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あまりにも空が青いので、死のうと思った。
色々なことがあった気はするけど、まとめるとなにもない人生だった。
やり方にこだわりは無かったので、無難に落下死を選ぶことにした。
近所のマンションの屋上に出る。
ここの屋上が開放されていることを知っている人間は、多分少ない。
夏の日差しがバチバチと肌を焦がしに殺到。遠くの方に見えるは巨大な入道雲。
あんなに遠くにしか雲がないから、ムカつくほど空が青いのだろう。近くの入道雲って見たことないな。
あの雲が、もっと近くに来てたら、今日この屋上には来なかったのかな。
どっちが良かったんだろう。来るのと、来ないの。『結果』を見てから選べれば、生きるのはもっと簡単なのに。
少なくとも、今日ここに来たことで、今日死ぬということはなくなった。
その出会いが、あった方がよかったのか、無かったほうがよかったのか。
『結果』を知れるのは、やっぱり、『結果』を見たあとだった。
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「──やめときなよ」
ふいに、背後から声をかけられた。
肩越しに振り返ると、女子だった。
「……」
とっさに言葉が出なかった。
僕は特段、女子と話すのが苦手とか、コミニュケーション能力に不備があるとかいうわけではないのだが、この時ばかりは、バツが悪かった。なんの罪も犯してないのに犯行現場を見られた気分だ。
人がいるとも思ってなかったので、正直内心めちゃくちゃびびった、というのもある。
「……違うんです」
たっぷり5秒は待たせて、出てきたのは言い訳だった。
人類の、違うんですから始まる言い訳において、実際に違ったことは無い。
「何が?」
端的、かつ怜悧な口調だった。
「えっと……その、決して飛び降りようとしているとか、そういうわけでなくて」
「靴並べて柵乗り越えて、他に何すんの」
「……タップダンス?」
「ずいぶん狭いところでやるんだね。どっちにしろ自殺希望じゃん」
「……」
仰るとおりである。何だタップダンスって。靴いるだろ。
「馬鹿言う元気があるなら、戻ってきたら。足、熱いでしょ」
これまた、仰るとおりである。靴下は履いているが、夏のお天道様に焼かれた鉄筋コンクリートの火力たるや、ホットプレートも同然である。
うーむ。一応、それなりに覚悟を決めてこの柵を乗り越えたのだが。
まぁでも、他人に見られながらの飛び降りというのは、なんか嫌だしな。
僕が死ぬことで、何かしらこの人に迷惑がかかるかもしれない。
それはいささか忍びない。別に急ぐ理由もないし、まあいいか。
おおむねそのような事を考えて、すごすごと腰上の高さにある柵をまた乗り越える。
恥ずかしいところを見られた情けなさと、いたたまれなさが、彼女の言う事を素直に聞かせた節もある。
なかなか顔を見る、もしくは見せる勇気が出ず、もたもたと靴を履き直して、両足の踵を直し、つま先をトントンして、顔を逸らす理由が無くなってから、ようやく相手の方を向いた。
──暑くない?
第一にそう思った。
この爽やかな青空にずいぶん不似合いな女の人が、この屋上で唯一日陰になっているドア横の壁にもたれかかっていた。
こんなに暑いのに、黒いパーカーは長袖。ずいぶんダボついて見えるが、男性用ではなかろうか。下はジャージで、申し訳程度の暑さ対策といわんばかりのサンダル。
服装はボーイッシュというかスポーティな雰囲気だが、サンダルから見える足も顔も、白いと言うには白すぎる。
しかしながら目鼻立ちはハッキリとしていて、なんというか、意志が強そう。
ウルフカットと相まって、全体的な印象としては、不健康な狼?
「おいで」
靴をキチンと履いた僕を確認すると、彼女は短く命令し、くるりと後ろを向いて、マンションの中につながる唯一のドアを開けてさっさと戻っていった。
「おいでって……」
僕は犬か。
うーむ。どうしよう。見知らぬ人についていってはいけませんと学校で習ったしなぁ。
とはいえ、中に繋がるドアがひとつしかない以上、僕の選択肢は、もう一度柵を越えるか、彼女を追うかの二択である。
留まるには日差しが邪魔すぎる。
もう一度覚悟するには気も削がれたし、せっかく来いと言われたのだから、気分的に大人しく着いて行くことを選んだ。
でも、お説教とかされたら嫌だなぁ。
ドアを開けると、階段を少し降りた踊り場に彼女がいた。
「コンビニ行くから、着いてきて」
僕が何か告げる間もなく、言うだけ言って、階段を降りていった。
ずいぶんとワイルドな逆ナンもあったものだ。
彼女の足音が階下に遠ざかるので、追いかけるように僕も階段を降りる。
彼女がエレベーターを使わないので、着いてこいと言われた僕も、なんとなく使えない。
一階まで降りて、エントランスを抜けて外に出ると、彼女はすでにコンビニのある方へ歩き出していた。
僕が逆に行ったらどうなるんだろう。
と、彼女が行ったのと逆方向を少し見て、もう一度彼女の方を向くと、彼女が立ち止まって僕を見ていた。
ごめんなさい、と口の中で呟いて、やっぱり大人しく着いていく。
歩幅と速度の差で、途中で追いついて、さりとて並ぶのも気が引けたので、三歩後ろを奥ゆかしく歩いた。