魔術学校の妖精 Ⅷ
身軽な服装に着替えたあとヴァンに連れられて訪れた喫茶店は、以前打ち合わせに利用した店よりも落ち着いた雰囲気だった。
丈夫な石材の建物が多い皇都では珍しい木造で、こじんまりとしている。
中に入ると美しい飴色をした木目の机がいくつか並んでいる。
客はあまり多くないようだ。
「前に皇都で依頼受けてたときに、たまたま見つけてね。料理にはずれはないし、静かでいい店だよ」
前の席についたヴァンがそう言った。
もとから机に置いてあったメニューを開くと、見慣れた品目が並んでいる。
クリスは連続で予想できない料理に挑戦する気はなかったので、ほっとしながらうなずういた。
「そうみたいね。大通りから何本か道をはさんでいるおかげで騒がしくないわ」
「そうそう。隠れ家みたいでいいっしょ」
子どものような表情でヴァンが笑った。
こんな顔もできるのだと驚いたクリスは、目をまたたかせる。
「こういうところが好きなの?」
「クリスは嫌い?」
「訊いているのは私なのだけど・・・。いいえ、気に入ったわ。前に行ったお店はたまに行くくらいがちょうどいいんじゃないかしら。普段、学校でもギルドでも人が多い場所にいるから、こんなふうに落ち着ける場所があるといいわね」
「なら、よかった。俺もそんなに人の多い場所は好きじゃないし」
ヴァンの台詞に、クリスはメニューから顔を上げて視線を合わせた。
「そうなの?ギルドの人たちとけっこう話していたから、なんだか意外だわ」
もしや自分のように人見知りなのだろうか。
Aランク冒険者のヴァンが?
クリスは自問自答して、それはないと首を振った。
各地を旅しながら人と交流して依頼をこなす冒険者が、人見知りとは考えられない。
ヴァンが頬づえをついてぼそりとつぶやいた。
「だって、めんどくさいし」
「・・・は?」
予想外の答えに間の抜けたが出た。
ヴァンはため息をつきながら続けて言う。
「冒険者やってるとさ、あちこち移動するから浅い人間関係しかできないわけ。そのくせ噂だけは詳しく流れるから、悪い評判たてられるくらいなら愛想をふるくらい、別に苦じゃない。だけど、いくら人と話すのが苦手とかじゃなくたってさ。毎日それだとうんざりしてくるんだよ」
「・・・・・・」
クリスは無言で頭痛のしてきたこめかみを押さえた。
それはつまり外面がいいということだろう。
今まで守ってくれているヴァンを、無意識のうちに聖人君子の枠に収めてしまっていたらしい。幻滅はしないが、自分への対応が親切心ではなく愛想からのものだとわかるのは気分がいいものではない。
「それなら無理に私との約束を守らなくてもよかったのに・・・」
「無理はしてないけど?」
きょとんとヴァンが目を見開いた。
「クリスは話してて楽だよ。おべっか使わなくても怒らないし、ウソをつく必要もない。っていうか、それならこの店に連れてこないからね」
「えっと・・・それなりに私は認められていると思っていいのかしら」
うまくヴァンの言葉を飲みこめなかったが、クリスはそう解釈した。
ヴァンもうなずく。
「そうだね。貴族なのに屋敷に招いてくれるような子はすごく貴重だよ」
「貴重って言われても、貴族としてあなたに何かしてあげられることはないわよ?自分で言うのもむなしいけれど、うちは没落して久しいのだから」
「そういう意味じゃないよ。普通に話せるのが貴重だって言ってるんだ」
貴族の子女は幼いころ「冒険者は粗野だから近づかないように」と躾けられる。
それは親や雇った家庭教師からほどこされるもので、防犯的な意味合いがあった。
魔物退治などをする冒険者は乱暴な態度を取る人間が多く、下手な態度を取って逆鱗に触れて怪我をさせられないように。
また、貴族や金持ちの子どもばかり狙って身代金を要求するような、冒険者とは名ばかりの人間に関わらないように。
そう教育されて育つと、冒険者に対して恐怖心を抱いたまま大きくなる。
だから彼らはやむなく冒険者に依頼ができたとき、居丈高な態度で怯えを見せないように対峙するのだ。
クリスは実家の財政難から仕事を選んでいられなくて、高い賃金を払う夜のギルド受付係をアルバイトにした。
そのおかげで乱暴なしぐさや口調の冒険者でも、性根は気持ちよい人たちもいると知ることが出来たのである。
だから彼らに対して必要以上に警戒しない。
ヴァンが言うところの普通に話せるのが貴重というのは、そういうことだろう。
クリスはそう納得した。
「そうね。貴族らしくないのは認めるわ」
「うん、こうやって一般の民みたいな服着てるクリスのほうがしっくり来るよ。城にいたときみたいに着飾られると、どう接していいかわからなくなりそう」
皇帝陛下相手に普段の冒険者の衣装で対面して、さらに対等な口を聞いていた男の言葉とは思えない。
現にヴァンは軽くからかっているのか、いたずらっぽく青い目を細めている。
クリスも声を出して笑った。
「ふふっ。そんなに心配しなくても、あんなドレスはそうそう着ないわ。一張羅なのよ?」
「そりゃ安心だね」
ふたりで顔を見合わせて、また笑った。
調子はずれの鼻歌を歌いながら、くすんだ金髪の男が手の中のものを見る。
彼のざんばらになった髪は適当に編みこまれているだけで、あちこちに飛び跳ねていた。
男がいるのは皇都の裏路地にある一室だ。
もともと別の住人が住んでいたが、その者は彼の背後で物言わぬ骸と化していた。
その人間が男か女かも判別がつかないほど、鋭利な何かで切り裂かれ、引きちぎられ、臓腑をまき散らしていた。
死亡してからそれほど時間がたっていないのか、濃い血臭が部屋に充満している。
男はそれをまったく気にする様子はなかった。
血だまりの上に座り込み、薄汚れた服を床に脱ぎ捨てる。
すぐに衣服は血を吸って、どろりとした赤黒い色に染まった。
続いて彼は裸のまま無造作に歩いて部屋を物色する。
サイズの合う白のズボンと、黒の上着を見つけると嬉しそうに身に着ける。
着ることが出来れば構わないと言いたげに、それが男物か女物かは関心がないようだった。
新しい服を調達し終わると、彼は再度視線をずっと握っていた手元に戻す。
それは男が河原から拾った、なんの変哲もない手のひらほどの鉱石だ。
川底で石同士ぶつかりあい、磨かれて丸みを帯びた石は不透明な鈍い輝きを放っていた。
彼は楽しそうに石を手のひらの上で転がす。
一回転。
石の内側に複雑な記号が刻まれた。
二回転。
石の表面に幾何学的な模様があらわれた。
三回転。
記号と模様を際立たせるように、石は透明になった。
男は満足げに左右から石を観察する。
「んっん~。こんなもんデショ。ボクって天才」
自画自賛しながら片方の腕の袖をめくり、軽くかかげた。
その瞬間、風が唸って男の手のひらを切り裂く。
鮮血があふれ出し、彼の頬に飛び散った。
さらに腕を伝って肩まで血にまみれる。
「ちょっと切りすぎたカナ?まあいいカ」
痛みを感じていない口調で、男は無造作に石に血をたらした。
模様の上に広がった血液は石の表面を滑らずに、海綿のように吸い込まれていく。
やがて透明だった石は赤色に染まり、続いて深い紅になり、最後には紫色に変貌した。
それはクリスたちが魔術学校の地下で発見した、あの石に酷似している。
彼は―――ヴァンに名前はないと言った男は、手の中の石を大切そうに見つめる。
「今度は時間かかったケド、やっぱりなんでも丁寧にするのがいいヨネ。もっと手をいれてもいいカナ・・・」
そう言いながら石を撫でる。
その頃には男の腕に走った裂傷は跡形もなく消えていた。
治癒の魔法を発動した様子もないのに、腕には傷跡すらない。
血の跡がなければ怪我をしたとは思えないほどだ。
「うん、そうダネ。もう少し手を加えタラ、きっともっとよくナル」
ひとりで納得した男は、さっさと歩いて部屋を後にした。
扉を開けて外の路地に出る。
太陽が真上から強烈な光を浴びせていた。
遠い大通りからここまで、人々の営みの声が聞こる。
暑いくらいの日差しだ。
彼はまぶしそうに手を顔の上にかざしながら、さらに路地を進んでいった。
途中でこの辺りに住んでいる住人らしき女たちが、数人集まって噂話をしているところを見つける。
彼は小声で魔法を発動する呪文を口ずさみながら、跳ねるようにその場を横切った。
男が通りすぎた途端、女たちの体から血が噴き出す。
まとめて風の魔法によってずたずたに切り裂かれ、ただの肉塊に成り果てた。
それを見もせずに、男は路地裏のさらに奥へと進んでいった。
特に彼に目的地はない。
ただふらふらと奥へ行きながら、出会った人間を殺していく。
十数人殺したあたりで、周囲が騒々しくなってきた。
遠くから人の叫び声や、鎧がすれ合う金属質な高音が聞こえてくる。
ようやく死体を見つけた人々が騎士団を呼んだのかもしれない。
「うるさいナァ。もうちょっと殺し足りなかったノニ、仕方ないナ」
男が手に持っている石の色を見ると、紫色にところどころ黒色が混じっている。
「前は地面のなかだったカラ、今度は高いところがイイナ」
楽しげにそう言った彼の姿は風に紛れて消えた。