裏切りの炎、始まりの哭声(うらぎりのほのお、はじまりのこえ)
闇夜を裂くように、紅蓮軍の軍旗が烈火の赤で空を染めた。
精霊使いの大国《紅蓮》。
かつて栄華を誇った名家・エンカ家の血を引きながら、没落の幼少期を経て軍での出世だけを支えに生きてきた男、シグレ・エンカがその先頭に立っていた。
「進撃せよ。目撃者は――残すな。」
その口調に、迷いは一片もない。
魔道士との間に長く続く対立。
今回の侵攻は“反乱魔道士の武装蜂起の鎮圧”とされたが、実際は紅蓮上層部が画策した“人口削減と政治的圧力”の一手。
シグレはそれを理解した上で、むしろ好機とさえ思っていた。
――エンカ家を再び近衛領主へ。
――そのために、過去は消さねばならない。
魔道領ウェン・テリオの一角、小さな家に炎が迫る。
ルフィーナ・テイットクレイマーは、産んだばかりの赤子を抱きしめていた。
息子の名は――カオル。
精霊と魔力、その両方を宿した“異端児”。
彼こそ、精霊使いと魔道士の未来を繋ぐ架け橋になると信じていた。
しかし、魔道士は出産で魔力を極限まで失う。
今の彼女には、戦う術はない。
「……お願い、泣かないで……カオル……」
家が震え、ドアが爆ぜる。
現れたのは――ルフィーナがかつて愛した男、シグレだった。
「やはりここにいたか。ルフィーナ。」
その声音には、かつての温かさは微塵もない。
「シグレ……お願い、せめて子だけは……!」
「無理だ。俺の出世のためには、痕跡は残せない。」
そう言うと、シグレは指先に精霊炎を灯し、ためらいなく放った。
紅蓮軍の象徴、赤い炎がまっすぐルフィーナの胸を貫く。
「……ぁ……!」
血が溢れ、ルフィーナは崩れ落ちた。
彼女は力を振り絞りながら、クローゼットの前まで這う。
「カオル……生きて……あなたは……この世界を繋ぐ子……」
扉を軽く叩き、最期の微笑みを浮かべたまま息絶えた。
シグレは赤子が入っていることを察したが、興味すら持たなかった。
「値打ちはない。……終わりだ。」
背を向け、炎の街へ消えていく。
そこへ、遅れて駆け込んできた別の紅蓮軍人がいた。
階級は少佐。
名を ホム・ラ・バッツ。
彼は目の前の惨状に言葉を失い、そして奥からかすかな泣き声を聞いた。
クローゼットを開けると、すすで汚れた赤子が必死に息をしている。
「……赤子だと……? 魔道士の武装蜂起じゃなかったのか……!」
ホムはカオルを抱き上げた瞬間、外で大爆発が起き、屋根が崩れ落ちた。
むせ返る死臭。焦げる肉の匂い。
足元には焼け落ちた兵と民の区別すらつかない死体の山。
胸元のタバコに火をつける。
吸うためではない。
彼の能力――**《煙界通信》**を使うためだ。
「こちらバッツ少佐……応答しろ!
任務内容と状況がまるで違う。民間人だらけだ、どういうことだ……!」
しかし、通信は返らない。
紅蓮の上層部はすべてを黙殺していた。
ホムは奥歯を噛む。
「……くそ……子供を殺すための侵攻だったのか、これ……!」
腕の中の小さな命を抱きしめ、炎の海から走り出す。
炎が静まった頃――。
家の瓦礫をかき分け、一人の魔道士が現れた。
リチャード・カルタス。
魔道72連盟の下級軍人に過ぎないが、
ルフィーナの幼馴染であり、
彼女がもっとも信頼した“理解者”だった。
瓦礫の下に横たわるルフィーナの遺体を見つけた瞬間、
カルタスはその場に崩れ落ちる。
「……嘘だろ……ルフィーナ……」
彼女の冷えた体を抱きしめ、額を寄せる。
泣き叫ぶでもなく、声も出ない。
「こんな……こんな運命になるなら……
俺は君を……“あんな奴”に渡すんじゃなかった……」
幼い恋心を胸にしまって応援し、信じた未来は、すべてこの炎に焼かれた。
その背後に四つの影が現れる。
アザゼル、ベルゼブブ、アスタロス、そして連盟の使者たちである。
「カルタスよ。これは“魔道士側の落ち度”と判断される。連盟は深追いしない。」
「……黙殺、か。」
「軍事境界線を強化し、精霊使いの進行を防ぐ。それで終わりだ。」
カルタスはゆっくり立ち上がり、影の方へ向き直る。
「ルフィーナの死は……“無駄死に”だと言うのか。」
議長代理の男が吐き捨てる。
「内通の可能性もあった。末端の者が騒ぐでない。下がれ。」
その瞬間――。
カルタスの瞳から、光が消えた。
静かで、しかし絶望的な声が響く。
「……分かった。
なら――俺が全てを変える。」
アザゼルが一歩前へ出る。
「例の石板が見つかった。“サタン封印の石板”だ。」
「天か……いや、魔が……俺に味方するか。」
灰の街を背に、カルタスは歩き出した。
彼が引き起こすことになる“最大規模のクーデター”は、後に カルタス事変と呼ばれ、
精霊使いと魔道士の歴史を根底から覆すことになる。
そのすべては――
炎の夜にあがった、
赤子カオルの 最初の哭声 から始まった。
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