第一話 お母さんは迷宮です
俺が生まれたとき、最初に聞いたのは産声ではなかった。
『……目を開けたわね』
低く、広く、どこまでも響く声だった。
天井が高い。いや、天井というより岩盤だ。
視界いっぱいに広がるのは青白く発光する巨大な結晶体。
そしてその周囲を囲む、明らかに危険な魔物たち。
スライム。ゴーレム。リッチ。
おまけに、奥の方ではドラゴンが丸まっている。
――いや待て。
(ここどこだよ!?)
だが俺の口から出たのは、情けない泣き声だけだった。
『大丈夫よ。ママが守るわ』
……ママ?
俺は五歳になった今でも、そのときのことをはっきり覚えている。
なぜなら俺は転生者だからだ。
前世は平凡な会社員。
気づいたら赤ん坊になっていて、気づいたら迷宮の最深部にいた。
そして。
「ママ、今日もトラップ解除?」
俺が壁に手を当てると、迷宮全体がわずかに震える。
『ええ。基礎は大事よ』
そう、俺の母親は――
世界最強クラスのダンジョンである。
◇
本来ダンジョンとは、人間を試し、魔力を集める侵略装置だ。
自我を持つ個体は極めて稀。
その中でも“最上位”と呼ばれる迷宮は国家級戦力と同等。
だがその最強個体が、なぜか俺を育てている。
理由は知らない。
聞いても『運命よ』としか返ってこない。
「はいユウト様」
無言のスライムが俺の頭に乗る。
乳母ポジションだ。やたら優しい。
ゴーレムが不器用に俺を肩へ乗せる。
「おろして。歩けるから」
だがゴーレムは無言で首を横に振る。
過保護その一。
リッチが骸骨顔で本を差し出してくる。
「本日の教材は『効率的な殲滅理論』です」
「いらないよ! もっと普通の算数とかないの!?」
「敵を十体、味方を三体失った場合――」
「算数の方向性が物騒なんだよ!」
奥でドラゴンが目を開ける。
「泣かせたか?」
「泣いてない!」
こいつら全員、戦力だけなら王国を滅ぼせる。
なのにやっていることは保育園だ。
◇
「ママ」
『なあに?』
「外、見てみたい」
その瞬間、迷宮が凍りついた。
遠くで岩盤がきしむ。
『外は危ないわ』
「普通の村でいいんだよ? 散歩とか」
『……』
嫌な沈黙。
翌朝。
第一層が村になっていた。
「違う、そうじゃない」
畑。井戸。パン屋。犬。
しかも村人(幻影)付き。
「ユウトくんはすごいね!」
「天才だ!」
「パン食べる?」
「誰だお前ら!」
『褒めて伸ばすのが良いらしいわ』
「どこ情報!?」
『昨日侵入してきた冒険者』
情報源が雑すぎる。
その頃、外では冒険者たちが叫んでいた。
「迷宮の構造が変わったぞ!」
「なんで入口から村なんだ!?」
ボス部屋前には立て札。
【本日、息子の社会科見学中】
「意味がわからん!」
俺はため息をつく。
「ママ。本物が見たいんだ」
少しの沈黙。
迷宮全体が、わずかに震える。
『怪我しない?』
「しない」
『泣かない?』
「泣かない」
『……三分以内よ?』
「短い!」
だが。
重たい音を立てて、迷宮の入口がわずかに開く。
外の光が差し込む。
風が頬を撫でる。
はじめての“本物”。
『いってらっしゃい』
その声は、いつもより少し小さかった。
「すぐ帰るよ」
俺が一歩外へ出ると、迷宮全体が地震のように揺れた。
『五分に延長するわ』
「増えた!」
ドラゴンが遠くで号泣し、火山が噴きかける。
「だから燃やすな!」
こうして俺は知った。
世界最強ダンジョンの唯一の弱点は――
息子である俺だということを。
そしてそれは、たぶん。
悪くない。




