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異性の友達(3)


 そういえば、学園祭の準備で忙しくて、最近会っていないな――そんなことを思いながら、つい南羽さんの姿を目で追った。ぼんやりと彼女を見つめる俺の視界の端で、男性の影が動くのが見えた。

 あ、と思った瞬間、男性が胸の前で大きく手を広げ――南羽さんを、抱きしめた。

 ドクン、と心臓が跳ねた気がした。世界が突然スローモーションになり、これ以上見てはいけないと思う反面、見なければいけないという感覚が、俺の中に同居していた。足が、まるで地面と一体になったかのようにびくともしない。呼吸しているはずなのに、酸素が体内を行き渡っていないかのように、手足の感覚が遠のいていく気がする。にもかかわらず、視界だけは妙にクリアで、ふたりがすぐ目の前にいるかのような錯覚に陥った。

 目を逸らせずにいる俺の視線の先で、男性の腕に包まれていた南羽さんが、彼の背中に手を回した。ぎこちなく、でも、彼の仕草に応えるようにしっかりと。


「まっきー?」


 その声で、俺はハッと我に返った。金縛りがとけたように、そこでやっと体の自由を取り戻せたような感覚になる。

 俺がついてこないことに気付いた先輩が、不思議そうな顔で俺を見ていた。


「どしたー? なんかおもろいもんでもあった?」

「あ、すみません」


 俺はやっと動くようになった足で無理矢理地面を蹴って、先輩の後を追った。


「もしかして、疲れてる? ここんとこ連日作業だからねぇ」


 ふあぁ、とあくびをしながら先輩が言う。


「いえ、大丈夫・・・・・・です」


 そう答えたが、その声は驚くほど力なく、階段を1段飛ばしで勢いよく駆け上がった後のような息苦しさと、言いようのない疲労感が全身を覆っていた。


 この日も作業は夕方遅くまであった。帰り際に食事に誘われたが食欲がなかったので、適当な理由を言って早々に家路についた。

 シャワーを浴びて、電気も点けずにベッドに倒れ込む。疲れのせいか、体が重い。まぶたを閉じると、今日見た光景がまざまざとよみがえってくる。

 考えたくない。はやく寝てしまいたい。枕に顔をうずめるようにして、閉じた目元にぎゅっと力を入れた。


 翌日、目が覚めた時には、すでに昼をまわっていた。のどがカラカラに渇いていた。のろのろとキッチンへ向かい、コップに汲んだ水を飲み干す。そこで初めて、ひどく空腹であることに気がついた。丸1日近く何も食べていない体へ、適当に食材を与える。正直、味は分からなかったが、何かをしていないと雑念が心を浸食していく気がして、その隙間を埋めるように食べ物を口へ運んだ。


 静かな部屋で、ソファに横になる。外は雨が降っているようで、サラサラという音が窓の向こうから聞こえてくる。閉めきったカーテンを開ける気力すらわかず、俺は何もない真っ白な天井を見つめていた。

 あれだけ寝たはずなのに、気がつくとまた眠っていた。眠れるのは体力がある証拠とは言うが、そのくせ、疲労感はありありと残っているのだから、始末に負えない。ずるずると体を引きずるようにして窓辺に近寄り、カーテンの隙間から外をのぞいてみた。雨は上がっているようだった。


 気晴らしに少し、外にでかけてみようか。


 アパート前の道を上がり丸太町通りを東へ行くと、京都御所がある。地下鉄一駅分がゆうにおさまる敷地で、東西にも南北にもたいへん広大な土地である。花見の時期に南羽さんと行ったことがあるが、余裕で半日過ごせたほどだ。塀の中をぐるりと周遊することができるので、散歩やジョギングをするにもうってつけの場所だった。

 動ける格好に着替えて家を出る。雨上がりのひんやりとした風がジャージを通り抜けて来るのを感じつつ、道に沿って歩き出した。


 京都御所の門を過ぎ、軽くストレッチをしながら俺はまた考えていた。

 昨日見たのは南羽さんで間違いない。そして、彼女を抱きしめていた男性、あれは南羽さんの彼氏だろう。それもきっと、間違いない。

 あの光景を目の当たりにした時に抱いた感情を、今でも鮮明に思い出すことができる。それは、こぼれたペンキがどくどくと流れ出していくように、じわじわと俺の心に広がっていった。


 俺はこの感情の名前を、知っている。


 そう、これはきっと、嫌悪だ。たぶん、小さな子どもがおもちゃを誰かにとられたときに抱く感覚に似ている。自分だけの大切なものだと思っていたものを、他人に不用意に触られていることに対する、不快感。南羽さんに彼氏がいるという事実を、俺は信じたくなかった。拒絶したかった。


 多くの人はこの感情を『独占欲』だとか『嫉妬』だと表現するのだろう。

 それは否定しない。否定しないが、俺の場合、その言葉に恋愛的なニュアンスは含まれていない。

 俺は南羽さんのことが好きで、大切だ。でもそれは恋愛的な意味ではない。

 仮に俺が南羽さんのことをそういう意味で好きなのだとすれば、中華街で彼女と手を繋いだとき、俺の気分はもっと高揚しただろうし、南羽さんの『ドキドキしない』という言葉に落胆していただろう。あの時俺は彼女の言葉に落ち込むどころか共感し、その上安堵にも似た喜びを感じていた。

 だから、俺は彼女に対して恋愛感情を持っていないし、俺のこのネガティブな感情は、俺が南羽さんに抱く恋慕の情が届かなかった結果生まれたものではない。


 でも。だとすれば、どうしてこんなにも虚しいと感じるのだろうか。

 その答えが、分からない。分からないまま、俺は答えを求めるように走り出した。

 雨上がりの視界は澄んでいるのに、まるで俺だけが霧の中に立っているような思いだった。


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