異性の友達(4)
歩くよりも少し早いスピードで、体を前へと押し出す。
走りながら、今後の南羽さんとの関係性について、ぐるぐると思考を巡らせた。
ふたりで食事をしたり一緒に出掛けたり、そういうことは今後は控えた方がいいだろう。恋人のいる女性のそばに、近しい距離の別の男性がいる。悪いことではなくとも少しいびつに思えるし、多くの人から好奇の目で見られるだろうということぐらいは、男女間のあれこれに疎い俺にも分かる。
当人たちが了承済みでも、外野が勝手に盛り上がって、浮気だのなんだのとあること無いこと吹聴され、誤解やトラブルの原因になりかねない。そんなのに巻き込まれるのはゴメンだ。なにより、南羽さんを困らせることになるのは目に見えている。南羽さんが傷つき、悲しい思いすることだけは、絶対にいやだ。
それに、南羽さんに恋人という存在ができた以上、もう俺と南羽さんだけの問題ではなくなっているのだ。『俺と南羽さんがどうありたいか』、それだけを考えていればいいという単純な話ではない。
『彼氏持ちの女の子と、ふたりで出掛けるし電話もするし、部屋に来て手料理も振る舞ってもらいまーす! あ、でも何もありませんよ。俺たち、友達なんで!』
仮に事実でも、そんな言い分、通用するだろうか。
『だから俺たちの関係性に文句はつけないでくださいね!』
そんなことは、なおさら言えない。
求めるならば、何らかの対価か代償を支払わねばならない。
つまり、南羽さんとこれまでどおりの関係を続けたいのなら、それによって被る不利益――他人の噂や誤解――を受け止める覚悟でいなくてはならない、ということだ。
それができないというのであれば、あるいは。
冷静に考えて、南羽さんと距離を置くことが最善の方法で、それが俺にできる責任の取り方だと思う。
頭では、そう割り切っているはずだった。
それなのに、俺はどうにももやもやしていた。
水の中に潜っていて、上へ向かっていくら泳いでも、いつまでも水面が近づいてこないかのような。視界がいつまでもゆらゆらと波打ってはっきりしない、あの感じ。そんな息苦しさともどかしさを俺は感じていた。
息苦しさは、ずっと走り続けていたからだろうか。少し速度をゆるめると、自分の息づかいが早くなっているのが聞こえてきて、肩や脇腹のあたりが鈍く脈打つのにも気が付いた。
俺は近くにあったベンチに腰を下ろした。空は低く、相変わらず厚い灰色に覆われている。
どれぐらい走っただろう。時間を確認しようとスマホの画面を立ち上げると、メッセージアプリに通知が来ているのが目に入った。反射的にタップする。もしかしてと抱いていた淡い期待は外れ、最近登録したカフェの宣伝メッセージだった。
俺はぼんやりと通知の一覧を眺めた。いちばんやり取りしているのは、もちろん南羽さんだ。なんとなく彼女とのトークルームを開き、最近送られてきた写真をタップした。学園祭の準備中の写真だった。指を右へとスワイプすると、写真がどんどん切り替わっていく。今まで、彼女が撮影して送ってくれた写真だ。
俺の誕生日を祝ってくれたときのケーキとカレー、俺の部屋から見た風景、いろんな店のラーメン、彼女の地元の海、空港で見た飛行機、中華街のパンダ、何気なくとれた空や野良ネコの写真、彼女が友達と出かけたときの写真、琵琶湖博物館のオオサンショウウオ、そして、また一緒に行きたいねと話していた場所の写真・・・・・・
この画像たちも、彼女とのいままでのやり取りも、消さないといけなくなるかもしれない。南羽さんは構わないと言うだろうが、彼氏の方が消せと言ったら、俺に拒否する権利はない。
「消したくねー・・・・・・」
吐く息に混じるようにして、言葉がこぼれた-
同時に、そうか、と自分の中ですとんと納得がいった感覚があった。
水中からようやく顔を出せて、視界がクリアになっていくような感覚。
そうだ。俺は、寂しかったんだ。
俺と南羽さんの性別が同じだったら、今までと同じ関係性でい続けられただろう。
もし俺が女性だったら? あるいは南羽さんが男性だったら?
仮にどちらかに恋人ができたとしても、俺と南羽さんは『いちばん近い友達』でい続けられる。
でも、実際は違う。南羽さんは女性で、俺は男だ。
性別が違うという、ただそれだけのことで、俺と南羽さんは『いちばん遠い友達』になってしまう。
俺と彼女の間に深い川が流れていて、姿は見えているのに、もう手を伸ばすことができない。彼女とそんな関係性になることがどうしようもなく、耐え難くて痛かったのだ。
ポタ、とスマホの画面に水滴が落ちてきた。
頭上の雲が降らす細い雨が、いつからか髪の毛を濡らしていて、その滴が落ちたようだった。
スマホをポケットに突っ込んで、来た道を引き返す。
ほほをかすめる空気は冷たく、肺の中にとどまり続ける鉛のように、ずしんと重たかった。
帰宅するなり、濡れた衣類を洗濯機へ放り入れ、風呂場へと飛び込んだ。しばらく熱いシャワーを浴びていると、徐々に考えがはっきりしてきた。
あの時。南羽さんが初めて俺の部屋へ来ることになった時。ずっと誰かに見られている感覚があったが、その『誰か』とはきっと、俺自身のことだったのだと思う。
俺はずっとこころのどこかで、俺と南羽さんの関係性に疑問を持ち続け、そのくせ向き合うことを先送りにしていた。そんな自分を肯定も否定もせず傍観していたのは、答えを出すことで南羽さんとの関係が変わってしまうのが怖かったからだ。
でも、彼女に恋人ができた今、もう見て見ぬふりはできなかった。
俺は、舞台に無理矢理引っ張り出された役者のように、その場にふさわしい振る舞いをしなければならなくなった。
無関心な観客のままではもう、いられない。




