ビワハクへ行こう!(6)
俺が南羽さんに出会ったのは、とあるサークルの新入生歓迎会だった。
学部のオリエンテーションを終えて帰路につこうかと考えていたとき、後ろから声をかけられた。振り向くと、ひとりの男性が立っていた。黒髪の内側から、ところどころオレンジ色の髪の束が見え隠れしている。インナーカラー、とかいうやつか。初めて見たけど、結構派手だな。
「キミ、旅行って好き?」
派手髪の男性はそう言いながら、A5サイズぐらいのビラを差し出す。左手に同じビラの束を抱えているところを見るに、ここを通る新入生に片っ端から渡しているのだろう。
「えと・・・・・・はい、まあ」
俺のあいまいな返事に、彼の表情が明るくなる。「それはよかった!」と、白い歯を見せて笑う。
「今日このあと新歓やるから、良かったら来てよ」
俺の手にビラを握らせると、それだけ言い残して去っていく。他にもまばらに歩いている新入生のところへ駆け寄っては、同じように話しかけている。
俺はビラに視線を移した。手書きで勢いのあるイラストと、いちばん大きく書かれた『れとりっぷ』という文字が目に付く。
ええと、活動内容は・・・・・・
ちょっと違うかもしれない。
旅行サークル『れとりっぷ』の新歓は、学部校舎からグラウンドへと続く途中にある建物で行われていた。『サークル棟』と呼ばれるその建物は、1階部分に壁のないピロティ構造になっていて、2階に各サークルの部室があるらしかった。
しとしと降り出した雨が、さきほどから地面を濡らしている。ピロティは屋根代わりにもなるので、こういう新歓イベントや、サークルの活動でよく使われるのだと、名前も知らない先輩が教えてくれた。
先輩や、同じく新入生と思われる何人かと適当に喋って、俺は今、隅の壁際に立っていた。電話がかかってきたふりをして、会話から抜けてきたのである。
旅行は好きか。ビラをもらったときはとっさにあいまいな返事をしてしまったが、結論から言うとイエスだ。
ただし、俺が好むのは主にひとり旅もしくは少人数の旅だった。もともと大勢の他人と一緒にいるのは得意ではないし、行き先も、美術館やちょっとした山や田舎など、あまりにぎやかでない場所の方が好きだった。
旅行サークルというのがどんなものなのか少し興味があったので来てみたが、さきほど話した先輩いわく、『みんなでワイワイ楽しく旅しよう』がこのサークルのモットーらしい。そしてこの場にいるほとんどが、そういう空気が好きそうな人ばかりに見える。
そうであれば、ちょっと・・・・・・いや、かなり俺にとっては負担が大きい。主にメンタル的な意味で。
これまでどおり、ひっそりと旅を楽しむのが、俺にとってはちょうどいい。
雨もやんだので、近くにいた先輩にひとこと声をかけ、俺は新歓の場をあとにした。アルコールは出されていないはずだが、先輩たちはとても陽気に盛り上がっていた。
帰る前に、サークル棟のそばにあるトイレで手を洗おうと、入り口近くに足を踏み入れたときだった。ちょうど中から出ようとして来た人とぶつかりそうになった。
「・・・・・・っと。すみません」
「いえ、こちらこそ——」
相手も驚いたように立ち止まり、うつむいていた顔を上げる。
女の子だった。日に当たって茶色っぽく見えるつややかな髪ときれいな肌に、全体的に洗練された都会的な印象を受ける。
この人、たしか・・・・・・。さきほど新歓の場で見た景色がよみがえる。
少し離れた場所で、彼女は男性数人に囲まれて話していた。彼女の隣には、あの派手髪の先輩がいて、熱心に彼女を勧誘しているように見えた。会話はよく聞こえなかったが、遠慮がちな仕草や表情から、彼女もおそらく新入生なんだろうと思った。
顔を上げて俺と目が合った彼女は、はっとしたような表情を浮かべる。
なにやら訴えるような目でこちらを見て、何か言いたげに口元を震わせた。
「あ、あの!」
彼女が意を決したように口を開く。続く言葉に、俺は耳を疑った。
「その・・・・・・ふ、ふたりで、抜け出しませんか?」
時間にしてほんの数秒のことだったと思うが、俺たちの間には何とも言えない空気が流れた。
俺は内心驚いていた。俺でなくても、普通はそうだと思う。
こういう時たいていの人は、目を丸くするとか、聞き返すとか、何かしらのリアクションをとるのだろう。でも多分今の俺は、ただただ無表情だったんだろうと思う。女の子はわたわたと慌てた様子で、取り繕うように言葉を続けた。
「あ、あの、ごめんなさい! 変な意味じゃなくって、えっと、その・・・・・・さっきの場所に、戻りたくなくて・・・・・・」
最後のほうの言葉を言うとき、少しだけ申し訳なさそうな表情になる。
それを見て、愛想笑いを浮かべる彼女の姿と、彼女を取り囲んでいた男性たちの顔が思い浮かぶ。『さっきの場所』とはおそらく彼らがいる場のことを言っているのだろう。
俺は改めて目の前の女の子を見た。彼女は恥ずかしさからか、必死さからか、その色白の頬を真っ赤に染めて、目を伏せている。
変な意味じゃないってのは、ほんとにそうなんだろう。純粋そうな彼女の口から飛び出す、控えめな、それでいてあまりにも大胆な誘い文句。
――きっと、おもしろい人だ。
彼女のことは何も知らないが、なんとなく、そう思った。
俺はなるべくやわらかく聞こえるように返事した。
「いいですよ」
「え?」
彼女がぽかんと口を開けて俺を見上げる。そんな彼女に俺は続けた。
「どこか行きたい所、ありますか?」
これが、俺と彼女――南羽ひなたさん――の出会いだった。




