クレナダの死霊 Ⅰ
「―――そして魔女はつよ~い錬金術で悪者をやっつけました。王国は平和になり、めでたしめでたし」
絵本を閉じて、こちらに微笑みかける母親の膝にすがった。
幼いクリスは青の目を細めて頬を染めて喜ぶ。
「すごいねえ、すごいねえ!いいなあ・・・このあと、おひめさまになるんでしょう?」
「そうよ、クリス。彼女の子どもたちがクレセント王国の王族と結婚することが多かったのですって」
「けっこん?」
「クリスが大きくなったらわかるわ。ずっと好きな人と一緒にいられるように、誰でも使える魔法よ」
クリスは「けっこん」と呟きながら、絵本の表紙をなでた。
『蒼の森の魔女 3巻 ダニージョ著』
むずかしい文字が多くてクリスにはすべて読み取ることはできなかったけれど、きらきらした絵本の世界は知っていた。
「わたし・・・大きくなったられんきんじゅつしになるわ!」
薄紫の髪の毛の頭をあげて、無邪気にクリスは笑った。
「クリス=ルクス!立ちなさい!」
クリスはびくりと身を震わせて目を開けた。
どうやら授業中に眠ってしまっていたらしい。
教卓の前の歴史の講師は、彼の背後の黒板をたたきながら言った。
「立って、ここから100年前後の歴史を説明すること」
「はい、先生」
失敗した・・・と思いながら、クリスは立ち上がって黒板に書かれた文字を読んだ。
「グランティオス帝国からの宣戦布告により、クレセント王国と帝国は戦争がはじまりました。戦争は7~8年ほど続いたと言われています」
「はい、よろしい。ではその後は?」
「はい、先生。その後は蒼の森の魔女の活躍により、クレセント王国が勝利します。そして帝国と合併して現在のモナド皇国になりました。現在の皇帝陛下は彼女の子孫で、53代目。モナドは約500年ほどの歴史を持つ国家です」
クリスの回答に講師は満足げに笑った。
「よろしい。付け加えるなら、蒼の森の魔女が嫁いだ先の公爵家が保有する騎士団のことも説明できれば満点ですよ。充分及第点ですが、授業は真面目に聞くように」
「はい、先生」
クリスはこれ以上失態を重ねないように従順にうなずいた。
授業が終わると、クリスは下校していくクラスの友人たちの波に逆らって別の校舎へ歩き出した。
後ろから友人が声をかけてくる。
「クリス?また錬金術学科に行くの?」
「そう。じゃあ用がないなら、私は行くから」
きっぱりと言い捨てて、クリスは颯爽と歩き去った。
クラスメイト達は顔を見合わせて、
「さすが鉄面皮。冷たい女だよなあ」
「あら、優しいわよ。このあいだ授業で当てられたときに、こっそり答えを教えてくれたもの」
「そうね。でも言い方がちょっときつくない?」
と、口々に不満を口にした。
クリス=ルクスは成績優秀な特待生としてモナド国立魔術学校に在籍している。
実家が男爵家だが貴族の一端とは思えない貧しい暮らしなので、学費はアルバイトで支払っていると噂されていた。
クラスメイト達はそれが噂ではなく事実だと知っていたし、そのアルバイトが夜遅くまであるために寝不足になっている彼女を心配してもいた。
しかしクリスはそれらの気遣いを受け取らず、浅い交友関係を続ける少女だった。
クリスが錬金術師学科の学舎にたどりついたとき、ちょうど補習時間を知らせる鐘が鳴った。補習のない生徒にとっては下校の合図でもある。
クリスはそっと裏口から入って、近くの教室に入り込んだ。幸いまだこの補習の講師は来ていないらしい。
クリスは魔法学科の生徒である。
しかし好きな教科は錬金術だ。
それなら錬金術学科に入学すればいいと思われがちだが、実家の財政と学費のことを考えて授業料が半額に免除される特待生度をとると決めた。
特待生になるためには入試で1位から3位までのあいだに入らなければならない。
好きな錬金術よりも、魔法の素質の方が高かったクリスは泣く泣く魔法学科の門をたたいたのだ。
ただ諦めきれなくて、魔法学科の授業が終わった後に錬金術学科の補習にもぐりこむのが日常化していた。
クリスは目立たない端の席に座りながら、そっと右太ももに水色で刻印された紋をなぞった。
それもこれもすべて、この紋に宿る精霊のせいとも言える。
「やりたいことと、できることが違うって切ないわ」
クリスは16歳にしては大人びたため息をついた。
錬金術学科の補習が終了し、クリスが学校の門をくぐるころには空は茜色から藍色へと変化する間際だった。
クリスは空に浮かぶ2つの太陽の位置を確認しながら、足早に学校からの狭い通学路を抜け、皇都の大通りへと出た。
空が藍色に染め上る少し前に、クリスは役所のような白い建物の前にたどりついた。
―――冒険者ギルド。
500年前の戦乱時に職を失った傭兵を集めて、街の復興をはじめたのがきっかけで創立された組合である。
10歳から登録可能な職業案内所のような場所だ。
しかしなかには相当難易度の高い魔物を狩るような依頼もある。
それらを目当てにする冒険者が多いことから、ただの組合ではなく冒険者ギルドと呼ばれるようになった。
クリスが中に入ると、受付にいた女性が立ち上がった。
「ああ、今日も間に合ってよかったわね」
「はい。マリーさん」
マリーはギルドの午前から夕方までの受付を担当している。
入れ替わりに夕方から扉を閉める夜中までがクリスの受け持ちだ。
夜の方がアルバイト代が高くなるのでクリスは万々歳なのだが、同じような年頃の娘を持つマリーはいつも心配そうにクリスを見る。
夜に来る利用者は魔物狩りで生計を立てているような乱暴者が多いせいだ。
ただ彼らに何を言われても、クリスは平然としている。
職務に忠実で真面目に、今日もお金を稼ぐだけだ。
2つの月が真上に差し掛かったころ、そろそろ業務を終了するかと職員と話していた時に彼はやってきた。
「おい・・・Aランクのヴァンだぞ」
背後で職員の男がぼそりと呟いた。
ギルドが依頼する案件はランク分けされている。
ランクE・・・子供のお使いレベル
ランクD・・・薬草や鉱物の採取
ランクC・・・害獣や低レベルの魔物の退治
ランクB・・・遺跡の調査隊の護衛や、高レベルの魔物退治
ランクA・・・災害規模の魔物退治
ランクS・・・前人未到
という具合だ。
魔物は瘴気というよくわからないが、よくないものに侵された動物のなれの果てらしい。
クリスは実際に見たことはなかったが、ギルドに来る冒険者たちの話からかなり危険な生き物だと認識していた。
その危険な生き物のなかでも、かなり強いものを倒したのがこのヴァンという男らしい。
クリスが受付のアルバイトを始めたときには、すでに彼はAランクに君臨していた。
Bランクに到達する冒険者はいても、Aランクは彼一人だ。
どれだけの難関かわかろうというものだ。
しかしその武功に反して、彼は茶髪に青の瞳。整っているが、やや軽薄そうな顔。
そしてやたら背が高いだけの普通の青年に見えた。
手に持っている魔法陣を刻んだ特殊そうな幅広の剣が不似合いだ。
だが、相手がだれであれ、仕事は仕事。
クリスは受付の席から彼に声をかけた。
「もうすぐ終了です。依頼完了の報告ならこちらへどうぞ」
「・・・ああ、悪い悪い」
青年は受付の台の上で、依頼完了の契約用紙を取り出してサインした。
名前は先ほど職員が言っていたように、ヴァンで間違いないようだ。
クリスはほかに記入漏れがないか確認したあと、保管していた用紙を取り出す。
こちらはヴァンが仕事をこなした依頼を申請した契約用紙である。
申請の用紙と、完了の用紙を見比べて間違いないか見直す。
内容はBランクの魔物が徘徊する遺跡の調査員の護衛。
何も問題がないとわかると、さっさとクリスはギルドの了承印を押した。
「お疲れ様でした。依頼金はこの用紙を持って向こうの机でお受け取りください」
「わかった」
ヴァンはそう言ってさっさと去って行った。
それを見送ったクリスはほうっと体の力を抜いた。
「仕事の内容はすごいけど、Aランクでも普通の人じゃない・・・緊張して損した気分」
ギルドを後にしたヴァンは、依頼金を懐におさめながら思い返した。
Aランクということでやっかみ半分にからまれたり、職員の対応が妙に丁寧になったことはあったが、今回はたんたんと事務作業が進んだだけだった。
言葉のやり取りも必要最低限のみ。
「珍しいこともあるもんだな。ま、俺にはそっちのが楽だけど」
そう言ってヴァンは皇都の宿通りへ消えていった。