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ギルド受付嬢の冒険  作者: 東風になりきれない春
第三章
23/36

モナドの竜 Ⅵ

竜が地面に倒れ込む間際、ヴァンがクリスの腰を抱いて横に飛んだ。

その顔面すれすれを竜の巨体が過ぎ去る。

黒竜ジークフリートは轟音とともに地に伏した。

「お、おわ・・・ったの?」


目の前で倒れている竜の頭を見ながら、クリスがつぶやいた。

竜は目を閉じて微動だにしていないが、ヴァンはまだクリスを抱き寄せたまま剣を構えている。


そのときウンディーネがクリスとヴァンに覆いかぶさった。

水に包まれたような感覚のあと、そのままふたりして水圧で地面に押し倒される。


――――――――――――――――――!!!!!


直後、声なき咆哮が竜の口から放たれた。

地面に伏せたクリスたちの頭上を高密度の闇色の塊が通りすぎていく。


闇は瓦礫を一瞬で砂礫に変え、建物から逃げ出そうとしていた人間を喰らった。

クリスがまばたきひとつする間に、闇の塊が通りすぎた場所が更地に変わる。

「くそっ!」


ヴァンがクリスを肩に担ぎあげた。

「え・・・」

「舌かまないでよ!」


そのまま一直線に市街地を走り抜けて、皇都の外へ続く通りを疾走する。

人ひとり担いでいるとは思えない速さで走る彼の背中に、クリスはしがみついた。

竜はその場に倒れたまま動かないが、口腔がゆっくりと闇色に染まっていくのが見える。

ヴァンはちらりと背後を見て、それを確認すると横道にそれて走り続けた。


数秒後、再び高密度の闇色をした破壊の力が放たれる。

先ほどまで走っていた通りが無に帰るのを見て、クリスはようやく思考が戻ってきた。


人工妖精たちの捨て身の攻撃は無駄だった?

否。

竜は倒れて、その場から移動していない。

ただ無力化には至っていない。

なぜ?

人工妖精たちすべての力を増幅させてなお、竜には及ばなかったから?

それじゃあ・・・それじゃあ・・・彼らの死は無駄だったの?


クリスの目から涙がこぼれ落ちた。

疾走するヴァンに並んで、空中を駆けるウンディーネがクリスに話しかける。

「クリスちゃ~ん、今は逃げることだけ考えて~」

「そうだよ。ほかの人間も助けていられない」


水の精霊の言葉に続いて、ヴァンが冷静に言った。

この街にはまだたくさんの人が残っている。郊外にいた家族も、中心部にいたギルドの職員も、魔術学校の学生も、馴染みの店の人たちも全員が逃げられたとは思えない。

ただでさえ真夜中の襲撃だったのだ。

すばやく皇都から避難できた者がどれだけいるだろう。


でもそのすべてを救うことなど不可能だと、クリスは知っていた。

竜の討伐失敗。

皇都を守護していた人工妖精の全滅。

それらを間近で見て関わって、今も己の無力さを噛みしめているのだから。




モナド皇都の陥落。

その情報は伝書鳥を通して世界中を駆け巡った。

国境封鎖の結界の影響で、貿易の停止と経済活動が停滞していた皇国にとって都の陥落は大打撃である。それは大陸の半分を治める大国であっても、野心ある諸外国から狙われかねない事態であった。


皇帝は筆をおいて、目の前の書類を見ながらため息をついた。

とたんにヒビの入った胸骨を中心に全身を痛みが走る。

「ぬ・・・。まだ治らぬとは」

「致し方ありますまい。生命があっただけでも儲けものです」


皇帝陛下のぼやきに、頭に包帯を巻いた財務大臣が答えた。

その隣には松葉杖をついて足に包帯を巻いた宰相がいる。

彼らは城の塔にいた人工妖精、黒竜ジークフリートが魔物化して暴走したときにそろって負傷していた。轟音をたてて崩れ落ちる城の瓦礫の下敷きになった皇帝は、一時期生死の境をさ迷っていたほどである。


その半死半生の皇帝を、己自身も決して軽くない怪我を負いながら救出したのが宰相たちだった。彼らのほかにも幾人か国家の中枢を担う人物が逃げのびている。

「いま皇都はどうなっておるのか。ジークもいまだ暴走しておるという報告もあるようだ。・・・被害者の確認はすすんでいるのか?」


皇帝は書類に掲載されている数字に目を落とした。

そこには拠点を皇都から2キロメートルほど北上した場所にある、ジュール城塞都市に移したあとに残った騎士たちを派遣して調べた被害者数が記されている。


皇都には一時居住者を含めておよそ2万人の人間が生活していたが、そのうちの3分の1は物言わぬ屍となって発見された。

中心部にはいまだ黒竜が生存しているようで、近づくと唸り声が聞こえるという。

そのせいで周辺部の捜索しか出来ておらず、被害者はさらに膨れ上がると予想していた。

「あれから1週間。自力で逃げられるものは、ほぼ皇都から脱出したものと思われます。数は3000人程度と見られておりますが、まずは彼ら避難民の安全と生活を確保するのが先かと」


宰相も複製した同じ書類を見ながら言う。

現在、一時的に皇都の主な機能を移したジュール城塞都市は元グランティオス帝国の首都だった。

当時も強固な要塞だったが、500年前にクレセント王国に敗北した後はさらに防砦の改良がなされて、モナド皇国最大にして最後の防衛線と呼ばれている。

都市全体を囲む壁はすべて錬金術師たちによって強化された石が使用されており、簡単には崩されない。また、常駐する兵の質が高いことでも知られていた。

そのため脱出した民のほとんどが安全性をかんがみて、このジュール城塞都市に避難してきている。

「生きておる者を優先せねばならんか・・・ふむ。議事堂などの公共施設を解放してはおるが、全避難民を収容することはできまい。空き地に仮の住居を造らせよう。その際の人手は避難民から募り、賃金を渡せば多少は生活もできような」


皇帝は顎に手を当てながら言った。

その際にまた骨がきしんだのか痛みに顔をゆがめている。

労しそうに見ながら、財務大臣が別の書類を手に進言した。

「避難民の衣食住をまかなうなら、ジュールの金庫が空になる前に財源の確保が必須です。皇都へ派遣した騎士たちへの手当ても考えねばなりません。また、働き口を巡ってもともとジュールに住んでいた者たちとの軋轢も生じましょう。その対策をこうじた後なら、陛下が養生する時間が取れるかもしれませんな」


どれも一朝一夕に片づけられる問題ではない。

もうしばらく彼らの不眠不休の活動は続きそうだった。




クリスはジュール城塞都市にある男爵家の別宅にいた。

テラスに出て日の光を浴びていると、あの夜の出来事が幻のように思えてくる。


あのあと、クリスはヴァンに抱えられて皇都を脱出した。

他にも脱出してくる人々がちらほら見えたので、彼らについてジュールまで来たのである。

幸い家族にはすぐに出会えた。

逃げるなら砦のあるジュールだと彼らも北へ向かったらしい。たいした怪我もなく、娘との再会を喜んでいた。

そしてクリスを助けてここまでやってきたヴァンに滞在をすすめたが、彼はそれを断ってひとりで皇都へ引き返していった。

魔術学校でふぇんりるが魔物化したように、人工妖精が瘴気に侵された今回の事件。

ヴァンはふたつの類似性から、瘴気をまく石とフードの男が関係していることを推測していた。そしてフードの追跡の依頼を遂行するために戻ったのである。


竜には近づかないと言っていたが、危険性は高い。

自分が持っていた身代わりの彫像を押し付けるようにして渡したが、お守り程度にしか役に立たないかもしれない。

やはりクリスには、生命より依頼を重要視する彼の価値観がわからなかった。

しかし理解できなくても、力になりたいという気持ちは変わらない。

そのとき扉を軽く叩く音がして、使用人の女が静かに部屋へ入ってきた。

庭に続くガラス製の扉を開けて、奥のテラスにいるクリスのもとまでやって来る。

「お嬢様、砦から手紙が届いております。封蝋の印は皇家のものとお見受けいたしましたので、中は開いてみておりません」

「ありがとう。お父様たちにはあとで私から説明しておきます。下がってください」

「かしこまりました」


女が部屋から出ていくのを見届けてから、クリスは手紙の蝋をひっかいて砕いた。

ぼろぼろになった蝋をはがして手紙の中を見る。

内容は皇帝陛下への謁見願い受理されたという文面だった。

「よかった。・・・私は私にできることをするわ、ヴァン」


クリスはそっとつぶやいた。

1週間前、このジュール城塞都市に皇帝陛下や宰相閣下たちも避難してきていると男爵の父経由で知ったとき、すぐに謁見を申請したのである。

落ちぶれた男爵家の娘から皇帝への謁見願い。

通常なら通らないが、クリスは魔術学校での一件から申請が通る可能性は高いとにらんでいた。


陛下たちは皇都が廃都と化す未曾有の事件が起こってなお、私が沈黙の命令を守っているか確認したいとお考えになるはず。

多くの案件を抱えていらっしゃる今、直接会って真偽を確かめられるなら人手を割かずに済むのだし。きっとお会いくださる。


その予想は外れず、クリスの手元には皇家の手紙があった。




一方、ヴァンは廃墟となった皇都の一角でもとは城だった場所を歩いていた。

見渡す限り瓦礫と、腐敗してきた死体しかない。

「ここにもない・・・か。やっぱりもう回収されたかな」


瓦礫の塊をひとつ蹴って、その下に埋もれていた部屋を見る。

そこにも目当てのものはなかった。

ヴァンは今、城に預けた瘴気をまく石を探している。魔術学校の地下回廊で拾ったものだ。

石を研究して、その解明をすると宰相はたしかに言っていた。

ならば、研究者のいる城か直轄の施設にあるはずなのだ。

だが1週間たっても成果はあがらなかった。


考えられる予想は1つ。

クレナダ村のときのようにフードの男が回収に来て、すでにここに石はないということ。

「こうならないように、わりと早めに戻ったつもりなんだけどね。竜が魔物化してすぐに回収したってことかな。だったら竜が最初に現れたこのあたりに、何か足取り掴めるものがあるといいけど」


ぼやきながらも瓦礫のすきまや、崩れた建物の奥を覗き込んでいった。

しかし灯りひとつ調達するのが困難な場所では、日が沈む前に捜索を切り上げるしかない。

ヴァンは夕日に照らされて茶から金に近くなった己の髪をかきながら、空を見上げた。

「今日も収穫なしっと。・・・そろそろ一度ジュールに戻るかな。生きてる人間もいなさそうだし」


―――それは反射だった。

とっさに崩れかけた建物の影に隠れて、地面にしゃがみこむ。

その視線の先にくすんだ金髪で、ぼさぼさ頭の男が立っていた。

反応が少しでも遅れていたら、彼に気づかれていたかもしれない。


敵か。

味方か。


ヴァンは目まぐるしく思考しながら、過去の情報を思い出していた。

くすんだ金髪の青年と路地裏の大量殺人事件。

見つからない犯人。

殺害方法は風の魔法が有力。


金髪の男はふらふらと体を左右に揺らしながら、目の前の瓦礫の隙間に手を差し込んだ。

ずるりと灰褐色の物体を引きずり出す。

そのまま躊躇いなく口に含んで咀嚼し出した。


ヴァンは嫌悪感に顔をゆがめた。

人間は死後、血や不要物を流しながら硬直していく。それ終わると腐敗が始まり、肉体は健康的な肌色から毒々しい赤へ。やがて腐敗が表面化すると白っぽくなり、腐り落ちる頃には灰色や黒色が混じるようになる。

この廃墟となった都のそこかしこで見られるものだ。

金髪の男が口に入れているものは、その死体の腐肉に見えた。


咀嚼し終えた男は、ふらりと揺れながら歩き出す。

「ア・・・ハハッ。足りナイ・・・足りなイィィ」


男の独白が風に乗って聞こえてきた。その独特の口調と発音に聞き覚えがある。


もうこれ犯人確定でいいよね。

フードの男の正体があいつで決まりだよね。

他に変態の快楽殺人者がいるなら、この国終わりでしょ。


ヴァンは男の行動を目で追いながら、内心で毒づいた。

そして不意を突いて、魔法を使われる前に捕縛しようと気配を殺して近づいていく。

男は気づいていない。


距離にして数十歩。

金髪の男がふらりふらりと瓦礫の向こうに姿を消した瞬間、ヴァンは駆けだした。

瓦礫を一息に飛び越えて、男の真上から鞘に入ったままの剣を振り降ろす。

金髪の男が驚いたような表情で見上げたが・・・遅い。


ヴァンの体重を乗せた一撃が男の眉間に入った。

「ぐぅっ」

「もう一丁!ほらよ!」


急所に重い打撃を受けた男がよろめいたところを、続けざまに攻撃する。

着地の低い姿勢から足払いをかけ、衝撃に崩れ落ちる男の腹に肘を打ち込んだ。


男は背後の瓦礫に勢いよく激突する。

そのまま四肢を投げ出して動かなくなった。

「よっし。魔法がなかったら、こいつもこんなもんか」


ヴァンは念のために抜刀して男に近づく。気を失っていればよし。そうでなければもっと痛い目にあってもらって、強制的に眠ってもらおうと。


あと数歩分というところまで距離を詰めたとき、突然金髪の男が哄笑をあげた。

「ヒッ。アハハハハハハ!!に、人間なんカニ、ま、負けるナンテ!!」


この数歩分の距離はすでにヴァンの攻撃範囲内だ。

男がおかしな行動をとれば、すぐに切りつけるつもりで剣を構えてヴァンはその場に立ち止まる。

男はヴァンをにごった目で見上げた。


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