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アイスコーヒーを持ったヨシダさんと、メロンソーダを持った僕が、カラオケルームに入室する。
2人なのに、大きめの部屋を割り当ててくれたようだ。
先に入室したヨシダさんの、テーブルを挟んだ正面に腰掛ける。
あらかじめクーラーはかけっぱなしだったので、部屋内は快適だ。
「さて、何から話しますか?」
「何から聞きたい?」
「そうですねぇ……いつやるんですか?」
「今日」
「今日!?」
「今日都合悪いの?」
「いや、そりゃ暇ですけど……」
だって今日の昼以降の予定1つも入れてないんだもの。
だがしかしとはいえ、早くない? 今日、人を誘ってその日のうちに実行できるもんなんだ。殺人って。
なにぶん、経験がないからわかんないなぁ。
「なんかもっとこう、入念な準備と計画を練った完全犯罪的なやつの相棒ポジを期待したんですけど」
「別に、完全犯罪がしたいわけじゃないから」
「え、いやでも……捕まりませんか?」
「さあね。そん時はそん時だよ」
「うわぁ。さっぱりしてるなぁ……」
「殺したいから殺すの。その後のことは適当に考えるよ」
「めちゃんこ怖いこと言いますね」
これが巷で噂のサイコパスってやつなのだろうか。殺したいからで人を殺してたらキリがないと思うのだが。もっとこう、理性とか、倫理観とか、そういう忌避感が働くもんなんじゃないのか。殺しって。
「でも、どうせやるなら完全犯罪狙った方がお得なんじゃないですか?」
「お得?」
「だって、どう殺そうが、バレたら捕まりますよね? 普通に殺したらただ捕まりますけど、完全犯罪狙って成功すれば、捕まらなくて済むじゃないですか。失敗しても、普通に捕まるのとあんま変わんないだろうし。どっちにしろ殺すなら、バレないようにやる方がお得だと思いません?」
やり方によっては刑の重さは変わったりしそうだけど。
「……君の考え方も十分怖いよ」
心外な。僕は、『あくまでも殺すなら』やった方がいいと思ってるだけだ。ヨシダさんみたいに、積極的に人を殺そうとなんてしてない。
あれ? 積極的に手伝うなら変わんないか?
「まあでも、できるだけ早く殺したいから。いいよ別に。普通に殺せば」
「でもそれ、一応、僕も捕まることになりません?」
「嫌なの?」
ヨシダさんは、コンビニの時と同様、探るような視線を向けてきた。視線というか、睨みつけというか。
言外に、こいつ今更何言ってんだ、って目だ。
まぁ、嫌か嫌じゃないかで言うなら、逮捕されるのはやっぱり嫌かもしれない。ぼくがどうというより、家族に迷惑がかかるから。
じゃあそもそも手伝うなって話なんだが。
でも、手伝いたいのだから仕方ない。
「……嫌じゃないです」
「そう。なら良かった」
また、さっきと同様、ヨシダさんは視線を逸らしてコーヒーを飲んだ。
天使が通ったというやつか、その時、計らずも会話が途切れた。
誰も曲を入れないテレビからは、知らない歌手のゆるいバラエティみたいなトーク番組が流れている。
ふと、今が『日常』なのだという感覚に陥った。
ヨシダさんに会ってから、いや、あのマンションの屋上に向かった時から、どことなく、『非日常』な気がしていた。
物語の中にいるような非日常感が、あった。
でも、僕がこうして、会ったばかりの女の人とカラオケで物騒な話をしてても、テレビに映ってる歌手には関係のない話で。
ヨシダさんが今夜、人を殺しても、このカラオケルームは突然爆発したりしなくて。
なんというか、僕も、ヨシダさんも、他の誰かであろうと、誰がどこでなにをしようと、世界はきっと、どうでもいいんだろうな、という感覚。
初めての感覚ではなかった。あまり好きな感覚でもなかった。
だが、今日は違うはずだ。殺人が『日常』であってたまるか。いちいち考えるな。この感覚の方がどうでもいい。
さっさと忘れるべく、メロンソーダに口をつける。コンビニのコーヒーとは違う、科学的な甘さと、シュワシュワのキンキンが、コーヒーと同じように、口から喉、胃、そして全身へと、一気に熱を奪うかのようだった。
テレビからヨシダさんに視線を戻すと、ヨシダさんもテレビの方を見ていた。
ヨシダさんはこの歌手知ってるのかな。
ヨシダさんの横顔からは、やっぱりなんの感情も読み取れなかった。
「……とはいえ、一応、君は捕まらないように頑張るよ。もし捕まっても、私に脅されたとか言えばいいんじゃない」
おもむろに、テレビを見たまま、ヨシダさんが言った。
果たして、警察の追及はそんなもので躱せるのか疑問だが、人を殺しておいて、自分は平穏無事に終わろうなんてのも、虫のいい話である。
「それを聞いて安心しました」
今はただ、笑って受け入れた。
「……さて、じゃあ次の質問ですけど」
「どうぞ」
「具体的に僕は何をすればいいんですか?」
「そうだね。一言で言えば、後詰めかな」
「後詰め?」
「うん。大人の男なんだよね。敵は」
ヨシダさんは、腕を組んで、背もたれに深くもたれかかった。
後頭部を壁につけて、斜め上の天井を見上げる形だ。
「ハンマーとか買って、不意打ちで殴って撲殺するつもりなんだけどさ。気づかれるかもしれないじゃん」
「なんか、思ったよりガバガバな計画建ててません?」
「完全犯罪をする気は無いって言ったでしょ。結果的に殺せればいいんだよ」
体勢はそのままに視線だけ僕に向けたので、やや見下されているような感覚だ。
ヨシダさんは淡々と続ける。
「君の仕事は、私が1発目で敵の動きを止められなかった時に、後から来て、出来そうなら相手を拘束するか、さもなきゃ不意打ちでぶん殴ること」
「色々ツッコみたいところはありますが、まずどこでそれをやるんですか?」
「そいつの家」
家知ってるんだ。どんな関係の誰を殺すのか、聞きたいけど聞いたら無視されるんだろうなぁ。どうせ。
「ちなみに、お相手とはどういった関係で?」
「関係ないでしょ」
と、思いつつも一応聞いてみたが、予想は外れて、普通に拒絶された。『そっぽを向く』とはこのことか。
「まぁ、じゃあそれは一旦置いといてもいいですが、『動きを止める』必要はあるんですか? どうせ不意打ちするなら、1発目で包丁なりなんなり刺したほうが殺すのは簡単だと思うんですけど」
「できれば多少苦しめて殺したいんだよね」
「え、拷問的なやつするんですか?」
だとしたら正直引く。実際、言いながら僕の体は多少引いた。殺すにしたって、その前に拷問するとなると、なんかレーティングが変わってくる気がする。僕、グロいのだめなんだよなぁ。
最悪、そのシーンだけ、僕は外に出ることになるかもしれないな。
「別に爪剥いだりとかするわけじゃないよ」
という僕の心配は続くヨシダさんの返答で杞憂に終わった。
「でも、どうせ殺るなら、恨み辛みをぶつけたいんだよね。後悔しながら死んで欲しいから」
1発じゃ足りないよ、と小さく出た言葉は、伝える気もないだろうに、ちゃんと暗い熱を持って、僕の耳に届いた。
どうやらなかなかただならぬ関係のようだ。それに、相当怨みを持った犯行っぽい。
その証拠に、ヨシダさんの眉間には、少々皺が寄っていた。これはなかなか大層な事なのではなかろうか。
この、色んなことに興味無さそうな物憂げガールにここまで怨みを募らせるとは、これは俄然相手の方も気になってきた。
あのマンションの屋上で、ヨシダさんはターゲットのことをクソ野郎だと言っていた。
大人の男のクソ野郎……。
うーむ。年上の元カレとか? やっぱり愛憎の拗れって王道だよなぁ。いやでも、『元』ならもう別れてるんだもんな。わざわざ殺すか? じゃあ今カレ? めちゃくちゃ不倫してるクソ野郎、みたいな。でもそうなってくると、恋愛模様って人それぞれだし、一概にヨシダさんに協力するのが正しいとはいえないような……。
正しい殺人ってなんだ。
「言っとくけど、恋人とかじゃないからね」
「へ?」
「なんかくだらないこと考えてそうな顔してたから。痴情のもつれとか、そんな小さい理由で人なんか殺さないよ」
「あはは……」
違うらしい。頬を掻いて、照れ笑いでごまかしたが、僕、そんなに顔に考えが出てるのか。
まあ、確かにヨシダさんは痴情がもつれそうなタイプには見えない。ただのイメージだが、恋人が浮気したらスパッと殺しそう。殺してんじゃねーか。
そうじゃなくて、殺す殺さない以前にそもそも恋愛に興味がなさそうだ。
じゃあ、ほんとに誰なんだろう。いじめっ子とか? いじめられるタイプにも見えないなぁ。
「心配しなくても、ちゃんとクソ野郎だよ」
またぞろ、考え込みそうになった僕を一瞥すると、ヨシダさんは、体を起こして肘をつき、左の手のひらに顎を乗せながら、つまんなそうに言った。
「誰が見ても、聞いても、殺されてもしょうがないなってなるクソ野郎。だから、安心して手伝ってよ」
気怠げに、僕を見るヨシダさん。
言われて、見られて、見透かされて、初めて気づいた。僕は、不安だったみたいだ。ここまでノコノコ着いてきておきながら。
本当に殺していい相手かどうか。
当たり前だ。世の中に、殺していい人間なんて、そうそういない。少なくとも、僕の周りにはいなかった。
つくづく、僕ってわかりやすいんだなぁ。
「……もちろん、そのつもりですよ。それで、そのクソ野郎をぶん殴った後はどうしたい感じですか?」
「まずは縛りたい。だから紐か何かも必要だね。」
「ちょうど気絶するくらいの殴り方なんてできますかね?」
「さあね。やってみて、死んだら死んだで別にいいよ」
「あれ、というか、初撃で成功したら、僕要らなくないですか?」
「そうだよ。だから君は、君が期待してた『相棒ポジ』っていうより、『保険』かな」
「……なるほど」
つまり、保険が必要なほど確実に殺したいんだな。ひいては、今日じゃないとダメな理由もきっとあるんだろう。
「大きく分けて展開は3つ。1つは、殴って気絶してくれたパターン。これが理想」
ヨシダさんは、ピンと立てた人差し指で、包丁で切るみたいに、机をトンと叩いた。
「2つ目は、殴って死んじゃったパターン。別にこれでも問題はない」
続いて、中指も立てて、またトンと机を叩く。
「最後が、それ以外の全部。君の出番」
薬指も追加して、3本の指で僕を指差す。
「君は殺さなくていい。逃がさないように、ただ動きを止めるのが仕事」
「ちなみに、1と2の時、僕は何してたらいいんですか?」
「見ててもいいし帰ってもいいし。好きにすれば?」
「ドライだなぁ……」
問題が起きた時以外は必要ない感じはまさしく保険だった。
その後も、いくつか細かな質問を繰り返した。実際に殺すとなると、他にも相手が逃げたり大声をだしたり、それなりに色んな事が起こりそうだが、ヨシダさん曰く、そうなったらそうなったで仕方ないけど、多分大丈夫、とのことだった。
「今、店員さんがナイフ持って入ってきたとして、自分の身を守れる?」
「……どうでしょう」
「多分無理だよ。わけもわかんないまま殺される」
「……まぁ、確かに。どうしたんですか? って言ってる間に殺される気がします」
「本気で他人に殺されにきたら、自分の身を守れる人なんてあんまりいないよ。殺人はニュースで流れるもので、実際に起こる事じゃ無いんだから」
「フィクションと同じ……って事ですか」
「大多数にとってはね。でも、殺す側にとってはノンフィクション。だから多分、普通に殺せるよ」
「僕、ノンフィクション嫌いですけどね」
「気が合わないね」
でも、後半はともかくとしても、言いたいことはわかる。
要するに危機意識的な問題で、基本的には成功する予定ってことだ。そしてそれは、確かに間違ってない気がした。
「もうひとつ聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「人殺すの、何回目ですか?」
ヨシダさんは、数度瞬きをした。
「初めてに決まってんじゃん」
「雰囲気やら持論がなんか手慣れてる人みたいで」
「勉強したからね」
「教科書でも売ってたんですか」
「コナンで」
「フィクションじゃん……」
ちなみに、僕は正しい読者なので、コナンで得られる教訓は、『人を殺してはいけない』だと知っている。
フィクションを愛するものとして、コナンを読んで人を殺すクソバカがいたとして、悪いのはそのクソバカ読者であって、コナンには一片たりとも罪はないということを、ここに宣言しておく。
「ヨシダさんが捕まった時、間違ってもコナンの影響でとか言わないでくださいね」
「冗談だよ」
「真顔で言われても何が冗談か分かりませんよ……」
本気と冗談の区別が、いまいち難しい人だ。でも、改めて思い返すと、意外と冗談のようなことをちょくちょく言っていたような気がする。
まだ出会って数時間だが、この人、実はユーモアに溢れているんじゃないか、と思えてきた。
そう思い始めた矢先、ヨシダさんは、手を組んで座ったままぐぐ〜っと上方に体を伸ばした。
「んー。さて、大体の話は一段落ついたかな」
「いざ本番ってなったら色々イレギュラーも起こりそうですがね」
「気にしてたらキリないよ。都度、アドリブでよろしく」
そう言うと、ヨシダさんは何食わぬ顔で、カラオケに曲を入れる機械を手に取った。
「何するんですか?」
「カラオケだよ?」
「え、歌うんですか!?」
「カラオケだもん」
そんなコーラを飲んだらゲップが出るくらい当たり前、みたいな調子で言われても。
歌うキャラじゃ無いでしょ。とツッコみたかったが、真剣にピッピと機械を触るヨシダさんを見て、そもそもこの人が何を歌うのかが1番気になったので、ぐっと飲み込んで見守ることにした。
果たして、1分後に大きなテレビ画面に表示された曲名は────
『HERO〜怒れる拳に火をつけろ〜』
「アニソン!?」
僕の叫びは、ヨシダさんの開幕シャウトにかき消された。
バリバリのギャインギャインなアニソンを、でっかい口で声を張って叫び歌う姿は、先程までのニヒルでダウナーな雰囲気と比べ、あまりにもギャップが大きすぎる。
この人、自分のキャラを前振りに使う事に躊躇いがないな。
薄々気づいていたが、はっきりと、僕の中で、ヨシダさんが闇を抱えたクール系から、変人面白キャラになった。
存外、美声を発揮しているのがまた面白くて、僕もどんどんノってきて、合いの手を入れる。
さっき死ななくてよかったと思う程度には、楽しかった。