがった。

「眠いわ~、クリスちゃ~ん」

「起きなさい」

「まだ寝てないわ~」

「屁理屈こねてないで、私との契約内容を説明してちょうだい」


クリスとウンディーネのやり取りに、ずり落ちかけた眼鏡をかけなおしながらギルベールは問いかける。

「クリス嬢、ずいぶん個性的な精霊ですね?」

「はっきり変だとおっしゃってくださってかまいません」


婉曲な表現をバッサリ切り捨てたクリスは、ウンディーネの頬をつついた。

つまんでも流水でできている彼女の頬をつかめないのはわかっているので、衝撃だけでも与えたかったのだ。

ウンディーネはつつかれた頬を手でさすりながら首をかしげた。

「ええと~、契約について知りたいのだったかしら~?」


流水の乙女はちらりと黒髪の奥方を見る。

「なにかしら?水の精霊さん」

「どうして教えちゃったの~?死んじゃうかもしれないのに~。高位契約は奴隷と変わらないって~、昔精霊仲間に聞いたことがあるもの~」


だから一度も下位契約以上したことがない、とウンディーネはつぶやいた。

クリスは驚いて口を開けたまま硬直する。

「死ぬ?精霊は肉体を持たないのに死んでしまうことがあるの?」

「人の死とは~ちょっと違うわ~。消滅って感じかしら~」

「消滅・・・」


肉体を持たない精霊はよすがさえも残さず消えてしまうというのか。

ヴァンを助けたい気持ちはあるが、ウンディーネを犠牲にしたいわけではない。

クリスは一気に食欲が失せて、そっとフォークを机の上に戻した。

消沈しているクリスを見ながら、かまわずエレオノーラは食後のモンブランに取り掛かる。

「うん、美味しいわぁ。さすがギルベール」

「お褒めにあずかり恐縮です」


のんびりお茶を飲みだした妻に、キールは呆れたようなまなざしを送った。

「エル、さすがにこのまま放置はかわいそうじゃないか?」

「あら、そうねぇ。ねえ、ねえ。クリスちゃん。あなたはどこまで精霊の契約を理解しているのかしら」


クリスは呼びかけに顔を上げて、脳内の知識を思い出そうとした。

精霊と人間の契約。

人間の魔力制御の補助が主だったはずだ。

魔術学校でもその程度のものならば習った。だが、契約に格付けがあることまでは知らなかった。

「魔法使いの魔力制御を簡単にするための補助機能といったところでしょうか」

「だいたいあってるわ。表面上に出ている魔法使いの魔力を精霊が干渉することで、ある程度の補助をしているのよ」


「でも」と、さらにエレオノーラは続ける。

「高位契約をすると、表面上に出ている魔力だけじゃなくて魂の底に沈んでいる魔力も引き出せるわ。普通はねぇ、クリスちゃん。魂の表面を流れる魔力だけを使って人間は魔法を発動させるの。でもそれだけじゃ、もったいないでしょ?肉体と魂を構築してまだ余りある力は、一生外に出ずに消えてしまうよりもバンバン使ってなんぼだと思うのよ」

「・・・魂に魔力が?聞いたことがありません。そもそも魂とは抽象的な概念ではないのですか?」


死後の世界や、魂の有無をたしかめた人間はいない。

いたら、とっくに書籍になって広く一般に知られているはずだ。

死という逃れられない未来への不安は、人間が誰しも抱くものなのだから。


エレオノーラはクリスの瞳をのぞきこみながら、唇をつりあげてにんまり笑った。

「その答えを知りたいなら、私の提案を飲みなさいねぇ。もしあなたが、あなたの正しいと思うことを正しいと思う方法で成したいのなら。私は力を貸すわ。もちろん水の精霊さんが死なない方法も知っているわよ」

「え?私・・・。私がどうして何かしたいことがあるってわかるんですか?」

「いい警戒心ねぇ。警戒は大事よ?・・・あのね、これでも人生経験豊富なの。あなたの目はなにかを決意して、すぐにも動きたいっていう行動力あふれているわねぇ。ただ、代償はもらうわ」


代償という言葉にクリスはびくりと身を震わせる。

貧乏貴族出身で、いまや身一つのクリスに払えるものなどない。

「代償の内容を先に聞いてもいいですか」

「いいわよ。私やデューク、それからギルベールの過去を知ろうとしないこと。これだけ守ってくれたら、あなたを鍛えてあげるわ。破格でしょ?クリスちゃんのこと気に入っちゃったからねぇ」

「私のことを?」

「ええ、そう。精霊を対等に扱う人間は希少だわ。そこの水の精霊さんが言うように、下手に上位契約を結べば、精霊の生命力を魔力の補給代わりに使われるくらい。そうして命が尽きた精霊は消滅するのよ。もっとも、精霊の命は自然に還って生まれ変わるらしいから、完全に消えるのとは違うみたいだけど。生まれ変わった精霊はもう前の精霊と同じ人格ではないだろうし、きっと何年も何十年も何百年も生まれ変わりに時間がかかるものでしょうねぇ。高位精霊ならなおさらに。だから対等にやり取りするあなたが気に入ったの」

「・・・・・・」


ヴァンの力になりたい。

ウンディーネも失いたくない。

なにより強くなって、二度と大切なものを亡くしたくない。


過去を知ろうとするなという台詞には胡散臭さがただようが、こうして面と向かって会話する彼らはまっとうな人間に思えた。

少なくともヴァンを保護して手当てしてくれたのは、間違いのない事実である。


クリスは大きくうなずいて頭を下げた。

「よろしくお願いします、エル様」

「弟子とか生徒扱いでいいかしら?私のことは先生って呼んでねぇ」

「はい、先生」


クリスが笑顔で答えたとき、食堂の扉が荒々しく開いた。


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