第5話 お風呂での寝落ちは危険
画面が明るくなる。けれど……何も表示はされていない。通知等なかったのだ。
(………何もねーのかよ!期待して損した〜…)
一瞬だけ見えた通知は、見間違えだったのかもしれない。拍子抜けしてしまい、そのままソファーに座り込んだ。
頭の片隅では、どうしても納得出来ていない。圏外なのに、どうして、そんな見間違えをしたのか分からない。スマホを見つめながら、考えを巡らせていると、本日三度目のノック音が聞こえた。ノック音がした瞬間、我に返り顔を上げた。
「はっ、はい!」
返事をすると、静かに扉が開かれた。入ってきたのは、ノアだった。顔を出すと言っていた事を思い出した。
「邪魔しちゃったかな?」
優しい笑みを浮かべて言う彼に、小さく首を横に振る。
「…食事、ちゃんと食べれたみたいだね。よかった」
「美味しかったです!」
食べた時の美味しさの衝撃を思い出し声が弾む。笑顔のまま、彼に感想を伝えると
「それなら、よかった。君の笑顔が見れて嬉しいよ」
この一言に、心臓を掴まれたような感覚に襲われた。一瞬、呼吸が止まってしまうほど、胸の奥がギュッと締め付けられた。
(おいおいおい…!!このイケメンなんつったよ!!やっっっっべぇな!)
何と返していいのか分からず、私の口からは「えっ、あ、いやっ!その…え?」と出るだけだ。手を意味も無く動かし、視線は泳ぎっぱなし。私の様子に呆れることも困惑もせずに、微笑んで眺めていた。
「もう疲れてるだろうし、よかったらお風呂に入らない?リラックス出来ると思うよ。」
穏やかな声を聞き、落ち着きを取り戻していく。彼の提案に、力が少しずつ抜けていく。
「入ります…!」
「それじゃ、案内するよ」
手に持っていたスマホをスクバの中に入れ、立ち上がる。彼に近寄ると微笑んでくれた。ぎこちない笑みを返し、ノアと並んで扉へ向かったのだ。
廊下に出ると、シャンデリアからは柔らかな光を放っていた。静けさの中、二人の足音だけが響いて聞こえる。少しだけ前を歩いている彼の背中を見つめながら付いて行く。
やがて、ノアが歩幅を緩め、顔だけを振り向かせた。
「もうすぐで着くよ」
短く言い終わると、再び前を向いた彼の後を追いかけていくと扉の前についた。ノアが立ち止まり、私も立ち止まった。今回は背にぶつからずに済んだのだ。
「ここだよ。着替えは使用人に用意させてあるから」
(なんと言う、準備の良さ…)
準備の良さに感激してしまう。こうして気を配ってもらえる事が嬉しい。いや、イケメンにされているから尚、嬉しいのだ。
「僕は扉の前で待ってるから。僕の事は気にしないで、ゆっくりしてきてね」
(もっ、申し訳ねぇ……!!)
待っててもらうのに、ゆっくりお風呂でのんびりするなんて申し訳ない。気を遣わせてばっかりで、本当にいいのか。だが…ここで断っては好意を踏みにじってしまう。
「……ありがとうございます!入ってきますね」
「うん。ゆっくり浸かって、リラックスしてきてね」
一歩前へ進むとノアが扉を開け、押さえてくれる。頭を下げて、足を踏み入れた。中は広めの脱衣所。壁際にはタオルとワンピースのルームウェアが用意されている。しかも……ご丁寧に下着も用意されていた。
(…………ん?し、下着も……?うっ、嘘だろ!どんだけ準備いい訳!?サイズ…どうやって知ったの?!)
一人で頭を悩ませていると、ノアが言っていた事を思い出す。『使用人に用意させてあるから』と言っていたのを。つまり……用意したのは女性の使用人。男性に用意させた訳ないと信じたい。
(……女の人が用意したって事だよね。それじゃなきゃ、恥ずかしすぎて死ぬが?サイズがあってるかも、まず分かんないしね!うんうん!!)
無理矢理、自己解決をした。せざるおえない。悩みまくっていたら、いつまでもお風呂に入れなくなってしまう。靴を脱ぎ、意を決して制服に手をかけた。
(……今の一瞬で疲れた…)
大きく溜息をつき、脱衣所の奥にある扉を開ける。湯気が立ち込める浴場に足を踏み入れると、いい匂いが鼻をかすめる。
(……ひっっっっろ!!)
在り来りの感想しか出てこない。そうとしか、言えない。いつまでも、眺めている訳にもいかない。風邪をひいてしまう。備え付けられているシャワーを見つけ、近くにあった椅子に腰を下ろした。お湯を出すと、丁度いい温度加減。髪を濡らしていき、適当にボトルを手に取る。どれがシャンプーかを確認すると、ちゃんとボトルには" シャンプー "と読める文字で書かれていた。
(……読めた!読めたぞ!!すっごい安心したわ!!異世だから心配しまくってた!!)
読めた事に一安心し、シャンプーを髪につけ泡立てていく。髪を洗っていき、泡も流し終わる。洗い残しが無いか、目の前にある鏡で確認すると…
私の左鎖骨下あたりに、見た事のない花の模様が浮かんでいたのが目に入った。
「……は?な、に…コレ…」
そこには、白い線で見た事のない花の模様があった。花弁だけが淡く輪郭を残している。しかも、一つではなく二つ。お互い寄り添う様に並び刻まれている。
「なっ、何これ!!」
自分でも驚く程の大きな声が口から出てしまった。反響して浴場に響き渡り、慌てて口を両手で塞いだ。
(声でかすぎ!!待ってるノアさんに聞こえてたら、どうすんだよ!!馬鹿か!)
心臓がバクバクとうるさい。しばらく耳を澄ませるが、扉の向こうからノアの声は聞こえてこなかった。
(………セッ、セーフ…)
安堵の息をついた。聞こえてなかったのはいいが、問題はこの模様だ。視線は自然と模様へといく。刻まれている模様は、触れれば壊れてしまいそうな儚さを感じる。
(……シールとか…いやいや!貼った覚えなんて、これぽっちもない!そもそも、何の花!)
擦ったら消えないかと思い、擦るが模様は消えなかった。ただ、擦った所が赤くなるだけ。盛り上がりも、窪んだりもしていない。
「頭、爆発しそう……」
いくら考えて答えは出ない。疑問と混乱で頭の中がグルグルと、かき混ざられているだけだ。
(と、とりあえず……落ち着け。落ち着くんだ、私…)
大きく息を吸い込み、吐き出して深呼吸を繰り返す。ほんの少しだけ、落ち着きを取り戻していく。私が、いくらここで考え込んでいても答えに辿り着くはずが無い。
(よし……早く湯船に!ノアさんも言っていたじゃないか!リラックスするんだ!リラックス!!)
シャンプーの泡を洗い流した髪に、リンスを馴染ませていく。指を梳かす度に、ふわりといい香りが立ち上がった。心なしか、気持ちが軽くなっていく気がした。リンスを洗い流し、体をボディソープで洗っていく。あまり模様を気にしないよう、意識を別の事に逸らしながら済ませていく。
そうして一通り洗い終え、湯船へと足を徐々に浸していく。ゆっくりと身を沈めていく。肩まで浸かると、全身の力が抜けていく。お湯の温かさがじわじわと体を包み込んでいく。
「生き返る……」
湯船の中で手足を伸ばし、背を預けると、温かさが全体へ広がっていく。
天井を仰ぐと、湯気がゆらゆらと揺れている。その様子を眺めていると、徐々に混乱と疑問でいっぱいだった頭の中が、空っぽになっていく気がした。何も考えず、ただお湯の温かさに身を委ねていると、瞼が徐々に重くなってきた。
(……やばい……寝たら死ぬ。確実に溺れ死ぬ…)
『溺れ死ぬ』と思考が駆け巡り、急いで身体を動かした。重たい瞼を無理矢理にでもこじ開けた。あのまま眠気に襲われていたら、確実に私は溺れ死んでいただろう。
眠気を覚ます為に、お湯を顔にかけたが温かいせいで、眠気は覚めず余計に眠くなってしまう。湯船から上がり、シャワーの蛇口を捻る。お湯から水へと切り替えた。冷たい水を顔にかけると、一気に目が覚めた。
「水の威力すっげぇ…」
眠気が綺麗さっぱりと吹き飛んでいった。
(風呂で寝落ちはマジで死ぬ…)
頬から滴る水を手で拭う。湯船に戻る気にはなれず、そのまま浴場を後にした。
脱衣所へと戻り、タオルを手に取り髪と体を拭いていく。湯気に包まれていた空間から出ただけで、少しひんやりとして心地よかった。
タオルで体を拭き終え、用意された下着…へと手を伸ばした。着けてみると、サイズがピッタリだ。
(……ピッタリなんだけど!?怖い!怖すぎる!!)
サイズがピッタリすぎて、逆に不安になってしまう。いつどこでどう採寸したのだろう。
(いや、考えたら終わりだ……考えるな、私……)
無理やり考えるのを止め、ルームウェアを着る。
普段はTシャツ、短パンで寝ているから新鮮だ。
服を整えながら、ドライヤーが無いかと脱衣所を見渡した。左側の方に大きめな鏡があり、そこには見慣れない道具が置かれていた。
(……これは何ですかね…)
手に取ってみると、形はドライヤーに似ているが所々、微妙に違う。電源コードは無く、どう使っていいのかわからない。
(わっかんねー…)
何処かにスイッチでもないかと、探してみると本体の横に、小さな宝石のような物が埋め込まれていた。
(触れたら動くとか…?)
指先で宝石に触れてみると光が宿った。次の瞬間、温かい風が吹き出した。
「おぉ…」
髪に風を当ててみると、徐々に乾いていく。使い心地は自分の世界にあったドライヤーそのものだった。
(完璧!!)
軽く音は静かで、元の世界のより快適なくらいだ。感心しながら、髪を乾かしていく。気が付けばすぐに水気は無くなり、指先がするりと通る程の仕上がりになった。
(持って帰りたい…)
完璧な仕上がりに感動しつつ、指先でもう一度触れると宝石の光が消え、風が止んだ。制服を手に取り、出口へと足を向けた。
お風呂を済ませたのに、スニーカーを履くのは抵抗がある。視線をずらすと、スニーカーから少し離れた場所に、入った時には無かった履物が、揃えて置かれていたのが目に入った。透明な素材で作られた、ミュールのような形をしていた。
(ミュール……?)
履いてもいいのか戸惑う。私が入ってきた時には、無かったものがあるという事は、私の為に用意されたものだと考えてもいいのだろうか。
(違ったら脱げばいいし……あってたらあってたで、ラッキーって思おう…)
足を通すと足に馴染んで違和感はなかった。自分のスニーカーを持ち、扉の取っ手に手をかける。扉を開けると、約束通りノアが待っていてくれた。背を壁に預け、腕を組んで立っていた。
私に気が付くと、口元を緩め笑みを浮かべた。
「ゆっくり、出来た?」
落ち着いた声が廊下に響いた。
「出来ました!」
そう答えると、ノアは安心したように「よかった」と言ってくれた。
「じゃあ、部屋に戻ろっか」
「はい!」
ノアの反応を見る限り、私が思わず上げてしまった叫び声は、聞こえていなかったらしい。胸を撫で下ろしつつ、来た時のように部屋に向かってノアと並び歩き出した。




