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ギルド受付嬢の冒険  作者: 東風になりきれない春
第三章
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モナドの竜 Ⅸ

「―――まで、することは―――」

「―――じゃない。―――から、大丈夫」


ぼそぼそと人の話し声がする。

ヴァンはゆっくりと浮上する意識の端で、気配を探った。

ふたり・・・いや、ひとり部屋から出ていったようだ。扉の開閉する音がした。

「ああ、意識が戻ったようですね」


意外と至近距離で聞こえた声に、ヴァンはびくりと身を震わせる。

目を開けると、そばに眼鏡をかけた神経質そうな男がいた。

「ここは・・・」

「我が主の屋敷です。あなたは皇都で主の婦人に助けられたのですよ。覚えていませんか?」


ヴァンの記憶にあるのは、くすんだ金髪の男が黒い靄を発したところまでだ。

助けられたというが、この男や先ほど出ていった人間が敵ではないとは言い切れなかった。

慎重に周囲を見回す。

無駄な飾りのない丈夫そうな木製の家具と、清潔な室内。

しかしよく見れば、どれも丁寧に加工されたのか、艶々とした飴色の輝きを放っている。


少なくとも人を雇えるだけの家で、家具にも金をさける余裕のある金持ちってとこかな。


内心でそう判断しながら、目の前の男に視線を戻す。

「悪いけど覚えてないよ。で、あんたは?」


だるさの残る体を起こしながら問いかけると、男は綺麗に一礼した。

「左様ですか。私はこの家に仕える家宰のギルベールと申します。Aランク冒険者のヴァン様とお見受けしますが、間違いないでしょうか」

「ああ。どこで俺のことを聞いたのか知らないけど、そのヴァンであってるよ。でも・・・家宰ねえ。ただの雇われた人間には見えないけど?」


ヴァンが目を開く前に意識を取り戻したことを察知した能力といい、先ほどの隙のない礼のしぐさといい。

とうてい一般の人間には見えなかった。

「警戒はごもっともかと。ですが、それらはすべて経験の差と申し上げておきましょう」


ギルベールと名乗った男は眼鏡のふちを持ち上げながら、唇の端を上げて皮肉っぽく笑った。

ヴァンはひくりと頬がひきつるのを感じる。

この目の前の男はAランク冒険者と知りながら、ヴァンのことを未熟者扱いしたのだ。

ヴァンは他の血の気の多い冒険者に比べれば喧嘩っ早いほうではないが、今このときギルベールという男を殴り倒したくなった。

もっともこちらは本調子ではない上に、向こうはまったく隙を見せないので実質不可能だったが。

「あんたみたいなヤツに仕えられてる人間に同情するよ」


せめて言葉で反撃すると、ギルベールはにこやかに微笑んだ。

「あんたではなく、ギルベールという名がございます。それから我が主と婦人にこのような態度は取りません。もっともこの程度のことなら簡単にひねりつぶすような方々ですから、杞憂というものですね」

「・・・・・・」


一筋縄ではいかない家宰をひねりつぶせる主人のいる家。

どんな化け物屋敷かと、ヴァンは頭を抱えた。

そのとき扉を軽く叩く音がした。

ギルベールが内側から開くと、黒髪黒目の20代後半に見える女が入ってくる。

「聞こえてたわよぉ。ギルベールったら、怪我人をいじめちゃダメじゃない」

「奥様、誤解です」

「奥様やめてってば。ほら、あんた。これ薬草入ったスープだから飲みなさい」


女が差し出した器には乳白色の液体。

ほんのりミルクの香りが漂い、ヴァンの胃を刺激した。

急に空腹を訴え出した腹をおさえながら、これを飲んでいいものか迷う。

敵ではないという証拠がいまだに見つからないのに、不用心に口に入れるのはためらわれたのだ。

それにギルベールの言葉が正しければ、このどこにでもいそうな容貌をした奥様と呼ばれる女は、相当の力を有していることになる。


じっとヴァンがスープを見つめたまま動かないでいると、女がしびれを切らしたのか床を一度踏み鳴らした。

「もう!そんなに警戒しなくてもいいじゃない。だいだい殺すつもりなら、あの場で見捨てたほうが遥かに簡単だったわ。死にかけてた自覚ある?」

「死にかけていた?・・・え、マジで?」


だるさ以外に体に不調はない。

ヴァンは自分の身を見下ろしながら首をかしげた。

生死の境をさまよったようには見えない。

しかし女は顔の前で人差し指を立てて、真面目な顔で言った。

「本気と書いてマジと読む。妙な像・・・受けた攻撃を身代わりにする効果があったみたいだけど。それを握り締めてたでしょ?あれのおかげで即死はまぬがれてたみたいねぇ。まあでも放置していたら、そのうち像の効果が切れて確実に死んでたわ」

「・・・それがほんとだとしても、助ける理由がわからないね」


錬金術師が錬成した身代わりの彫像の効果を、いともあっさり見破った女に寒気を感じながらヴァンは問いかける。

女は胸を張って答えた。

「気まぐれよ」

「・・・は?」

「だから、気まぐれだってば。見捨ててもよかったんだけどねぇ。目覚め悪そうじゃない?疑ってもいいけど、完全に治るまで利用するくらいの気持ちでここにいなさいよ」


すがすがしいほどの笑顔で言い切る女に、ヴァンは顔をしかめる。

「別に今すぐ出ていってやるよ。怪我もないしね」

「そうねぇ、怪我はないわね。でも出ていけるだけの体力があると思ってんの?」


ヴァンは女の言葉に耳を貸さず、寝かされていたベッドから立ち上がって出ていこうと思った。手をついて足を床につける。

とたんに激しい目まいと嘔吐感にさいなまれた。

「う・・・え?なんだよ・・・これ」


ベッドの住人に逆戻りしながら、ヴァンは呆然とつぶやく。

女はため息をつきながら、スープの入った器をギルベールに渡した。

そしてヴァンの額に無造作に手を当てる。

「ギルベール、ちょっとこれ持ってて。・・・うん。熱があるわねぇ。たぶん、まだ上がるわよ。自覚ないって、よっぽど今まで病気知らずだったのかしら」

「なんで・・・」


ヴァンは幼いころから丈夫な性質で、たしかに病気らしい病気をしたことがなかった。

薬師の世話になるのももっぱら怪我が主だ。

女はヴァンから手を放して、床にしゃがみこむ。

視線を合わせながら、ゆっくりとした口調で言った。

「死にかけていたって言ったでしょ?瘴気に侵されて魔物になりかけていたのよぉ。浄化の魔法を使えば、魔物化しかけているあんたまで滅びそうなくらいの浸食率だったわ。だからあんたの体力を浄化の力に転換して、内側から瘴気を追い出すことにしたの。わかる?今のあんたの体力は生まれたての赤子並ってことよ」


ヴァンはおだやかな女の口調に眠気を誘われながら、なんとか意味を把握する。

その技がどれほど高度かなんて考えていられなかったが、自分の体調が思っていたよりも悪いことは理解した。

悔しさにぐっと唇をかむヴァンに、女は優しく語りかける。

「寝ちゃいなさい。起きたらまた温めたスープ出してあげるわ。おやすみ、“ラリホーマ”」


女の言葉が終わると同時に意識が闇に包まれていく。

ヴァンはあらがいようのない睡魔にとらわれた。




「せっかくの奥様のスープが冷めてしまいましたね」

「いいのよ。病人相手に目くじら立てることないわぁ」


ヴァンが完全に寝入ったのを確かめてから、ギルベールはぼやいた。

女―――エレオノーラはくすりと笑う。

それを横目で見ながら、ギルベールはまだ不満そうに眉を寄せた。

「このような礼儀知らずな男を、気まぐれでも助ける価値があるのですか」

「ほんとは気まぐれじゃないからよ。死にかけていたっていっても、あのときのキールほどじゃなかった。ただ・・・罪滅ぼしかしらねぇ」


エレオノーラは遠く、皇都の方角を見ながら目を伏せる。

「私のつくった子たちが利用されて、魔物になって。だからといって、舞台からとっくに降りた時代遅れの魔女が助ける気はなかったわ。だから妖精たちが自爆するのを黙ってみていた。ジークフリートに束になっても敵わないと知っていながらね。でも・・・偽善だけど、とばっちりを食らった人まで放っておくことはできなかったのよ」

「その偽善に助けられた人間は多くいます。キール様も、私も。そして腹の立つことに、この男も」


ギルベールの言葉にエレオノーラはそっと笑った。

案外この家宰はお人よしな部分がある。

なんだかんだ言いつつも、ヴァンの面倒を見るだろう。

そして自分もまた、500年たっても人間臭い部分が残っていたようだ。

「それじゃ、もうひとつくらい偽善が増えてもかまわないわねぇ。この人を拾っちゃったせいでできなかったけど、今からジークフリートのところへ行ってくるわ。最後くらい私が後始末つけなくちゃ」


エレオノーラは自身の足元に転移の魔法陣を展開した。

魔女の膨大な魔力によって、皇都までの2キロメートルもの距離を一息で詰める陣が描かれていく。

ギルベールが転移に巻き込まれないように一歩下がりながら言った。

「そろそろキール様がお戻りになる時間ですよ」

「あらそう?入れ違いになるわねぇ。きっと機嫌が悪くなるから、ちゃんと宥めておいてちょうだいね」

「竜を相手にする方がマシな話ですね」

「貧乏くじと思って諦めて。むしろ私も機嫌の悪いキールの相手したくない」

「それが本音でしょう?・・・頼まれたからにはやりとげますよ。病人の介護もご心配なく」


ヴァンの看病を引き受けると言った家宰に、エレオノーラはやはりこの男も愛すべき偽善者だと思いながらうなずいた。

「じゃ、あとのことは任せるわ」

「いってらっしゃいませ」


ギルベールの優雅な一礼に見送られながら、魔女は竜のもとへ飛んだ。




クリスはマリーから聞いた住所をもとに、郊外まで来ていた。

ジュール城塞都市の男爵家別邸に馬車はないので、徒歩での移動になる。

それに男爵家と縁を切っている状態では、たとえ馬車があっても使おうとは思えなかった。

ただ、中心部にあるギルド支部から歩き通しで少し足が痛む。

「このあたりのはずだけれど」


軍事基地として発展している街の中心部と違って、見渡す限りうっそうと茂った木々しか見えなかった。

来る途中に貴族の別荘と思われる豪華な屋敷が見えたが、教えられた住所はさらに奥を示している。

ウンディーネを呼び出して周囲を見てきてもらおうかと考えていたとき、背後から馬のいななきが聞こえた。

振り返ると栗毛の馬に乗った少年が駆けてくるのが見える。

「びしょうねん・・・」


思わず片言の発音になるほどの衝撃を受けた。

遠目でもはっきりわかるほど繊細で秀麗な面。

艶やかな金髪が木漏れ日を反射してまぶしいほどだ。

その美しい少年はクリスの姿をみとめると、馬の速度をゆるめて近づいてきた。

見下ろす緑の瞳が透き通っていて、クリスは吸い込まれそうだと思った。

「君は?見ない顔だね」

「うあっ!はい!・・・あの、この家を探しているのですが。ご存知でしょうか?」


声まで美しいってどういうことかしら、とクリスは動揺しながら尋ねた。

マリーに描いてもらった紙を差し出す。

金髪の少年は馬上から降りて、紙をのぞきこんだ。

「ああ、これは我が家だな。うちに用でも?」


クリスは少年の言葉に驚いて目を見開いた。

「ヴァンは・・・。あの、冒険者の男がいませんか?彼の知り合いなんです。怪我は?無事ですか?」


矢継ぎ早に問うてから、慌てすぎだと気づいたクリスは自身を戒める。

「すみません。ギルドでこちらのことを聞いて来たんです」


肩を落としてそう言うクリスに、少年は何かを思い出すように宙を見上げた。

「たぶんそれは、うちの奥さんが拾った男じゃないか?大きめで、幅の広い剣を持っていたな。ヴァンというのか」

「はい・・・間違いないと思います」


クリスは10代後半にしか見えない美少年の口から、「奥さん」という似つかわしくない単語が飛び出したことに驚きながらも肯定する。

この年齢で妻がいるということは、もしかしたら彼は貴族なのかもしれない。

政略結婚では年齢を重視されないのはよくある話だった。

「それなら相乗りになるけど一緒に行こうか。まだここから離れた場所にあるんだ」

「ありがとうございます。私はクリス=ル・・・いえ、クリスです」


ルクスの性は男爵家を出たと同時に名乗ることは許されない。

つい出かかった言葉を飲みこんで、クリスは自己紹介した。

「わかった、クリスだな。それじゃあ行こうか」


先に馬にまたがった少年に馬上へ引き上げられながら、クリスは首をかしげた。

今さらりと名乗りを流された気がする。

相手が自己紹介したなら、自分も名乗り返すものじゃないのかしら。


もんもんと考え込むうちに、少年の背後に座らされたクリスは馬の歩き出す振動で我に返った。

「少し速度を上げるよ」

「あ、はい」


しかし振り返った少年の美麗な顔に考え事が吹き飛ぶ。

ついで早足になった馬の動きについていくのに精いっぱいになったクリスは、結局少年に名を尋ねる機会を失った。


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