11.
ジェニーはさっそく行動を起こしていた。
まずは街のありのままの姿を自身の目で確認するために、変装して馬車も使わず、お供もつけずに1人で街へ出たのだ。陰ながら護衛がついてはいるが、あれがジェニーだとは街の人は誰も気が付くまい。
ただ歩いているだけでも普段の街の様子がジェニーの目に耳に入ってくる。民に笑顔はなく、話題も明るいものなど皆無だ。
誰かから聞くのと自分で見聞きするのでは感じ方が全く異なる。ジェニーの顔には悲痛さが見て取れた。
そして公爵邸に帰るや否や、父である公爵に直談判した。が、当然受け入れられるはずはない。そりゃそうだ。僕のことは一切口外しないように言ってあるし、街の様子がどうだからといって貴族の暮らしに今すぐ影響があるわけではない。そう簡単に変えられるなら僕だってこんなことしてないしね。
「私は......どうすればよいのですか......」
「心配いらないよ。公爵閣下には少し眠ってもらうとしよう」
* * *
夜の闇に支配された街が眠りにつこうかという頃、公爵邸を無数の影が取り囲んでいた。
そんなことを知る由もない公爵は寝室のベッドへ入ろうとして、窓の前に何者かがいるのに気が付いた。それが人だということを認識し誰か人を呼ぼうとしたが、ナニかに口を塞がれてしまい叶わなかった。
「ごきげんよう、公爵閣下」
窓の前に立つ小さな人影が声を発した。まだ幼さの残る子供の声だ。しかし公爵にはその声に心当たりはない。
身の危険を感じて叫ぼうとするが口を塞がれていて声は出ないし、部屋を出ようと動き出した瞬間に手足を拘束されて床に転がされてしまった。
「ん-!ん-!」
「ご安心ください。危害を加えるつもりはありませんから。ただちょっとお話をしに来ただけですよ」
公爵は懸命に顔を上げて相手の姿を確認しようとする。その相手は公爵に歩み寄ってきて、明かりが人影を照らしていく。それは紛れもなく少年だった。背は公爵の娘であるジェニーよりも低い。が、顔は狐のお面によって隠されており、正体は不明だ。その狐のお面が不気味さを増長させており、公爵の体が知らずのうちに震えだす。
「しばらく閣下を観察させていただいたんですよ。もし閣下がマシな領地運営をしているのならば他のやり方もあったんですがね。しかしそうではなかった。生活に苦しむ民から搾取し、それを街のために使うどころか私腹を肥やすためだけに使っている。本来、この街は森を監視するという役目があって国からも支援金があるから民から搾取する必要はないはず。違いますか?」
「ん-!ん-ん-!」
問われた公爵は懸命に首を横に振るばかりだ。
「ほう?否定するんですか。じゃぁこれはどうですか?ペルダン伯爵と共謀して、国へ申告している税を誤魔化してますよね?ほら、この書類見覚えありませんか?」
少年が取り出したのは数枚の紙。それを見た公爵は目を見開いて必死に呻いている。まるで何故それを!と言いたげだ。
「これを国王陛下が知ったらどう思うでしょうねえ?それと、街の中に賊を飼って上納金を納めさせてますよね?まぁその賊は僕が狩ったんですけどね。......さ、みんな入っておいで。口元の拘束を解きますけど、よーく考えて発言してくださいね?助けを呼ぼうものなら閣下も屋敷にいる人間も無事をお約束できませんので」
少年の言葉に窓から一斉入って来たのはフクロウの大群。それが部屋のいたるところにとまって公爵を見下ろしている。
そして最後に悠然と入って来たのは1匹の大きな狐。それを見た瞬間、公爵はさらに大きく震えだし、全身から涙やら汗やらを噴き出させている。正体を知らずとも、その威圧感だけで失神してしまいそうになるほどだ。
スライムが口元の拘束を解くが、公爵は喋ることも身動きすることすらも出来ない。
「おや、先ほどまでの威勢はどうしたんですか?ずっと何か言いたそうだったから解いてあげたのに」
「あ......うぁ............た、たすけっ......」
「大丈夫ですよ。襲うことはしませんから。僕はお話をしたいだけなんです」
狐はゆっくりと歩み寄ってくると、少年がその頭を撫でる。その行動は、今この場で誰が1番上なのかを表している。
「ななな何が望みだ......!金ならいくらでもある!だ、だから——」
「お金なんていりませんよ。僕の要求はひとつ。ジェニー・シュヴェーレンに実権を渡すこと、それだけです。対外的には閣下が領主のままで構いません。ただ、ジェニー・シュヴェーレンのやることをサポートしつつ、領地経営のなんたるかを学び直していただければと思います」
「ジ、ジェニーだと?あ、あの子に何をした!」
「別に何も?彼女は元から優秀ですよ。ただ利害が一致しているのでサポートしようと思っただけです。それで、お返事をお聞かせ願いましょうか、公爵閣下?」
「............ど、どのみち私に拒否権などないのだろう。好きにすればいい」
「ふふ、よくお分かりのようで。僕もこういうやり方は好きじゃないんですけどね、さすがに度が過ぎていますよ。僕の仲間が常に見ているということをお忘れなく。あ、それとペルダン伯爵との関係も清算しておいたほうがいいですよ」
「......ぐっ。わ、分かった」
少年がパチンと指を鳴らすと、フクロウが一斉に部屋中を飛び回る。同時に拘束が完全に解かれた公爵は襲われるのかと頭を抱え怯えるしかなかった。
しかし羽音が遠ざかって静かになった部屋には狐も少年もおらず、呆然とする公爵だけが残された。ただ、ひらひらと舞い落ちてくる羽根だけが、それが夢ではないことを物語っていた。