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ギルド受付嬢の冒険  作者: 東風になりきれない春
第三章
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モナドの竜 Ⅶ

地にころがったまま、名前を持たない男は低い声でぽつりと言った。

「許せないヨネ?」


せっかく蓄えた力は魔女によって吹き飛ばされ、散らされた。

肉体を損傷した。

回復のために瘴気の濃い死体を食べていたら邪魔された。

人間なんかに負けた。

ああ、忌々しい。


ぼそぼそと小さな声で語る金髪の男からヴァンは距離を取った。

剣の攻撃範囲から外れてしまうが、それよりも男の得体の知れなさへの警戒が勝った。

「あんた・・・何者?やっぱ人間じゃないわけ?」


男の伸び放題の前髪の間から、ぎょろりと目玉が動いてヴァンを視界に捉える。

「前に言わナカッタ?ボクは名無しダッテ。名無しは人間じゃないヨ」


あっさり己は人間ではないと断言する男は、唇を吊り上げた奇妙な笑みを浮かべた。

「名無しハ、魔王になるんダヨ」

「・・・は?」


魔王。

単純に考えるなら魔の王。魔物の王あたりが妥当だろうか。

ヴァンは突拍子もない単語に眉を寄せた。

「何言ってんの、あんた」


ヴァンの問いに答えずに金髪の男は笑い声をあげる。

笑っているのに怒りのこもった声音は、ざわりと背筋に悪寒を走らせた。

「アッハハハハハ!だからネ、ボクは負けちゃダメなんダ!許せないンダ!・・・死んでヨ」


金髪の男が地面にあおむけの状態から、うつぶせに転がる。

そのままこちらへ這ってきた。

「死んでヨ死んでヨ死んでヨ死んでヨ」

「・・・っ」


壊れたオルゴールのように繰り返し同じ言葉を発しながら、男は這いずってくる。

ヴァンは地面の瓦礫を男に向かって蹴りつけた。

石の塊が男の額にぶつかって血を流す。

「痛いナァ。ひどいナァ。もっと力が欲しいナァ。死んでほしいナァ」


ゆがんだ笑みを浮かべた男はたいして痛みを感じていないようだった。

「ああもう、気持ち悪いな!あんたが死んでよ!」


抜き身の剣を振り上げてヴァンは男に一歩近づく。

これ以上男の戯言を聞いているのは気分が悪かった。

ヴァンの殺気を間近で浴びた金髪の男は、笑みをさらに深める。

「やっと近づいてくれタ」


男の体からぶわりと黒い靄のようなものが放たれた。

飛びのく間もなく、ヴァンはそれに飲みこまれる。一瞬にして視界が暗闇に染まった。

体の中から力が抜けていく。

ヴァンは己の失態を悟った。あの奇妙な行動は自分を己の攻撃範囲内に誘い込むための罠だったのだ。

しびれを切らしたヴァンはそれに乗ってしまった。

「美味しいヨォオオ」


黒い靄の向こうから金髪の男の歓喜の声がする。

「おいしいって・・・食べられてるのは俺?」


ヴァンは力の入らない膝を地面について苦笑いを浮かべた。

剣を支えにしているが、いつまで保つかわからない。

「返してもらって正解かな、クリス」


気の強い少女を脳裏に浮かべながら懐を探って、彼女に押しつけられた身代わりの彫像を握り締めた。




黒髪黒目の女が廃墟にたたずんでいた。足元には茶髪の青年が苦しげにうずくまっている。

青年の生命の炎は消えかけていた。

手に持っている像のようなもののおかげで、死ぬのが遅くなっているだけだ。

このまま放置すれば一刻もしないうちに、廃墟に死体が1体増えるだろう。

「なにこれデジャヴ?また拾い物フラグなのねぇ」


エレオノーラは500年前に夫と出会った時のことを思い出した。

あのときもボロボロの人間を捨て置けずに拾ったのだ。

ため息をつきながら手を一振りすると、青年の呼吸が正常に戻った。

顔色はまだ悪いままだが、きちんとした場所で療養すれば徐々に改善されるだろう。

「“エリクシール”を使うまでもなかったわね。この子ったら生命力強すぎでしょ。いや悪運かしら?」


ダメージを引き受ける像を持っていなければ。

これを成した犯人が青年の死亡を確認せずに去らなければ。

エレオノーラが通りかからなければ。

青年は間違いなく死んでいた。


宵闇が迫る中、黒竜のいる方角を見ながらエレオノーラは眉を下げる。

「ごめんねぇ、ジークフリート。もう少し待っててちょうだい。ちゃんと製作者として死なせてあげるから」


黒髪の魔女は当初の目的だった竜討伐を先延ばしにして、茶髪の青年を救出することに決めた。




翌朝、クリスはジュール城塞都市の一角に来ていた。

街を囲む壁の一部が砦となっており、そこが現在のモナド皇国の中枢になっている。

以前城に参内したときよりは劣るドレスを身にまとって、馬車から降りる。

あのときのドレスは廃墟となった我が家に埋もれているだろう。

それにもし手元にあったとしても、皇都が陥落して沈んだ空気の中で華美なものを着る気はなかった。


飾り気のない落ち着いた藍色のドレスをひるがえして、クリスは砦の中へ入っていく。

途中で衛兵に止められたが、例の手紙を提示するとあっさり奥へ通された。


そして砦の最奥にある、小さいながら質のいい調度品の飾られた部屋に通されて待つことしばし。

クリスは皇帝陛下と宰相、財務大臣と顔を合わせていた。

「目通りをお許しいただき、恐悦にございます」


ぴんと背筋をのばしてから、優雅に見えるようにゆっくりと一礼する。

皇帝はソファにゆったりと腰かけながら微笑んだ。

以前面会したときよりも精彩を欠く表情が、その包帯の下の怪我と心労を思わせる。

「構わぬ、余に話があると聞いている。まずは楽に座るといい」

「ありがとうございます、陛下」


机を挟んでクリスと皇帝は向かい合った。

宰相と財務大臣は壁際の二人掛けのソファに座る。


砦としての機能を優先した結果なのか、この建物全体が窓のない小部屋の連なりでできていた。そこで男3人と額をつきあわせて相談事となると、なかなかの威圧感がある。

クリスは心の中で喝を入れて持ち直した。

「恐れながら、私ひとりの手では成せぬ事柄ゆえに、陛下の力をお借りしたく参上いたしました」

「申してみよ。話は聞こう」

「はい、陛下。単刀直入に申しますと、私を例のフードの男の追跡に加えていただけないでしょうか」


宰相が大仰なため息をついて、肩をすくめた。

「何をおっしゃるかと思えば。貴方はご自分の立場を自覚されておりますか?堕ちたるとはいえ、貴族につらなる子女。そしてモナド国立魔術学校の特待生になるほどの才媛。さらに上位のヒト型精霊との契約者ですから、卒業後の道は城仕えが決まっているも同然なのですよ」


財務大臣もクリスをなだめるように、子どもに向ける甘い声音で話しかけてくる。

「貴方のギルド本部での活躍は聞き及んでおるぞ。クレナダ村での浄化作業だけでなく、誠実に真面目に業務をこなすと評判らしいではないか。ギルド長が一度本気で就職先をギルドに、と打診してきたほどだ」


引き留める言葉は違えど、ふたりともクリスの身を案じてのことだと感じられた。

だからクリスは柔らかく微笑んで礼を返す。

「もったいないお言葉です、宰相閣下、財務大臣様。ですが、私クリス=ルクスはもう決めたのです。ここで承諾していただければ、その足で冒険者ギルドのジュール支部にて冒険者登録を行います。ちなみに、そのままフードの男と決着がつくまで男爵家に戻らぬ表明と迷惑をかけぬ意思表示のため、すでにこちらへ来る前に役所で籍を抜く手続きをしてまいりました」


皇帝陛下は興味深そうにクリスの湖面色の瞳を覗き込んだ。

クリスも皇帝の緑の瞳を見つめ返す。

「余と男爵はそう話したことはないが、家族を大切にしている男だったように記憶しておる。親御には許してもらえたのか?」


クリスはその言葉に視線が遠くになるのを止められなかった。

もちろん砦に向かう前に両親を説得するために場を設けたが、結果は芳しくない。

クリスが冒険者になって犯罪者を追うと宣言すると、母親は卒倒した。

父親は顔を青ざめさせながら「まだ子どもなのに」「そもそも学生だろう」「女の子なのに」と、引き留めるための言葉を延々口にし出した。

親心のわからないクリスではない。

多大な心配をかけていると理解しながらも、このまままた見て見ぬふりの生活に戻り、人と距離を置いて暮らしていくことは耐えられなかった。

一昼夜かけて話し合い、熾烈に討論を交わしながら、なんとかクリスは両親から条件付きで冒険者となる許しを得たのだ。


条件は3つ。

1つ、生きて帰ること。

2つ、ときどき手紙で安否を知らせること。

3つ、納得する旅ができて終われば、必ず帰って学生として復帰すること。


条件はどれもがクリスの身を案じたからこそのものだった。

頭が自然と下がる。

とてもひどい親不孝をしている。

けれど人と距離を置いて生きてきたクリスの人生で、初めてできた心からの友人の危機に何もせずにはいられない。

ヴァンと一方的であっても約束したのだ。

「友達として一緒に馬鹿やってあげる!」と。


その意気込みも、すべてはこの場での皇帝陛下の返事にかかっている。

モナド国家とギルドからの依頼で、ヴァンはフードの男を追っているのだ。追加で冒険者を雇うなら、依頼主に伺いを立てるのは当然のことだった。

ギルドのほうは皇帝陛下が許可したと言えば、国の機関のひとつとしてクリスを依頼に組み込むしかなくなるだろう。

「陛下、父と母は最終的には折れてくださいました。親不孝とわかっていても、貫きたいことがあるのです」

「ふむ・・・クリスよ。思いを貫くには様々な覚悟が必要であろうな。・・・死ぬ覚悟はあるか?殺す覚悟はあるか?手が血まみれになっても生きる覚悟はあるか?」

「正直に申し上げますと、覚悟しているつもりである、と答えるしかございません」


皇帝は難しい表情をしながらも、目線で続きを促した。

クリスはひとつうなずいて話を続ける。

「死ぬ覚悟も殺す覚悟も、その場に立ったことのない者が誓ったところで所詮机上の空論。口先だけに終わるでしょう。その先にある血まみれの生もまた同じ。ですから覚悟しているつもりである、というあいまいなものでしかお答えしかねるのです。・・・ですが、私はひとつだけ覚悟している、と答えることができるものがございます」


小部屋にいる皇帝陛下、宰相、財務大臣をひとりひとりクリスは見わたした。

モナド皇国の頭脳。

小娘の下手な小細工は無用である。ただ自分の素直な言葉を、クリスは口に出した。

「私は決して諦めない覚悟だけなら、この胸にしっかり刻みこんでおります」


クリスは祈るように手を組んで、じっと返事を待つ。

皇帝たちは小声でしばらく話し合っていたが、やがてクリスの前に座りなおして言った。

「苦しい旅路になるであろうな」

「予想のうちでございます」


皇帝の気遣わしげな言葉にクリスは毅然と胸を張った。

「悲しい思いをすることもあるでしょうね」

「それでも立ち上がり、前へ進むことが諦めない覚悟でございます」


宰相の事実を淡々と述べる冷静さに、クリスもまた静かに応じる。

「世の中は善だけではない。絶望することもあるかもしれん」

「私はかごの鳥のように育っておりません。善人も悪人もいるのが人であると認識しております」


財務大臣の現実的な言葉には、冷ややかな笑みさえ浮かべた。

そのやり取りを見ていた皇帝は目を細めてクリスを見ると、「うむ」とうなずいた。

「心意気はわかった。ならば小さな冒険者よ。依頼人からの最初の頼みを聞いてくれるか?」

「はい、陛下。なんなりと」


クリスはモナドの頭脳から「諾」の返事を引きだせたことに、ほっとしながら首肯する。

皇帝は流れるように言葉をつづけた。

「同じ依頼を請け負っているヴァンと合流し、この言葉を伝えよ。・・・沈黙の命を変更する。1つ、人工妖精に関することは、彼らが魔女によって生み出されたことのみ黙するように。彼らが皇都の上空で多く顕現したことで人目に晒されすぎた。すでに噂にもなっておるようだ。よって、その出自のみ秘せよ。2つ、瘴気をまく石が浄化されぬまま行方不明の可能性が高いこと。皇都へ派遣した騎士たちにも内密に探らせているが、まだ石は見つかっておらぬのでな。すでに犯人に持ち去られておるやもしれぬ。皇都に戻ったというヴァンが見つけていなければ、その可能性はさらに高まろう」


皇帝の言葉にクリスは神妙にしながら、忘れたり違えないように記憶に刻みつける。

「3つ、犯人が人間ではない可能性についてだが。魔術学校と同等かそれ以上の警備網を潜り抜けて事を成し、逃走できるものとなると・・・。ますます人間ではない可能性が高くなったと考えてよい。慎重に沈黙を守るように。4つ、これは魔術学校どころか皇都が廃墟となった今では無効と考えてよい」

「では3つの沈黙と、その変更を伝えればよろしいのですね?」

「そうだな」

「うけたまわりました、陛下。では、本日は時間をお取りしていただいてありがたくも、ご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます」


クリスは立ち上がって最上級の礼をした。

スカートの裾をつまんで広げ、片足を一歩引いて軽く膝を曲げて頭を下げる。

ただお辞儀をするだけの礼ではなく、平身低頭して平伏する意味がある礼だ。

この方々がクリスを認め、許してくれたこと。

そして期待を込めて依頼を任せてもらえたこと。

それらに感謝するため、皇帝たちが退室するまでクリスは頭を下げ続けた。


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