魔術学校の妖精 Ⅴ
クリスはお茶を一口飲むことさえ緊張を強いられていた。
目の前にはモナド皇国の最高権力者、皇帝陛下が真向かいに座っている。
皇帝の後ろには宰相閣下と財務大臣。
国の中枢にたずさわる人物にかこまれたクリスは、隣に座るヴァンが平然と茶菓子を食べていることに目まいを覚えた。
なぜこんなことに・・・。
思い返せば2日前に記憶が飛んだ。
あのあと何度か改めて浄化の魔法をかけ直したが、ひとつも効力を発揮できなかった。
ウンディーネも疲れたと言って、クリスの紋の中にするりと入って行った。
契約者の紋の中には亜空間のようなものがあるらしく、なかなか快適だと本人に聞いたことがある。
とにかくこれは自分たちの手に余る、クリスもヴァンも判断した。さっさとギルドに持ち帰ることにする。
クリスは石を慎重にハンカチで巻いた。ヴァンが足りないと言いたげに、さらに上から外套で乱雑にくるむ。
あとは一刻も早くこの場を離れるだけだ。
クレナダのときのようにフードの男が、いつこの石を回収しに来るかわからないのだから。
もし鉢合わせて戦いになったら、この狭い部屋でクリスを守りながらの苦戦になるは目に見えている。
ヴァンはフードの男の捕獲命令を受けていたが、あくまで彼我の実力差を自覚していた。
万全の状態で、かつ罠を仕掛け、不意打ちをつくべき相手だ。
それは今ではないし、戦利品の石もある。
今回はこれで退いておいたほうがいい。
慎重になりすぎることはないのだ。
すらいむじゅうさんごうは、ふぇんりるの死骸に寄り添っていたが、クリスたちが帰還の旨を伝えるとすぐに了承した。
「かなしい、かなしい。でも、でも。まもののまま、まもののまま。それより、それより、きっと、きっと。うれしい、うれしい」
ヴァンはふぇんりるを殺すことは必要なことだったと後悔してはいなかったが、少しだけこの球体の生き物に悪いことをした気になった。
すらいむじゅうさんごうの転移によって外に出ると、すでに夜明けの藍色の空が広がっていた。
日の出も近い。
すらいむじゅうさんごうは出てきたときと同じように、くるりと回転すると地面に吸い込まれるようにして地下の回廊に戻って行った。
「さて、あとはこれをギルドに持っていくだけだから、ついでに家まで送るよ」
「え?私もギルドに行かなくていいの?」
「家を抜け出したことがバレたらどうするんだよ、お嬢様。もう朝まで時間がないよ」
からかうように諭されたが、両親に夜中の不在を知られるのはまずいとクリスもうなずいた。それにこのままでは朝早く動き出す寮生に見つかる可能性もある。
「そうね、さっさと学校も出て帰りましょう」
ふたりは小走りで夜明けの街を駆け抜けた。
そしてその日の夕方。
寝不足を抱えながら、クリスはようやく夜番の仕事を終わらせた。
それを施設の隅に座って待っていたヴァンが近づいてくる。
クリスも上司をひとり呼んで、情報交換を始めることにした。
「ヴァン君が今朝持ってきてくれた例の石は、もう国の連中に渡したよ。今ごろ宮廷魔法使いや錬金術師たちが研究を始めてるはずだ。遠からずどのような仕組か解明されて、無力化や浄化も可能になるだろう」
「そうですか。あの・・・石を手にした経緯とかは」
クリスは学校に不法侵入したことや、地下回廊の人工妖精―――妖精とは認めたくないが、定義上そう呼ぶことにした―――のことを、どう説明したものかと口ごもった。
「俺もまだそのあたりは詳しく説明してないよ。クリスと同じときに言ったほうが、お互いの視点からの話もできるしね」
「そうね、じゃあ・・・」
「いや、待ってくれ」
考えながら説明を始めたクリスを遮ったのは、難しい表情をした上司だった。
「昼過ぎに国から君たちへの召喚の言伝を承っている。直接話をお聞きになりたいそうだ」
「お聞きにって、どなたが?研究してる方たちでしょうか?」
クリスが首をかしげながら問うと、上司は疲れたように首を振った。
「いいや、陛下が」
「え゛」
思いも寄らない人物の名前にクリスは硬直した。
貴族の末端として皇帝陛下が主催する夜会に出席したことはあるが、そのときだって遠目で「あら、陛下は黒髪なのね」と離れた場所で見ていた。
落ちぶれた貴族が顔をあわせる機会など皆無だ。
動揺して目線があちこちに飛ぶクリスをよそに、ヴァンは面倒そうにため息をついた。
「ああ、おえらいさんがズラっと並んでそうだね」
「どうしてそんなに平気そうなの!?」
「Aランク冒険者を雇うのは、ほとんど金持ち貴族だからだよ。相手するのは慣れている。さすがに皇帝陛下ほど位の高い人は初めてだけどね」
もしかしなくても貴族のクリスより、冒険者のヴァンの方が貴族間の処世術を身に着けているように見えた。
微妙に負けた気持ちになりながら、クリスは上司に尋ねる。
「召喚状はありますか?日時の確認をしておきたいです」
「これだよ。ほら、こっちはクリスちゃんの分。これはヴァン君の分」
召喚状を受け取ったクリスはそろそろと封を開けて、書面に目を落とした。
略式だが、宰相閣下直筆の呼び出しだった。
登城日は2日後だ。
2日で納得のできる説明を順序立ててできるようにしなければ。
あとドレスも新調しないと。いえ時間がないからなんとか見栄えのいいものを用意したほうがマシね。
学校にも連絡しなきゃ。欠席で試験の評価が落ちて・・・って、あら。その日は休日ね。
よかった。
つらつらと考えていると、ヴァンがクリスの肩をつついた。
「なに?」
「普通に初めから説明してたら長くなりそうだからね。重点を決めて簡潔にまとめたほうがいいんじゃないかな。滞在時間を長くしたいなら別だけどさ」
「そんなわけないじゃない。畏れ多くてすぐに帰りたくなると思うわ」
「なら、打ち合わせようか」
ヴァンの言葉に、クリスではなく上司がうなずいた。
「是非そうしてくれ。私やギルドには国から連絡がまわってきたらわかることだから、そちらを優先してほしい」
「了解っと。それじゃクリスを借りていくけど構わないよね?」
「早めに返してくれよ?貴重な受付専門なんだ」
「わかってるよ」
クリスが口をはさむ間もなく、とんとん拍子に話がまとまった。
ヴァンにうながされて立ち上がりながら、クリスは失くさないように召喚状を懐に入れる。
「どこに行くの?」
「近くの喫茶店。そういうところのほうが女の子は好きそうだし」
「嫌いではないけど」
「じゃ、そこで」
あっというまに大通りにある喫茶店に連れてこられたクリスは目を白黒させた。
やけにヴァンのエスコートがうまく、手慣れているように感じたのは気のせいだろうか。
喫茶店は乳白色を基調とした清潔な雰囲気の店だった。
窓際に置いてある花の鉢植えや、壁際の小さな椅子に座っているクマのぬいぐるみなどが可愛らしい。
日が落ちたためにランプを天井からつるして灯りを取っている。
店内は女性客が多く、冒険者の装いをしているヴァンは浮いて見えた。
彼自身はちっとも気にならないらしく、店員に合図を送ってから窓側の席へ進んでいく。
クリスたちがテーブルにつくと、さっとメニューが店員から手渡された。
クリスは学校のクラスメイトたちがこういった場所に放課後寄り道したり、遊んだりしていることは知っていた。
だが成績を維持しながらアルバイトをこなす身で、そんな余裕はなかったので喫茶店でなにを頼めばいいのかわからない。
だからヴァンに「嫌いではない」と答えたのだ。「好き」かもわからないくらい馴染みのない場所だったから。
「なにを頼むか決まった?」
クリスはメニューから顔を上げずにうなった。
メニュー内容がさっぱりわからない。
「ねえ、ヴァン・・・。お姫様の口どけとか、白雪の雫って料理の名前なの?」
「ああ、それは創作料理とか。見た目からとった通称みたいなものだよ。普通の料理名を書いてる喫茶店のほうが多いけど、ここは違うみたいだね。気になるなら店員に料理の中身を訊いてみるか、いっそ勘で頼んでみるのも楽しいよ」
「そういうものなのね・・・じゃあ、勘で挑戦してみるわ」
せっかく普段縁のない場所に来たのだから、楽しんでもいいなとクリスは思った。
料理を頼んでしばらく待つと、クリスの前にはお姫様の口どけ。
ヴァンの前には黒い発酵茶が置かれた。
クリスは料理名を口にするとき少し気恥ずかしい思いをしたが、ヴァンは「一番いい発酵茶で」と、メニュー名ではない名前で注文していた。
ヴァンいわく、どこの飲食店でも発酵茶は常備されている庶民の飲み物なので、この店でも単品で頼めるはずだ、ということらしい。
自分で挑戦するときめたものの、通称のメニュー名で恥ずかしい思いをしたクリスはつい恨めしい目を向けてしまった。
お姫様の口どけ―――木苺のムースタルト―――を口に入れたクリスは、とろけるような舌触りにうっとりした。
ついてきたミルクも砂糖か蜂蜜が入っているらしく、ほんのりした甘さがちょうどいい。
「おいしい・・・」
「そりゃよかった」
頬を緩めながら、クリスはタルトを完食した。
そして最後にミルクを飲んでほっと一息ついたとき、はたと気づく。
ものすごく微笑ましいものを見るような目でヴァンが笑っていた見ていた。
食べ終わるまでずっと見られていたらしい。
「こういう店は初めてみたいだったからね。心配したけど、気に入ってくれたみたいでよかったよ」
「・・・うん。でも見てないで声をかけてくれればよかったのに」
「ごめんごめん、なんかなごんじゃって。つい見てた」
クリスは頬を染めて、むっと口をとがらせる。
子どもっぽいと思われたらしい。
羞恥に言い返したかったが、いい反論を思いつかなかったので話を変えることにした。
「それよりも!2日後の打ちあわせをしましょ」
「はいはい」
さらに微笑ましそうに見られた。なぜだろう。