新人アルバイター、真北くん(5)
「・・・・・・と、いうわけでですね」
《なかなか、厳しい世の中だねぇ~》
電話の向こうで、南羽さんがしみじみとつぶやいた。
とある週末、いつものように南羽さんと電話をしていた俺は、彼女の『そういえば、バイトの方は順調?』という質問に答えていて——立て続けに起こった失敗談を、赤裸々に語ってしまった。
プールで女の子を怖がらせてしまったこと、熱中症気味でダウンしてしまったこと、寝坊した上任されていた約束を忘れてしまったこと、運良く同級生に助けてもらったこと——。
南羽さんは話を遮ることも茶化すこともなく、ただ聞いてくれていた。時折挟まれる相づちが心地よくて、思わず言葉がこぼれる。ひとしきり話し終えてから、一方的に喋りすぎてしまったのではないかと急に不安になった俺は、慌てて話題を振った。
「南羽さんこそ、地元はどうですか」
《え、あぁ・・・・・・うん、楽しいよ、すごく。実家のありがたみがわかるし、住み慣れた町って、やっぱり安心するね。自分で思ってた以上に、私ここが好きだったんだなって思うよ》
南羽さんが落ち着いた口調で言った。でもすぐに、その口ぶりが少し不満げなものになる。
《ラーメン屋さんが少ないから、ちょっと物足りない気はするけどね》
南羽さんらしいセリフだ。地元には数えるほどしかないと彼女は言うが、むしろ京都が多すぎなのだ。
京都のラーメンを食べ尽くす、というのが彼女のひそかな野望で、毎回違う店へ行き、あるいは違うメニューを頼み、感想を熱弁する。いつもはその勢いに圧倒されるばかりだが、今はそれが懐かしかった。
「ラーメン・・・・・・そうですね。久しぶりに、食べたいですね」
あっさりでもこってりでも、昔ながらでも創作系でも、何でもいい。
南羽さんの顔を見ながら、食べたいと思った。
刹那、ふたりの間に沈黙が生まれる。南羽さんがスッと息を吸ったような音が、電話口から聞こえた。
《あの、真北くん、あのさ・・・・・・》
その時、南羽さんが発した言葉に重なるようにして、彼女の後ろから女性の声がした。
《ヒナ~、誰と話してんの? 彼氏ぃ?》
南羽さんが驚いたような声を上げる。
《わ、ヨウちゃん・・・・・・! 違うよ、大学の友達! ていうかヨウちゃん、お酒飲み過ぎだよ》
なにやらドタバタしている様子が伝わってくる。ヨウちゃん、と呼ばれた女性は、なるほどかなり酔っ払っているようで、呂律がとても怪しい。
《だってぇ、飲まなきゃやってらんないよぉ! 》
女性が泣き出しそうな声で叫ぶ。途切れ途切れだったが、つきあっている彼氏が他の女性と遊んでいたとかなんとか、言っているのが聞こえた。
女性をなだめるような声がしたあとで、南羽さんのはっきりした声が聞こえてきた。
《ごめんね、真北くん。親戚のお姉ちゃんに見つかっちゃったから、切るね。また話そうね》
「はい、また。残りの地元ライフも、楽しんでください」
《ありがとー! じゃあね!》
プツリと電話が切れ、部屋に静寂がおとずれた。
時刻は21時半をまわったところだが、今日はもう寝てしまおう。部屋の電気を消してベッドにもぐりこみ、明日はラーメンでもいいかも、などと考えながら目を閉じた。
大学の後期期間は10月から始まる。丸2ヶ月以上の長い夏休みの間、俺は大学生らしい日々を過ごしていた。読書やゲームをし、たまに美術館や博物館に出かけ、それ以外はバイトに明け暮れた。バイトにも徐々に慣れ、小さなミスや失敗はあったが、それなりに充実していた。
そんな折、スマホに南羽さんからのメッセージが入っているのに気がついた。『今日京都に帰るから、明日空いてたら会わない?』というものだった。
明日は特に予定もなく、涼みついでに大学の図書館にでも行こうかと思っていたぐらいで、そう伝えると、じゃあ学食で会ってお昼を一緒に食べようということになった。
「真北くん、焼けたね。それに・・・・・・ちょっと、やせたね」
開口一番、南羽さんがそう言って目を丸くした。
夏休み中の学食には、窓際の席にいる俺たち以外に人の姿は少なかった。
「あ、そうだ。忘れないうちに」
席に着くやいなや、南羽さんがカバンの中をゴソゴソやって、手のひらぐらいの大きさの四角い包み紙を取り出した。
「これ、真北くんへのお土産。開けてみて」
南羽さんに促され包みを開けると、スマホサイズの写真立てのようなものが姿を現した。白い木枠に囲われたガラスの中で、うっすら青みがかった液体が揺れている。底の方にはベージュ色のかたまりがあって、ところどころに金色の粒が混じっている。
「これね、サンドピクチャーっていうんだって」
そう言いながら南羽さんが上下をひっくり返した。ガラスの中の天地もひっくり返り、サラサラとした砂のつぶが、細くひとすじの道をつくって流れていく。数分ぐらいのことだろうか。俺と南羽さんは声も出さず、砂が落ちきるのを見つめていた。はじめとは全く違う模様が、そこには出来上がっていた。
「すごい。初めて見ました・・・・・・きれいですね」
「そうでしょ! 私も自分用に買っちゃった!」
南羽さんが得意気に笑った。
そのあとも話題が途切れることはなくて、特に南羽さんの地元話は尽きなかった。親戚の小学生と海へ行ったり花火をしたり、地元の友達と旅行に出かけたり。『ヨウちゃん』さんは、お酒が入るとフニャフニャになるが普段はカッコイイお姉さんだそうで、その証拠に一晩寝たあと「彼氏をぶん殴ってやる」と息巻いて、始発電車で帰っていったそうだ。
ラーメン屋が少ないという話も当然出て、南羽さんの目に力強い光が宿る。
「真北くん、早速ですが、いつ空いてますか」
南羽さんからの誘いに、バイトのスケジュールを確認しようとスマホのカレンダーを開いて、今日の日付が目に入った。
9月12日。
たしか南羽さんは、後期が始まるギリギリまで帰省するつもりだと言っていた。それまでまだ2週間以上ある。
何か用事ができたのだろうか、それとも——。
南羽さんにバイトでの失敗話をしたときのことが頭をよぎり、俺はお腹の奥の方がくすぐられるような感覚になった。背中のあたりがじんわり温かくなるような気がして、それが少し恥ずかしく、だから、それを隠そうと、南羽さんをからかうように軽口を叩く。
「南羽さん、帰ってくるの、ちょっと早かったんじゃないですか」
きょとん、と数秒固まっていた彼女が、ニイッと口角をあげて笑顔を作る。
「そりゃあねぇ。誰かさんが、電話口であまりにも落ち込んでるみたいだったからさぁ!」
俺の軽口に気付いたようで、南羽さんも芝居がかった大げさな口調になる。
南羽さんにはかなわないな。カラッと笑い飛ばす彼女を見ているとつくづくそう思う。俺は参りましたと言わんばかりに話題を変えた。
「お父さんは、大丈夫でしたか」
それを聞いた南羽さんが、「それがさ」と、今度はケラケラとおかしそうに笑って言う。
「予定よりはやく帰るって言ったら、すっごい問いただされたよ。あ、もちろんお母さん経由でね。ヨウちゃんが悪ノリして『彼氏だよ』なんて嘘つくからもう大変でさぁ」
南羽さんのお父さんには会ったことはないのに、なんとなくその様子が想像できてしまっておもしろい。南羽さんのお父さんということで、俺の中で、感情表現の豊かな人というイメージになっているのかもしれない。
「はは・・・・・・将来、南羽さんの彼氏になる人は大変ですね」
「あはは・・・・・・そうかもね」
南羽さんが小さく笑い、
「お腹空いたね。何か食べようよ」
そう言って席を立った。気づけばお昼はとうに過ぎていて、人の姿も増えてきていた。
列に並んで、思い思いの皿を手に取る。
「お、真北くんのチョイス、なかなかいいバランスですな」
南羽さんが、俺のトレーを覗き込んで言う。食文化に関する学科に所属する彼女に言われると、少し嬉しい。
「まぁ・・・・・・南羽さんに言われましたから」
厳密には、俺の脳内の南羽さんだが。
南羽さんは、そんなこと言ったっけ・・・・・・と不思議そうにつぶやいていたが、「ま、いっか」とすぐに表情を明るくした。
「いただきます」
ふたり向かい合って、顔の前で手を合わせる。
誰かと食べる食事はおいしくて、俺の心をあたたかく満たしていった。
to be continued...




