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コンビニ到着。
彼女に続いて店内に入ると、入り口近くのイートインスペースを指さして、「待ってて」とだけ告げて彼女は店奥へと歩いていった。
コンビニの涼しさに一瞬にして脳を冷やし溶かされた僕は、お金も持ってないのにここに留まる大義名分を与えられた幸せを甘受する。
シャツの裾をパタパタやりながら、席を選ぶ。
コンビニのイートインスペースとしてはかなり広い方であるが、他の人は誰もいなかった。
カウンターとテーブル、どちらにしようか。
噂によると、女性と仲良くなりたければ、対面ではなく横の方がいいらしい。シンリガク的に。その噂の確度は知らないが、別に仲良くなりたい気持ちは無かったので、端っこのテーブルを選んだ。
待つこと数分。
透明なコップに、たっぷり氷が入ったコーヒーを2つ持って彼女がやってきた。
「ブラックだよ」
「……いいんですか?」
「いいよ」
「ありがとうございます……」
目の前にトン、と置かれたコーヒーにおずおずと手を伸ばし、一口。
ストローを通して、キンキンに冷えたコーヒーが喉を潤す。
「うまっ」
思わず声が出るほどうまかった。
店頭にあるコーヒーマシンで入れるタイプのコーヒーは、存在自体は知っていたが、こんなにうまかったのか……
「ね。うまいよね」
「あのシステムのコーヒー、初めて飲みました」
「夏なんて、冷えてればなんでもうまいけど、このコーヒーは特にだよ」
もう一度、たっぷりと口に含む。
すごくスッキリとした苦味と香りが喉を通って体全体に広がって、こもった熱さを一気に祓ってくれた気がする。
コンビニ、ナメてた。ペットボトルと味も深みも全然違う。気がする。わかんないけど。
ただ、今このキンキンのコーヒーがめちゃんこうまいことだけは確か。
「まさかコーヒーに感動する日が来るとは……」
「長生きしてよかったね」
「全くです」
彼女が、まるで変な人を見る目を向けてきた。
なにか変なこと言っただろうか。
「……君、名前は?」
「サイトウです」
「下の名前は?」
「カズキです」
「ふーん」
ふーんってなんだろう。
「お姉さんは、名前なんて言うんですか?」
「ヨシダ」
ヨシダさん。呟くと、彼女はコーヒーを飲みながら小さく頷いた。
下の名前は教えてくれないらしい。
「西高だよね? 何年?」
「2年です」
僕の着ている制服でバレているようだ。
制服の良いところであり悪いところだね。
ヨシダさんも西高出身だったりするのだろうか。
「ヨシダさんは、大学生ですか?」
「……そんなとこ」
やっぱり。なんとなく年上っぽかった。おいでって言われたし。
「なんで制服着てるの? 夏休みは?」
「僕、制服好きなんですよ」
「……?」
「家出る時は、基本的に制服着てます」
「私服代わりに制服着てるの?」
「ええ」
「変人じゃん」
「え!?」
そうなのだろうか。そんな事ないと思うけど……。
結構バッサリと物を言う人だなぁ。表情は全然変わらないけど。
「友達には特になにも言われた事ないですよ。ヨシダさんも夏休みですか?」
「気遣ってるだけだよ」
「……」
夏休みかどうかは、スルーされた。
なんだか、視線というか、言葉の節々に、あまりこっちの事は聞くなという空気を感じる。
僕は、空気を読むのは得意なのだ。
「ていうか、友達いるんだね」
「……僕、いなさそうに見えます?」
自分で言うのもなんだが、結構好青年っぽい顔してると思うのだが。
「いそうに見えるよ」
「いそうに見えるんかい」
「男友達多そう」
「モテなさそうって言ってます?」
「モテるの?」
「モテません」
「『友達』っぽい顔だもんね」
「どんな顔ですか……」
「『普通』というか、ザ・良いひと止まりって顔。ギャルゲーの親友枠みたいな」
「僕めちゃくちゃディスられてません?」
というか、ギャルゲーやるのかこの人。
「ディスってないよ。深い仲の人いなさそうな見た目って思っただけ」
「それディスってますよ……」
なんでこの人、淡々とそんな酷い事を。
いやまぁ、親友も恋人も、なんなら学校の外で気軽に遊ぶ友人もいないんだけど。
学校では普通に喋るんだけどなぁ。あの学校とプライベートの間にある微妙な壁なんなんだろう。
「そう? でも、浅い仲の人はいっぱいいそうだよ」
「フォローになってない……」
「別にみんなそんなもんだと思う。普通だよ」
「はぁ……。というか、僕そんなに見た目に交友関係出てます?」
「さぁ? なんとなくそう思っただけ」
「……良い勘してますね」
「まぁね。だから、不思議なんだよ」
「何がですか?」
「なんでそんな『普通』の人が、自殺しようとしてたのか」
「……」
あぁ、そこに繋がるのか。
「今も話してて思ったけど、君、なんていうか、自殺する人のテンションじゃないよね」
「テンション?」
「イメージだけどさ、自殺しようとする人って、もっと思い悩んでたり、暗い雰囲気だったりすると思うんだよ。それこそ、一目見てわかるくらい」
でも、と彼女は無表情のまま、言葉を続ける。
「君は、なんていうか、『普通』なんだよね。問題なんて抱えてないみたいに」
ここまで、あまり目が合う事はなかったのに、ヨシダさんは、今はじっと僕の目を見ていた。
なにかを、探すみたいに。
「……いや、それなりに悩んでますよ。人間関係とか、将来とか、自分ってなんだろう、みたいな」
「そういうところも含めて、『普通』なんだよ。少なくとも、自殺するほど追い詰められてるようには、とてもじゃないけど見えないよ」
自殺するほど、追い詰められていない。
ある意味、そうなんだろう。僕はあの時、確かに自殺しようとした。
けれど、死にたかったから自殺しようとしたわけじゃないのだ。
「……」
しかし、そういった僕の事情を、事細かに説明するほど、僕はヨシダさんに心を許していない。さっき会ったばかりだしね。
さてどうしたものかと、考えていると、ヨシダさんが、ふぅ、とため息をついた。
「ごめん。きっと、君は君で辛い事があるんだよね」
僕が答えあぐねていたのを、『傷を抉った』と捉えたのか、ヨシダさんは僕に謝ると、また少し視線を逸らし、コーヒーに口をつけた。
ほんとは、僕に抉られる傷は無いのだが、少し喋ったくらいで、そんなことわかるはずがない。
話した印象がどうであれ、僕には『自殺しようとしていた』という事実があるのだから、余計にヨシダさんも気を使うのだろう。
「謝らなくて大丈夫ですよ。まあ、理由なんていっぱいありますよ。いい天気だから、とか。」
そんな適当な言葉でお茶を濁す。空気が重くなるのもいやなので、冗談めかして。
空気を読むのと同じくらい、僕はお茶を濁すのが得意だった。得意というか、好きだった。
「天気で死ぬならよく今まで生きてたね」
「あまりにも空が青いので、僕までブルーになっちゃって」
「なにそれ」
ほんのちょっとだけ、ヨシダさんの口の端が持ち上がった。ように見えた。気のせいかも。
「ま、そうだよね。色々あるよね。生きてたら」
「ええ。色々あります」
ぼくはにっこり笑う。
ヨシダさんは気になる事はありつつも、ここは茶を濁す方向で同意してくれたようだ。
しかし、考えてみれば不思議だな。
およそ30分前まで、僕は、死ぬ予定でいたのだ。それがなぜかこうして初対面の女子とコーヒーを啜っている。
人生何があるかわからないとはよく聞くが、死ぬ半歩手前からでも起こるイベントはあるんだなぁ。
いや、というかそもそも、だ。
「今度は、僕から聞いてもいいですか?」
「何」
「なんで、止めたんですか?」
「は?」
「自殺ですよ」
「あー……」
ヨシダさんは、ふいと視線を逸らした。
普通、自殺しようとしてる人がいたとして、止めるだろうか?
……いや、止めるか。……止めるか?
仮に僕が自殺しようとしてる人を見つけたとしたら、どうだろう。
知り合いだったら一旦止めてみる。知らない人なら。うーむ。わかんないなぁ。
さっきヨシダさんも言ってたけど、自殺を図る人は、少なくとも、その人にとっては、他に最善がないと思うほどには追い詰められてるわけだ。
止めるのが良い事なのかも、僕にはわからない。止まっといてなんだが。
もちろん、命は貴重で大事という考えもわかる。わかるのだが。
「僕も、話してて思ったんですが、ヨシダさんって、命大事に、自殺ダメ絶対。って感じじゃないですよね」
「バカにしてる?」
「してません」
僕はされたけど。
「さっき、僕に自殺するテンションじゃないって言いましたけど、ヨシダさんは自殺を止める人間のテンションじゃないですよ」
「……命はダイジだよ」
それはもちろん共通認識だと思うけれども。
「他人の自殺を止める人って、多分もうちょっとパッションに溢れてると思うんですよ。生きてれば必ず良い事ある!みたいな」
「カズキ君が知らないだけで、そうじゃないパターンもあったって事だね」
「まぁ、僕も自殺を止めた人に会うのは初めてですけど。でも、どっかにそんぐらいのパッションがないと、無責任に自殺を止めたりしないと思うんです。ヨシダさんは特にですよ」
「……特に?」
「特に、パッションがないです」
少し話しただけでも、そんな行動が、この人に似合わないことくらいは分かる。
こんなダウナーな人に、パッションなんてないでしょ。
「……あるよ」
なんの強がりなんだろう。
「無いですよ。言っちゃなんですが、僕よりも自殺しそうです」
「は?」
「ごめんなさい。失礼でした」
こっっっわ……!
ギロリ、という音が聞こえるくらい睨まれた。
「……はぁ」
即座の謝罪が功を奏したのか、ヨシダさんはしばらくの後に、大きく息を吐き、右肘をついて顎を手に乗せ、一応視線を逸らしてくれた。
そんなに癇に障る事だったのか……?
女性に本気で恐怖を感じたのは、生まれて初めてだ……。
空気と心を誤魔化すためにコーヒーを一口。心なしか苦味が増した気がする。
「……2つあるよ。理由」
2分ほど無言の時間が過ぎ、そろそろコーヒー飲み終わっちゃうなぁ。やばいなぁ。間が持たないなぁ……!と内心焦り出した頃に、ようやくヨシダさんが口を開いた。
どうやってもう一度お茶を濁そうかと考えていたが、どうやら先ほどの自殺を止めた理由についての話の続きをしてくれるらしい。
失言は許されたみたいだ。多分。
「あ、そうなんですね……。差し支えなければ聞いてみてもいいでしょうか」
いかん。必要以上に謙ってる。さっきの一睨が効いている。上下関係を叩き込まれた気分だ。
「1個目は、楽しそうだったから」
「へ?」
「屋上に来た時から、君、ずっと鼻唄歌ってたでしょ」
「え、な、なんで知って……!」
「ノリノリだったね。」
「い、いつから見てたんですか!?」
「屋上入ってきたとこから。君、気づいてなかったけど、私が先にあの屋上にいたんだよ」
「マジですか……?」
「マジ。ドアの横のところにずっといたよ」
「僕に声かけるまで、ずっと見てたんですか?」
「スパイダーマンみたいなダンスしてたね。3の。下手くそだったけど」
死ぬほど恥ずかしい。こんな気持ちになるならあの時さっさと飛んどくべきだったのかもしれない。
「言い訳させてください」
「しなくていいよ」
「僕、元々1人の方がテンション上がるタイプなんです」
「聞いてない」
「ありますよね?家に1人の時、なんかふとしたことでテンション上がって踊ったり意味わかんない動きしちゃったり」
「ない」
「しかもあの時は人生最後の時間だと思ってたんで、アドレナリンとかドーパミンとかエンドルフィンとか多分なんかそういうのがいっぱい出てて」
「刃牙じゃん」
「耳引っ張っても出ないですけども」
「てか、別にどうでもいいんだけど」
ヨシダさんはまた大きくため息をついた。
『1人ハイ』という、痴態を見られた僕としてはどうでもいいと言うには恥じらいが強いのだが、ヨシダさんの心底興味なさげな視線を受けると、僕が間違ってるのかという錯覚に陥りそうになる。
そんなに恥ずかしくない気がしてきた。みんなやる事だよな。うん。ヨシダさんはやんないって言ったけど。
「とにかく、そんな楽しそうなピーターパーカーが、そのまま急に靴脱いで自殺しようとしたら、意味わかんないでしょ」
「まぁ、確かに」
うーむ。我ながら奇行も奇行だ。僕がそんな奴見たら酔っ払ってんのかと思う。僕は清く正しい高校生なのでお酒を飲んだりしないけど。
「だから、止めてみた」
そう言うと、ヨシダさんはもうなくなりかけのコーヒーを飲んだ。
なるほどなぁ。
確かに、心から死にたい奴を止めるのは、それなりのパッションが必要だろうが、死とは無縁そうな奴が気軽に死のうかなって言ってたら、やめといたら、っていうのは簡単な気がする。
止めた、ではなく止めてみた、という言い方が、なんだか妙に納得できた。
つまりあの時僕は、側から見てもおおよそ死とは無縁と思えるほど浮かれて見えたって事か……。
「じゃあ、2つ目の理由は?」
羞恥心がまたむくむくと首をもたげてきたのを感じたので、くっ、鎮まれ……っ!という思いを裏側に隠して問う。
「……」
聞かれたヨシダさんは、ストローから口を離さず、また何かを探るように、じーっと僕を見た。
……え、なんで無言?
ここにきて目が合ってしまい、更になぜか謎の間が生まれたものだから、意図せず見つめ合うような形になってしまった。
さっきとはまた違う居心地の悪さを感じる。
どうしよう。変顔とかした方がいいのかな。いや、何か言いにくい事があるのかもしれない。なんだろう。一目惚れでもしちゃったのかな。ならいざという時のため練習したキメ顔を披露してみるか。いや、待て。僕のどこに惚れられる要素がある。さっきモテないって自分で言ったばかりだ。ここはやはり微笑みを浮かべて、男の包容力をアピールするというのはどうだ。……それ、なんのためのアピールなんだ。というか、まだ目が合ってる。この人何考えてるか全然わかんねぇ。
うーむ。ほんとにどうしよう。まつ毛長いですねぇ。
「……頼みたい事があったんだよね」
音を立ててコーヒーを飲み切ると、ストローからは口を、僕からは視線を離して、彼女は言った。
ストローは噛んでいたらしく、飲み口に歯形がついて平らになっていた。
僕のアルカイックスマイルはスルーのようだ。
「頼みたい事?」
「うん。でも頼んで良いかわかんなくなっちゃった」
「一応、命の恩人ですし、僕にできることなら、したりしなかったりしますが」
もちろん、嫌ならやらない。
自分で言っててなんだが、命の恩人というのは言葉の綾だ。たしかに自殺を止められたけど、正直──
「恩に着るほど、命に価値感じてないでしょ」
「……どうでしょうね」
「じゃなきゃあんなに簡単にやめたりしないよ」
カラン、と氷が音を立てた。
お互い、コーヒーはすっかり飲み終えていた。
気づけば、夏の暑さはどこへやら、クーラーとコーヒーのおかげで肌寒さすら感じる。
「ま、そんな君だからこそ頼みやすいっていうのもあるか」
「とりあえず、内容を聞きましょうか」
面白そうな頼みなら、引き受けようかな。
つまんなかったら適当に断って、屋上に戻ろうかな。
そんなふうに考えながら、捲っていたシャツの袖を戻して、体温調節を図る。
「人を殺したいんだよね」
「ほほう」
「でも、女1人じゃ難しいからさ。手伝って欲しいんだよ」
別に秘密めかすわけでもなく、それまで通りの口ぶりで、淡々と、普通にお願いされた。買い物に付き合え、くらいのテンションで、殺人の手伝いを。
「誰を殺すんですか?」
「クソ野郎」
吐き捨てるように、ヨシダさんは言った。
クソ野郎かぁ。クソ野郎なら、いいか。別に殺しても。
「いいですよ」
自分でも驚くほどあっさり了承できた。買い物に付き合うくらいのテンションで、殺人の手伝いを。
「だよね」
そう言うと思った。とこぼしながら、ヨシダさんは席を立った。
コーヒーの氷も溶けて、ここに留まる大義名分も無くなった。
「移動しよっか。コンビニでする話でもないし」
「了解です」
空いたコップを捨てて、2人で外に出る。
性懲りもせず、夏の日差しがバチバチと肌を焼きに殺到。
袖を戻したのは早計だったようだ。あの肌寒さはなんだったのか。またすぐ暑くなってきた。心なしか、店に入る前より、気温が上がってる気がした。