2ここはどこ?(異世界です)
──視界、真っ白。
目を開けた瞬間、そこは白い霧に包まれた、どこか夢みたいな世界だった。
「……は?」
言葉が漏れた。というか、漏れるしかなかった。
さっきまでバスに乗っていた。進路相談の帰りで、スマホを握りしめながらウトウト……していた、はず。
なのに次の瞬間には、胸を突き上げる衝撃、宙に投げ出される感覚、そして──これ。訳のわからない真っ白な空間に、ぽつんとひとり。
瑞希はゆっくりと立ち上がる。足元は見たこともない、ふわふわした感触。制服のスカートはちゃんとあるし、カバンも持ってる。けれど、風の匂いも、空の色も、すべてが……現実離れしていた。
「ようこそ、転生者よ」
その声は、まるで耳じゃなくて、脳に直接響いてくるみたいだった。
視線を上げた先に、少女が浮かんでいた。
銀色の髪がふわりと揺れ、肌は雪のように透き通っている。年の頃は瑞希と同じくらい。だけど、その背中に生えているのは──翼じゃない。羽でもない。
まるで記憶の欠片みたいな、破れたフィルムのようなものが、光を吸っては、ぱらぱらと舞っていた。
「あなたの魂は選ばれた。新たな世界で、“魔女”として生きなさい」
「…………は???」
ようやく声が出た。ていうか、言わせて? 選ばれた? 魂? 魔女って、あの魔女? ほうきで空飛ぶやつ? それとも火を操って敵を焼き尽くす感じ?
……ていうか、なんで転生してんの私!?
瑞希の抗議も叫びも、白い空間に吸い込まれていく。
まだ何もわからない。でも、この瞬間だけはハッキリしていた。
瑞希の問いかけに、少女はすぐには答えなかった。
ただ、静かに――ほんの少しだけ寂しげに微笑む。
「……あなた、名前は?」
おそるおそる訊く瑞希に、少女は首を傾げる。
「名前、か。……そうね。昔は“記録の魔女”と呼ばれていたわ」
「記録、の……魔女?」
「そう。無数の魂が転生しては消えていく中で、私は“感情”と“記憶”を編んで、それを“記録”として残す役目を担っていた」
少女は空中を歩くように一歩踏み出す。踏みしめた足元に、一瞬だけ古びた本のページがひらりと舞う。
それは瑞希の知らない誰かの記憶――血塗られた戦争、誰かの最後の祈り、失恋、愛、そして絶望。
「でも……もうずいぶん前に、“記録者”としての機能は壊れてしまったの」
その声に、少しだけノイズが混じった気がした。人の声なのに、どこか、記録媒体が擦れたような、不自然な歪み。
「私の役目は終わったの。けれど最後に、“一人だけ”選ぶことが許されたのよ。次の時代の“器”を」
「器……って、それ、私?」
「ええ。あなたは、魔力という“数値”で測れる力には向いていなかった。でも……“感情”は、誰よりも強かった。あなたなら、まだ“世界を書き換える”ことができる」
その言葉の意味は、まだ瑞希には理解できなかった。
でも、少女が自分の前に手を差し伸べると、なぜだか――涙が出そうになった。
懐かしい。だけど、知らない。
「瑞希。あなたには、“ある魔女”の欠片が宿っている。世界を一度、滅ぼしかけた――最悪の魔女の魂がね」
「……え?」
「でも、安心して。彼女はまだ、眠っている。あなたが“選択”しない限り、目を覚まさない」
少女の目がすっと細められる。銀の髪が揺れ、空間の霧が渦を巻くように集まっていく。
「忘れないで。これは旅の始まり。そして、警告よ」
次の瞬間、少女の姿は霧の中に溶けた。
残されたのは一冊の、小さな本だけだった。
それは、瑞希の名前が書かれた魔導書。
そして背表紙には、かすかにこう記されていた。
「……どういうこと?」
ページをめくる手が、自然と震える。
だってそれはまるで、未来の“履歴書”を覗くようなものだったから。
ぱら、と風もないのにページがひとりでにめくれた。
書かれていたのは、見覚えのない“記憶”。
──魔女の塔が、黒い炎に包まれる。
──無数の感情が、空を裂いて舞い上がる。
──その中心で、笑っていたのは……確かに、自分に似た少女だった。
「これ……全部、私……?」
見たことのない戦場。聞いたことのない呪文。知らない誰かを抱きしめ、涙を流す“瑞希”。
何度も何度も死んで、叫んで、それでもページは進み続けていく。
まるで、“未来の記録”がもう決まっているかのように。
「やだ……これ、運命なの……?」
そのときだった。
魔導書の中心、見開きのページに触れた瞬間、瑞希の胸が熱くなった。
──“コードが共鳴を開始します”
声が、頭の中に響いた。いや、“声”じゃない。これは、もっと根源的なもの……魂に刻まれるような、魔法の起動音。
次の瞬間、魔導書の中から光があふれた。
淡い紫の紋様が瑞希の腕に浮かび上がり、空間に幾何学模様の魔紋が描かれていく。
瑞希の感情が暴れた。
不安、混乱、戸惑い、でも確かにある、“ここに生きたい”という強い意志。
「私は……」
ぐらりと視界が揺れる。
世界が反転し、光が渦を巻き──そして瑞希は、落ちた。