魔術学校の妖精 Ⅱ
モナド皇国の冒険者ギルド本部には、基本的に2人の受付が交代で勤務している。
正式に職員として雇われているマリーは、太陽が顔を出す時間から沈むまで。
まだ学生の身でアルバイトのクリスは、マリーと入れ替わりに月が空の真上に来るまでが業務時間となる。
クリスは仕事が終わって一度自宅に戻った後、そっと窓から裏道に脱出した。
貧乏ゆえにアルバイトで学費を稼ぐクリスだが、一応貴族の娘なので帰宅した後の外出を両親に認められていなかった。
そうでなくても年頃の娘が真夜中に帰ってくるので、そのあとに出かけるなど言語道断なのはわかる。
しかし今夜はそうも言っていられなかったクリスは、自宅なのに玄関ではなく窓から出ていく羽目になったのだった。
「おまたせ」
「時間的には大丈夫。いやでも提案しておいてなんだけど、よく抜け出せたね」
クリスはモナド国立魔術学校へ続く道の先にある広場でヴァンと合流した。
「私も昼間は授業を抜けられないから、仕方ないわ」
優秀な成績をおさめつづけなければ特待制度は受けられなくなってしまう。
学費の半額免除がかなりおいしい条件なので、クリスは授業を欠席して試験の点数を引かれることは避けたかった。
そしてヴァンはヴァンで、時間がたてばたつほどフードの男の行動を許すことになるため、情報をつかんだら真夜中でも動かざるを得なかった。
魔術学校の裏口まで歩いてきたふたりは、左右を見回して誰もいないことを確認した。
「それじゃ開けるわね」
クリスが懐から生徒手帳を取り出して裏口の門にかざすと、手帳に刻まれた生徒情報を記した魔法を読み取った鉄製の扉が開いた。
すばやく入りこんだヴァンを追って、クリスも中に入る。
地方や諸外国からの留学生が主に利用している寮は、それぞれの文化の違いから生活リズムが少しずつ違う生徒が暮らしている。
ほとんど不夜城のように一日中だれかが起きて活動していた。
そのため寮へ続く裏口だけは、いつでも手帳があれば出入り可能になっている。
ただし防犯のために門にかざした人物と、生徒手帳に刻まれた情報が食い違っていたら決して開かない仕組みになっていた。
勝手知ったる施設内を図書館に向って案内しながら、クリスは隣を歩くヴァンを見上げた。
ヴァンは今、月光をはじいて人目をひく明るい茶髪を隠すために外套を羽織っている。
フードの男と似通ってしまうので、本人は嫌そうにしていた。
だが誰かに見とがめられればクリスは特待生の待遇を取り消されるかもしれないし、ヴァンは不法侵入の追及を受けるだろう。
結局、隠れていくしかないのだ。
人通りの少ない廊下や、使われていない校舎のあいだを縫うようにして図書館に近づいていく。
歩きながらヴァンがぽつりとこぼした。
「この学校の仕組みって、わりと悪用されそうだね」
「裏口のこと?」
「それと、このやたら広い敷地に対して街灯の少なさ。人が隠れるにはもってこいだ」
「ううん、そうでもないわ。たしかに悪い人が隠れていてもわからない。でもその人たちがことを起こそうとしても、どの建物にも侵入できないから」
不思議そうな顔をするヴァンにクリスは学校の警備について語り始めた。
「その日の授業が終わると、使われない学舎や建物はすべて学校に勤めている警備担当の魔法使いと錬金術師たちによって戸締りが行われるの。入口だけでなく、窓や換気口にもすべて結界や錬成術で作られた罠つき。学校全体を結界で覆えれば一番早いでしょうけど、あいにくそれだけの力を持つ人は在籍していないわ」
そういえば国中をかこっている結界はだれが張ったのかしら、とクリスの思考は少し脱線した。
あれだけ強力で広い範囲を何日も何日も保たせることができるなんて、まるで伝説の青の森の魔女のようだ。クリスは幼いころの絵本の影響で、魔法使いとしても錬金術師としても彼女を尊敬していた。
大昔には「魔女」と言えば差別用語だったらしいが、今では尊称に使われるほどの意識改革を起こした女性。
不老不死でいまだにモナドのどこかで生きていると言われているが、クリスはさすがにそれは作り話だろうと思っていた。
思考から戻ってきたクリスは続けて、
「そして一日中活動している寮には、中にいる寮生を守るために彼らの一部が常に見回りをしているし。それらを何事もなくかいくぐるのは相当難しいはずよ」
と締めくくった。
ヴァンが驚きの声をあげた。
「え?それじゃ、図書館も入れないんじゃ?」
「そうなのよね・・・。でもヴァンはAランクの冒険者だし、なんとかできないかな・・・とか・・・」
語尾を弱くさせながらクリスが言うと、ヴァンは困った表情で笑った。
「残念ながら、俺の魔法は初級がせいぜいだよ。力まかせに叩き壊せっていうならできないこともないだろうけどね」
「そうなの?浄化の魔法が苦手なだけだと思っていたわ。だからクレナダに私を同行させたのかしら、って」
「俺は万能じゃないし、世界一強い人間でもない。そりゃ冒険者の中じゃ腕は立つほうだ。でも、できないことはできない」
クリスは目をしばたたいた。
「私、あなたにできないことはないって思ってたわ」
「そりゃ買ってくれて光栄だね。だけど俺はあの男に負けたんだ・・・手も足もでないまま吹っ飛ばされた」
ヴァンは悔しさのにじむ口調で言った。
クリスもあのときのことを思い出してうつむく。あとから治癒を手伝ってくれたウンディーネに聞いたところによると、壁や床にたたきつけられた衝撃でふたりとも体中の骨が折れていたらしい。
激痛だったがすぐに治ったので、それほど重体とは思わなかったから驚いた記憶がある。
黙り込んでいるうちに図書館の前までたどりついた。
「入れないんじゃ仕方ない。ひとまずもう一度ウンディーネに呼びかけてみてほしい」
「わかったわ」
クリスはもう何度も試したことをもう一度繰り返した。
今度こそあの水の精霊が現れることを願って口を開く。
「ウンディーネ。来て!応えて!」
しかしあたりには静寂が漂った。
水の精霊のあの独特な間延びした声も聞こえない。
「だめか・・・じゃ次」
「次?」
落ち込みかけたクリスはヴァンの言葉にきょとんとした。
「建物の周囲を見て回ろうか。外からでも何か手がかりくらいは掴みたいね」
「そうね・・・窓や扉にさえ触らなければ大丈夫だと思う」
まだ諦めるのは早いと思い直したクリスはヴァンの提案にうなずき、ふたりで図書館のまわりを慎重に見て回る。
この建物は学校ができた当時から補修と補強を重ねつつ、現在まで利用されている500年ものの歴史的遺物だ。
遠目には白亜の立派な建物だが、近くでよく見ると壁を塗りなおした跡がわかる。
特に何かを発見することなく、元の場所に戻ってきた。
クリスは見落としたものはなかっただろうかと思い返すが、やはり普段見慣れた光景しか浮かばない。
だがヴァンは少し思案気な表情をしたあと、ひとりでもう一度まわってくると言った。
「どうしたの?」
「違和感があるんだよね。どこって指摘できないから・・・こう・・・気持ち悪い。ちょっと行ってくるよ。ここを動かないように」
ヴァンはクリスの返答を待たずに、足早に行ってしまった。
月明かりに照らされて見つからないように、クリスはしゃがんで待つことにする。
しばらくするとヴァンが戻ってきた。
と思ったら、クリスにそのまま座っているように身振りで示してから、もう一周しに建物に沿って歩いていく。
「え・・・なんなの」
クリスは待っていることしかできないので、そわそわして落ち着かない気分に陥った。
ヴァンは最終的に5周も図書館の外側を見て回ると、ようやくクリスのもとに戻ってくる。
「やっと違和感のもとがわかったよ」
なにかを発見したらしいヴァンは、違和感が解消されてすっきりした表情をしている。
クリスは立ち上がりながら、ヴァンに続きを促した。
「建物じゃなくて、地面に原因があったんだよ。この場所から歩いて一周すると、ちょうど右斜めの方向が一番沈んでる」
「沈んでいる?」
「そうそう。地盤沈下してるんじゃないかな。遺跡の調査に行ったときにたまにあるんだよね、こういうことが」
地盤沈下は地面の下にある水脈などが枯渇したときに起こることが多い。
図書館が建ってから500年の間に、そういうことがあってもおかしくはなかった。
普通に通り過ぎるだけでは気づかないほど、わずかな凹みなのだろう。
「でも水脈が枯れてしまったのは昨日今日の話ではないと思うわ。ウンディーネがいなくなった時期とあわない」
ヴァンは首を振ってクリスの言葉を否定した。
「地盤沈下の原因は水脈がなくなること以外にもあるんだよ。特に遺跡みたいなところはね。―――地下通路だよ。長い間放置されていた地下通路の一部が崩れると、上の地面も崩落するんだ。この図書館はずいぶん古そうだし、遺跡みたいにそういうものがあるかもしれない」
「地下通路って・・・図書館で地下に降りる階段を見たことはないわよ。職員用のどこかからつながっているとしても、聞いたこともないわ」
長年冒険者をしているヴァンの言葉を疑ったわけではないが、クリスは驚いて絶句した。
「放置されすぎて、誰も気づいてないんじゃない?存在そのものが忘れ去られてるとか」
「・・・わからない。でも手がかりらしいものが他にないなら、調べてみたい」
「そう言うと思った。身代わりの彫像は持ってる?」
クリスは考えを見通されたことに赤面しながら、スカートのポケットを軽く叩いた。
「ここに入ってるわ」
「なら行こうか。俺が前。あんたは後ろ。いいね?」
「わかった」
先導するヴァンについて行きながら、クリスは今度こそウンディーネの行方がわかりますように、と心の中で何度目かの祈りを捧げた。