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「サロメ様、婚約者のことで相談がありまして」
「サロメ様、私には好きな男性がいるのですが」
「サロメ様、実は今婚約者と上手くいっていませんの」
男爵令嬢サロメ・フロランス・ド・シャレットはよく友人の令嬢達から恋愛相談をされることが多い。
艶やかでウェーブがかったストロベリーブロンドの髪、ラピスラズリのような青い目。そしてどこか妖艶な見た目。更には歳の離れた兄や姉達の影響か、十七歳とは思えない程に大人びている。
令嬢達から恋愛相談を持ちかけられるのはその容姿と醸し出す雰囲気が理由でもあるようだ。
とある冬の日の昼休み、食堂にて。
昼食中、サロメは友人の令嬢から恋愛相談を受けていた。
「私の婚約者、誕生日や何かあった時にはプレゼントを贈ってくださるのだけど、普段の態度が素っ気ないの。私以外に好意を寄せる女性がいるのかしら?」
目の前の令嬢はデザートのガレット・デ・ロワを一口食べてため息をつく。
「それは私には分からないわ。でも、何とも思っていない相手にプレゼントを贈ったりするかしら? それも、婚約者からいただいたのでしょう?」
サロメは令嬢のブローチを指し、口角を上げる。何とも言えない妖艶さである。
「ええ、そうよ」
令嬢はヘーゼルカラーのスフェーンのブローチに触れる。
「確か貴女の婚約者の目の色はヘーゼルだったわね」
サロメがそう言うと、令嬢は頷く。
「意中の相手には自分の目の色と同じ宝石が使われたアクセサリーを贈る。想い合う婚約者同士では定番の行動じゃないかしら?」
フッとまた優しく妖艶な笑みになるサロメ。
すると令嬢の表情がパアッと明るくなる。
「ありがとう、サロメ様。貴女に相談して良かったわ」
「私は話を聞いて思ったことを答えただけよ」
サロメはそう言い、ガレット・デ・ロワをナイフで切る。
すると、コロンとお皿に何かが転がった。
「まあ、サロメ様、それフェーヴだわ!」
令嬢は興奮気味である。
「あら、これが。初めて見たわ」
サロメはフェーヴを手に取り、光に透かすように見る。
「サロメ様、もしかしたら恋の幸運が訪れるかもしれないわよ」
「恋の幸運……ね」
少しだけサロメのラピスラズリの目が揺らぐ。
「そういえば、サロメ様は婚約者とか好きな方はいらっしゃらないの? あ、でもサロメ様は大人びているから、年上の方かしら」
サロメは令嬢の言葉にドキッとした。
「……さあ、どうかしらね?」
サロメは妖艶に微笑むだけであった。
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昼休みが終わり、サロメは午後の講義を受けていた。
高等算術・数論の講義である。
ラ・レーヌ学園の高等算術・数論の講義を担当するのは、ロラン・エヴァリスト・ド・ジョーヴラン。二十四歳の若き教師である。
ロランはジョーヴラン侯爵家三男で、家を継がない。よってこうしてラ・レーヌ学園で教師をしているのだ。また、彼は算術・数論学者であり、それらに関する数々の論文を書いている。
黒縁眼鏡をかけているロランはスラリと背が高く、栗毛色の癖毛にクリソベリルのような緑の目。爽やかな見た目である。
サロメはロランの話を一言一句聞き逃さぬよう聞き、数式を事細かにノートに書き写すのであった。
(ロラン先生の講義は本当に面白いわ。算術・数論の奥深さが分かる。それに……)
数式をノートに書き写し終えたサロメは、ロランを見て嬉しそうに口角を上げる。
(ロラン先生が好きだからこの講義を取ったのよ)
サロメが好意を寄せる相手は教師であるロランだった。
その日の放課後。
シャレット男爵家の王都の屋敷から来る迎えの馬車を待っている最中、サロメはロランの元に向かう。
「ロラン先生、少しよろしいでしょうか?」
「おや、これはこれは、サロメさん。どうしたのかな?」
ロランはサロメの姿を見るなり、爽やかにニコリと笑う。
その表情を見たサロメは、嬉しそうにラピスラズリの目を細める。
「今日の講義内容に関して質問があります」
サロメはノートを開き、ロランに数式を見せて詳しいことを質問する。
「ああ、良い着眼点だ。この数式を展開していくと……」
ロランは眼鏡の奥のクリソベリルの目を輝かせながらサロメに教えている。
サロメは熱心に教えてくれるロランを見て、ときめきが胸から溢れ出しそうだった。
(ロラン先生……本当に素敵だわ)
サロメは真剣にロランの話を聞きながら、ふふっと口角を上げる。
「ロラン先生、よく分かりました。ありがとうございます」
サロメはロランにお礼を言う。
「ああ。それにしても、サロメさんは第五学年の中でも高等算術・数論の成績トップ。卒業したらその道に進むのはどうだい? もし良ければ、僕がよく参加する算術・数論サロンに参加してみるかい?」
ロランは感心したような表情である。
「それは……少し迷っておりますわ」
サロメは考える素振りをする。
「もしかして、家の為に結婚する必要があるとか? 学者仲間には既婚の女性もいる。彼女達に相談も可能だよ」
「私はシャレット男爵家の三女ですし、家の為に結婚する必要もありませんから、卒業後は自由ですわ。何をしても構わないとお父様やお母様から言われております」
その時、サロメは鞄の中に入れていたフェーヴが目に入る。
『サロメ様、もしかしたら恋の幸運が訪れるかもしれないわよ』
友人の令嬢のから言われた言葉を思い出すサロメ。
(この学園のガレット・デ・ロワを食べて、フェーヴを引き当てた者には恋の幸運が訪れる……。気休めかもしれないけれど……)
サロメは拳をギュッと握る。
「サロメさん、それなら是非算術・数論の学者に」
「学者の道も非常に魅力的ですが、私は卒業後、ロラン先生の妻になることを希望しております」
サロメは思い切って伝えてみた。ラピスラズリの目は真っ直ぐロランに向いている。
「サロメさん……!?」
ロランは突然の告白に眼鏡の奥のクリソベリルの目を大きく見開き絶句していた。
「私はが算術や数論を好きになり、好成績を収めようと頑張ったのは、ロラン先生が好きだからですわ。男性として」
サロメはほんのり頬を赤く染めていた。
大人びていると言われているサロメだが、今の彼女は年相応もしくはほんの少し背伸びをした少女の表情である。
ロランは少し困ったように微笑む。
「サロメさん……気持ちは嬉しいけれど、そういうことは卒業してから言いなさい」
「それは……私が卒業したら考えてくれるということですか?」
玉砕覚悟だったサロメだが、ロランからの意外な言葉に少し期待してしまう。
「サロメさん、君はまだ十七歳だ。そのうち心変わりするかもしれない。僕だって一年で色々と変わることがあるだろう。それでも、卒業後同じ気持ちであるならば、また僕に伝えに来たら良い」
ロランの眼鏡の奥から覗くクリソベリルの目は、穏やかだった。
「はい!」
サロメは満面の笑みで頷いた。
「ロラン先生は……私がこんな動機で算術・数論を好きになったことを軽蔑しますか?」
冷静になったサロメは少しだけ不安になった。算術・数論を好きになり頑張る理由が邪であると自覚しているからである。
「軽蔑はしない。どんな理由であれ、算術・数論に興味を持ってくれるのは教師や学者として嬉しい。それに、サロメさんはその動機でここまで頑張れている。それは凄いことだよ」
ロランはクリソベリルの目を嬉しそうに細めていた。
サロメはロランの答えにホッと肩を撫で下ろした。
「ありがとうございます、ロラン先生。それなら、これからも算術・数論の勉強を頑張りますわ」
サロメはラピスラズリの目を輝かせた。
フェーヴはサロメに恋の幸運をもたらした。ここからは、サロメの頑張り次第である。
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