5初回訓練
数日後。
《ヴァルフェリア魔女学園》の中庭に、円形の儀式場が設けられた。
今日は新入生の“感情傾向テスト”の日。すべての魔女候補生は、自分がどの「感情エッセンス」に適性があるかを測定される。
「それでは、次。ミズキ=ミナヅキさん、どうぞー」
呼ばれて前に出た瑞希は、緊張しながら円陣の中央へと歩いた。
クラスメイトたち――エルフィリア、ノア、コルも見守っている。
「ふむ、やっぱりこの子、どこか“違う”のよね。面白い結果が出るといいけれど」
「感情を見せて、瑞希。私はそれを“味わう”準備できてるから」
「ワタシ、マスターの色、タノシミ!」
儀式陣の中心に立つと、上空から“感情水晶”が降りてきた。
それは、感情エッセンスに反応して発光する魔石。どの感情に強く反応するかで、その者の“感情傾向”が決まる。
「深呼吸して……心を、開いてください。あなたがこの世界に来て、感じたことを――正直に思い出してください」
リミナ先生の声が静かに響く。
瑞希は目を閉じる。
──死んだこと。
──追放されたこと。
──それでも、ここで“誰かに受け入れられた”こと。
──そして今、胸の奥にあるもの。
何よりも。
「……私は、わたしを“要らない”って言った人たちに、絶対、負けたくない……!」
その瞬間。
感情水晶が、激しく脈打った。
赤、青、金、紫……あらゆる色が一斉に走ったかと思うと、次の瞬間――漆黒の輝きに塗りつぶされた。
「なっ……! 黒の感情エッセンス!?」
「嘘……“純感情領域”に踏み込んでる……!? それも、こんな新人が!?」
教職員たちの間にどよめきが走る。
“黒”は、すべての感情の臨界を超えたときに発現する特異なエッセンス。
本来、感情傾向はひとつ――“怒り”や“愛”、“悲しみ”などの分類に属するはずなのに。
瑞希の水晶は、それらをすべて通り越して、**「収束と無数の共鳴」**という矛盾した結果を示していた。
「瑞希ちゃん、あなた……もしかして……」
「……“コードゼロ”の適性……?」
誰かが、ぽつりとつぶやく。
“感情を超えた魔法体系”――《星織りの書》に記された、失われし魔法理論。
伝説の魔女しか到達できなかったはずの領域。
その片鱗が、瑞希の中に芽吹いている。
「……ねぇ瑞希。アンタ、本当に何者?」
エルフィリアが、初めて困惑と関心を混ぜた目で彼女を見た。
「ふふ……面白くなってきたわね」
ノアの瞳もまた、深く紅く、瑞希を映して揺れていた。
瑞希自身も、驚きと戸惑いを抱えながら、自分の胸元を押さえる。
そこにはまだ、言葉にならない熱が、確かにあった。
──これはきっと、“選ばれた”なんて都合のいいものじゃない。
──私は、ここで見返してやる。
“ゼロ”から、“世界最強”へ。
静かに、そう誓った。
《感情傾向テスト》から数日後。
瑞希は《感応演習室》へと呼び出された。今日は、初の象徴魔法訓練の日だった。
「魔女の魔法は、呪文でも指先ひとつでもなく、“あなた自身の意味”によって成り立ちます」
「本日は、自分だけの《コード》――象徴行動を探してもらいます」
教壇に立つのは、担当教師のリミナ先生。柔らかな笑みの奥に、鋭い観察者の目を隠している。
「……コードって、具体的には?」
瑞希が問いかけると、先生は白いチョークを空中に走らせた。魔紋が浮かび、そこから一輪のスミレの花が出現する。
「たとえば、私は“スミレを摘む”という行為に、幼い日の“後悔”の記憶が結びついています。その象徴を通して、幻術魔法を発動できるんです」
魔法は、記憶に根ざした行動で発動される。
それが、《象徴魔法》。
「自分にとって“意味のある行為”を、まず見つけること。それが魔女の最初の儀式です」
瑞希はうなずき、目を閉じた。
──意味のある行為。
──記憶に残ってる、“わたしだけの行動”。
思い出すのは、あの日。
孤独な中学時代、机の中に手紙を忍ばせてくれた“誰か”の存在。
内容は覚えていない。けれど、その便箋の、柔らかい匂いだけはずっと記憶に残っていた。
その日から、瑞希は“誰かを想って何かを書く”ことで、世界とのつながりを感じていた。
――そうだ、わたしにとっての象徴は、「手紙を書くこと」。
「……見つけたかしら?」
「はい。……書かせてください、“誰か”への気持ちを」
瑞希は、儀式用の白紙を手に取った。そして、魔力のインクに指先を浸しながら、一行だけ、想いを綴った。
──“ここにいてもいいですか?”──
その瞬間。
瑞希の足元に漆黒の魔紋が咲いた。
まるで万年筆のインクが水に落ちたように、彼女の記憶と感情が魔法陣を染めていく。
教室の空気が震えた。
リミナ先生が、ふっと目を見開く。
「これは……“記述型コード”!? 高位象徴魔法……いきなり中級領域を――!」
魔紋の中心に、手紙の内容が浮かび上がり、それが宙に舞う。
同時に、空間が揺らぎ、教室全体が瑞希の心象風景へと変わっていく。
天井のない図書館。
光の文字が漂う空間に、記憶のページが舞い散る。
「わ、わたしの頭の中……!? これ、なに、どうなって……!」
「自分の《魔紋》を具現化できたんですね。すごいわ瑞希さん、初回でこれは前代未聞です!」
リミナ先生が思わず近寄る。
だがその時。
「──……“共鳴”してる」
教室の隅で見ていたノアが、ぽつりとつぶやいた。
「この魔力……普通じゃない。瑞希、“何か”とつながってるよ。それも、相当深く……」
魔法が収束すると同時に、瑞希はふらりと膝をついた。
頭の奥に、何かが響いている。
呼び声のような、記憶のような、意志のような……。
──「書きなさい。あなたの感情で、この世界を書き換えなさい」──
(……誰? わたしの中に……もうひとり、誰かがいる……?)
手のひらの中、彼女が最初に綴ったその手紙の言葉が、魔力の余韻となってふわりと消えていく。
「ここにいてもいいですか?」――それは、
自分自身に向けた、最初の呪文だったのかもしれない。
瑞希の象徴魔法が、世界に問いかけを始めた。