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ギルド受付嬢の冒険  作者: 東風になりきれない春
第三章
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モナドの竜 Ⅹ

クリスは別荘というにはささやかな屋敷に迎え入れられた。

小さな庭には色とりどりの花。

手入れが行き届いていて、家人の趣味の良さがうかがえた。

そして庭の奥には見慣れた野菜が植わっている菜園のようなものが見えたので、実家と同じく困窮しているのかもしれない。


そんなことを考えているうちに玄関前に到着すると、正面の扉が静かに開いた。

「おかえりなさいませ、旦那様」


黒髪で眼鏡をかけた男性がうやうやしく一礼する。

馬から先に降りた少年がクリスに手を差し出しながら、男性に向かってうなずいた。

クリスはありがたくその手をとって地面に降り立ち、ほうっと息をつく。

馬車につながれている馬を見ることはあっても、乗って移動するのは初めてだった。

少年の騎馬技術が上手いのか、それほどひどい揺れは感じなかったが、少しばかり緊張したのだ。


金髪の美しい少年が男性に向かって馬を引き渡す。

「厩に返しておいてくれ。彼女は私が案内しよう。客人の知り合いだそうだ」

「左様でございますか。では後程なにか摘まめるものを持って参ります」

「頼む」


いくつか簡単なやり取りを交わしたあと、少年の緑の瞳がクリスを捉えた。

「我が家へようこそ、クリス嬢。訊きたいこともあるだろうが、歩きながらで構わないか?」

「はい、かまいません」


クリスは宝石のような瞳を正視できなくて、そっとわずかに逸らしながら答える。

少年は鷹揚にうなずいた。




屋敷の中に一歩入ると、クリスは調度品のひとつひとつが特注品であることに気づいて瞠目した。

男爵家とつながりのある比較的裕福な貴族の屋敷で見かけたことがあるが、ここにあるものはそれ以上に丁寧に職人の手によって造られているように見受けられる。

錬成術の複製技術による既製品につきものの粗さもなければ、特注品にありがちな装飾過多で丈夫さを重視しないものでもない。

品と実を兼ね備えた素晴らしいものだった。

先ほど実家と同じく困窮した貴族かもしれないと考えたが、その線は消えたわね、と内心で分析する。

そうなると庭で見かけた菜園が気になった。

野菜を育てずとも生活していけるだけの財力はありそうだ。どうもちぐはぐな印象を受ける屋敷である。


クリスがきょろきょろと周囲を見回すのを見て、少年が苦笑した。

「なにか珍しいものでも?」

「あ、いいえ。不躾に失礼いたしました。まずはお名前をお聞かせ願えませんか」


あからさまに観察していると見抜かれたクリスは、羞恥に頬を染めながら質問する。

馬上に乗る際に名乗りの流れをかわされた気がしたので、気になっていたのだ。

少年はふと考え込むように黙り込んだ。

「そうだな・・・訳あって名前が独り歩きしているものでな。すまないが本名は名乗れない。代わりにデュークとでも呼んでくれ」


遠回しに断わったり、騙そうとするのではなく、「名乗れない」とはっきり口にした少年にクリスは好感を覚えた。

「デューク様ですね。古代の制度で公爵位を意味していたと記憶しております。そのつながりで本名を明かせないのでしょうか?」


少年―――デュークは口元に笑みを浮かべる。

「クリス嬢は博識だな。そう考えてくれていい」


クリスは公爵一族の庶子の可能性を想像して口をつぐんだ。

貴族のしがらみなど、上位にいくほど知らないほうがよいことが多い。

男爵家令嬢として社交界に出たときも、そのような上位の貴族たちには出来る限り関わらないスタイルをとっていたので、深く追求する気は起きなかった。


話しているうちに階段を昇り、屋敷の2階奥にある部屋の前にたどりつく。

「ここが君の探し人と思われる男がいる部屋だ。私は下のフロアにいるから、ゆっくりしていくといい」

「ありがとうございます、デューク様」


クリスが一礼する間に、デュークは颯爽と去って行った。

その背を見送ってからクリスはおそるおそる扉を叩く。

返事はない。

もう一度叩いてみたが返答がないので、そっと扉を開けて隙間から部屋の中を覗き込んだ。


部屋の窓際に設置されたベッドに茶髪の青年が眠っていた。

人の気配に敏感そうなのに、クリスが扉を完全に開けても目覚めることはない。

それほど重症なのかと、心痛できりきりと痛む胸を抑えてクリスはヴァンに近寄った。


部屋のなかには一人用にしては大きめのベッドと、小さな机がひとつ。

机の上には水差しが置いてあった。


窓から差し込む日はかげりを見せ始めている。

その光のなかで眠るヴァンの顔色はお世辞にもいいとは言えなかった。

ぱっと見た限り目立った怪我はないが、内臓に衝撃を与えるような攻撃を受けていたらわからない。

呼吸も少し荒いようだ。


しかし眠るヴァンを前にして、クリスは顔がほころぶのを止められなかった。

あの禍々しい災厄を引き起こした魔物の竜がいる皇都に単身戻って、無事とは言えなくとも生命があるのは幸いだ。

あの人工妖精たちがいっせいに散る瞬間を目撃したクリスは、自分が死や暴力的なことにひどく臆病になっているのを自覚した。


音をたてないように、そっと床にしゃがみ込む。

手を伸ばして触れた額は平熱よりも少し高い気がした。

人に触れられても起きないというのは相当眠りが深い証拠だろう。

クリスはヴァンの足元に腰かけて、彼の覚醒を待つことにした。




ギルベールは己の主人に壁際に追い詰められていた。

「で、エルはどこだ?」


クリスにデュークと名乗ったキール=フォント=クレセント=デュークは、階下におりてすぐに厨房にいたギルベールに話しかけた。

微笑むキールの表情は温和そのものだが、その手に持った剣がすべてを裏切っている。

「・・・後始末をつけに行くと、皇都に帰還されました」


奥方のことになると理性をうしなう主人を相手に、額をつたう冷や汗を無視して努めて冷静な口調で返した。

キールは忌々しそうに表情を一変させて、眉を寄せる。

「どうして引き留めなかった。エルに子殺しをさせる気か?」

「子・・・とは。相手は奥様が製造した人工妖精ですよ」

「だが、我が子のようにかわいがっていた。できるなら殺したくはないだろうに」

「僭越ながら、奥様は私情と魔女の役目を混同される方ではないとお見受けいたします」


エレオノーラはキールに養われるだけの女ではない。

力ある蒼の森の魔女だ。

500年前、皇都の技術を革新的に進歩させたときに言っていた。

「自分の仕事には責任とるのが社会人よねぇ」と。


実際、錬金術の市場入りによって、それまで手作業で道具を作っていた者たちが職を失ったとき保護して自立させたこともあった。

魔女が関わることには魔女がけじめをつける。

それがエレオノーラなりの責任の取り方だった。


しかし嬉しげに人工妖精を生み出して名前と力を与えていた彼女の姿を知っているだけに、キールは苦い思いが込み上げる。

「さすがにジークフリートを相手にするのは、私でも骨が折れる。エルの後を追ったりはしないが、彼女が帰るまでにその意識は変えておけ。ギルベール。エルは仮初ではない生命と感情を持つ生き物に対して、そこまで割り切れる女性ではない。役目を果たした後、落ち込むこともある」


ようやく鞘に納められた剣を視界におさめて、ギルベールはほっと溜息をついた。

「存じ上げておりますよ。私のような合成獣に過分な対応をされる方だとね。・・・魔女としての奥様は見送りましたが、妹のような奥様がお戻りになった際のことを考えてモンブランを用意しております。あの方はケーキ類の中でもモンブランがお好きですから」

「すべてわかった上での対応か。ならばいい。その茶を上の客人たちに出して来い。ああ、あと私のことはデュークと名乗っている」

「デューク様ですね。かしこまりました」


キールが来る前まで手をつけていた仕事を再開したギルベールは、蒸らした茶葉の入ったポットをのぞきこむ。

乾燥させた花弁が湯で温められてふわりと広がっている。

巷で飲まれている発酵茶ではなく、体にもいいというハーブティだ。

あまり出回っていないのは独特の苦みがあるからだが、砂糖や蜂蜜を入れてやればまろやかに和らぐ。


手際よく準備し出した家宰の背後からキールは声をかけた。

「エルが帰ってきたら、モンブラン持って私の部屋へ来るように。私が彼女に食べさせるから」

「・・・かしこまりました」


500年たっても主人の執着はエレオノーラただ一人に向けられているらしい。

ギルベールはすでに慣れてしまったが、今日は客人がいるのだから自重していただけないだろうかと頭痛のしてきたこめかみを押さえた。




エレオノーラは砂礫まじりの風にまきあげられた黒髪をおさえて、遠くを見つめた。

「ヤンデレがゆんゆんしてる気がする・・・」


目がうつろになるのを止められない。

ヤンデレに加えてどこからかヤバイ電波受信してるキールにつかまったら3日は離してもらえないのだ、物理的に。

初めてそうなったとき、エレオノーラは呑気に「拉致監禁プレイってこういう感じかしら」とのほほんと笑った。

だがそれが二度、三度と続いてくるとさすがに疲労を隠せない。

「いつもなら何を置いても戻るけど・・・さすがにねぇ?ジーク。もう少しだけ一緒にいてあげるわ」


彼女の足元には黒竜の骨格だけが標本のように残っていた。

まさにエレオノーラを食らおうとした瞬間、骨だけ残して中の肉は消えたのである。


エレオノーラは人工妖精の生みの親なので、彼らを構築している錬成陣を完全に把握していた。

それをもとに、魔物が退治された目印として残す意味がある骨以外の構築要素を消滅させたのだ。

黒竜はエレオノーラ自身に付与された2つ目の力―――“ありとあらゆるものを破壊する程度の能力”を発現させる間もなく死んだ。


そんな骨だけの竜の頭蓋骨の上に、エレオノーラは無造作に座っている。

口調は軽いが、彼女の表情は一貫して無だ。

哀しみも怒りも表面にはあらわれていない。

しかしエレオノーラの裡でマグマのように、ふつふつと滾っていた。

「ごめんね、ジーク。ごめんね、フェンリル。ごめんね、自爆する選択肢しか選べなかった子たち」


エレオノーラはぐっとこぶしを握りしめた。

目の前の廃墟には、かつての栄華の名残はどこにもない。

エレオノーラが生んだ子たちの家も。

エレオノーラが通い詰めた図書館も。

キールとエレオノーラが我が子のひとりに託した元公爵邸も。

すべてが破壊され、瓦礫となっている。

死者はほぼ朽ちたのか、臭気はそれほどひどくない。

それがなおさら空しかった。


あのときエレオノーラが金髪のイカレた男を殺すのは簡単だった。あいつがすべての元凶だと思うと怒りで頭がくらくらしそうだった。

だが金髪イカレ男と戦っているうちに、エレオノーラは彼が人間ではないことに気が付いた。


あれは―――瘴気。


瘴気が凝り固まって人型になった存在。そんなふうに感じた。

エレオノーラは生物を介さずに瘴気だけで魔物ができるのかとか、魔物にしては知能が発達しすぎているから、おかしいだとか。

金髪男をいたぶり続けながら、つらつらと考えた。


こいつを殺さないのは当然、生きている方が地獄だと絶望させるため。

キールともそう話したけれど、もしかしたら殺さないのではなくて殺せないかもしれない。

「私はチートだけど、最強じゃない。あの男は最強につながる可能性のある人間・・・うん?人間でいいのよねぇ?ああ、あいまいだわ!帰ったら時間かけて調べなきゃ。もっとほかに災厄の元凶がいるなら、そっちを叩かないといけないしねぇ。ぎったんぎったんにしてやんよ」


目を細めて陰惨に笑う姿は、エレオノーラが地球から転がり落ちてこの世界にやってきたころ。魔女と恐れられ、忌み嫌われた姿そのままだった。


しばらく太陽の傾きを見つめていたエレオノーラは、完全に日が落ち切る前の茜色に染まっていく廃墟で立ち上がった。

「とりあえず帰宅したらキールにスライディング土下座でしょ。ギルベールに泣きついてケーキかプリンもらうでしょ。それからあの冒険者の手当てして・・・うん。キールの機嫌がよければ手当てくらいでき・・・るわよね・・・?」


エレオノーラは己の旦那様がヤンデレゆんゆん状態のときに、宥める方法はひとつしかしらない。

ずっと平常状態に戻るまで抱きしめられ続けることだ。

今現在、屋敷に客のときにそれはないと信じたい。

信じたいが、ヤンデレ属性が信じさせてくれない。

「ヤンデレこわいヤンデレ。まじハンパない。チートよりヤンデレが強いと思う。食われる的な意味で」


エレオノーラは自分の腕で自身を抱きしめながら、顔を青ざめさせた。

「と、とにかく。日が落ちたら帰るわ、ジーク。骨格標本的なかんじで保存してもらえるといいわねぇ。あなたは何も悪くなかったんだから。よくやったわ、愛しい子」


足元に転移の魔法陣をゆっくり描きながら、エレオノーラはジークフリートだった竜の頭蓋骨を優しくなでる。

「魔物になってからも、この辺りで発生したわずかな瘴気さえすべてあなたが吸収していたから、ここではもう魔物はできないわ。ほんとうにありがとう。あなたは名前だけじゃなくて、本物の英雄になったのよ」


竜の骨は沈黙する。

己が手で殺した事実を思って、エレオノーラは顔をゆがめた。

それ以上なにかを語りかけることもできずに、顔を隠すように深くうつむく。

転移の魔法陣が発動一歩手前の輝きを放ちだした。

「・・・さよなら、私のかわいい妖精さんたち」


魔女の言葉は転移の魔法陣内に吹いた一陣の風にさらわれて、あっという間に空気に散っていく。

風がおさまることには、もう悲しい顔をした魔女の姿はなかった。


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