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その日の放課後。
ラ・レーヌ学園に在籍する国内貴族は各家の王都の屋敷から馬車で通学し、他国からの留学生は寮に入る。
よって、学園に通うナルフェック王国内の貴族は各家から迎えの馬車が車で学園の敷地内で待っているのだ。
この日は少し暖かいので、ルシアンはファヴラ侯爵家からの迎えの馬車を中庭で待っていた。
その時、ルシアンは少し離れた場所にアンリエットの姿を見かけた。
風になびく艶やかなアッシュブロンドの髪。凛としたヘーゼルの視線。
ルシアンはアンリエットに話しかけに行きたかったが、アンリエットはどこか話しかけにくい雰囲気をまとっていた。
よってルシアンは密かに彼女の後をつけることにした。
アンリエットは人気のない場所までやって来た。
(アンリエット嬢……? こんな場所で何をするのだろうか?)
ルシアンはきょとんと首を傾げた。
そして次の瞬間、ルシアンは耳を疑った。
どこか不安になる音程の歌声が聞こえて来たのだ。
(え……? アンリエット嬢?)
その声は、アンリエットがいる方向から聞こえて来る。
間違いなくアンリエットの歌声である。
アンリエットの歌は、お世辞でも上手だとは言い難かった。
エメラルドの目が点になるルシアン。アンリエットを凝視していた。
すると、アンリエットもルシアンの存在に気付き、ヘーゼルの目を大きく見開く。
「ルシアン様……!? いつからいらしたの?」
「すまない、アンリエット嬢。その……さっきからずっと……」
ルシアンは申し訳なさそうな表情になる。
「聞いていたのね……」
アンリエットは恥ずかしそうに頬を赤く染め、ヘーゼルの目をルシアンから逸らす。
普段の凛とした完璧な姿とは大違いである。
ルシアンはコクリと頷く。
「その、何と言うか……」
「良いのよルシアン様。無理に褒めようとしないで」
ため息をつくアンリエット。
ルシアンは恐る恐る口を開く。
「じゃあ……俺がアンリエット嬢をレッスン付きオペラに誘った時断った理由って……」
「歌が下手だからよ」
頬を赤く染め、ヘーゼルの目には少し涙が溜まっていた。
ルシアンは少しだけ表情を和らげる。
「何だか意外だ。正直、アンリエット嬢は何でも完璧にこなすから、弱点なんかないと思っていたよ」
「私にだって弱点はあるわよ。でも……私はヌムール公爵家を継ぐ身だからしっかりしないとって思って、弱点を克服出来るように頑張っていたわ。だけど……歌だけは駄目だったの」
アンリエットは肩を落とす。その姿は、年相応の少女のように見えた。
ルシアンはそんなアンリエットを見て少しだけホッとした。
「そうだったんだね。俺、何をやってもアンリエット嬢には及ばないから、少し君に気後れしていた」
「そんな、ルシアン様が気後れする必要なんてないわよ」
アンリエットは苦笑した。
その時、ルシアンはジョルジュの言葉を思い出して疑問が生じる。
「あれ? でも今日の昼休み、君は歌が上手だとジョルジュが言っていたけれど」
「ジョルジュの言葉を信じたら駄目よ」
アンリエットはピシャリと言い放った。
「何故かは分からないけれど、ヌムール公爵家は歌が壊滅的に下手な家系なの。隠居した先代女公爵のお祖母様も当代当主のお父様もジョルジュも酷いものよ。三人共自分は歌が上手だと思っているから余計に質が悪いわ。二つ下の弟オレリアンは私と同じように歌が下手であることを自覚しているけれど」
アンリエットは盛大なため息をついた。
「……なるほど」
ルシアンの脳裏に明るく自信ありげなジョルジュの姿が浮かび、苦笑した。
ふとアンリエットに目を向けると、彼女は少し肩の力が抜けた様子だった。
ルシアンは優しく微笑む。
「あのさ、アンリエット嬢。無理にとは言わないけど、これからはせめて俺の前だけでは力を抜いたり、弱い部分を出して欲しい。常に完璧であろうとすると疲れてしまうんじゃないか?」
ルシアンはエメラルドの目を真っ直ぐアンリエットに向ける。
「そうね……」
アンリエットは少し弱々しく微笑む。凛としたヘーゼルの目からは、どこか弱さが見えた。
「ルシアン様、ありがとう」
アンリエットのふわりとした笑顔。肩の力が抜け、一番美しい笑顔だとルシアンは思った。
「じゃあさ、アンリエット嬢。レッスン付きじゃない、普通のオペラに行かない? 息抜きにさ」
「ええ。それなら行くわ。ルシアン様、お誘いありがとう」
アンリエットはクスッと笑った。
完璧な婚約者アンリエットに引け目を感じていたルシアン。しかし今、彼女にも弱点があることを知った。それにより、二人の距離は縮まるのであった。
(これもフェーヴの効果なのかな?)
ルシアンはコートのポケットに入れたフェーヴにそっと触れるのであった。
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