表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/61

新人アルバイター、真北くん(3)


 7時00分。それが今日の集合時刻だった。

 8月10日からの3日間。夏休みも佳境という時期に、京都駅近くの梅小路公園で開催される野外フェスがある。音楽と社会をつなぐことを目的としたチャリティフェスで、規模はそこまで大きくないものの、名の知れたアーティストもちらほら出演するらしい。フェスの期間中は、出演者のファンだけでなく、音楽に興味がある人やお祭りを楽しむ人なんかでにぎわうらしく、俺たち学生アルバイトは、会場内でお客さんの対応を行うため動員されていた。

 ちょっとしたワケがあって、今日は地下鉄を使って現地へ向かう予定だった。徒歩移動の時間も含めると、自宅から梅小路公園までは30分強。6時15分には家を出るつもりで、昨夜も22時には就寝した。


 だが。


 カーテンの隙間からもれた日差しが顔に当たったようで、そのまぶしさに目が覚める。そばのテーブルに置いてあったスマホを手に取り、何の気なしに画面を立ち上げ――途端に全身が総毛立った。

 6時10分。

 掛け布団がわりのタオルケットをはぎとり、ベッドから転がり落ちるようにして隣室のリビングに駆け込む。壁に掛かった時計は無情にも、スマホと同じ時刻を指していた。

 やばい。完全に寝坊だ。何故寝過ごしたのかとかアラームに気付かなかったとか、そういう思考は一旦置いて、今は家を出ることだけに集中する。さいわいにも、昨夜のうちに今日の準備物はまとめていたので、荷物はそれを持って出ればいい。

 俺はバイト用に支給されたTシャツに着替えながら、キッチンを素通りしようとして――しばしの逡巡の後、手近にあった食パンを乱暴に口に押し込み、牛乳でそれを無理矢理流し込んだ。


『何でもいいから、朝ごはんはちゃんと摂ること!』


 また、脳内の南羽さんが俺に言う。

 洗面、歯磨き、寝癖を直すだけのヘアセット。すべてにおいて俺史上初のタイムを叩き出し、玄関から飛び出したのは、6時30分を少し回ったところだった。

 階段を2段飛ばしで駆け下り、共用玄関を出たところで、駐輪場に止めた自転車が目に入る。地下鉄を使う経路だと、仮に徒歩の部分を走ったとしても30分近くはかかり、指定の時間に間に合わない。だが、自転車なら。

 俺の自転車はクロスバイクで、すぐにスピードに乗れる。そして、梅小路公園はここからほぼ真南に進むだけで、京都の町並みの作りからいって、カーブや曲がり角もほとんどない。自転車で爆走するのは安全面でもマナー的にもアウトだが、遅刻を回避するためにはこの方法しかない。早朝だから人も多くないだろう、と言い訳をしながら自転車にまたがり、ムシムシとしたぬるい風の吹く中を走り出した。



 目論見どおり、あと3分で7時になるというところで、俺は指定の集合場所に到着していた。すでに汗だくでハァハァと息を切らせている俺を、他のスタッフたちが不思議そうな顔で見ているが、今は気にしている場合ではない。俺は体勢を立て直し、荒い息を少しずつ落ち着かせていく。


「えっと、じゃあ、みんな揃ってるね。改めて、運営責任者の上岡です。今日から3日間お世話になります」


 存在感のある黒縁のメガネをかけ、あごひげをおしゃれにたくわえた男性が、全体に向かって声を張り上げる。いくつか全体への連絡事項を共有した後で、「まぁ、楽しんでヨロシク!」と締めくくった。彼――上岡さんとは数日前に打ち合わせということで少し話しただけたが、とてもおおらかで陽気な人、という印象を受けた。

 上岡さんの挨拶が終わるとスタッフたちは、各々自分の持ち場へと散り散りに移動していく。

 俺が割り当てられた役割は、受付横のノベルティ配付テントと物販テントだ。俺も早く持ち場へ行こう。歩きだして、ん、と何か小さな違和感が頭をよぎる。


「やー、真北くん。おはよう」


 違和感の正体を探ろうとした俺に、後ろから声がかかる。上岡さんだった。


「おはようございます。今日はよろしくお願いします」

「こちらこそだよ。初日だから忙しく感じるかもだけど、まずは楽しむこと優先でね」

「はい」


 うなずく俺に、上岡さんは満足そうな表情を浮かべる。その後で、思い出したというような顔になる。


「ところで、朝から手間かけさせて、悪かったね」


 上岡さんが顔の前で軽く手を合わせるポーズをとるが、何のことかピンと来ない。


「・・・・・・なにかありましたっけ」

「や、ほら、先着順に配付する限定ノベルティだよ。朝来る途中に受け取って来てってお願いしてたやつ」

「あ」


 我ながらマヌケな声が出る。そしてそれとは裏腹に、冷水を浴びせられたような感覚が全身を走った。背中をひやりとイヤな冷たさが流れ、それが足の裏まで伝わっていく。

 そうだ。思い出した。今日俺が地下鉄で来ようと思っていた理由。そして、さきほど抱いた違和感の正体。

 3日間のフェスの間、毎日先着100人限定で、イベントロゴの入ったミニキーホルダーを配付するのだが、製作過程でトラブルがあった関係で完成がずれ込み、できあがりがフェス前日の夜になると連絡があった。偶然、俺のアパートの近所にその会社があったため、今日の早朝、それを受け取って会場まで持ってきてくれないか――そんなことを、打ち合わせの時に上岡さんから頼まれていたのである。

 昨日の夜まではたしかに覚えていたのに、寝坊したことにより完全にとんでしまっていた。


「ノ、ノベルティ・・・・・・」


 やっとのことで声を絞り出す俺を見て、上岡さんの表情がかたまる。


「・・・・・・え、なに、もしかして・・・・・・忘れた、とか?」

「・・・・・・すみません!」


 また、やってしまった。この間から続く失敗が走馬燈のように思い出される。最悪なことに、今回は、謝っても仕方のない、カバーのしようのないミスだ。頭の中が真っ白になったまま、それでも俺は謝るしかなかった。


「いやいや・・・・・・真北くん任せにしちゃった俺も悪いし、真北くんの責任じゃないよ」


 だから顔を上げてよ、と上岡さんは言ってくれたが、俺は彼の顔を見ることができずに、ただ彼の足下に伸びる影に視線を落とすしかなかった。上岡さんにそんなつもりはないだろうが、俺に任せたことが失敗だったという意味に聞こえて、寄せてもらった期待と信頼を損ねた上に迷惑をかけてしまった、という事実が重く肩にのしかかる。


「うーん、そうだなぁ。何かかわりのいい案ないかなぁ」


 穏やかな口調ながら腕を組んで唸る上岡さんの前で、俺はおろおろと視線を泳がせるしかなかった。

 その時だった。


「あのぉ、ノベルティってこれっすよね」


 上岡さんの背後に、大きめの段ボール箱を抱えた男性が立っていた。

 ブリーチしたような色の金髪に、はっきりとした、人の良さそうな顔。

 同じ学科の同級生、伊波(いなみ)くんだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ