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ファンタジー、和風ファンタジー短編

マノコク

作者: 桂まゆ
掲載日:2011/04/07

 公園で、空き地で、いつまでも遊んでいた事はありませんか?

 日が落ちても、お母さんが迎えに来るまで遊び続けていた事はありませんか?

(ふるさと纏めて花一匁)

(箪笥、長持、どの子が欲しい?)

(あんたたち、いつまで遊んでんの? 早く帰りなさい)

(あの子が欲しい)

(あの子じゃわからん)

(逢魔が時なんだから。早く帰らないとひかれちゃうよ)

(鬼が来たぞ)

(それ、逃げろ!)

(いいかげんに、しなさい)

 迎えに来たお母さんに手を引かれて帰って行く、友達。長く伸びる、いつまでも手を振る影。

 ひとり、またひとりと去って行き、いつの間にか仲間はほんの数人になっていて。――それでも、遊ぶのをやめなかったことはありませんか?

 まるで、「今日」という時間を最後まで惜しむかのように。



 秋の宵はつるべ落とし。いっきに日がおちて暗くなる。

 美里は先を急いでいた。この地に移って初めて遠出をしてみたら、ついついこんな時間になってしまったのだ。

 西の方角を仰ぎ見ると、太陽が残照を残してビルの谷間に沈むところだった。

 早く帰らなければ。いや、最初から迎えを呼ぶべきだった。

 慣れない土地で、駅から家に帰るバスを間違えた。それぐらい、どうにでもなると思っていたのに――。

 沈み行く太陽を恨めしく眺め、美里は大きく息をつく。

 日が落ちる目に、家に帰る。それはずっと前からの習慣だ。きっと周りの大人たちに口をすっぱくして言われていたせいだと思う。

 日が落ちる時間。黄昏時は、「逢魔が時」とも言う。交通事故がもっとも多い時間だと言われている。

 だからだろう。「暗くなる前ににお家に帰らないと、車に轢かれる」と脅かされた。今でも日暮れ時に外を歩いていると、どうにも落ち着かない。

 バスを間違えた事に気づき、慌てて下車したものの元の場所に戻るバスはなかなか来ない。苛々とバスを待つ間、何気なく見渡した所にあった錆びた看板に、ふと目を引かれた。

 見たことがある。どこにでもあるようなものではなく、懐かしい時代から残されているような、朽ちた古い看板。

 もう一度見回した町並にも、郷愁を感じさせるものがあった。知っている場所のような気がする。そう、遠い遠い昔に……。

(ふるさとまとめてはないちもんめ)

 どこからか、そんな歌声がかすかに聞こえた。

 もう日が暮れるのに、遊んでいる子供がいるのだろうかと、美里は回りを見回す。

 だが、そんな影は見あたらない。小さく首をかしげると、

(たんすながもち、どの子が欲しい?)

 やはり、いる。

 「はないちもんめ」。美里にとっては、懐かしい遊びだ。仲間達が二つに分かれて、それぞれから子供を取り合うシンプルな遊び。この遊びはいつも、日暮れ前に行われていた。

 一緒に遊ぶ友達の数が多いと、絶対に終わらないから。ひとり、またひとりと減っていく時間に、皆で手を繋いで遊んでいた。

 いまの子も、そうなのだろうか。日暮れ時、数が減った友達と今日の締めくくりをしているのだろうか。

 そんな事を考えていると、不意に前方からオレンジ色の光が迫った。

 ヘッドライト? いや、その光の向こうに誰かがいる。手招きをしている。

 あれは、まさか。

(あの子が欲しい)

 ふらふらと、そちらに足を踏み出す。そんな美里の腕を何かが掴んだ。

 目の前にまばゆい光明が迫ると、腕が強く引かれる。

 そして――。



 目の前に広がる。青。

 あれは、海の色だろうか。そうだ、今年の夏は海水浴に行くって約束していたのに。行けなかった。

 ずっと楽しみにしていたのに。新しい水着まで用意してもらったのに。お兄ちゃんがまた、熱を出したんだ。肝心な時に、いつも熱をだすお兄ちゃん。

 仕方ないよね。お兄ちゃんは、病気なんだから。

 来年こそは、一緒に海に行こうって。元気になったらいっぱいいっぱい遊ぼうって約束していたのに、春になる前に死んじゃったんだ。

 くすんと、美里は鼻をすする。

 美里、本当はお兄ちゃんと一緒に遊びたかったんだよ。海にも一緒に行きたかったよ。

 でも、わがままは言わなかったよ。お兄ちゃんが死んじゃっても美里、あんまり泣かなかった。だってお母さんがずっと泣いていたんだもの。

 滲んだ涙を服の袖でぬぐう。青い色が霞んだ。

 小さな手。自分の手は、こんなに小さかっただろうか? それより、ここは?

 慌てて起きあがって、回りを見回す。そうして気づいた。海かと思っていた青い広がりは、空だった。綺麗な綺麗な、夢に見た海の色。エメラルドグリーンの空。

「ここ、何処?」

 美里が立つのは、だだっ広いだけの荒野だった。彼方には地平線が見えるだけで、何もない。そして、誰の姿も見えない。

 どきんと、胸が鳴る。

 どうして、こんな所に居るのだろう。今まで何をしていたっけ?

 少し前の事を思い出そうとしているのだが、美里の記憶はまるで霧の中にいるように霞んでいた。

 いつものように、お寺の階段の前で遊んでいた筈。そうだ、確か一緒に遊んでいた友達が、「秘密基地に行こう」って言い出して……。

 その子は何処に行ったのだろう。そして、誰だったのだろう。いつも側にいた子だった筈なのに、全然思い出せない。

「えーっと」

 美里は、とりあえず太陽を探してみた。西も東も解らないけど、太陽が真上にあったらお昼だという事ぐらいは知っている。だが、解らない。というか、ない。空は澄み渡ったエメラルドグリーン。そこに輝く太陽の姿がない。

「えーっと」

 こういう場合、どうしたら良いのだろう。

 ちょっと前なら、美里は泣き叫んでいた筈だ。「おかあさん」って。「おかあさん、助けて」って。

 もう、そんな事は出来ない。してはいけない。だってお母さんは哀しみで頭がいっぱいで。

 お兄ちゃんの事で頭がいっぱいで、美里の事まで、気にしていられないのだから。

 もう一度、回りを見回す。大丈夫、お母さんはいない。

 ――だったら。

 だったら、泣いていいよね?

 誰もいないなら、泣いていいよね? 寂しいって、言っていいよね? 一度そう思ってしまったら、もう止まらなかった。

 涙が後から後からこぼれて、大声を上げて美里は泣いた。

 泣いて、泣いて。何を叫んで、何を怒鳴っていたのかも覚えていないが、喉と目に焼けるような痛みを感じるようになった。

 ここが何処で、自分がどうなるかがわからなくても。それだけ泣いて騒いだのだと思うと、何故か気持ちがおさまった。

 その時だった。

「落ち着いた?」

 すぐ後ろで、そんな声がかけられた。慌てて振り返る。

 そこには、ひとりの少年が立っていた。年は十歳ぐらいだろうか? 淡い紫色の瞳が、とても印象的な男の子。

「こんにちは。こんばんは、かな? 美里」

 そう言って、にっこりと笑う。柔らかな、笑顔。

 美里はどきんとした。どうしてこの子は自分の名前を知っているのだろう。だが、少年に名前を呼ばれて、何故か心があたたかくなった。

 ずっと昔から、この声を知っているような気がした。

 紫色の目の男の子。そんな人、知っている訳がないのに。不思議に思いながらも、この有り得ない世界とそこに立つ少年をまじまじと見る。

「ここは、マノコク。どこから来なさった? 嬢ちゃん」

 続いて少年の背後から姿を現したのは、背中の曲がった老人。

「マノコク?」

 その名を口にすると、「魔の国」という文字が頭に浮かんだ。

「さよう、マノコク。当たっておるよ、嬢ちゃん」

 けらけらと笑う老人に、美里は気持ち悪さを覚える。

 当たっている? 「魔の国」が?

「むじな、美里が怖がるだろ?」

「おやおや。何も怖いことはないさね。ワシは歓迎しとるのだよ、嬢ちゃん。お前さんは、この世界を救ってくれる人間に違いないと思うておるからなぁ」

「勝手な事を言うなよ」

 少年が口を尖らせると、老人はひょいと首をすくめる。短い首がまるまった背中の中におさまると、何かの動物のようだと思う。

「人間が迷い込んで来るということは、つまりそういうこった」

 にやっと笑って、老人が続ける。

「すなわち、この世界を救うか、壊すか」

 おどろいて、美里が数歩尻込みをした。少年が、困ったように笑顔を浮かべて美里を見る。

「怖がらないで。むじなは別に悪いものじゃないから」

 その笑顔に少し安心すると、

「特に良いものでもないがなぁ」

「むじな!」

 ひょうひょうとした老人と、むきになる男の子。その様子がおかしくて、気がついた時には小さな笑い声が漏れていた。

 美里が笑うと、少年も安心したようだ。整ったおもてに、嬉しそうな笑みがこぼれた。

「ごめんね。変な事を言っちゃって。で、美里はどうしてここに来たの?」

 たちまち、楽しい気分がしぼんだ。さっきまでの不安に捕らわれる。

「わからないの」

 小さな声で告げて、少年を見上げる。

「あなたは誰? どうして私の名前を知っているの?」

 少年は困ったような、そしてどこか寂しそうな顔をした。

「ボクは、十夜。ここではそう呼ばれている。美里のことはずっとずっと前から知っているよ」

「私は、あなたを知らない」

 印象に残る薄紫色の瞳。そんな少年と一度でも会えば、覚えている筈だ。知らない筈、だけどどこか懐かしい不思議な少年。

「美里は小さかったからね。でもボクは覚えているよ。日が暮れるまでいつまでも遊んでいた。最後のひとりになるまで」

 美里が小さな頃、そんなことは日常茶飯事だった。友達がいるのに帰ってしまうのが勿体なくて、最後まで友達と遊んでいた。

 いつからだろう。日が暮れるのがとても恐ろしく思えるようになったのは。誰よりも先に、家に帰るようになったのは。

「ワシは、むじなとか呼ばれておるかのう。しかし、ちょっと困ったのう。嬢ちゃん、お前さんは人間だ。あいつらに悪さをされんとは限らん」

「むじな」

 たしなめる、十夜。

「あいつらって?」

 それでも気になったので美里が尋ねると、十夜は大きな溜息をついた。

「ここはマノコク」

 少年に代わって、むじなが声を張り上げる。

「人間の世界じゃあない。だが、嬢ちゃん。さっきも言ったように人間はこの世界を守る事も壊す事も、簡単に出来る。その力を持っているのだよ。もっとも――」

「十夜くんは?」

 さっきから二人は美里のことを「人間」と呼ぶ。だったら二人は何なのだろう。

「それにむじなさんも、人間じゃないの?」

 十夜とむじなは驚いたように目をあわせ、先ず、むじなが声を上げて笑った。

「これはまた、おかしなことを言う。嬢ちゃんには、ワシらは人間に見えるのか。長いこと、人の世に紛れた甲斐があったというものだ。ワシは人間と一緒にいて、そして人間に期待しておった。その坊主も似たようなものさね。ま、年期はちと違うがの」

 むじなにそう言われて、少年は何故かほっとしたように笑む。

「古びたバケモノに言われたくないよ。ボクたちは、人間じゃないけど美里の敵でもない。だからね、少しだけボクたちを信じて欲しいんだ。美里は、マノコクに迷い込んでしまった。だから帰らなければいけないのだけど――今は、その道がないんだ」

 言われた意味が解らない。

「迷い込んだのに、帰る道がないって、どういう意味?」

「見てごらん」

 と、十夜が手を広げて周囲を指し示す。

「ここには、何もない」

 さっきから美里の目に映る景色。二人ほど人が増えても、相変わらずの地平線が見える荒野ばかり。

「この世界が、力を失いつつあるんだよ。そのうち、消えてなくなるのだとみんな言っている」

「であるからして、嬢ちゃんを救いの一手だとワシが言うたが」

 誇らしげに告げるのは、むじな。

「どうして、私が?」

 こほんと、むじなが咳払いをする。

「いいかね、嬢ちゃん。この世界はとても脆い。滅びる時は、本当に早い」

「どうして?」

 綺麗なエメラルドグリーンの空、そこに太陽はない。広い広い荒野、そこに生きる筈の虫や小鳥の姿もない。

 考えてみたら、それはとても恐ろしい事のように思えた。

 そう思った瞬間に、エメラルドグリーンの空に陰りが出る。そこから、何か恐ろしいものがわき出すようで、美里は身を縮こめる。

「怖がっちゃ駄目だ」

 十夜が、美里の手を掴んだ。どきんと、胸が鳴る。

「怖がったら、ますます怖くなるだけだから」

 真摯な薄紫の瞳。人間ではないと言われたはずなのに、何故か懐かしい。彼は信じられるような気がした。

「ほら、こんなに簡単に人間はこの世界に干渉出来る。それなのに、この荒れようは何だと思う? 嬢ちゃん」

「解らない。きっとみんな、こんな世界の事なんか知らない」

 反射的に、そんな返事が出た。気がつくと、十夜もむじなもとても哀しい顔をした。それだけで、胸が痛い。

「知っていた子もいたよ」

 十夜がつぶやき、

「この世界に何もないのは、人間の心が荒んだせいなのだ。だからこそ、滅び行くこの世界を救うことが出来るのも、人間のみ」

 試すような視線を美里に向けるのは、むじな。居心地が悪く、逃げたくなってきた。

「嬢ちゃんが帰る道を造れるのも、人間のみ」

「私は、どうしたら良いの?」

「嬢ちゃんが決めると良いさ」

「むじな、それは」

 十夜が割って入る。むじなは、そんな十夜を軽く突き飛ばした。

「お前さんには答える事は許されておらんよ、坊主。嬢ちゃんが、自分の足で歩いて、見つけ出すしかないのだ。ただし、これだけは言っておくよ。人間はこの世界を変える力を持っておる。だがこの世界の住人の全てが、それを望んでおるとは限らん」

「どういう……」

「ボクもついて行くよ」

 再び、むじなを押し分けて前に出る、十夜。

「美里ひとりじゃ、心配だもの」

 むじなは、複雑な表情を浮かべた。笑顔と泣き顔のどちらともとれるような、少し寂しげな顔。

「おまえさんにとって、それが良いこととは限らんよ」

「どうしてさ? ボクは美里が困っているなら、守りたい。それが悪い事なの?」

 老人が小さく首を振る。美里には訳がわからない。ただ、知らない場所にひとりで残されるのはとても不安だったので、少年と一緒に行く事に決めた。

「解っているな。お前さんの名は十夜。それ以上は――ないぞ」

 十夜は一度だけ老人を振り返り、小さく頷いた。美里にはそれがどういう意味なのか知るよしもなかったが。



 マノコクでは、日が沈まない。太陽がないのだから、当たり前だ。

 その国を変える。救う。そして美里が帰る道を作り出す。それは、いくら考えても途方もない事だった。どうすれば良いのかなど、全く解らない。

「美里は、思うようにしていればいいよ」

 十夜が言う。

「昔と、同じように。たんぼでレンゲ草を集めたり、小川で石投げをしたりね。」

 十夜の話を聞いていると、かつて一緒に冒険をしていたような気分になるから不思議だ。レンゲの花冠をいっぱいつくった。誰も居ない小川で川遊びをした。

「田圃も、川面もここにはないわ」

 周りを見回し――変わり映えのない景色だったので――大きな溜息をつく。

「美里はいつも大勢の友達に囲まれていたね」

 そんな美里を懐かしそうに目を細めて身ながら、十夜が告げた。

 そうだった。でも、その友達の手を振りきった事もある。

 「もっと遊ぼう」という手を払いのけるようにして、走って家に帰った思い出。

 今まで、忘れていた。とても怖かった記憶。

 と。

 何かの気配を感じて、美里は周りを見回した。

「気づいた?」

 言われて、頷く。

 美里たちを見ているものがいる。ひとりやふたりではない。

「隠れているね」

 小声で告げると、十夜が頷く。

「うん。いっぱい居る」

「どうして、出てこないの?」

「ボクたちを警戒しているんだよ」

「どうして? 私が人間だから?」

 人間は、この世界を救うか壊すかどちらかだと、あの老人は言った。それは、本当の事なのだろう。

 こうして居るだけで、緊張が伝わって来る。

「私が、悪い人間じゃないって証明したらいいの?」

「少し、違うよ」

 と、十夜が言う。

「美里が、美里だっていう事が大切なんだ」

「どういう事?」

「ごめん。言えないんだ。そういう契約だから」

 そういえば、むじなも何か言っていたような気がする。十夜には、美里に告げられない秘密があるのだろう。そう、美里は自分の考えで行動して、自分の足で歩かなければならないとむじなは言っていた筈だ。

「どうする?」

「決まっているわ。みんな、私の事を見てる」

 すっと、美里がひとさしゆび指を頭の上に上げる。

「かくれんぼするもの、この指とーまれ!」

 そうだ。昔からそうやって遊んでいた。

 美里が声をかけると、次々と仲間が増えていったっけ。

 でも、今回は違った。誰も、乗って来ない。

「どうするの?」

 十夜の言葉に、美里はにっと笑って応える。

 指にとまらなくたってかまわない。だってみんなかくれんぼしたくてうずうずしているのだから。

「じゃあ、はじめるよ。最初は美里がオニだよ。絶対に見つけてやるんだから」

「あの、美里?」

「十夜くんも隠れて。一緒に遊ぼう」

 駆け出す。ほら、見つけた。

 大きな木のうろの中に、ひとり。

 木の葉の影にひとり。

 山肌に隠れてひとり。

 落とし穴を掘るのは卑怯だよ。

 そう、いつの間にかそこはいつか遊んだ事がある裏山になっていた。かくれんぼをする場所に最適だと、美里が望んだように。

「全員みつけた。じゃあ、もういっかい。かくれんぼするもの、この指とーまれ」

 今度は、みんなが寄って来る。

 尻尾が生えた子や、キツネのようにとんがった耳の子。頭にお皿があるあの子は河童だ。

「ねぇねぇ、今度は別の遊びをしようよ」

 そう言って、美里の手を取ったのは薄汚れた少年。なぜか、嫌な感じがした。

「知ってる? はないちもんめ」

「駄目だよ」

 十夜に手を引かれ、美里は風景が今までと違っている事に気づいた。夕暮れが迫っている。

 そうと気づいたら、いきなり身がすくむ。早く、帰らなきゃ。家にかえらなきゃ。

「みんな、もう時間だよ。早くお家に帰ろう」

「まだ遊びたいよ」

 さっきの男の子がさらに言う。

「美里と遊びたいよ。はないちもんめしようよ」

「それは駄目だよ。解ってるだろう?」

「十夜の、ケーチ」

 そう言いながら、散り散りに去っていく、子供の姿をしたもの。

「ちぇ。もう少しだったのに……」

 背後でそんな呟きが聞こえたので、驚いて振り返る。だが、そこには何も居なかった。

「危なかったね」

 と、十夜が言う。

「何が?」

「いや、いいんだ。美里はそれでいいんだ」

 何故かおかしそうに笑う、十夜。

「やっぱり、美里はすごいよ」

「私が、この世界にこの山を作ったの?」

 だだっ広いだけの荒野は、そこにはない。梢を鳴る風までが、遠い昔に聞いた音だった。

 日暮れに啼く鳥の声に、美里は身をすくませる。

「美里は、日暮れが怖いの?」

 言われて、恥ずかしく思いながらも頷く。

「でもね、それよりももっと怖かったの。さっきの子」

 手を出された瞬間に、ぞくっとした。どこかに連れて行かれるかと思った。

「一緒に遊んだお友達夜が怖いって思ったのは、生まれて初めてだったかも知れない」

「お友達か。一度遊んだだけで、美里にとってはお友達なんだね」

 細い指が、美里の髪にからまった。

「美里は、やっぱり変わらない」

 くしゃっと、髪の毛を捕まれる。どこか懐かしい感触。

「お家、帰らなきゃ」

「そうだね。じゃあ今日はボクの秘密基地に案内するよ」

 十夜が連れて来たのは、小さな小屋だった。

「私、ここ知ってる」

 小さな頃、遊び場代わりに使っていた家の裏の物置小屋。とっくに取り壊されたあの小屋と似ている。

「ボクに作れるのは、これぐらい。気に入ってもらえたかな?」

 力強く頷く、美里。力を入れすぎて、首が痛くなった程だ。

 夜になると、空には満天の星が輝いた。心に染みるほど、綺麗だと美里は思った。

「昔はね」

 と、星を見上げながら十夜が告げる。

「昔は、美里のような子が多くて。むじなみたいな奴ももっといっぱい居たんだよ」

 言われて、美里は吹き出す。

「何だよ」

「だって十夜くんって、むじなさんと同じような事言うんだもん。昔はだなんて……おじいさんみたい」

「ひどいな、美里は」

 そう言って、十夜も笑った。

 紫色の瞳が、少しだけ色を濃くしたような気がした。



 美里たちがこの世界を巡りはじめて、どれぐらいの時間が経っただろうか。何もなかったマノコクは、今では美里がかつて見知ったものに溢れている。

 山があって、川が流れている。川にはアメンボが跳ねていた。

 だが、まだ、出口は見えない。まだ、元の世界には戻れない。それでも良いかなと思い始めていた頃だった。

 美里はいつものように、人差し指を頭の上に上げる。

「鬼ごっこするもの、この指とまれ」

 何かが、ものすごい勢いで迫って来た。

 あれは――鬼! 力が欲しいと願った、マノコクの住人の姿。

「逃げて!」

 言われるまでもない。

 十夜に背中を押されて、美里が走る。

 怖かった。追ってくる、それたち。一緒に遊んでいた筈のそれたちが美里にはとても怖かった。

「どんどん、あいつらの力が強くなってきた。そろそろ潮時だ」

 マノコクの住民はとても純粋で可愛い子供達だったが、たまにものすごい力に目覚める者がいる。その者たちは皆、人間を憎んでいた。

 人間の持つ力を、手に入れたいと望んでいた。

「でも、まだ帰り方が解らないわ」

「本当に?」

 不審に思って十夜を見る、美里。十夜が、両手で周りを指し示す。

「これは、美里の世界だろう? だったら、帰れる場所がある筈だよ。美里が思い出せないだけで」

 告げる十夜の顔は、初めて会った時の幼さがないような気がする。

 二人でこのマノコクを旅するようになってから、もう既に九回目の夜を過ごしていた。

 一緒に、楽しく遊んだ。あまりに楽しくて、美里はいつか「帰る」ということすら忘れていたのかも知れない。

 この景色のどこかに、元の場所に戻る手がかりがある? だったら自分は一体、何を忘れているのだろう。

 まわりを、ゆっくりと見回す。行きすぎた景色。その中で無意識に見るまいとしていた場所があった事に気づく。

「階段」

 お寺に続く階段。

 そこを美里は何度も登った。

「知ってる? この階段ね。登る人によって数が違うんだよ」

「うん。知っているよ」

「美里、何度数えても一〇七だった。でも、たまに一〇六段だって言う子もいたわ。そして」

 ぞくりとした。

 嫌な事があったような気がする。そう。この階段で「一〇八」段目の石段を登ると、怖いことが起こるとか。

「数えてみようか」

 十夜が手を繋いでくれたので、ほっとして一緒に階段を登ってみる。

「いち、に」

 上りながら、数える。けっこう急な階段なので、息がきれる。

 だから、みんな数え間違えるのだろう。絶対に一〇七段なのに。

「ひゃくご、ひゃくろく、ひゃくなな」

 そこで、美里は立ち止まった。

 あと一段。一〇七段だった筈の階段なのに。

「ひゃく……」

 その美里の手を、十夜が取る。

「駄目だ」

「十夜くん?」

「行っちゃ駄目だ」

 ものすごい力で引き戻された。腕が痛い。

「どうしたの?」

「ボクは、知っていたんだ。美里の事をずっと見ている奴がいるのを」

 優しい筈の少年は、今はとても怖い顔をしていた。

「十夜くん?」

「だから、美里の代わりに登ったんだ。一〇八段目を」

 はっと気がついて、少年を見る。

 フラッシュバックする、景色。


 あれは、いつだっただろう。あかね色の空が、やがて濃紺に交わる時間。

 秋が深まり、木の葉が色づき始めた頃。

 友達と別れて、美里はひとりで「けんけんぱ」をして遊んでいた。けんけんをしながら階段の数を数えていた。

 正確には、数えていたわけではない。ただ、「けん」「けん」「ぱっ」で上がると、最後はいつも「けん」「けん」で終わるのに、その日は違っていた。「ぱっ」をする為の一段が残っているのだ。どこで間違えたんだろう。そんなことを思った時。

(美里)

 呼ばれて、見下ろす。

 病気がちでたいていお家に居る筈のお兄ちゃんが、そこに立っていた。

(迎えに来たよ。早く帰ろう)

 慌てて階段を下りたのに。お兄ちゃんはいなかった。何度も名前を呼んでも、お兄ちゃんはいなかった。

 とても怖くなって、走ってお家に帰ったのだ。お兄ちゃんが迎えに来たと思ったのは気のせいで、きっとお家で待っているののだと、信じて。

 美里を迎えたのは、始めて聞いた母の号泣の声だった。

(最後に、あの子はミサちゃんに会いに行ったんだね)

 美里を抱きしめてくれたのは、お婆ちゃん。

(いつも、言っていたものね。ミサちゃんと遊んであげられなくて、ミサちゃんはいつもひとりで遊んでいて、可哀想だって)

 ひとりなんかじゃなかったのに。いつも、沢山のお友達と遊んでいたのに……。


「美里だって、帰っても幸せになれないかも知れないじゃないか。だから」

 強く、腕が引かれる。

「美里が欲しい」

「駄目だよ」

 その手を、左手で叩いた。十夜の動きが、固まる。

「解っているでしょ?」

「それでも、ボクは」

 眼を見開き、美里を見る。

 薄紫の、あの綺麗な色ではない。赤い眼。それは、魔の色。

「そこまでだよ、坊主」

 なつかしい声が、二人の間に入って来た。

「言った筈だ。人間はこの世界を救うか壊すかどちらかだと」

 むじなと名乗る老人は、相変わらずひょうひょうと笑っている。

「あれから、時を数えて十の夜を迎えた。こうなってるだろうと思っていたよ。坊主」

 名を呼ばれて、少年は苦しそうに膝をついた。

「美里と一緒に遊んでいたい。ボクがずっと望んでいたのは、それだけだ。それがやっと叶ったのに」

「だから、お前さんのためにならないと言ったんじゃよ。ワシは」

 少年の目を覗き込み、老人が困ったような顔をした。

「染まりたくなければ、その子の側にいてはならん」

「染まる?」

 見上げる、十夜の目。綺麗な薄紫だったその目は今は赤い。

「魔物はとても純粋なものだ。だから、染まりやすい」

 ならば、純粋でないのは、美里の方なのだろうか。

「ボクは、人間だった時からずっと、ずっと美里と遊んでいたかった。魔物になったら、願いが叶うと思っていたのに」

「終わったことだよ。坊主。嬢ちゃんにとっても、お前さんにとっても。そうだろう?」

「解っているよ。でも、ボクは」

 魔物になった少年は、いつまでも少年のまま。では、自分はどうだったのだろうと美里は思う。

 この世界に来てから、美里はお腹を減らした事はない。お手洗いだって行っていない。

 ああ、そうか。

 頭の中にかかっていた靄が晴れたような気がした。

 ここは、マノコク。「魔の国」ではない、切り取られた時間だ。だから、美里は子供の姿をしているのだろう。

 だったら、帰らなければならない。美里には――きっと、待ってくれている人が居る筈だから。

「ふるさとまとめて、はないちもんめ」

 美里が、そっと呟いた。

 十夜が、むじなが美里を見る。

「あそぼう、ほら。二人とも手をつないで」


 遊びの締めは、いつも「はないちもんめ」。

 でも、美里の中でこの遊びがちゃんと終わったためしがなかった。

 何故ならば、最後に近づくといつもお婆ちゃんが迎えに来てくれたから。

(タンスながもち、どの子が欲しい?)

(美里ちゃんが欲しい)

 そういって差し出された手を、迎えに来たお婆ちゃんがぴしゃりと叩いた。

 残っていた子供達に、腰に両手をあてて言い聞かせた。

(子供は、日暮れにはお家に帰りなさい)

(でないと、引かれてしまうよ)

 そして、哀しそうな顔をして。

(お前も、早くお帰り。お母さんが心配しているから)

 と、美里に手を差し出した子に言った。

 ああ。どこかで見た子だと思っていたら、彼は去年の冬に流行病で死んでしまった男の子だ。

 あっちの子は、お耳がとがっているね。あの子は尻尾が隠せていない。

 お兄ちゃんも、どこかにいるのかな? 美里を心配して、見ているのかな? だったら、早くお家に帰らないといけないね。


 むじなと十夜が手をつなぐ。

 相手は二人。こちらはひとり。

「ふるさとまとめてはないちもんめ」

「たんすながもち、どの子が欲しい?」

「どの子もこの子も……そっちは嬢ちゃんしかいないじゃないか」

 「何を考えているのだか」と、むじなが呟く。

 そして、美里は見逃さなかった。十夜の唇が小さく動いたのを。

「十夜くん、聞こえない」

「……」

「もっと大きな声で! たんすながもちどの子が欲しい?」

「美里なんか、いらない!」

 目があった。

 赤い眼の少年は、泣いていた。涙がにじんで……その目が出会った頃のようなうす紫色にけぶる。

「ここはマノコク」

 しゃくり上げながら、告げる十夜。今では美里よりずっと幼い姿をしている。

「本当は、美里がいちゃいけない世界なんだ。解ってるけど」

 少年の顔をそっと撫でる。

「寂しかったらね、いつでも来てもいいんだよ」

「大丈夫。美里には家族がいっぱいいるからね」

 ここは、マノコク。純粋な心を持つ、魔物たちが生きる、幻の国。



 迫る、ヘッドライト。誰かの手が美里の腕を強く引いた。よろめいた身体を、もう片方の手が支える。

「危ないだろうが、ばあさん!」

 低い声で怒鳴られて驚いて振り返ると、それは若い男だった。

 美里は何が起こったのかも解らず、男をまじまじと見上げた。ズボンをずらして履き、シャツはしわくちゃ。いつもの美里なら「だらしない」と評する格好をした、若い男。

 男はふんと鼻を鳴らすと、美里の手を放した。

「なんだよ、余計なお世話ってか。じゃあな」

「待って」

 男が立ち止まった。

「どうもありがとうね、お兄さん」

 振り返った男は、照れくさそうに笑うとまた前に向き直り右手を挙げた。

 立ち去る男にこちらも右手を挙げ、やがて降ろす。節ばった指。皺だらけの手の甲。

 今まで、自分は何をしていたのだろう。歩きながら、夢でも見ていたのだろうか。

 マノコクと呼ばれる場所に迷い込み、少年と出会った。あの少年は――。

 美里の側に、彼はいない。小さく首を振り、改めて周りを見回すと、バスを乗り違えて来てしまったそこは、やはり見知った場所だった。

 そう、五十年近く前に住んでいた街だ。この道をまっすぐに行くと、お寺に続く階段がある筈。そうだ、その傍らには確か……。

 記憶に残る通り、そこには公衆電話があった。最近ではみかける事がめっきり減ってしまったそれを使って、家族に連絡をする。案の定、同居を始めたばかりの嫁が半狂乱になって「どこに居るんですか」と聞いて来た。

 引き取ったばかりのおばあちゃんが帰って来ない。家出だろうかとか、大騒ぎをしていたに違いない。あの嫁は慌て者だから。

 電話を切り、迎えが来るのを待つ間、そのあたりを少し歩いて見る。やはり、六十年前と同じとはいかない。新しい家が増え、仲間達と遊んでいた空き地はコンビニエンスストアに変わっていた。

 あまり離れたら、また迷子になるかもしれない。元の場所に戻り、ふと階段を見上げる。その上に誰かが立っているような気がした。美里をじっと見下ろしているようだったので、そっと目をそらす。

(ふるさと纏めて花一匁)

 遠くで、そんな歌声が聞こえた。

 美里は、二度と答えない。昔のように指を上げて「はないちもんめする人、この指止まれ」とは言わない。

(箪笥長持 どの子が欲しい?)

 あの国で出会った少年が、幼い頃に死んだ兄だったのかどうか、確かめる術もない。

「だって、もう終わった事なのだから」

 口に出して呟くと、胸の奥にかすかに痛みが走る。

 むじなと名乗った老人が行ったとおりだ。家族を亡くし、泣いていた少女はもう居ない。

 あの頃よりももっと大勢の家族に囲まれ、美里は生きている。



 逢魔が時。

 暗がりの中に、見覚えのある姿がある。だが、それはおそらく人ではない。

 だから、どんなに懐かしい人に思えても、「誰そ? 彼は?」と問いかけてはならない。引かれてしまうから。

 遠い憧憬と幼い恐怖が混じった、あの世界へ。


                   《了》

この作品は、覆面を被って作品を投稿して、作者を当てる。

いわば、「覆面企画」。「仮面舞踏会」に出品されたものです。

まぁ、その時とその後の私のコンディションの都合上、こちらでは今の投稿になったわけですが。


ぶっちゃけ、身バレ率がトップでした。

書いていた作品をボツにして、最初から考え直し、

黄昏、逢魔が時と連想して「よし。ありがちな話を書こう。きっと誰かとだぶって、私とは気づかれまい。ほーっほほほ」と新字ながら書いた物語。

「和風ファンタジー」が、どうもいけなかったようです。(苦笑)

今からでも、主人公たちをミーシャとトーヤにしたろうか?

と、こちらに投稿する時に思ったのですが。

全体に漂う和風色が、やっぱり自分の作品だと今になって納得しました。


読んで頂きまして、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 和風ファンタジーは雰囲気さえつかめれば上手くいくんですよね。その点では、この作品は雰囲気満点ですので、それだけで読んも面白いと思います。なにより冒頭の歌の部分ですっかり物語に引き込まれてしま…
[一言] なるほど…。 和風ファンタジー…。 いいですね! ノスタルジックな冒頭から引き込まれていきます。 “マノコク”へ迷い込んだのが実際の子供ではなく、おばあちゃんの中の“子供の頃の記憶”だった…
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