雨の日にはラーメンを(6)
入り口の引き戸を開けると、いかにもラーメンらしい濃い香りと、何かが焼ける香ばしいにおいが俺たちを包み込んだ。
決してせまくはなかったが店内はお客さんでいっぱいで、いちばん奥のテーブル席が空いているだけだった。目の前に注文用の機械が置かれていて、ここで注文と支払が済んでしまうらしい。注文したものを店の人に伝える必要すらないようで、たいへんに効率的で便利なシステムだ。
先に俺が注文を済ませる。南羽さんの方をちらりと見て、財布から紙幣を取り出す素振りを見せると、彼女の右手が伸びてきてサッと制止された。
これまでにも何度か、出掛けた先での費用を俺が払おうとしたことがあったが、「真北くんとは対等な関係でいたいから」というのが南羽さんの口癖で、自分の分は自分で、というのが彼女の常だった。それは今日も変わらず、俺もいつものようにそれを受け入れる。彼女の意思を尊重してとかそういう大それた理由ではなく、ただ奢る行為にこだわりがないだけだ。
南羽さんは席に着くと、すっかり冷え切ったその手に、はあっと息を吹きかけた。そのまま両手をこすり合わせて、厨房の方に期待に満ちた熱い視線を送る。
ほどなくして、俺たちの頼んだラーメンが運ばれてきた。俺の目の前に、いたってシンプルな王道ラーメンが置かれる。あっさりしょうゆベースのスープに、店オリジナルの厚切りチャーシューが乗ったラーメン。この店の一番人気だそうだ。
店の人が、南羽さんの前に器を置く。南羽さんは、待ちきれないといった様子でその動きを目で追って、ごほうびをもらった子供のように口元を緩ませた。
たしか、追加トッピングのラインナップに、ネギ・にんにく・キムチがあったような気がするが、彼女の前に置かれたラーメンには、そのすべてが乗せられていた。しかも、麺が見えなくなるほどに。
その見た目のインパクトに、つい凝視してしまう。南羽さんが気まずそうな顔で「えっと」と言葉を濁し、
「真北くんには遠慮しなくていいから」
と照れ隠しのように笑った。
「・・・・・・でも、なんか、ごめんね?」
テーブルの脇に置かれた割り箸を取って、俺の分を手渡しながら眉尻を下げる。
「別に謝るようなことじゃないですよ」
ぺこりと軽く会釈して割り箸を受け取って、俺は返事する。
「食べたいもん食べるのって、大切なことですから」
「や、なんか・・・・・・雰囲気? みたいなのがね」
南羽さんにしては珍しく、おしとやかな口調だった。普段の彼女が豪快だとかガサツだという意味ではなく、彼女の魅力である快活さや軽やかさ、そういうものが影をひそめているように思われた、という話である。
喜怒哀楽が服を着て歩いているのでは、と思うほどに彼女の表情は常にくるくると移り変わって、それはまるで絶えず変化していく空模様のようで。それでも最後には、見ているこちらの手を引いて、日向のもとへと連れ出してくれる――そんな魅力が彼女にはあったのだ。
俺は改めて、香味トッピングてんこもりのラーメンと、その奥でうつむいてモジモジしている南羽さんを眺める。
南羽ひなたさんという人は、好きなことに夢中で突っ走っておきながら、急に恥ずかしくなってしおらしくなるような二面性を持っている。
そのアンバランスさが、可笑しかった。
彼女の言うことも分かる。男女がふたりで出掛けた先で、女性、しかも南羽さんのようなかわいらしいタイプが、香味マシマシのラーメンを豪快にすする。たしかにそれは、俗に言う『いい雰囲気』とは対極にある。
でも、俺たちはそれでよかった。それ《《が》》よかった。
「・・・・・・そういう意味なら、ラーメン屋来てる時点で、な話じゃないですか?」
俺はラーメンをひとくちすすった。一番人気というだけあって、間違いない味、という感じだ。細めの麺はちょうど良いやわらかさで、こってりしていないスープも飽きが来ないし、冷えた体に染み渡る。どの食材もお互いを尊重するように調和していた。
「そっか・・・・・・ふふ、そうだね」
小さくつぶやいて笑うと、南羽さんも箸を割って、勢い良く——というか、何かが吹っ切れたように——ラーメンをすすった。おいしい、と顔を上げて全身をふるわせ、幸せそうに目を細める。
「真北くんはシンプルが好きなんだね」
南羽さんが、俺の器を覗き込むようにして言った。
先ほどまでの陰のある表情はどこへやら、いつもの元気な南羽さんに戻っていた。
彼女に初めて会った日、面白そうな人だと思ったのは、やはり間違いではなかったようだ。




