伝えたかった思い(3)
俺の肘の辺りをつかむと、彼女の方を見たスタッフに向かって続ける。その声には必死さと迷いとが入り交じっていた。
「わ、私とこの人、友達なんで・・・・・・一緒の部屋でいいです!」
「え」
「え」
俺もスタッフも虚をつかれたように同じ反応になる。ちらっとスタッフに目をやると彼もこちらを見ていて、その顔には、「いいんですか」と書かれていた。
いいんですか、と言われてもだな・・・・・・。
南羽さんの意図も、気持ちも理解できる。今朝聞いたとおり、彼女の予約した部屋は4人が泊まれる部屋で、広さに問題はない。俺が彼女と同じ部屋に泊まれば、シングルの部屋に空きが出る。そうすればこの親子が冷たい夜の街をさまようこともなくなり、彼女らを助けられる。南羽さんはきっとそう考えている。
だとしても、だ。それはきっとベストな方法とは言えない。かと言って代案があるわけでもないが・・・・・・。
気がつくと、その場にいる人の注目が俺に集まっていた。スタッフと子連れ客が心配そうな顔でこちらを見ている。そして、当の南羽さんは何かを訴えるような、すがるような目をしている。
わかっている。俺がひとこと、うんと言えばこの場は丸く収まる。心の中でだけ深く息を吐き出して、俺は彼女を尊重することにした。
「南羽さんがよければ」
絞り出すような俺の言葉に、フロントスタッフと子連れ客の顔が、一気に安堵した表情に変わった。
何度もお礼を言う女性に向かって、南羽さんは満面の笑みを浮かべている。その顔に後悔の色はない。
そう、南羽さんはこういう人なのだ。
俺の決断にブレーキをかけていた世間体は、南羽さんの純粋な親切心の前には無力だった。
「思ったより広ーい! あ、窓おっきい! 景色がよく見えそう」
部屋に入って荷物を置くと、南羽さんがパタパタと部屋の一角に駆け寄った。通されたのは角部屋なのか特別な造りのようで、角部分も含めた全面が窓ガラスになっていた。
今は夜で、部屋の中が反射している以外に何も見えないが、朝になれば市街地を広く一望できそうだ。
「ここ、露天風呂があるみたいですよ。早速行きますか」
分類上はビジネスホテルだが、最上階に大浴場が完備されているのがウリらしい。
「お、あった。タオル、ここ置いときますね」
押し入れから取り出したタオル類を、座卓の端に置く。
「ルームウェア、浴衣なんだ。可愛い花柄~」
南羽さんが、タオルと一緒に置かれていた浴衣を広げて嬉しそうにする。
俺も青っぽい色の浴衣を手に取り、障子の陰で手早く着替えを済ませた。ゴソゴソとお風呂セットを準備している南羽さんに声をかける。
「俺、先に行ってますね」
「え、なんで。一緒に行こうよ」
「いや、だって・・・・・・」
南羽さんのまっすぐな瞳が俺を見る。後ろめたいことなど何もないのに、なぜか言葉が尻すぼみになる。
「着替えとか、落ち着いてしたいでしょ」
彼女が一瞬だけ息を止めた気がした。何かに気を取られているようにじっと一点を見つめている。
「南羽さん?」
「――あ、ごめん。なんでもない。じゃあ、部屋の外で待ってて。準備してすぐ行くから」
南羽さんは我に返ったようにそう言うと、すぐに元の表情に戻った。俺は彼女の言うとおり部屋の外で待ち、着替えを終えて出てきた彼女と並んでエレベーターホールへと向かった。
エレベーターが静かに動き、表示される階数が増えていくのをぼんやりと眺めていた。その間、俺たちの間に会話はなかった。入口前でわかれる時も南羽さんはどこか思い詰めたような表情で、足早に脱衣所へと入っていった。
30分ほどで入浴を終えた俺は、入口横のベンチに腰を下ろした。おそらく南羽さんはまだ出てきていないだろうし、なんとなく彼女の様子が気になったから、休憩も兼ねてそのまま待つことにした。
予想どおり、それから30分ほどして、南羽さんが中から出てきた。俺を見て分かりやすく驚いた顔になる。
「もしかして、待っててくれたの」
「いえ、俺も今出てきたとこなんで」
俺は少しだけ嘘をついて、ベンチから立ち上がった。
部屋への道中も、彼女は浮かない顔をしていた。いいお湯でしたねとか朝食が楽しみですねとか話題を振ってみても、返ってくる言葉に覇気がない。
うつむく彼女の顔は赤く火照っていた。風呂上がりだからと思っていたが、一緒に布団を敷きながら時折鼻をすする南羽さんを見ていて、俺は思い出した。
そういえば、彼女は今朝から風邪気味だったのだ。一日中あちこち移動して回って、普段以上に疲労が溜まっていたのだろう。だとすれば、元気がないのもうなずける。俺は自分が楽しむのに夢中で、南羽さんの体調の変化に気づけていなかったのかもしれない。
「・・・・・・すみません、ちょっと飲み物買ってきます」
俺はつぶやいて、エレベーターホール横にある自販機へと向かって部屋を出た。




