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〇〇は誰だ  作者: 北崎世道
一章
8/42

お風呂

 白くて眩い肢体が硬直している。

 両腕を上げ、産毛も生えてない滑らかな脇から水滴が流れ、脇腹を伝い、腰から太腿へと落ちていく。

 引っ掛かりのない流線形。


 綺麗な身体だ。

 しなやかな筋肉がバランスよく付いている。

 こういう身体をスタイルが良いというのだろう。

 均整の取れた肉体からは驚くべき程の努力の痕が伺える。

 小ぶりながら形のいい乳房。

 その先端で跳ね上がる薄桃色した母性の象徴。

 しっとりと濡れた鼠径部の奥底に眠る母性の真実。

 そこから床へと落ちる雫。


 成程、と僕は悟った。

 何らかの真理を垣間見た。


 その肉体は全体的にも綺麗で、細部も神が宿る程に美しかった。

 やや未成熟ながらも、なんら文句のつけようのない魅力がある。

 百人いたら一万人が絶賛するであろう美の持ち主だ。



 ただ、中身が問題だった。



 人形のように綺麗な容貌。

 上気した頬が奇怪な形状で歪んでいる。

 均整取れた肢体の上に乗っかる小さな顔には、驚くべき情報量を秘めた表情が浮かんでいる。

 驚愕、困惑、そして憤怒。

 他にも様々な感情があるのは判るが、全体からみて、その三つの感情で占められている。

 それらが殺意一色に変貌するまでに、そう時間は掛かるまい。



 ところで、ここで今一度、改めて現状を確認しておこう。



 お風呂でドッキリ。互いに全裸。僕の手には相手のパンツ。股間はエレクチオン。


 対する相手────ヤオ・ワンはお風呂上りで硬直中。 


 確認終わり。


 さて、この後、僕はどうなるだろう。


 一、殴られる。

 二、蹴られる。

 三、殺される。


 正解は一秒後。



 ◆



 正解は全部だった。


 高純度の殺意が籠った拳と蹴りがほぼ同時に襲い掛かってきて、チート能力を持つ僕でさえも、『あ、これは駄目だ』と匙を投げる程の殴打が繰り返された。

 殴打。殴打。殴打。殴打。

 当然、僕はなすすべもなくやられ、ボコボコにされた。

 チート能力を持つ僕ですら、というかチート能力を持ってなければおそらくガチで死んでしまっていたくらいの悍ましい暴力だった。


 それから顔面の面積が二倍以上膨れ上がったところで、寮内の全員を呼び、風呂場前の廊下にて、僕への裁判が開始された。


 全裸土下座で。


 もちろんヤオ・ワンの方は服を着ている。


「────という訳で、やっぱりこの男は●すしかないと思うの。なので誰かノコギリを持ってないかしら? 錆びて切れ味が悪いやつ」


 そう言ってヤオ・ワンが僕の頭を踏みつける。


「まぁまぁ、待ちたまえよ」とイケメンボイスが静止の声を掛ける。

 声からして名前を聞きそびれたイケメン美女だと思われる。

「怒るのは無理もないが、少し冷静になりたまえ。彼も悪気があってそうしたとは限らないだろう。寮内のルールを確認する時間もなかったのは考えずとも分かるだろう」


「だとしても、あたしの下着を持ってたんですよ!? これは明らかに悪意のある行為。可能な限り惨たらしい拷問の後に処刑するのが妥当だと思います!」


「…………あー」

 とイケメン美女が言葉にならない声をあげる。

 フォローの言葉が思いつかないのだろう。

 かくいう僕自身、何も言い訳が思いつかないのだ。

 こうやって今、五人の前で全裸で土下座を行っているのは、本当に反論が出てこないからだ。

 もう完全にヤオ・ワンの気が済むまで罰を受ける所存である。


「まぁまぁ落ち着いてよ、ヤオちゃん。ほらゴンベー君もなにか釈明はないの?」


「いえ、ありません」


 僕はきっぱりと断言する。


「強いて言うなら悪意ではなく本能に従っただけと言いますか。目の前に女性用下着があったら、何も考えずにとりあえず手に取って拡げますよね。そういう事です」


「釈明あるじゃん」とクリネさん。

 ごもっとも。

「なら、忍び込んだ事については?」


「そういうつもりはありませんでした。服を脱いだところで他者の服がある事に気付きました。

 誰かがお風呂に入ってるとかそういう事を考える間もなく、とりあえず下着を拡げたところでヤオさんと遭遇したので、忍び込んだという意図はありません。

 誰かが入ってる事に最初から気付いてたならもっとうまい立ち回りをしたと思います」


 コミュ障の僕にそういう芸当ができるかは不明だが。


「つまりわざとじゃなかった、と」


「率直に言えばそうです」

 ちなみにすぐに引き返すとは言ってない。


「どうかな、ヤオちゃん?」


 クリネさんがたぶんヤオ・ワンの様子を伺っている。

 僕は全裸土下座で頭を床に擦り付けてるので、詳しい事ははっきりと判らないが、たぶん合ってる。


「だとしても駄目。許さない。死刑」


 駄目だった。


「一刻も早くこの男はあの部屋から出て行くべきです。……ゴホンっ。この男はこの寮には相応しくありません可及的速やかに死ぬべきです」


「まぁまぁ」


 と、宥める声がする。


「もう充分仕返しはしただろう? ゴンベー君の顔は風船みたいに膨れ上がってるじゃないか。これ以上は不毛だ。むしろヤオ君の方に非が出てきかねない」


「むぅううっ」


 イケメンさんの言葉にヤオ・ワンが若干たじろぐ。


「だけどっ!」

 と言い返そうとしたところで、不意に別の声が入る。


「あのぉ、これ以上茶番に付き合うのは面倒なので帰ってもいいですか?」


 心底面倒だと思ってそうなダウナー系の声。おそらくコアカさんだ。最後にあいさつ回りをしたジト目の女の子だ。


「ちょっとコアカ!」

 ヤオ・ワンが怒鳴る。しかしコアカさんは冷静に、


「だってそうじゃないですか。今のところヤオがただ感情的に叫んでるだけの不毛な話し合い。いや、話し合いというのもおこがましい、ただただヤオの自己満足に付き合うだけの場ですよ、これは。

 そんなのに付き合う程ワタシは暇でもないですし、寛容でもありません。帰らせていただきます」 


 若干、現代っ子新入社員みたいな発言だと思ったが、実際、コアカさんの言い分は間違ってなさそうだったし、この場にいるヤオ・ワン以外の人物はその言い分に納得できていたっぽいので、誰もその言葉に反論しなかった。

 ヤオ・ワン以外は。


 問題の当人は、当然、その発言に激昂し、ぎゃあぎゃあと喚き散らした。

 異世界語翻訳機能でも翻訳に難のある罵倒を繰り返していた。


 それを完膚なきまでに無視して、コアカさんは自室へと帰っていく。

 静かな足音だったが、なんとか判った。


 これでもう趨勢は決まったようなものだった。


「…………ねぇ、ヤオちゃん。そろそろ許してあげようよ。はっきり言って、現状はもうヤオちゃんの方が悪い感じだよ。

 ゴンベー君はわざとじゃないのに、きちんと自分の非を認めちゃってるし。こんなところで裸で正座させられても、何の文句も言わないし」


「うるさいっ! あんたまでそんな事言うの?」


「だってさぁ……」


「ヤオ君。いい加減にしようか」とイケメンさん。

「これ以上騒ぐつもりなら、ボクはゴンベー君の味方をせざるを得ない」


「むぅぅぅうううっ!」


 ヤオ・ワンが唸る。怒りは収まらないが、これ以上論理的な反論はできなさそうだ。


 とまぁそんな感じで、ヤオ・ワンの主張は、彼女が感情的過ぎるが故に退けられていた。

 何事も強い言葉と強い感情で主張すればいいってもんじゃないってのがよく分かる展開だった。

 そこら辺は交渉とか腹の探り合い、政治とかに関わるところなので、それらがさっぱりな僕にはうまく解析できないが、とりあえずヤオ・ワンがネットで偶に見る痛い人みたいになってたのが印象的だった。


「馬鹿っ! 馬鹿っ! もう知らないっ!」


 ヤオ・ワンが幼稚な捨て台詞を残して、自室に戻っていく。

 僕は床に頭を擦り付けたままの態勢だったので、彼女がどの部屋に入ったのかは分からなかったが、階段を上る音がしなかったので、おそらく一階のどこかの部屋だと思った。

 これは異世界チートの聴力で聴いたので間違いない。


「やれやれ。困ったコだなぁ」

 イケメンさんが少し疲れた様子でぼやく。

「ほら、もう顔を上げてもいいよ、ゴンベー君」


 僕はイケメンさんの言う通り、顔を上げる。


「災難だったね……ぎゃっ!」


 僕が顔を上げると同時に小さな悲鳴が上がった。


「あぁ……ごめん。すいませんでした」


 悲鳴の理由にすぐ察しがいった。

 僕が顔を上げたので、つまりは上半身を起こしたので、下半身、つまりは陰部が見えてしまったのだ。

 これまでずっと全裸土下座態勢だったので、肝心なところは見えてなかったのだ。


 僕は両手で股間を隠す。


「いやぁ災難だったね」


 顔を真っ赤に染めた状態でイケメンさんが再度ねぎらいの言葉を掛けてくる。

 視線はあさっての方向を見ており、こちらを、特にこちらの陰部をできるだけ見ないようにしている。


「すいません。御迷惑をお掛けして」


「とんでもないさ。迷惑を掛けたのはこっちの仲間だからね。ゴンベー君が謝る必要はないよ」


「それでも、本当にすいません」


 僕は軽く頭を下げる。

 正座のままだったので、きちんと頭を下げると土下座になって重くなってしまう。なのであえて軽くだ。

 顔を起こすと、残った三人が僕の股間を見ている事に気付いた。


「…………」


 僕は隠していた両手をどかして、股間を晒した。


 三人は慌てて目を背けた。


 その反応だけでたちまち僕の股間が元気になった。


「…………」


 僕はおもむろに立ち上がり、腰を動かし、ふんふんふんと股間のプロペラを回転させた。


「何してるんだよっ」


 クリネさんが僕の頭を軽くぽかりと殴った。

 ヤオ・ワンみたいなガチの殺意を込めた拳ではなく、あくまで軽く。

 ぽかりと。


「すいません、つい本能が」


「堅苦しいコだと思ってたけど、意外と面白いコなんだね」


「そういや理事長室でもふざけてたっけ。堅苦し過ぎるのも困るけど、あまり下品なのも嫌だからそういうのは適度にね」


「はい。気をつけます」

 腰を振らずに、素直に頷く。



 それからあはは、と軽く笑い合い、この場はお開きとなる。



「それじゃいつまでも裸のままじゃなんだし、わたし達は帰るね。ばいばい」


「これからボディガードよろしく」


「あ、はい。よろしくお願いします」


 そんな感じでクリネさんとイケメンさんが自室へ帰っていく。

 ついでに一言もしゃべらなかったメカクレ少女も一緒に帰っていく。


 残された僕は再度股間を振り回す。

 そして風呂に入ろうと、浴場のドアを開き、その際股間をぶつけて悶絶する。


 今日は異世界に来て、巨大狼、竜、盗賊、それからヤオ・ワンと様々な敵と戦ったり、殴られたりしたが、今回のが一番大きなダメージだった。


 ものすごく地味なオチだった。



 ◆



 …………これでお風呂でドッキリイベントは終わりと思うじゃん?

 そうはならなかったんだよね。



 ◆



 お風呂に入り、ゆっくりする。

 この世界のお風呂は元の世界のお風呂とさほど変わらない。

 全面タイル張りの、普通のお風呂文明の差は魔力でどうにか補ってるようだ。

 見た目、元の世界のお風呂に、変な魔法陣があちこち描かれている感じ。


 目立つのは六面全てに文字が書かれた透明の箱だ。

 それに触れるとその中に水が発生し、それと同時にその水が温められてお湯となる。


 箱は頭と同じくらいの高さに設置され、逆側の先端がシャワーヘッドのホースに繋がっている。

 台座をガチャリと動かし、箱を傾けるとお湯が出る仕組みで、それがこの世界でのシャワーとなる。


 お湯がなくなるとまた箱に触ってお湯を貯めないといけないのがやや面倒だが、仕方ない。

 箱もそんなに大きくなく、一回のシャワーじゃ身体を洗いきれない。


 ボディソープはないが、石鹸は普通にあり、それで髪も洗うようだ。

 さすがにシャンプーまでは開発されていなかった。


 浴槽こそ元の世界となんら変わらない。


 あちこち魔法陣が描かれているが、これはどういう仕組みで浴槽にお湯を貯めるようになってるのか、僕には分からない。


 僕の前にヤオ・ワンが入ってたから、彼女が使った残りをそのまま利用しているだけだ。

 たぶんやり方が分かれば、僕でも普通に使えるだろう。


 魔力はたぶんヤオ・ワンよりもある。

 てか、この世界の人々と比べてもトップクラスに多いんだろうなと思ってる。


 どうせチートだし。

 あのクソでかい竜を魔法でやっつけたんだから、たぶん異常なレベルで多いと思う。


 百人分か千人分、もしくはそれ以上。

 だからやり方さえ分かれば、きちんと使える筈だ。


 浴槽に浸かり、ゆっくり温まってから風呂を出る。



 ガララとお風呂を出て、脱衣所のバスマットの上でタオルがない事に気付くと同時に、自分以外のもう一人がこの場に居る事に気付く。



 僕、全裸。

 そして相手も全裸。



 目と目が合い、互いに言葉を失う。 



 時が止まるってこういう事をいうんだね、とどこか他人事のように考える。



 もう一人の全裸姿の彼女は僕を見たまま、身体を硬直させていた。



 僕も硬直していた。

 特に身体の一部の硬直具合はすごかった。


 硬直というか剛直というか。

 ビクンビクンと跳ね上がり、自身の精神状態を表している。



 そのまま暫く時が止まった空間内で、僕達は互いの身体を見つめ合う。



 ────突然だけど、この後の展開はちょっと過激すぎるので割愛しよう。



 風呂場でエロいことが起きた。

 概要を語ればこれだけだし、語らずとも今後の話にもさほど影響はないと思われる。

 強いて言うなら相手が誰かについてだが、どうせすぐに分かるので、あえてこの場では語るまい。


 という訳でカット。 



 ◆



 次の日。

僕はやや疲れた状態で朝を迎えた。

ほとんど寝ていない。

一睡もしてない訳ではないが、ほとんどそれに近い。

締め切り前の漫画家みたいなものだ。

どうしてそんな状態になったかというと、昨日のお風呂イベントのせいでムラムラが止まらず、一晩中性欲を発散し続けていたからだ。

部屋の電気も消してないくらいだ。



 しかしながら一晩中、二進数でもないのに三桁いく回数行っていたにもかかわらず、やや疲れた、だけで済むのは、ちょっとただ事ではないと思う。

これもおそらくチート能力か。

戦闘力に限らず、体力、精力までチート性能らしい。

一回と一回の間がほぼシームレスに続いたのだから、一晩で三桁なんて馬鹿げた回数をたたき出した訳だ。

我ながら本当にヤバすぎる。

若さだけでは済まされない無尽蔵の精力だ。

●付けお●さんか。



 しかし、これをメタ的に考えると、このチート精力ははハーレムものを考慮してそういう体力に仕立て上げているのではないだろうか。

五人も可愛い女の子と同時に出会って、この中から誰か一人だけを選ばなくちゃいけないと思っていたのだが、もしかすると五人全員と付き合える可能性もあるのかもしれない。

だからこんな限界知らずの精力を与えられたのかもしれない。

やはり種●け●じさんか。

エロ漫画的な考え方だが。



 そんな訳で、朝の支度を整えた後、僕は根拠がおっさんの頭髪くらい薄いメタ思考で少しウキウキしながら自室の扉を開いた。

すると、ちょうど僕の部屋の前を通り過ぎようとするヤオ・ワンと顔を合わせた。


「…………チッ」


 ヤオ・ワンはこちらを見るなり汚物を見るような目になり、舌打ちをし、更にはとても公共の場では言ってはいけない言葉を、ってか十代の女の子が絶対言ってはいけない悪態を吐いた。

でもって、さっさと僕の前から立ち去っていった。

姿が見えなくなっても、チート能力のおかげか人間の悪意を凝縮したような悪態は聞こえてきた。

それは演技ではない、ガチで嫌ってる証拠だった。



 …………なんというか、アレだ。

ハーレムは五人じゃなくて四人かもしれなかった。



 あそこまで露骨に嫌われてると、ツンデレの概念を知ってる僕でもちょっと彼女から好かれるイメージが湧いてこない。

政治家の良心を期待する方が簡単なくらいの絶望度だった。


 僕は一度自室に戻って、傷ついた心を癒す事に専念した。

こう見えて僕はシャボン玉よりも壊れやすいハートの持ち主だ。(ほんの少しМっ気はあるかもしれないけど)


 ただまぁ元の世界での唯一の特技が現実から目を背ける事なので、少し時間を貰えればそれなりに気持ちを立て直す事もできる。

ひとまずはその特技(別名、妄想)でなんとか気持ちを立て直す事にする。


 という訳で妄想開始。


 そして十分後。


「やれやれ、いくら僕が好きだからって、そんなに僕のおしゃぶりを欲しがらなくてもいいのに。そんな事をせずともおしゃぶりどころか中身入りおむつぐらいあげたのに。まったく困った子猫ちゃん達だなぁ。あはは……あはは………………はぁ」


 ゴンベエ書妄想記第2章70節。

僕のお気に入りのところで、妄想の中でも何度も繰り返し思い返している箇所だ。

いつも同じところばかり考えているので、既にあらかた想像し尽くしており、改善の余地はほとんどない。

ある種のルーティンワークとさえ言える。


 そんな感じで妄想も一区切りついたので、今度こそ部屋を出る。


 今度は誰とも顔を合わせなかったし、悪態も吐かれなかった。

個人的にはクリネさん辺りに唾を吐き掛けてほしいと思ったり思わなかったり、思ったり思ったり思ったり。


 さて、今度こそ部屋を出た訳だが、肝心の目指すところが分からない。

いや、一応目的地はあるのだが、その場所が分からない。


 食堂だ。


朝食をとる為の食堂に行きたいのだが、肝心なその食堂の位置を訊くのを忘れていた。

昨日、ブルババから色々書類的なモノを書いている時に飯は食堂に行けば、指定された時間内なら無料で食べられると聞いていたので、今のうちに行っておきたいのだが、その場所が分からない。


 僕は辺りを見渡して、食堂はどこかと探してみる。

と、不意に視界に見覚えのある人物の後ろ姿を捉えた。

あの尻は……クリネさんだ。

僕が護衛すべき対象の内の一人。

クリネ・ヨヨさんだ。

五人の中で性格は良くも悪くも一番普通な感じ。

個人的には少しお姉さんっぽい感じもしている。

一人称があーしならオタクに優しいギャル。


 きちんと確認。


 うん。あのウェーブの入った髪型はクリネさんだ。

尻の丸みから見て間違いない。

あの人に食堂の場所を訊いてみよう。


 僕は小走りでクリネさんのもとに駆け寄る。

僕が近付くとクリネさんはこちらを振り向き、少し怪訝そうな顔を見せる。


「おはようございます」


「え、あ、はい。おはようございます」

怪訝そうでも挨拶を返してくれるクリネさん。


「すいませんが聞きたい事があるんですが」


「はい、なんでしょう?」


「えっと、食堂の場所ってどこですか?」


 クリネさんの顔がより怪訝そうなものになる。


「…………えっと、あっちの方です」


 困惑しつつもクリネさんは場所を教えてくれた。


「行ったら、人がたくさん集まってるのでたぶん分かると思いますよ」


「あ、そうなんですね。あ、ありがとうございます。いやぁ、昨日ブルババ…………もとい理事長先生から食堂の場所を聞きそびれてしまって」


「あ!」

といきなりクリネさんが声を上げた。


 クリネさんの顔が困惑から驚愕へと変化していた。

まるで知り合いが女装趣味の変質者だったみたいな感じの反応だ。

口が縦長の長方形で、美少女なのにほうれい線がくっきり出てしまっている。


「も、もしかして…………ゴ、ゴンベー君?」


「はい。貴方の護衛者ゴンベーです。実は……」


「チョット、マッテ。ナニ、ソノ、カッコウ、ハ?」


 片言で訊かれた。余程、混乱しているように見える。


 しかし恰好と言っても…………ああ、成程。


 僕は己の恰好を見直し、クリネさんの驚愕の理由を悟った。


「これは制服ですよ。クリネさんと同じ制服です。サイズも大体合ってますし。特に問題はないでしょう」


「いや、問題はあると思うんだけど…………何故に女子用セーラー服?」


「部屋にはこれしかなかったので」


 自室にはクローゼットが備え付けられており、その中にはシンプルなデザインのセーラー服が掛けられてあったのだ。

他には何も掛けられておらず、昨日、門兵からタダで貰ったくっさぁい作業着とどちらを着るか迷ったのだが、今の僕は異世界転移(転生?)仕様で中性的な顔立ちをしているので、こちらを選択した。

この顔なら何も知らない第三者が見ても、普通に女の子として見られるだろうし、誰にも咎められない筈だ。


「似合ってるでしょう?」


「…………まぁ、似合ってはいるけど。彼氏の一人や二人いてもおかしくないくらいに似合ってるけれども……」


「ありがとうございます。ですが、クリネさんに比べたらまだまだです。やはり生粋の美少女には敵いませんね。あ、ちなみにノーパンです」


「ノーパン!?」


 スカートをたくし上げようとするが、咄嗟に我に返り、手を離す。

昨日、下品なのは控えるよう言われた事を思い出した故の判断だ。


 元の世界の僕だったら股間を見せつける行為なんて絶対しないし、そもそも女装して平然と外に出る事さえしないだろう。

どうも身体が変わったせいか、必要以上に自分に自信がついてしまってる気がする。

これも一種のナルシズムだろうか。

現時点では自分の身体だが、これが自分の身体だという自覚が薄いからこそ起きてる現象かもしれない。


「よく、平然としてられるね……」


 呆れたように、あるいは感心したようにクリネさんが言う。

苦笑いと微笑みの中間くらいの微妙な表情だ。

上司もしくは先輩が話し掛けてきた時の部下もしくは後輩の笑みに近い。


「そうですね。徹夜テンションのせいかもしれません」


「あ、寝れなかったんだ」とクリネさん。

「ですね」


「昨日、すごかったもんね」

「はい」


 おそらくヤオ・ワンに怒られ全裸土下座させられた事について言ってるのだろうけど、実はその後、別の人とお風呂でドッキリイベントがあって、どちらかというとそっちのせいで寝られなくなったのだ。


 あっちの方が過激だったからね。


 思い出すだけで股間に熱が籠ってしまってスカートが捲り上がりそうになるので、できるだけ忘れるよう心掛ける。

サイズが大きくなってしまったが故の弊害だ。


「それじゃそろそろ失礼します。確か、時間を過ぎると有料になっちゃうんですよね」


「あ、そうだね。一応まだ余裕はあるけど、時間ギリギリだと混むから早めの方がいいもんね。わたしももう食べ終わったし」


「あ、そうなんですね」

誘いたかったけど、残念。

「そ、それじゃ、食堂の場所教えてくれてありがとうございます。失礼します」


「はーい。じゃあねえ」


 クリネさんが小さく手を振る。

 僕は頭を下げ、この場を後にする。



 クリネさんの言った方向に歩くと、確かにたくさんの人が集まってる建物を発見した。

あそこが食堂だろう。

長蛇の列が建物の出入り口を少し越えたところまで続いている。

一見、時間が掛かりそうに思えるが、列の進みが速いのでそこまで待たなくてもいいだろう。

席の数もまだ余裕がありそうだ。


 列の最後尾に並び、順番を待つ。


 待ち始めて二分。

待ってる間にいきなり割り込みする奴が現れた。


 おいおい、と内心ため息を吐く。

異世界でもこういう常識のない奴がいるんだなと残念な気持ちになる。


 もしも僕が現時点でも最後尾なら面倒ごとを避けてスルーしてやるかもしれないが、今の時点でもう僕の後ろにも大分行列が並んでいるので、その人達の事を考えると流石にこの常識知らずを流してやる訳にはいかない。


「あの、並んでるんですが。割り込まないでくれます?」


「あん?」


 常識知らずが振り返り、すごんできた。

僕よりも頭一つ分デカい男だ。

目つきが悪く、元の世界なら成人式で捕まってそうなDQN男である。


「んだよ文句あるか?」


 と、DQN男は見るなり、すごんでいた表情を変えた。

喧嘩モードから別のモードに。

「へぇ……」と下卑た笑みを零すその顔はとてもとても気持ちが悪かった。

なんというか、エロ漫画の汚っさんが可愛い女の子の頬に舌なめずりをするような感じだった。

これだけで、気持ち悪い男に言い寄られる女の子の気持ちが分かってしまった。


 …………ってそういえば、今、僕は女装してたんだっけか。


 ついさっきクリネさんに指摘された事をもう忘れてしまっている。

痴呆だろうか。

いや、今の僕は見た感じ十五歳前後。

年を感じるには早すぎるか。


「見ない顔だね。ねぇよかったら一緒に飯でも食わない?」


 途端、背筋に悪寒が走った。

ここまで悍ましい悪寒は久しぶりだ。

昨日ブルババに言い寄られた時以来だ。


 あまりの悪寒に、僕はその場から逃げ出した。

後になって、この時にこのDQN男をぶん殴っておけばよかったと後悔するのだが、時すでに遅し。

後悔は後にしかできないもの。

折角のチート能力も活かすことなく、ただただ虚しい敗北感を味わう羽目となった。


 ともあれそんな訳で、僕は朝食を食べそびれてしまった。


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