第1話、崩壊の始まり
実験施設の非常口を抜け出して数十分。 空には不気味な赤黒い膜が広がり、普段とは異なる空気が周囲を包んでいた。
日本列島全体がこの膜に覆われた瞬間から、異変が加速していた。
「……あれが現実に起きるなんてな。」
大河は背後を振り返り、すでに遠ざかった施設を見やった。
数台のヘリコプターが音を立てながら空へ消えた後、施設周辺にいた職員たちも完全に姿を消していた。
自分以外に残っている者はいない。
辺りを見回すと、街にはまだ崩壊の兆しは見えないものの、早くも住民が異変に気づき始めた様子がうかがえた。
車が急いで走り去る音や、どこかで鳴り響くサイレンが断続的に聞こえる。
道端には捨てられたカバンや落とされた傘が散乱していた。
「このままじゃ……時間の問題か。」
頭の中には、「マップ」の情報が絶えず流れ込んできていた。
黒い点で示される魔獣が、徐々に周囲に広がりつつあることを示している。
それに対し、青い光はわずかに数える程度。
青い光が数カ所に点在しており、その中でも特に強い輝きを放つ光があった。
「青い光は……リーダーか?」
マップの情報が頭の中で自然と解釈される。
リーダーやその補佐を示す青い光は、単なる人間ではない特別な存在だ。
それらを操ることで、周囲の人間を効率的に支配することができる可能性がある。
「どうやら、これは俺にとって有利なツールになりそうだ。」
まだ状況を完全には把握できていないが、まずは大河はマップを意識の片隅に追いやり、足を速めた。
ほどなくして、街角に明かりが灯る小さな建物を見つけた。
それはコンビニエンスストアだった。
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自動ドアが静かに開き、大河は中へ足を踏み入れた。
店内は明るく清潔だが、人影は見当たらない。
棚には商品が並んでおり、略奪の痕跡はない。
恐らく、近隣の住民が避難を始めた直後なのだろう。
「こんな状況でコンビニに寄る余裕はないか……」
店内をざっと見回すと、レジカウンターの脇に設置された小型テレビに目が留まった。
画面にはニュース番組が流れており、キャスターの緊張した声が聞こえてくる。
「本日未明、町の北部で目撃された怪物の被害が拡大しています。現在、自治会長の山田健二さんが避難所で状況を説明しています。」
画面が切り替わり、公民館のような避難所で住民たちに説明する山田の姿が映し出された。
山田は焦りを見せながらも、懸命に住民たちを落ち着かせようとしている。
「皆さん、まずは安全な場所に避難してください! 怪物たちは予測不能ですが、南部の避難所は今のところ安全です!」
「自治会長か……ちょうどいいな。」
画面の中の山田の声を聞きながら、大河は頭の中で次の行動を考えた。
青い光がリーダーやその補佐を示しているなら、山田は間違いなくその一人だ。
彼を取り込めば、この状況を有利に進める足掛かりにできるはずだ。
目を引いたのは、店内の雑誌コーナーに並ぶ地域地図だった。
大河はその中の一冊を手に取り、中を開いた。
建物や道路、避難所の位置まで詳細に記されている。
山田の居場所を特定するのに役立つ道具だった。
「これで準備は整った。」
地図をポケットに押し込み、大河はコンビニを後にした。
向かう先は、マップに青い光として表示されている山田がいる場所だった。
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コンビニから避難所までは徒歩で数十分の距離だった。
街中は静寂に包まれており、ところどころで置き去りにされた車が不気味に佇んでいる。
サイレンの音は次第に遠ざかり、代わりに耳をつんざくような静けさが広がっていた。
「まずは山田を取り込むことだ。」
大河は手にした地図を開きながら、マップに表示された青い光を見つめた。
青い光がリーダーやその補佐を表していることはすでに理解している。
それに加えて、彼らを「洗脳」する方法も頭の中に浮かび上がっていた。
「人間の意識を変えるには、嘘を信じ込ませるのが一番効果的だ……」
しかし、その嘘は単純で説得力がなければならない。
複雑すぎる嘘では相手の疑念を煽り、洗脳のプロセスが崩れてしまう。
相手の価値観や状況に合わせた巧妙な嘘をつく必要がある。
「山田……自治会長という肩書きを持つお前なら、この街を動かす鍵になるはずだ。」
地図に示された山田の青い光が特に強く輝いている。
それは彼がリーダーとして周囲に大きな影響力を持つことを意味していた。
彼を支配すれば、他の人間たちを巻き込むのも容易になるだろう。
「お前の信じるものを変えてやる。その力を俺のために使え。」
大河は地図をポケットにしまい、山田のいる避難所へと向かった。
不敵な笑みを浮かべながら、その足取りは確信に満ちていた。