ブルドッグみてぇなババア
「うわぁ、すげぇ人の形してる……」
自分が落ちた時の穴を見下ろしながら、僕は無駄に感心していた。
漫画みたいな綺麗な人型の穴。
ザ・非常口。
ここまで綺麗な穴なら、写真を撮ってネットにあげたらきっとバズるんだろうなぁ、いや、CGだと思われるだけかなぁなど考えていた。
が、今の僕はネットの世界など存在しないファンタジーの世界にいる事を思い出し、それが無駄な考えだと気付いた。
そもそもSNSにあげたところでフォロワーが、夫がアリクイに殺された系の人妻しかいないのだから、何の意味もなかった。
どれだけすごい事をしても、それを評価してくれる人がいないと虚しいだけなのだ。
嗚呼、無常。
悲劇。
絶望。
孤独。
閑話休題。
僕は竜を倒して一休みした後、今後の方針について考えてみた。
単純に考えたらレッツゴー徒歩で森を抜けるだけだが、森を抜けた後についてどうすべきかという問題が出てきたからだ。
というのも対竜戦で、僕は上空からの景色を見る機会があり、その際、明らかに人が住んでそうな街、もしくは国を見つけたからだ。
たくさんの建築物にそれを囲む高い城壁。
人口十万以上はいるであろう規模の街、もしくは国。
それを見つけた訳だから、とりあえずそっちの方角に向かう事はもう、正月に初詣に行かないくらい決定事項だ。
わざわざ別の方角に行く必要はない。
問題は僕の恰好だ。
僕は今、全裸だ。
アダムとイブがリンゴを食べた辺りで卒業したであろう野外でのフリーダムスタイルだ。
洞窟で拾ったローブも着て数分で盗賊に奪われたから、マジで何もない。
僕がこれまでの人生で遺したものと同一で皆無だ。
虚無だ。
うんこだ。
そんな恰好で人がいる場所に向かうとどうなるだろうか。おそらくは逮捕されて檻の中にぶち込まれるだけだろう。
国の外観やから文明の高さがある程度判ってるし(たぶん中世ヨーロッパ。
異世界系のよくある感じのやつ。
この予想はほぼ間違いないだろう。
てか、巨大狼に喰われた盗賊がなんか言ってたし。
変態がどうのこうの。
なのでひとまずは春先によく出没するネイキッドスタイルをやめて、何かしら最低限の文明を証明する衣服を用意しなくてはならない。
と僕は考えるのだが、問題はどうやって衣服を用意するかだ。
こんなおっさんのケツ毛みたいな森、つうかジャングルの中で、どうやって。
…………まぁ、普通に考えたら葉っぱとかそんなだよな。
ひとまず僕のビッグマグナムをも隠せるデカい葉っぱを探して、そんでもってひも代わりのツタで結びつける。
うむ。
ケツ毛みたいなジャングルだけあってデカい葉っぱとツタを探すのは、街中で僕よりも顔の良い人間を見つけ出すくらい余裕だった。
一秒で見つけた。
僕はあまり手先が器用ではないので、それをきちんと服代わりになるよう加工するのはそこそこ大変だったが、ケツ毛ジャングルなだけあって失敗しても材料はそこら中に転がっているので問題なかった。
僕のこれまでの人生のように何度も何度も失敗を重ねてようやく完成にこぎつけた。
できた。葉っぱパンツと葉っぱマスク。
本当はマスクではなく葉っぱシャツを作りたかったが、シャツに加工できるほどの大きさの葉っぱはなかなか見つからず、なんだったらマスクで顔を隠せば問題ないんじゃね? という発想のもと、視界用に穴を開けて、ツタで冠を作って、それとデコの間に挟み込むだけという製作時間数十秒の伝説の逸品である。
…………なんとなく変質者感が増したような気がするが、今は気にしないでおこう。
ダメそうだったら外せばいい。
ちなみにパンツもほとんど同レベルの作りである。
ツタを股下に通すと「ハァンッ」と、玉ハッカみたいな新世界の扉を開いてしまったので、泣く泣く中止。赤ん坊のよだれかけみたいな感じである。
お尻まる出し!
そんな感じでフリーダムスタイルから脱出した僕は新たな葉っぱスタイルで街を目指す事にする。
◆
二、三時間ほど歩き、ようやく葉っぱスタイルで野外を闊歩する事に快感……もとい慣れ始めた頃、僕はふと、自身の身体の異変に気付いた。
「そういや、怪我がいつの間にか治ってるな……」
いつからだろう。なんか最初から治ってたような気もする。
竜との戦いが終わってから、怪我の痛みはほとんど気にしなかったから気付かなかったが、ホントいつの間にか綺麗さっぱり、完全に治っている。
赤ん坊のような卵肌。
むしろいつまで怪我が残ってたか、みたいな感想さえ抱くぐらいだ。
これもチート能力の一種だろうか。
魔法が使える世界だから回復魔法で治すものばかり思っていたが、どうやら違うようだ。
…………いや、そうじゃないか。
回復魔法で治す世界観でありながら、そのうえで僕の回復能力がチートスペックなだけか。
ひとまずは自動回復スキルとでも思っておこう。
怪我の心配が格段に減ったと考えれば、これから先、多少無茶な行動やら戦いにもそれほど抵抗なく挑めるだろう。
ビビりはするだろうけど、それも慣れればたぶん大丈夫。
きっと。
メイビー。
と、自分の回復能力について色々気付いて、思考し始めた頃、遠くから悲鳴らしき声が聞こえてきた。
魔物などの声ではなく人間の声だ。
それも女。
女の悲鳴だ。
僕はそれまでの思考を全て放り投げ、即座にその声が聞こえる方へと駆け出した。
声は意外と遠かったが、チート脚力で全力ダッシュしたらあっという間に到着した。
そこは五メートルくらいの小さな崖で、その下に馬車二台とそれを囲む謎の集団がいた。
集団の方は服装からしてたぶん盗賊だろう。またか。
盗賊団はおおよそ三十名程で、そのほとんどが手に錆びたサーベルか剣などを持っていた。
連中は
「ギャハハハハハッ」
とか
「襲え襲え!」
とか
「男は殺せ! 女は犯せ! オカマは…………個人の性癖に任せる!」
など世紀末でヒャッハーみたいな台詞を吐いて、今にも馬車に襲い掛かろうとしている。
「隊長っ! ババアはどうしましょう?」
「容姿はどうだ? 美魔女か?」
「ブルドッグ七、オーク三!! クリーチャーです!」
「よし犯せ!」
「嘘でしょっ?」
僕は崖を飛び降り、急いで盗賊団のもとに駆け寄る。
まずは馬車に一番近い、ブルドッグババアを引きずり出そうとしている男をぶん殴る。
「うりゃあっ」
チート能力があると分かってるので、怖いものなしだ。
「グェエッ!」
続いて、傍にいる二人もぶん殴る。
「おわっ、なんだてめ……バビロンっ!」
「うぉっ、全裸の変態が襲い掛かって……チリペッパーっ!」
計三人をぶん殴って気絶させたところで、ようやく盗賊団の半数以上が僕の存在に気付いた。
「うぉおおっ、仲間がやられたぞーっ!」
「なんだ、変態だーっ! 変態がいるぞーっ!」
「ぬぉおおっ! やっつけろーっ!」
「ぶっ殺せーっ!」
「ぶち犯せーっ!」
「だったら俺に任せろーっ!」
バリバリバリーと財布じゃなくて服を破る音。
僕はこちらに飛び掛かってくる連中を殴り飛ばす。。
「どりゃー」「ぐへぇ」「うりゃー」「ぼへぇっ」「こんちくしょー」「あべぱっ」
盗賊団は誰もかれもがガガンボ並みに弱いので、踏み込みなど全く意識してない腕力だけの弱パンチで簡単にやっつける事ができる。
「ぎゃぁああー」「やめてくれー」「命だけはー」「ママー」「うわー」「うでがちぎれたー」ちぎれてない。「いたいいたいいたいーっ」「しんだー」死んでない。「おたすけをー」「おじひをー」「ち●こー」「ひぎゃぁああー」「なんてことだー」「足のほねがおれたー」「ちゅうかんけつじょうこつにひびがー」「いっそころせー」「やっぱやめてー」「たすけてー」「ぱぱー」「やめろー」「ぐわー」「なんてことだー」「ちくしょー」「やられたー」「なんなんだこいつは」「おにーちゃーん」「おねーちゃーん」「ぽちー」「たまー」「たまたまー」「き●たまー」「かみさまー」「ほとけさまー」「●ーめん」「ムサシがやられただと」「まだかー」「そろそろあきたー」「でもまだつづくのー」「うそだろー」「まじかよー」「こいつヤバすぎる」「そろそろいいだろー」「だめなのー」「えー」「いいだろー」「びー」「さきっちょだけー」「しー」「だめだったー」「なにがだめだったんだー」「いったんひくぞ」「くそー」「まじかよー」「つぎこそはー」「のわー」「ぬわー」「いやー」「いあー」「ばすたー」「ばすたー」「くふあやくぶるぐ●むぶぐとらぐるんぶるぐとむー」「せーのっ」「ふ●いやー」「あい●すとーむ」「ふれいん●むど」「じゅ●む」「ば●えーん」「●よえーん」「ばよえ●ん」「ば●んきゅー」
以下略。
たぶん三十人以上やっつけたと思ったけど、まだ全然残っているというか、むしろ増えているというか。
辺りを見渡してみたところ、どうやら増援がきているようだ。
盗賊って無限リポップすんのかなぁと思うほどの増援率。
なにかしらのS●Pでも発動しているのかもしれない。
それでも頑張って倒し続け、ようやく全員倒し終えた時には辺りにはたくさんの盗賊が倒れていた。
死屍累々というかちょっとした地獄というか。
でも、やっつけた数に比べるとやっぱり数が少ないと思うので、おそらくは何かしらのSC●か、あるいは倒した連中の中に分身の術を使える奴が混じってたのだと思うんだってばよ。
どちらにせよもう全員やっつけたので、どうでもいい事だ。弱かったし。
それよりもだ。
僕は襲われた馬車の中にいる人たちに声を掛ける。
「おーい。終わりましたよー」
反応がないので、近付いてみる。
すると、近付いた瞬間、ビリっと電気みたいなのが走った。
当たった指先が焦げてる。
どうやらバリアとか結界みたいなのが張られてるようだ。
このまま無理やり近付いて力尽くでバリアを破ってもいいのだが、特に無理して破る必要はないので、もう片方の馬車の方に近付いてみる。
すると、こっちはバリアは張られてなかったので、簡単に近づくことができた。
扉を開けて、中を確認する。
と、そこにはブルドッグ七、オーク三くらいの顔をしたクリーチャーもといババアが座っていた。
さっき引きずり出されそうになってた老婆もといクリーチャーだ。
老婆はこちらを見るなり、警戒心を露わにして、「何が目的なんだい、あんた?」と言った。
やはり僕の事を盗賊団の一味だと勘違いしているようだ。
どうしようか、と僕は悩んだ。
特に礼を求めて動いた訳でもないし、それに老婆……こんなのはババアでいいか……ババアの礼なんか貰っても嬉しくないので、このまま黙って立ち去るのも手だと思った。
けれどもこのまま放置するのもなんだか気が引けるので、一応説明だけはしておこうかと決めて、
「目的って言っても、襲われてるのを見つけたから、助けてやっただけだよ。勘違いしているようだから一応言っとくけど、僕はそこら辺に転がってる盗賊団の連中とは違うから。単なる通りすがりだから」
「単なる通りすがりが、あれだけの人数の盗賊団を片付けられる訳があるかい。何者なんだい、あんたは」
「うーん」
返答に困る。
ここで異世界人です、と馬鹿正直に答えても理解してもらえないだろうし、そもそもこんなババアに僕の一応はトップシークレット(にするつもり。
異世界系なら異世界出身である事を隠すのがセオリーだと思うから)を赤裸々に語る必要なんてない。
じゃあなんて言えばいいかといえば、やっぱりただの通りすがりとしか言えない訳で。
「そっちがどう思おうと、こっちはただの通りすがりとしか言えないし。まぁ別に信じなくてもいいよ。どうせこのまま立ち去るつもりだから。そんじゃ。あ、あと、そこに転がってる奴らをどうするかは、そっちの判断に任せるよ。好きに処理しといて。それじゃ」
そう言って、僕はこの場から離れようとする。が、
「ちょいと待った!」と声を張り上げ、ブルドッグみたいな顔をしたババア、略してブルババが某を呼び止める。
「なに?」
と僕は振り返る。
ここで無視出来ないのが僕の弱いところ。
他にもまだまだ弱いところは宇宙の小隕石くらいたくさんあるが、いちいち挙げてたらキリがないので気にしない。
「何の用?」
再度訊ねる。
「礼をしたいんだが……あと、さっきのを謝罪したくて……」
「別にいらないよ。礼を求めて助けた訳じゃないし」
僕はそう言って今度こそ立ち去ろうとする。
「待ってくれ」
とブルババ。
「あんたはどうして……どうしてそんな恰好をしてるんだい?」
「別にババアには関係ないだろ」
僕はすげなく返す。
「趣味だよ趣味」
勿論、本当は趣味ではないのだが、いつの間にか本当の趣味になりつつある。
これが新たな扉を開くというやつか。解放感。
「変態なのかい」
ブルババは実に的確な感想を言った。
違う、と否定する事は容易いが、それ以上に難しくもあるので、「うるせぇ」とだけ返して、まる出しの尻を向け、この場を去った。
立ち去る僕にブルババは、
「アタシゃ、あの街の学園の理事長をしてるんだ。何か困った事があれば、いつでも尋ねておいで。よかったら助けてやるよ」と言った。
僕は返事をしなかった。
◆
馬車を助け、その場を立ち去ってから早二時間。僕はどうしようかと悩んでいた。
森の中を歩いてもう十分に時間が過ぎている。
あと一時間もすれば世界は茜に染まるだろう。
このままで真っ暗な夜の森の中で野宿しなければいけない羽目になる。
繊細なシティーボーイな僕にはやぶ蚊だらけの森の中で野宿するのは、体育の授業で誰かとペアを組むくらいにハードルが高いので、仕方なく一番近くの街に向かう事にする。
できればあのブルババがいない街を探して、そっちの方に向かいたかったのだが、残念ながら現在発見済みの街以外に人が暮らしてそうなところは見つけられなかった。
もう少し明るくて、時間もネトゲするくらいに余りまくってたら、別の街を探してそっちに向かうのに、誠に遺憾だ。
そんな訳で一番近くの街に向かう。
空から見つけた、そこそこ高い壁に囲まれた巨大な街。
壁の一部に小さな扉があり、その前に鎧姿の門番が立っている。
徒歩で近寄り、門の前に立ってる門番が二人だと判るくらいに近付いたら、両手を上げて無害を示す。
門番もこちらに敵意がないと判れば、警戒心も大幅に薄れ、
「動くな。近付きたかったらその場で両手を上げ続けてくれ」と声をあげた。
その声にもそれほど緊張感は乗っておらず、こちらがほとんど目の前まで近付いた時にはもう、警戒心はほとんどなくなり、むしろ路上パフォーマーを見る時のような好奇の目を向けていた。
手にある武器も義務感によってでしか向けていない。
「なんなんだ、貴様。その恰好は」
当然の質問。僕は用意していた答えをそのまま話す。
「気付いたら素っ裸で森の中いて、何も着るものがなかったんです」
森の中じゃなくて洞窟の中だが、細かい事は気にしない。
「手持ちも何もありません。もしそっちで用意してくれるのなら、たとえどんなものでも着ます。エッチな水着でも」
「エッチな水着でもか!」
「どうして素っ裸で外にいたんだ?」
僕と同僚の言葉を無視して、右側に立ってる若い方の門番が尋ねてくる。
「さあ、自分でもよく分かりません。盗賊にでも身ぐるみ剥がされたのかも」
「覚えてないってのか」怪訝な表情。
「はい」異世界出身である事を伏せるなら、記憶喪失という事にするのが無難だろう。
とりあえず聞かれた事には覚えてないの一点張りの予定である。もし異世界特有の魔法的なアレコレでこっちのステータスやら身元、個人情報などが知られたりしたらどうしようという不安はあるが、それでも今のところはこういう事にしておくしかない。この世界のルールなんて分からないんだから、虎穴に入らずんば虎子を得ずの気持ちで特攻するしかない。
「ふうむ。ううむ」と門番が唸る。と、僕は密かにドキドキしてる中、もう一人の門番が口を挟んでくる。
「なあ、別にこいつの事情なんてどうでもいいんじゃないか? 明らかに手ぶらで、規制品を持ち込んでる様子もないし、入れても何の問題もないだろ?」
唸ってる門番の方が頷く。
「それもそうだな。とりあえず何かこいつに着させる服でも用意してやれば、それでいいか。なぁお前、あっちの宿舎の方にボロの作業服があるんだが、それでもいいか? つうかそれを着ないと入れてやれないんだが」
「別に僕は構いません。ですが、お金は持ってなくて……」
「見りゃ分かるわ」
門番が屈託なく笑う。
「つうかいらんわ。どうせ捨てるしかなかったやつだから遠慮なく着てくれ。必要なくなったら勝手に捨てて構わないから」
「ありがとうございます」
僕は礼を言い、頑丈そうな扉を潜り、街の中に入る。
街の中はぱっと見、外観からのイメージと僕が勝手に持ってた異世界のイメージがそのまま反映されたようなものだった。一
言で言ってしまえば、中世ヨーロッパみたいな雰囲気だった。
異世界あるある。中ヨロ風なのに道端に●んこが落ちてないところも含めて。
「こっちだ」と門番が建物に案内してくれる。
彼の向かう先にある石壁で作られた白い建物。
あれが宿舎か。
僕は素直についていく。
歩く度にビッグマグナムが揺れる。
門番が木製の扉を開き、中に入る。
僕も続く。
薄暗い建物内。
空気が湿気っている。
入り口のすぐ傍に勾配のある階段があり、それを上る。
ぎしっ、ぎしっとやけに軋む音を聞きながら登り終えると、二階は一階よりも更に暗く、狭い通路が待ち構えていた。
ホラゲーもしくは脱出ゲーに出てきそうなところだ。
門番はその狭い通路を慣れたように歩き、左側の壁に四つ並んだ扉の内の一つを開ける。
必要なものとゴミの区別がつかない汚い部屋だ。僕の部屋に似ている。
「たしかここにあったと思うんだが……ああ、あった」
門番は床に落ちてあった作業着を拾い、こちらに手渡す。僕はそれを受け取り、ひとまず広げてみる。
サイズは合いそうだが、確かに予告した通りボロボロの作業着だ。
ところどころ破れた茶色の布。
もとい作業着。
埃かぶって、股間か納豆か区別のつかないような臭いがする。
右ひざの辺りに小さめの染みが見えるが、そこに虫がたかっている。
おっさんの顔くらい汚い。
これならホームレスが尻に敷いてた段ボールの方がマシなくらいだ。
とりあえず右膝当たりの小さめの染みが糞尿でない事を祈っておく。
「ここで着替えてくれ」
と門番が言うので、その指示通り、この場で着替える。
葉っぱのパンツは作業着を着た後に脱いだ。なんとなく小学校の水泳授業の着替えを思い出す。
「くっさ」
と僕は言った。
語尾にハートマークも出せないガチもんの臭さだ。
まさに兵器級。
夏場のサラリーマンの靴下に匹敵するその臭さは、それこそ人生の苦しさを体現してると言えよう。
こんなものを着させるとか、人間を家畜、もしくはブラック会社の社員としか思っていないんじゃなかろうか。
そりゃあ文句の一つくらい言いたくもなるだろう。
「文句を言うな」と門番が窘める。
「それよりもマスクは外さないのか?」
その問いで僕は自分が葉っぱのマスクをしている事を思い出した
。頭隠して尻隠さずの状態を地でいってたのか。恥ずかしい。
「そういえばこんなのもつけてたな。完全に忘れてたや」ビリっと剥がす。
服を着た事で隠す理由もなくなったのだ。
僕が特に何の抵抗もなく顔を晒したことで、門番は若干拍子抜けしたような表情をみせた。
僕が顔を隠していた事に、何かしら理由があったのだと思ってたのかもしれない。
「そんじゃついてきてくれ」
「うん?」
服を着た事でもう門番には何の用事もないのだが、言われた通りついていく。
階段を降り、そのまま出口に向かい、外に出る。
「こっちだ」
「うん」
断る理由もないので、何の反対もなくついていく。
門から離れ、どんどん街の中へと入っていく。
「どこにいくんですか?」
「まあ、ついていけば分かる」
らしいのでついていく。くっさい服を貰った仇、じゃなくて恩もあるし、今はまだ反対する理由もない。
門番が石畳の地面を少し速い歩調で進んでいく。何か急いでいるかのような態度。他所の家の麦茶みたいな違和感。
確かにもう日が沈み始めて、既に夕方。
もう少ししたら街は茜色から黒へと変わるだろう。
そういえばこの世界にも太陽があるんだな、と思うが、そこら辺はあまり気にしない。
そもそも地球と同じような環境だから、地球人と見分けのつかない生物が存在し、地球人と同じように生活しているのだろう。
地球と似ても似つかないような環境なら、生物なんて存在しないだろうし、ましてや人間と同じような形にはならないだろう。
つうかこういう事にあまり論理的思考を持ち込むのは野暮というものだ。異世界だから、ファンタジーだから、そういう理由で納得しておけばいい。それこそ、現実的に考えるのではなく、メタ的に考えていた方がいいぐらいだ。
そう。今の僕は何かしらの物語の登場人物、チート能力もあるから、おそらくは主人公なのだ。
きっと。
たぶん。メイビー。
とりあえず第三者視点、神のような視点からから見て、あまり嫌悪感を持たれないような、そういう行動を心がけよう。
むしろそっちの方が、今後生きていくうえで重要なのではないかと思う。
まあ、メタ思考じゃなくても、他人に迷惑を掛けないよう動くのは大事だと思うし。
暫く歩き、いよいよ門から必要以上に遠ざかっている事に気付く。
「そろそろ何処に行くのか教えてくれませんか?」
「お前さんはこの街に来た事はあるのか?」
僕の質問を無視して、門番が街について説明を始める。
「この街は大きく別けて、四つの区域に別れていてな。
「一つは王族たちが住む王宮区。王族が住むところだな。城もあるし、俺たちのような国に忠誠を誓った兵達がたくさんいるところだ。
「一つは経済産業区。色々なお店が並んだり、たくさんの物が作られたりするところだ。店が密集している辺りは、都市部と言われたりする事もある。
「一つは迷宮区。ここには迷宮がある。といっても迷宮の入り口だけだがな。迷宮自体は異空間だから、迷宮そのものはなくて、それでも迷宮入り口があるから、冒険者がたくさん集まって、それに関係する店や建物が並んでいるところだ。言ってしまえば戦う人にとっての経済産業区みたいな感じだな。
「最後の一つは農業区。文字通りここで農業が行われている。土地の大半が畑や田んぼなどだから、人自体はそれほど多くはない」
「それでどこに行くの? ……行くんですか?」一通り
説明を聞き終えた後、僕は再度質問を行う。
「経済産業区だな」と門番は答える。
「ここが一番広く、そしてたくさんの人が住むところだ。
ついでに言うと、今言った四つは完全に別れている訳でもないから、農業区に王族が住む建物があったりするような事もある。あくまで大まかにって話だ」
「ふぅん」と僕は言う。
なんだか話を逸らされてるような気がするので、
理解はできても納得はできない。
この門番は一体何を企んでいるのだろうか。
そのまま門番についていく。
なんだか逮捕され、連行されている気分になってきた。
勿論、手錠で両手を拘束されている訳じゃない。
だけどこうして問答無用で連れて行かれてる感じが、僕に逮捕されてる気分を味合わせているのだろう。
服を着て、これまでの解放感から離れたせいもあるかもしれない。
だとしてもこの感覚はなんだろう。
なんだか嫌な予感がしてきた。