7ふたりと、ひとりと、ちょっとツン
「気分はどう? ……まあ、あれだけ寝てれば平気でしょ」
パラリ、という紙の音とともに、ノアの冷静な声が降ってくる。
手にしているのは、分厚い魔導書――タイトルは『感情制御論』。
……って、こんな時まで勉強かよ。ほんと、こういうのが“優等生”ってやつなのかもしれない。
私はというと、うっすら開いた目に天井が滲んで、ぼんやりと思い出していく。
(……エモーションブレイク……暴走……そしてあの、白い空間……)
「っ、いった……」
唐突に体の節々がズキリと悲鳴を上げた。忘れかけてた感覚が、痛みという名の名札を付けて戻ってくる。
「動かないの。あれだけのスケールで魔力を暴走させたのに、骨一本折れてないだけ奇跡よ。素直に感謝すべきね」
ノアが本から目を離さずに言う。いつも通りの毒舌……いや、これはツンデレの“デレ”なのか?
「……そうか。わたし、エモーションブレイクを……」
そっと、胸元に手を当てる。まだ心がざわついている。まるで魔力の残響が、内側でくすぶっているみたいに。
「先生に報告してくるわ。いい? 安・静・に! 調子乗ってまた魔法暴発させたら、今度こそ魔紋焼き切れるわよ」
最後にデコピン代わりに指をぴとっと額に当てて、彼女はくるりと踵を返した。
──バタン、とドアが閉まる。
「……って言われても、暇なんだよなぁ」
大人しく寝てろって言われても、この世界に来てからまだ数日。異世界の医務室なんて初体験なんだから、興味が湧くのも仕方ない。
私はベッドから身を起こすと、周囲を見渡す。魔法道具っぽいものが並び、棚には何種類もの薬瓶、そして目を引いたのはテーブルに置かれた魔法陣の束だった。
「これ……」
その紙を一枚、そっと手に取る。
精密すぎる。線のゆがみ一つなく、魔紋の構造まで完璧。コピー機で印刷したみたいな精度だ。
でもこの世界に、コピー機なんてあるはずもない。
つまり……これを“手で書いた”ってこと?
「信じられない……」
私は思わず、二度見した。
魔法陣は、魔女にとって感情と象徴の接点。魔力の細やかな流れを視覚化する“魔法の骨格”だ。それを、寸分違わず何枚も描けるなんて──
(この学園、やっぱり“普通じゃない”……)
不思議と、痛みが少しだけ薄らいでいく。
──ガラガラ、とドアが開く音。
「まったく……安静にって言ったでしょ。ベッドの上で紙いじってるなんて、バカじゃないの」
呆れ声で入ってきたのは、案の定ノア。後ろには、赤茶の髪をきっちりまとめた、知的な雰囲気の女性が続いていた。
「リミナ先生……」
「……心配しましたよ、瑞希さん。せっかくこの学園に入ってきたのに、もうお別れになってしまうところだったんですから」
「……あの、その言い方ちょっと怖いです先生……」
さらっと重い言葉を放つ先生に思わずツッコミを入れると、隣のノアが肩をすくめた。
「まあつまり、みんなに迷惑かけたってことよ」
ふぅ、とため息をついてそう言うノア。
だけど……ねぇ、それってつまり、心配してたってことじゃん?
(あれ? もしかして、ちょっとだけツンデレ?)
なんて考えてしまった私は、つい悪戯っぽく笑ってしまった。
「みんなって、ノアも?」
わざと軽く、そんなふうに聞いてみると──
「ば、ばっ……! ふんっ!」
瞬間、ノアは顔を真っ赤にして、くるりとそっぽを向いた。耳までほんのり染まってる。
……あ、やっぱりそういうタイプだ。かわいい。
(よし、今度からからかってみよっかな)
まだ少し痛む身体を起こしながら、私は少しだけ元気になった自分を感じていた。
騒がしくて優しい、そんな仲間たちと出会えたことに、少しだけ胸があたたかくなる──
ノアがそっぽを向いたままの時間に、リミナ先生が静かに歩み寄ってくる。彼女の視線はやわらかく、それでいて真っすぐだった。
「……魔力の揺らぎも、ようやく落ち着いてきたようですね」
「え?」
先生は瑞希の胸元に手をかざし、目を細める。そこには淡い光がかすかに揺れていた。まだ不安定だけど、確かに“魔女の心臓”が脈を打っている。
「エモーショナルブレイク……あれはあなたにとって、通過儀式のようなものでした。制御を失ったのではなく、“封印がほどけた”のです。無意識のままに、ね」
「……怖かったです。正直、自分が壊れるかと思った」
瑞希は、正直な気持ちを言葉にした。
あの時感じた、底のない感情の渦。それは自分の感情だったのに、自分のものじゃないようで。恐ろしかった。
「恐れは悪ではありません。未知を知ること、それが“学び”の第一歩ですから」
リミナ先生はやさしく笑った。そして言う。
「さて――そろそろ、“再開”しませんか? 象徴魔法の訓練を」
瑞希は、一瞬だけ目を見開いた。
「……今、わたしがやっても大丈夫なんですか?」
「ええ。あなたには“目”が宿りました。感情と象徴を結ぶ視点……そして、世界の輪郭を読み解く魔力の触覚が」
先生の言葉は、どこか詩的で、けれど確かに瑞希の中に響いてくる。
その時だった。
ノアがちらっと横目でこちらを見て、ぷいっと視線をそらす。そして、ぽそっとつぶやく。
「……あんたがまた暴走しそうなら、わたしが止めるから」
それは言葉というより、覚悟だった。
瑞希は思わず微笑んだ。
怖くないわけじゃない。だけど、支えてくれる人がいる。それだけで、前に進める気がする。
「……お願いします、先生。もう一度……魔法と、向き合ってみたいです」
「ふふ、頼もしい。では、明朝の第七演習場でお待ちしています。あなたの“象徴”を、再び確かめましょう」
リミナ先生がふわりとスカートを翻し、部屋を後にする。
その背中はまるで、夜を照らす星図のように、瑞希の進むべき道を示していた。