表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死の予感  作者: Z(ゼット)
1/1

死の予感 1〜3章

死の予感




◎第一章 能力発見編

◎第二章 天使と悪魔の話題

◎第三章 霊感がプラスされた話題




はじめに


もしかしたら、あなたにも人とは違うような特殊な能力が宿っているかも知れません。

それはまだ開花していないだけで、あなたの身体の奥底に眠っている若しくは、あなたがまだ気づいていないだけかも知れません。

ここに登場する主人公は、自分の能力に気づいてしまうことになる。

これを幸いと取るのか、不幸と取るのか、その使い方で能力としての価値は変わってしまうだろう。

果たして主人公は、どのような道を辿ることになるのだろうか?

死の予感、第一章から三章までお楽しみください。







【第一章 もくじ】

はじめに

一.気付きはじめた能力

二.協力者の親友

三.楽しいバーベキューのはずが

四.壮太の一大決心

五.友情とは

六.新たな職場

七.未熟さが生んだ悲劇






一.気づきはじめた能力


人とすれ違っただけでその人のことが判る、そんな男が世の中にはいる。

この男、前から他人よりも嗅覚が鋭いということは自覚していたのだが、こんな特殊な能力が宿っていることまでは理解をしていなかった。

その男の名前は、犬走(いぬばしり) 壮太(そうた)

この男、まだ自分の能力には気づいていない。

この世の中には色んなニオイが溢れ返っている。

香水や柔軟剤のような良い香りから、加齢臭やワキガのような嫌な体臭、それは誰でも分かるようなニオイから、その人の運命を感じさせるような特殊なニオイまで存在しているのだ。

古代であってもニオイの合わない人とだけは、絶対に一緒にならないという話があるくらいだ。

ある意味、人間も動物と一緒であるということかも知れない。

古くから動物には特殊な能力があると考えられている。

その例としては、家で飼っているペットが何の変化もない天井をじっと見つめて吠えていたり、地震が来る数分前からそわそわしはじめたなど、そんな経験をしたという人もいらっしゃるのではないでしょうか。

話は元に戻りますが、ニオイそれは時として人を和ませる効果があったり、逆に人を不快にさせるといったこともおありでしょう。

この男が一番嫌いなニオイは、鼻を突くような物が腐ったようなニオイ、それは死臭をも想像させるようなニオイだった。

運が悪いと、そのニオイを放つ人とすれ違うこともある。

今日はそんな人に出会ってしまったのだった。

『うっ、臭い! 何だこれは、生ゴミ以上のニオイじゃないか。誰なんだ、こんな臭いニオイを放つ奴は。 何日も風呂に入らず過ごしているのか? それにしても周りの人達は、よく平気でいられるよな。それとも皆、我慢しているだけなのかな? それとも鈍感なだけなのかな?』

壮太は会社に向かうため電車に乗っていたのだが、その電車の中に鋭いニオイを放つ人が乗車していたのだ。

『ニオイを放っているのはあの男か?』

その男は四十代前半ぐらいだろうか、センス良くスーツを着こなし、それに綺麗な靴を履いて、髪もしっかりとセットされていて、その姿からは不潔というようなイメージは全くなかった。

そうであれば、この人から放たれている悪臭、あれは一体何なのだろうか?

吐き気をもよおすくらいの鋭い体臭に壮太は、ついに我慢することができなくなり目的の駅よりも一つ手前になるが次の駅で降りることにした。

昔は『我慢』とか『根性』だとかよく言ったものだが、壮太は既にその限界を突破してしまった。

それでも何とか『我慢』と『根性』でこの場を凌いでいたのであった。

『もう限界、やっと駅に着いた。早く降りよう』

壮太は電車を降りるためドアに向かって歩き出した。

『げっ! こいつもここで降りるのか?』

強烈なニオイを放つ男もドアに向かって歩き出していたのだ。

今にも吐きそうで、これ以上乗り物に乗り続けることすら限界にきていた壮太は『密閉空間でなければ、これ程のまでに苦しむことはないだろう』と自分に言い聞かせ、その男とは距離を取るように歩こうと考えていた。

その男よりも壮太の方が早く電車から降りることができたので、そこからは少し速足で歩き男とは距離を空けようとしたのだが、男も急いでいるのだろうか距離は一向に広がらずにいた。

それどころか尾行でもされているかのように、ピタリと壮太の後を付いて来るのだ。

その男とは単純に行き先が同じなのだろか、それとも壮太が毛嫌いしていたことに気付いて嫌がらせをしてきているか、そのどちらかだと思っていた。

目の前には壮太が渡ろうとしている国道の大きな交差点があるのだが、交差点の直前で信号が赤に変わってしまい男に追いつかれてしまった。

どうやら壮太を追い回していた訳ではないようで、偶然にも行き先が同じだったようだ。

男は信号待ちの間、壮太を一度も見ることなく、むしろ壮太よりも一歩前に出て信号待ちしながら何度も腕時計を気にしていた。

その姿から察して、男が急いでいることは誰の目からもわかる。

『やっぱり臭い! この後は男の後ろを歩くことになりそうなのだが、歩く速度で距離を調整することができると考えた。それと男と違うルートを行くという選択もできる。そうだ、俺はこの交差点を渡らずに、左手側の交差点を渡り、向こう側の歩道を歩いて行こう。もう少しの辛抱だ』

壮太は渡ろうとしていた交差点を渡らず、男とは違う進路を選択することにした。

壮太が選択した交差点の信号は再び赤へと変わり、もう一度信号待ちをすることになってしまった。

後ろを歩いて来ていた男は、壮太が最初に予定していたルートで交差点を渡って行った。

男は交差点を小走りで渡りきり、そこから歩道を小走りで少し進んだ頃、壮太が待つ側の信号が青に変わった。

その時だった!

「暴走車だ!」という叫び声が聞こえ、その後、ドーーン! ギィーー! ガッシャーーン!

辺りには大きな音が響き渡り、その音の中心だった場所には少しずつ人集りができはじめていた。

「誰か、早く救急車を呼んで!」

『何だ? 何かあったのか?』

壮太はヤジウマ根性から再び進路を変え、人集りの方を目指して走って行った。

その場所には車に跳ねられたあの男が横たわり、血だらけとなった無惨な姿はピクリとも動かなかった。

男を跳ねた車は、建物にめり込んだ形で停車していた。

その車の中では年配の男性が、運転席で放心状態となっていた。

どうやら宝くじ売り場の駐車場に車を停める際、ブレーキとアクセルを踏み間違えてしまったようだ。

『あれ?』

壮太は気になることがあり横たわる男に少し近づいてみた。

『やっぱりだ! あのニオイが消えている』

しばらくして救急車が到着したのだが、男性は心肺停止のままで病院に搬送されて行った。

それから二時間後のネットニュースで、男性が死亡したことを知った。

その男性の年齢は四十三歳だった。







二.協力者の親友


壮太は三年前の出来事を思い出していた。

『確か三年前にも、あのようなニオイを嗅いだことがある。用事で親戚の家に行ったとき、叔母から嫌なニオイが出ているなと思っていたら、その二日後に、脳梗塞で亡くなってしまった。もしかしたら、あの死臭にも似たニオイというのは、その人の死を意味するニオイなのだろうか? 俺は死を迎えようとする人のことが分かるということなのだろうか?』

そんなことって本当にあるのだろうか?

壮太はまだ信じられない気持ちでいっぱいだった。

しかし、それが現実であるということを確信するような出来事が起こりはじめていくのだ。

いつも通りの通勤風景、満員電車に今日も揺られながら会社を目指していた。

電車の中はいつものように色んなニオイが溢れていたが、人から出ている一つひとつのニオイから、その人の体調や気持ちまでもが判るようになってきていた。

『んっ、 人の体調や気持ちが判る? 何だそれ? 本当にそうなのか?』

壮太はそれが手に取るように分かる気がした。

『あの女性、今日はデートなのかな? 甘く優しい花のような香りと弾けるような爽快な香りが飛んでいる。あの男性は嫌なニオイだ、重く胸が締め付けられるようなニオイがしている。今日は気が進まない会議でもあるのだろうか?』

壮太は次第に、それらが合っているのかを確かめたいと思うようになっていった。

しかし、あの人達を追い回す訳にもいかないし、調べる手段はないと諦めかけていたのだが、会社の人であれば追いかけ回さなくてもニオイを感じ予想したことの結果が分かるかも知れないと思った。

『しばらくは会社の人を注意深く見ていくのも良いのかも知れない』

だがここにも問題はある、社員に対して必要以上にプライベートのことを聞くことや、それに近い発言をしただけでセクハラやパワハラだと大騒ぎされてしまう、今はとても厄介な時代なのである。

壮太は、セクハラやパワハラにならないように確かめていくにはどうしたらよいのだろうかと頭を悩ませていた。

そこで壮太は、社内で仲良くしている梶谷俊平(かじたに しゅんぺい)に協力して貰おうと考えた。

壮太は建築資材を扱う会社で働いているのだが、梶谷は同じ営業部に所属する同僚だ。

普段は売上を争うライバルであるのだが、プライベートでは月に一回は飲みに行く親友でもあった。

梶谷のニオイから未来を感じ取り、その後の結果と合わせていくことができるのならば、自分に能力が有るのかを確かめることができると思った。

問題は梶谷が協力してくれるのだろうか? ということだった。

それに関しては、たぶん大丈夫というぐらいの自信しかなかった。

壮太はその日の仕事帰りに梶谷を飲みに誘ってみようと考えた。

二人は同じ年齢の三十五歳、共に独身である。

ただ最近の梶谷からは、今日電車で会った女性と同じような甘いニオイを発している時がある。

あいつもしかして、彼女でも出来たのだろうか?

そういえば……先週の金曜日「今日、軽く飲んでかないか?」と誘ったとき「今日はやめておくよ。ちょっと用事があるので」って言っていたよな。

あの時おかしいと思ったんだよなぁ……あいつが用事だなんて、何の用事だよって。

あの時は彼女とデートだったのかも知れない。

夕方、会社で梶谷を探し声を掛けた。

「梶谷、今日は少し付き合ってくれないか? 俺がおごるから」

「本当か? それでは今日は、お供させてもらいますか」

二人の仕事が終わるのは夜の九時頃になるが、そのあと飲みに行くと約束してくれた。

仕事が終わり向かったお店は、二人の行きつけの居酒屋。

その店は料理が美味しく、お会計はリーズナブル、そんなことから二人は暗黙の了解みたいになっていた。

壮太はその居酒屋で梶谷に、あのニオイの話をはじめた。

「なぁ梶谷、お願いがあるんだけど、いいか?」

「おいおい、お願いだなんて、金ならないぞ」

「違うよ、金の話なんかじゃない。協力してもらいたいことがあるんだ」

「協力って何だ?」

壮太は自分が他人よりもニオイに敏感であること、そしてニオイから人の気持ちや運命が判るのだが、それが本当の能力なのかということを確かめたく、梶谷から出るニオイから判断させてもらい、判断と事実の整合性を確かめさせて欲しいとお願いした。

梶谷は迷いながらも今日はおごってもらうのだからと、渋々ではあったが協力することには同意をしてくれた。

「ところで梶谷、おまえ彼女できたのか?」

「えっ! 何だよいきなり」

「最近のおまえからは甘い花のような香りと弾ける爽やかな香りがする時がある。先週の金曜日もそんなニオイが出ていたが、あれもしかして彼女とデートだったんじゃないか?」

「げっ、何だよお前! マジでそんなことが判るのか? ……そうだよ、先週は彼女とデートだった」

彼女とは付き合って三ヶ月、友達の奥さんから紹介されたらしい。

彼女は梶谷よりも六歳年下の二十九歳、家族と同居しているのだが、その実家にも何度かお邪魔したことがあり両親とも仲が良いらしい。

次の日曜日には彼女の実家でバーベキューするそうだが、それにも誘われていた。

梶谷はそのバーベキューに、壮太も一緒に来ないかと言ってきた。

壮太は「それは悪いから」と断ると、梶谷は携帯を手にして彼女にラインで壮太のことを伝えた。

彼女からの返事は直ぐ返ってきて、壮太のバーベキュー参加OKの承諾を得た。

壮太にはバーベキューを断る理由も見つからず、参加すると返事した。








三.楽しいバーベキューのはずが


日曜日のバーベキューはお酒が振る舞われることから、梶谷とは駅で待ち合わせをし彼女の実家を目指した。

壮太は二人のお邪魔にはならないかと心配しながらも、梶谷の彼女を見ることができるワクワク感も当然あった。

駅から徒歩で彼女の家を目指したのだが、どんどん近付いていると感じられたのは、炭が焼けるニオイが強くなっていってたからだ。

彼女の家に着くと父親らしき人が、庭でバーベキューの準備をしていた。

「おう俊平君、いらっしゃい」

「こんにちは、今日はお世話になります。こちらが同僚の犬走です」

「今日はお世話になります」

「珍しい苗字だね! まあ遠慮しないで楽しんで下さい」

『お父さんから放たれるニオイは、炊きたてのご飯のような優しいニオイで、温かさを感じる良いニオイだった』

お父さんは大手ガス会社で働いていて年齢は五十八歳。

名前は藤波(ふじなみ) (さとる)、その一人娘が梶谷の彼女で名前は沙羅(さら)という。

騒がしくている外の声に気づき、沙羅ちゃんが外に出て来た。

「しゅん君」

満面の笑みを浮かべ、手を振りながら梶谷の傍までやって来た。

『か、かわいい! 正直、梶谷になんてもったいない! と言うか……羨ましい。この雰囲気からして、とても仲が良いのだろうな』

「沙羅ちゃん紹介するね、同僚の犬走です」

「よろしくお願いします」

沙羅ちゃんに話し掛けられた壮太だが、沙羅ちゃんが余りにも可愛いらしくて照れてしまい彼女の目を見ることすらできなかった。

梶谷の彼女というのは、それほど可愛い人なのだ。

お母さんが庭に出てきたところで、いよいよバーベキューが開始となった。

そこで壮太は異変を感じたのだった。

それはお母さんの身体から放たれているニオイに対するものだった。

『あのニオイがする……あの嫌なニオイだ。今考えてみると叔母から放たれたニオイと、電車で会った人のニオイとは微妙に違っていたような気がする。このお母さんから放たれているニオイは電車の中で会って、その後に車にひかれてしまった、あの男性のニオイに近いような気がする。ただ、あの男性よりはニオイが少し弱い……ニオイの強弱、これにも何か意味があるのかも知れない。でも、このお母さんのことを梶谷には伝えられないよ……こんなことを伝えたら梶谷は絶対に怒るだろうな。でも黙っている訳にもいかないと思うけど……どうしたら良いのだ』

壮太は悩んだが、今はバーベキューに集中して、この事はあとからじっくり考えてみようと思った。

お父さんが仕切るバーベキューでは、肉や海鮮をとても美味しく頂き楽しいものとなった。

梶谷と沙羅ちゃんはバーベキューの最中も相変わらず仲良くしていた。

それを見せつけられた壮太は思わずムッとする場面もあったが、夕方にはバーベキューが終了し、二人は藤波家を後にして駅へと向かった。

「おまえの彼女めちゃくちゃ可愛いな! 正直、羨ましいよ」

「おまえも早く見つけたらいいよ」

壮太は今日の雰囲気を壊したくないとの思いから、沙羅ちゃんのお母さんの事は、明日会社で伝えることにした。

伝えるには少々の覚悟が要る内容ではあるのだが……






四.壮太の一大決心


あのお母さんの事を梶谷にどう伝えるのが一番良いのかと、壮太は一晩中寝ずに考え会社に出勤していた。

壮太は昨日のお礼という名目で、梶谷をランチに誘い出した。

店に入り二人は日替り定食を注文、これを食べ終ってから梶谷に話をしようと心に決めていた。

食後に出てきたアイスコーヒーを飲みながら、いよいよ壮太があの話を切り出した。

「なぁ梶谷、凄く言いにくい事なんだが、話を聞いてもらえるか?」

「なんだよ陰気くさい顔して、そんな顔見ていたらコーヒーが不味くなるわ」

「あのな、沙羅ちゃんのお母さんのことなんだが、実は嫌なニオイがしていたんだ。これまで同じニオイの人に二人会ったことがあるが、二人共すぐに亡くなってしまった。沙羅ちゃんのお母さんからは、同じニオイがしたんだよ」

「はぁ? ふざけるなよ! そんなことある訳ない! お前のオカルトな話しに付き合ってはいたけど、そんないい加減なことを言うのならこれで終了だ!」

バン! と机を叩き、梶谷は店から出て行ってしまった。

それからは二人は会社でも口をきいていない。

『やっぱりそう成るよな』

それから二日後、会社で梶谷の個人携帯が鳴っていた、相手はどうやら沙羅ちゃんのようだ。

電話に出た梶谷なのだが、身体からどんどん力が抜けていくのが見て分かった。

そして梶谷は一言「なんでだ……」と発した。

その電話のあと梶谷は、沙羅ちゃんのことが心配になったのだろう、その日は会社を早退していった。

夜のネットニュースで分かった事だが、沙羅ちゃんのお母さんは交通事故で亡くなってしまったようだ。

報じられている事故の内容を確認してみると、お母さんは自転車に乗り買い物に行く途中、歩道を歩く小学生と接触しそうになり急ハンドルで避けたところ、乗っていた自転車がバランスを崩し転倒、車道と歩道を分けているコンクリートのブロックに後頭部から落ちて出血、その場で意識不明となってしまったようだ。

病院に救急搬送されたお母さんだったが、病院で死亡が確認されたという内容であった。

お母さんは五十五歳という若さでこの世を去ってしまった……旦那さんと可愛い一人娘の沙羅ちゃんを残して……さぞ無念であっただろう。

奇しくも壮太の予言は的中してしまう結果となった。

この件がきっかけに壮太は人の命を助けたい、自分なら助けることが出来るのではないだろうか? と考えはじめていた。

それを成し遂げる為には何をどうしたら良いのだろうか……壮太は悩み考えた。

ここから壮太の人生は大きく変化していくことになる。

壮太はアパートに帰宅してからスマホを利用して、求人募集の検索をはじめていた。

壮太は転職することを決めたのだった。

気づいてしまったこの能力、これを活かして人命を救うことができる仕事があるのではないかと気持ちは焦っていた。

会社では同僚の梶谷とは不仲になり、私が会社にいない方が良いのだろうとも考えていた。

正直こんな能力さえなければ梶谷と不仲になることもなかった、彼女のお母さんの死を予言することも、それに気付くことすらなかったはずだ。

不幸にも壮太にはその能力があった。

今は不幸でしかない能力だが、この能力で人が幸せになれるよう活かしていきたいと思った。

その時ある求人が目に止まった。

「NPO法人 心の窓 これってなに?」

心の窓は県が支援している団体で、今の生活に悩んでいる人から心の声を聞き出して、主に自殺者の抑制を図るというのがこの会社の目的らしい。

決して給料は良くない仕事だが、今自分ができる社会貢献ができたらとの想いで、この求人『心の窓』に応募することにした。

翌日、梶谷は会社を休んでいた。

梶谷は会社に事情を説明して、五日間の有給休暇を取得したようだ。

壮太の携帯には、昨日の夜に応募した会社から面接の案内が来ていた。

それに対し返信をして、壮太の面接日は二日後の土曜日に決まったのだった。

今の壮太に迷いはなかった。

既に新たなステージに気持ちは向いているようだ。






五.友情とは


【面接当日】

面接に伺う会社は、壮太が現在働いている会社から近い場所にあった。

この会社が設立されたのは、約二ヶ月前という新しい会社である。

設立の目的は自殺者の抑制。

この県では昨年辺りから自殺者が急増していたことが根本にあった。

面接では自分の能力のことは一切言わずにいようと壮太は決めていた。

それを言ったところで、頭がおかしい人が来たと思われるだけだろうと予想していたからだ。

「本日、面接をお願いしています犬走壮太と申します」

「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

対応してくれたのは三十代くらいの女性だったのだが、もう一人奥に五十代くらいの女性も見えていた。

部屋に案内された壮太は、面接官を待っていたのだが、部屋に入ってきたのは奥に居た五十代の女性の方だった。

名刺には相楽(さがら)さゆり『代表』となっている。

相楽代表はとても話しやすく、この人だったら何でも相談したくなるだろうなという印象であった。

この面接の結果は一週間以内に伝えられることになった。

面接の結果が良いものであった場合、いつから就業ができるかと聞かれた壮太は「来月の一日から就業可能です」と答えていた。

その日と言うのは面接日から三週間後という、一ヶ月の猶予もない日取りであった。

この段階では会社に退職する意思を伝えている訳でもなかったが、一刻も早く人を助けたいという想いからそう答えていた。

その想いは面接官でもある相楽代表にも十分伝わっていただろう。

そして二日後、壮太の携帯には採用の連絡が届いていた。

壮太は採用の連絡があった直後に、上司へ退職願を提出、最終出勤日などの希望も伝え承諾された。

【退職当日】

あの日以来、相変わらず梶谷とは一切口を聞いていなかった。

退職の当日であっても、お互い挨拶することなく壮太は会社を退職した。

「きっと、これで良かったんだよ」

壮太はそう自分に言い聞かせるように呟いていた。

とにかく今は前を向いていこう、梶谷みたいに悲しい想いをする人を少しでも減らせるように、精一杯の力を注ぐ決意だった。

明日からは心機一転『心の窓』へ出勤することになる。

相楽代表は県職員として相談窓口の業務を長い期間働いてきた人物で、当面は壮太の指導をしてくれることになっている。

壮太の胸の内は『相楽代表から相談の技術を早期習得して、早く人助けがしたい』と考えていた。

退職した夜に壮太は、自分に対して御苦労さんという意味を込め、お店で飲んで帰ろうと思っていた。

この日は梶谷とよく飲んでいたお店は避けることにして、街をフラッと歩き直感で選んだ一軒のやきとり屋に入った。

その店で生ビールを三杯とやきとりを十本ほど食べ満足して帰宅した。

しかし壮太が飲んでいた同じ時間、梶谷はいつもの居酒屋で一人飲んでいた。

いつもの居酒屋に梶谷がいたこと、何か目的があったのだろうか、それとも目的など何もなかったのだろうか、それは今となっては知る由もない。

もしかしたら梶谷は、壮太に謝るチャンスを探していたのかも知れない。

しかし二人の関係はここで終わってしまった。

何とも皮肉なことだ。





六.新たな職場


翌日から壮太は、新しい職場に出社した。

ここでの研修期間は一ヶ月間の予定だが、壮太の中では何とか二週間以内で習得したいと研修に集中した。

その甲斐があり窓口業務の試験を二週間で合格、晴れて窓口で相談業務がおこなえるようになった。

最初の相談者は七十代の男性で、妻に先立たれた後は大きな家で、一人寂しい生活を送っているという。

子供も親戚もなく、相談する相手もいないことから『心の窓』を訪れていた。

この男性、若い頃は仕事に没頭していたことから周り近所の人との交流は全くなく、心を許せるような人が周りにはいなかった。

お金に不自由はしている訳ではないのだが、できれば笑顔で話せるような仲間が欲しいとのことだった。

『心の窓』には、色んなサークルから沢山の案内が届いており、壮太はこの男性に合いそうなサークルをいくつかピックアップして紹介した。

男性が気に入った一つのサークルに電話をして、そのサークルへの入会が決まった。

『心の窓』に持ち込まれる相談は、このようにあまり重くない相談もあればお金が絡むようなドロドロとした話や、学校や会社でのイジメ、色いろな原因からくる精神不安と内容は様々だ。

もうすぐ夏がやってくるというこの時期に、顔に血の気も表情もない中年男性が『心の窓』に現れた。

『うっ! 臭い!』

壮太が一瞬、身体を仰け反らせてしまうくらいの臭いニオイだった。

『間違いない、あのニオイだ』

壮太はギアを一段上げるように、その男性と向き合った。

「どうかされましたか?」

「私は小さなバイク屋を経営していましたが、妻が作った借金で店が潰れてしまいました。きっかけとなった妻は他の男と家を出て行ってしまい、その後の行き先は分かっていません。風のうわさですが、どうやら一緒に出て行った男と暮らしているようです」

窓口を訪れた男性の名前は、馬場(ばば) 典助(のりすけ)五十三歳、馬場さんの話によると、店は親から譲り承けた土地に借金をして店を建ててバイク屋を経営していた。

妻は自宅近くのショッピングセンターでパートタイマーとして働いていましたので、自営のバイク屋は典助さんが一人で切り盛りをしていたそうです。

典助さんの家計は贅沢とまでは言えませんが、ごくごく普通の生活はできていたと言います。

しかしある日突然、それが一変する出来事が起こりました……

今から三週間前になりますが、いつものように店でバイクを修理をしていた時、店の前に立つ人影に気づきました。

『いらっしゃいませ』と声を上げた典助さんだが、店の前に立つ人の姿を見た瞬間、身体が固まってしまった。

店の前に立っていたのは典助さんの妻で、その隣りには派手な服を着た若い男性も立っていました。

妻は多額の借金を作ってしまい、その返済をする為に、この店の土地と建物を不動産屋に売ってきたと言いました。

妻は典助さんに対して「悪い事をした」と言って、離婚届を差し出し「これに貴方もサインをして。そして役所に出して下さい」と言って、男と二人でその場を去っていったそうだ。

典助さんの住まいは賃貸のマンション、自宅からは全ての電化製品が消えガランとしていました。

もちろんバッグや宝石類は全てありませんでした。

典助さんは店が売られたということを、どうしても信じる事ができずに、翌日も店に向かい仕事をしていましたが、お昼過ぎこの店を買い取ったという不動産屋が店頭にやって来て、早くこの店から立ち退くよう強い口調で言われました。

その二時間後にはヤクザ風の男が「妻の返済額が二百万ほど足りない」と言って、借金取りまでもが訪問して来たのです。

典助さんはその借金取りに対して「私の妻には、一体いくらの借金があったのですか?」と尋ねたところ、総額一千万円だと言われました。

一体そんな大金を何に使ったのか借金取りに尋ねたところ、半分はパチンコ等のギャンブル、半分は男に貢いでいたらしいと言った。

この店の買取価格は土地と建物を合わせて八百万で、全て返済に回されたそうだが、残金としては二百万が残ってしまい、借金取りはその返済を要求してきたのでした。

典助さんはどうしたら良いのか判断ができないまま「とにかく、あと一週間待って欲しい」と頼むのが精一杯だった。

典助さんは無一文となり、これからどうしていけば良いのかも分からず、このまま楽になりたいと自殺まで考えるようになってしまった。

このままではダメだ、何とかしなければとの思いで『心の窓』を訪れていたのだった。

『確かに臭う、これは死のニオイだ。しかし前に経験している三件のニオイとは少し違う気がするが、これは自らで命を断とうとしているからなのだろうか? 死の内容でニオイが微妙に変化するのかも知れない。そうだとしたら、これは間違いなく救える命だ』

先ずは典助さんの生活を助けるため役所に連絡を取り生活保護の受給申請をおこない、今後の生活の為に準備をしていった。

次に弁護士の紹介と相談がおこなわれた。

弁護士からは自己破産することが一番の手段であるとの指導を受け、その手続きを弁護士の先生にお願いすることにした。

明日も心の窓に来ることを約束して典助さんには帰宅してもらった。

壮太が典助さんに対応してる間にも、一人の女性が神妙な面持ちで『心の窓』にやって来ていて、相談窓口が空くのをうなだれながら待っていた。

その女性も壮太が対応することになったのだが、この女性からも微かにあのニオイがしていた。

先ほどの男性と比べるとまだニオイは弱いのだが、この方は会社でイジメにあっているのだと言った。

名前は卯月(うづき) 真実(まみ)さん、二十四歳、見た目の印象は清楚なのだが、この女性にも死が近づいているということなのだろうか。

会社でのイジメが始まったきっかけというのは、ほんの些細なことからだった。

真実さんが働く会社は女性社員の割合が多いことから、イケメンの男性社員なんかは取り合いになることもあるという。

女性社員の中にはお局様や怖い先輩なんかもいるので、日々の気遣いは欠かせない職場である。

そんな職場で働く卯月さんは、社内で人気のある男性社員と給湯室でたまたま一緒になってしまい、そこで話しをしていた所をリーダー格の女性社員に見られてしまった。

その光景が余りにも面白くなかったのだろう、卯月さんへのイジメはそれからはじまったのだ。

そのイジメは日を追う毎にエスカレートしていき、次第に周囲の人から無視され、自分が座っている椅子は汚され、上司から頼まれた書類は破られたりすることまでになっていった。

その中でも一番酷かった出来事は、リーダー格の女が会社で一番嫌われている四十代の男性社員、太田にデマを吹き込んだことだ。

「卯月さんは太田さんのことが、とても気になっているんだって。太田さんは彼女がいるのかな? とか、いないのなら私が彼女じゃダメかな? って言っていましたよ。私のことが嫌じゃなければ、お付き合いがしたいんだって。もし太田さんの返事がOKであれば、今日、ロイヤルホテルのラウンジで待っているから、会社が終わってから来て欲しいって。このことを太田さんに伝えて欲しいって、卯月さんから頼まれたのよ。太田さん、どうしますか?」と嘘の話を持ち掛けていた。

太田は「えっ、そうなんだ! 俺、卯月さんの気持ち、全然気づいていなかったよ。なんか今まで悪いことしちゃってたよな。分かった、今日、仕事が終わったら大至急ロイヤルホテルに向かいます」と返答した。

その後リーダー格の女は卯月さんの所へ行き「今日、仕事が終わってから女子会やるから、六時にロイヤルホテルのラウンジに集合ね。卯月にも参加して欲しいの……今日から仲直りがしたいのよ。今まで嫌なことをしてごめんなさい。待っているからね」と持ち掛けた。

この嘘の話を信じた卯月さんは、六時にロイヤルホテルのラウンジで皆を待っていた。

当然のことなのだが、時間が過ぎても誰も来なかった。

『みんな遅いな』

そんな純粋な気持ちで一人待っていると、突然、誰かが背後から抱きついてきた。

その時は余りの恐怖心から、声を出すこともできず、身動きも取ることができなかった。

完全に勘違いしてしまった太田が、卯月さんの背後から抱きついていたのだ。

「ごめんね、今まで卯月さんの気持ちに気づいてあげられなくて」

真実さんは何が起こっているのかさえ理解することができないまま、この恐怖とひたすら闘い怯えていた。

その時間は十分余りも続いたと言う。

太田はこの日から卯月さんに付き纏うストーカーとなり、いつでも太田から見られているという恐怖に怯えることになった。

イジメの他にストーカーまで加わり、会社もプライベートでも地獄のような日々になってしまったそうだ。

卯月さんからこのような話を三十分ほど話を聞いた、壮太はストーカー対策をすることが優先だと考え、警察と連携することにした。

会社でのイジメの件は会社の上層部に知られると、もっと大変な事になると言われ、真実さんの希望で一旦保留することになった。

卯月さんとは一週間に一度、心の窓を訪れるようにと約束して別れた。







七.未熟さが生んだ悲劇


翌日、約束した通り典助さんが来店してきたのだが、あの強烈だった嫌なニオイが少し薄くなっているような気がした。

あれから弁護士との話も進み、気持ちが少しずつ楽になっていることが影響しているのかも知れない。

生活保護の申請手続きも、心の窓が間に入っていることから順調に進んでいる。

今後の生活が見えてきたことで、典助さんは死を考えることがなくなってきたのだろうと思ったが、まだ気を抜くことはできない。

典助さんの命を守るため、全ての手続きが完了するまでは毎日、心の窓に来るようにと伝えた。

【一週間後】

典助さんの全ての手続きが終了し、生活をしていく場所も県営住宅への入居が決まった。

これからは典助さん自身が頑張らなければいけないことは多いのだが、一先ず不安を取り除くことができたのだった。

「馬場さん、不安を感じるようなことがあれば、いつでも心の窓に相談しに来てくださいね。馬場さんの人生が良い方向にいくことを心から願っています」

「本当にありがとうございました。私は死から救われたような気持ちです。いつかこの恩返しが出来るよう、しっかり生きていきます」

典助さんから出ていたあの嫌なニオイは、完全に消えていた。

壮太は一人の大切な命を救えたことに安堵していた。

典助さんから死のニオイが消えて安堵したのと同時に、ある不安がよぎってきた。

会社でイジメを受けていた卯月さんが来店してから既に一週間が経ち、約束の日になったのに卯月さんがまだ心の窓に姿を見せていないのだ。

『卯月さんに何かあったのかな。でも、それは考えにくい。確かにあのニオイはしていたのだが、あのニオイはまだ薄かった。もうしばらく待ってみよう』

しかし夕方になっても卯月さんは来店しなかった。

壮太は心配になり、卯月さんの携帯電話に連絡した。

電話に出た声は、卯月さんの声とは明らかに違う年配女性だった。

「卯月さんの携帯で宜しいでしょうか?」

「はい、そうです」

「こちらの番号は、真実さんの携帯で間違いはないでしょうか?」

「そうですが……真実は昨日、亡くなってしまいました。私は真実の母親です」

母親から出た言葉は、壮太が予想もしていなかった言葉だった。

壮太の身体に鋭い電気が走った。

真実さんの母親としばらく話しをして、真実さんの死の内容が分かった。

真実さんはあの日以降も、会社でイジメ絡みの大きなトラブルがあったらしい。

会社で女性社員の財布がなくなったのだが、周りの社員は真実さんが犯人だと決めつけて一斉に責め立てたそうです。

真実さんは涙を流しながら必死に無実を訴えたのだが、誰も彼女の味方する者はいなかった。

その二時間後、真実さんは変わり果てた姿で見つかった。

トイレのドアノブに紐をかけ、首を吊った状態で亡くなっていた。

そこには遺書が置いてあり、内容はこのようなものだった。

『これ以上、生きていくのは無理です。お母さん、ごめんなさい』

自殺だった。

壮太は電話を切ったあと、その場で泣き崩れてしまった……号泣だった。

卯月さんの命が危険にさらされていることが判っていながら、その大切な命を救うことが出来なかったことが、もの凄く悔しかった。

どうしていれば良かったのだろうか、卯月さんのニオイの薄さに安心してしまったからなのか、もっと彼女のことを気にするべきだったと、自分を責め続けた。

しかしどんなに悔やんでも、卯月さんがこの世に戻って来ることはない。

このとき壮太は卯月さんに誓った、これから沢山の命を救っていくということを。

この世から理不尽に失われていく命、壮太は一つでも多くの命を救いたいと強く思っていた。


第一章 おわり










【第二章 もくじ】


一.また出会ってしまったニオイ

二.初めてのニオイ

三.黒い悪魔の仕業

四.天使の光り





一.また出会ってしまったニオイ


犬走(いぬばしり) 壮太(そうた)は新たな職場で働き始め、すでに半年が経とうとしていた。

壮太が転職したきっかけは、自身の周りで起こった不思議な出来事だった。

そこで自分には特殊な能力があることを実感し、その能力を活かして人々を救いたいという想いからだった。

その能力とは……死が直ぐ側まで迫っている人のことが判るというものだが、こんなオカルトな話は時として人間関係を拗らせてしまうこともあるのだ。

転職をする前の職場で仲が良かった同僚とは、絶交状態になってしまった過去がある。

ごく普通のサラリーマンであった壮太は自分の能力を活かして、絶対に助けられる命があるはずと転職を決意した。

壮太が転職した先は『NPO法人 心の窓』という相談所で、自殺者を減らす事が一番の目的である。

壮太は心の窓で働きはじめた半年間だけで、五人もの自殺を止めることができていた。

しかし、その壮太でも止めることができなかった命がある。

会社で酷いイジメにあっていた若い女性が働く職場では、味方になってくれる人が誰もいないという環境の中で、いつかは分かって貰える日が来るだろうと一人で頑張っていたのだが、彼女が頑張れば頑張るほど、イジメはどんどんエスカレートしていった。

彼女はついに耐える力を失い、最後の手段として会社のトイレで自殺をしてしまった。

この事件をきっかけに壮太は、人の心と気持ちに対して、絶対に気を緩めてはいけないということを学んだ。

日々、心の窓に持ち込まれる悩みというのは人それぞれ違うものなのだが、中には死に繋がってしまうような案件も持ち込まれている。

ここ最近で増えてきた悩みというのは、お金と孤独という問題だ。

収入が減り生活が厳しいという金銭的な苦悩や、孤独で寂しいといった相談が多くなっていた。

この日も数多くの相談者が心の窓を頼り訪ねて来たのだ。

「あのーー、よろしいでしょうか」

心の窓の受付に一人の高齢女性が立っていたのだが、この女性から微かにあのニオイ、そう死のニオイがしていたのだ。

その人の名前は、(あがた) 光子(みつこ)さん、年齢は八十四歳、六年前に夫を亡くし現在は県営住宅で一人暮らしをしている。

縣さんには謙二(けんじ)という息子さんが一人いたのだが、その謙二さんは十七歳の時に交通事故を起こしこの世を去っている。

当時の謙二さんは『黒般若』という暴走族に属していた。

真夜中に友人とバイクで走ることは日常茶飯事だったが、あの夜も仲間九人と、八十キロ以上の速度を出し国道を走行していた。

そこは走り慣れた道、爆音を上げながらどんどん走っていった。

そんな謙二さんのバイクの前に、一匹の白いネコが飛び出してきた。

謙二さんは咄嗟にブレーキをかけ、体重移動とハンドルで何とか回避しようとしたのだがバランスを崩してしまい転倒、バイクは大きな音を立て、火花を散らしながら道路を滑っていった。

謙二さんの身体は大砲から発射された玉のように空中を真っ直ぐ飛んでいき、そのまま電柱に頭から激突、ヘルメットを被っていなかった謙二さんは即死だった。

その時は、あまりにも突然の出来事であり、何が起こったのかすら正確に理解することができなかった縣さんは、どうして良いのかすら考えることができない状態で、その当時は涙の一滴も出なかったそうだ。

その出来事を悲しみとして理解することができたのは、謙二さんの死から約一ヶ月が経った頃からだった。

今日、心の窓を訪れた年配女性の縣さんからは、微かにあのニオイがしている。

この人の相談とはいったいどんな相談なのだろうか。

壮太が尋ねてみると、縣さんの口から出た言葉は一言「寂しい」だった。

縣さんの親戚は皆他界している。

仲の良かった友人も次々と亡くなってしまい、今は話しをする相手すら周りにはいないと言う。

家に一人でいると、孤独と寂しさで耐えられなくなってしまうことがある。

外に出るのは定期的に行っている病院と近所のスーパーぐらいだ。

だから今日、縣さんは勇気を出して心の窓を訪れたそうだ。

そんな縣さんに対し壮太は「縣さん、寂しくなったらいつでもここに来てください。縣さんは決して一人ではありません。この犬走壮太がいますからご安心ください」

「ありがとう。これからは、その言葉に甘えさせてもらうよ」

縣さんは笑顔を見せ、元気を取り戻して自宅へと帰って行った。

壮太は良かったと思いながらも、微かに出ていたあのニオイのことが気にはなっていた。

『自殺してしまったあの女性のニオイとは違っていたのだが、あれは間違いなく死のニオイ。そういえば亡くなった叔母からも、あのニオイに近いものが出ていたような気がする。ということは……縣さんは大きな病気でも患っているのだろうか。定期的に病院に行っていると言っていたし。縣さんのニオイはまだまだ薄いが、油断せず対応してかないといけないな』

壮太はあの女性以来、久しぶりに死のニオイ嗅ぎ、この日から縣さんを注視していくことになる。






二.初めてのニオイ


『んっ! 何だ、このニオイは?』

縣さんが訪れた翌日、心の窓に来た相談者から、今まで嗅いだことのないニオイを放つ男性が心の窓にやって来た。

それはとてつもなく強烈な臭いニオイだった。

何がどうなったら、こんな臭いニオイになるのだろうか?

相談者の姿は高身長で、しかもガッチリとした体型の男性なのだが、目はうつろで全くと言って良いほど覇気がない。

男性は地元のBCリーグで野球をしているプロ野球選手であった。

トップ十二球団のNPBとは差がある階級なのだが、日の当たる十二球団からのスカウトを目指して日々頑張っていたらしいが、その自身が所属するBCリーグの中でも、近年はポジション争いが激しくなっていた。

その彼も年齢を重ね今年で三十歳、実態はレギュラー争いから徐々に後退していたのだ。

そして昨日、所属するチームのオーナーからクビを宣告されてしまった。

年俸は二百万、ただでさえギリギリの生活を送っていたのだが、契約が終了となれば収入ゼロ、それに無職となってしまう。

彼にも家族がいて、妻と子供二人はまだ四歳と二歳だ。

妻との出逢いは、自身が所属していた球団のホーム球場でチアリーダーをしていた。

プロ野球選手とチアリーダーとして出逢った二人は、その後付き合いを重ね結婚した。

結婚当初は幸せ一杯だったのだが今は一転、泥沼状態に陥っているという。

彼の名前は星願(せいがん) (かなめ)、高校は野球の名門校に入学をして、一年生の時からレギラーを勝ち取っていた。

早い段階からプロ注目の超スラッガーではあったが、三年生の夏の地区予選の試合で大ケガをしてしまった。

その試合というのは甲子園をかけた決勝戦で、終盤になっても両チームは激闘とも言える接戦を展開していた。

その最終回、星願さんはライトの守備につき、ここを守り切れば甲子園という緊迫した場面に、相手の攻撃はツーアウトながら二塁と三塁にランナーを抱え、一打逆転の大ピンチを迎えていた。

そして打者の打った球は星願さんが守るライトに飛んできた。

ボールはグングン伸び、星願さんの頭上を越えていきそうな勢い、それを星願さんは必死に追いかけフェンス際まで走り、最後はボールに飛びついたのだった。

ボールは星願さんのグローブの中に収まったのだが、星願さんの身体は勢いよくフェンスに激突、それでもボールは離すことなくグローブにしっかりと掴んだままで試合は終了した。

そして星願さんの学校は甲子園出場の切符を掴んだ。

しかしフェンスに激突した星願さんは、その場から全く動くことができなくなり担架に乗せられ病院に救急搬送されていった。

診察を受けた大学病院で、骨盤が骨折していることが判明し緊急手術となった。

星願さんはその時点で甲子園を断念することになってしまった。

星願さんの夢だった甲子園をかけた最終予選、甲子園出場の切符とウイニングボール、それを掴むことができた星願さんだったが、そのボールには悪魔が宿っていたのだろうか、大ケガを負ってしまい選手として甲子園には行くことはできなかった。

星願さんの入院はリハビリも含めて八ヶ月間にも及び、高校の卒業証書は病院で受けとることになった。

当然ながらドラフト会議で星願さんの名前が上がることはなく、高校卒業後は無職からのスタートとなった。

その後、星願さんはケガから順調に回復し再度プロの世界を目指すため、卒業した高校のグランドを借りながら日々練習に励み、後輩と汗を流しながら体造りをおこなった。

翌年、地元のBCリーグの球団から声が掛り、なんとかプロとしての第一歩を踏み出すことができた。

入団後はケガの影響もなく力強いスイングが戻り、長距離砲のスラッガーとしてホームランを増産していった。

奥さんとはここで知り合い、お付き合いがはじまった。

彼女もでき更なるパワーを得た星願さんのBCリーグ二年目は、日本野球の最高リーグであるNPBで活躍するという目標に向け、ホームランを増産し打率でも最高の成績を残した。

そして二年目のシーズン終了後、千葉ロッテマリーンズからドラフト四位で指名を受けた。

翌年からNPBのパシフィック・リーグでプレーすることが決まった。

そして奥さんとは、この年に結婚した。

マリーンズでの一年目は好調を維持することができ、開幕から一軍でスタートを切ることができた。

星願さんは日々の厳しい練習にも耐え更に成長し、このシーズンは一軍で七番ライトというポジションを勝ち取った。

一年目のシーズンは持ち前の豪快なスイングでホームランを二十本も打つなど、想像以上の活躍をすることができ満足いく結果を残すことができた。

年俸が上がった二年目のシーズンも体は動き、切れのある鋭いスイングで一年目よりも更に良い成績を残し、フルシーズンで一軍のレギュラーに定着することができた。

これで安泰かと思われた三年目、あの高校生の時に負うった古キズが悪い顔をして現れ、悪魔のように悪さをしはじめた。

その影響でマリーンズでの三年目は、一軍で登録すらされることはなくシーズンを終了した。

四年目も苦しい状態は続き、成果を出すことができない苦しい二年間を過ごしたのだが、本当の地獄はここからだった。

マリーンズで四年目のシーズンを終えた二十五歳の時、事実上のクビである戦力外通告を受けたのである。

戦力外通告を受けマリーンズを自由契約となった星願さんは、球団を退団して他の球団からのオファーを待ったのだが、最後まで手を挙げてくれる球団はなかった。

残された手段としてトライアウトにも挑戦してみたのだが、そこでも声を掛けてくれる球団はなかった。

星願さんが途方に暮れていたとき、元居たBCリーグの球団が声を掛けてくれて、チームに再入団することが決まった。

何とかプロとして残ることができた古巣での一年目は、そこそこの活躍をすることはできたのだが、日々古キズとの闘いでベンチを温めることも珍しくはなかった。

体調面など数々の問題は発生したのだが、一番きつくのし掛かっていたのは、BCリーグでの安い給料だった。

どんどん生活は苦しくなり、家庭崩壊が目の前までやって来ていた。

その問題はかなり深刻で、お金の問題から夫婦間での喧嘩は絶ず起こり、二人の仲は音を立てるように崩れ落ちていった。

更に追い打ちをかけるように所属球団からクビの宣告……星願さんの頭の中は真っ白になってしまった。

再び一流の十二球団から声を掛けてもらえることを目標にして、死ぬ気でこれまで頑張っては来たのだが、それも終わりを迎えようとしていた。

そんな、どうしようもない辛い気持ちから心の窓を訪れていた。

星願さんからは悲壮感と、鼻を突く強烈なニオイ、この二つしか壮太は感じ取ることができなかった。

『今までに嗅いだことがないニオイ……しかし、これは間違いなく死のニオイではあるのだが、これまでとは何かが違う。その何かとは一体、何なのだろうか?』

「星願さんは、今後どのようにしていきたいとお考えでしょうか?」

「今は、何もかもがこの世からなくなってしまえば良いと考えてしまいます。私は全てを失ったというような気持ちです。いっそのこと楽になりたいと考えることもあります」

「星願さん、ちゃんと道はあります! そんなことを言わずに、星願さんがこれから進む新しい道を一緒に見つけていきましょう」

壮太は星願さんの両手を握り、力強い言葉で訴えた。

「ありがとうございます」

星願さんは頷きながら何度もありがとうと言葉にして、大粒の涙をボロボロと流していた。

一喜一憂、情緒不安定、これが星願さんの今の状態だ。

この追い詰められた状況から脱出することは並大抵のことではないだろうが、心の窓を訪れたことで自分は一人ではないということを実感できただろう。

今日はそういう瞬間だったのかも知れない。

プロスポーツの世界は常に厳しい競争の世界。

チームで生き残るためには結果が全て、チームにとってどれだけ重要な存在になれるのかということ、それだけなのだ。

そんな孤独で辛い勝負の世界で生きてきた星願さんの身と心は、きっと疲れ果ててしまったのだろう。

そういう痛めてしまった心を救う場所、それはやはり心の窓なのだろうと思う。

壮太が働く心の窓が果たす役割は非常に大きいと実感していた。

今回の星願さんの件は油断ができない案件である、何故なら星願さんの奥さんは、夫がクビを宣告をされたことをまだ知らないからだ。

それを知った奥さんの行動までは、壮太でも読むことができない。

その奥さんの態度に対し星願さんが起こす行動、それはもっと読めないことだった。







三.黒い悪魔の仕業


翌日、縣さんが心の窓にやって来た。

「今日も来てしまったが、良かったかな?」

「はい、お待ちしていましたよ」

「ありがとう、嬉しいよ」

心の窓は最寄りの駅から五百メートルほどの距離に位置していて、縣さんにとってはちょっとした体力作りにもなり、縣さん曰く、この距離間が自分の体力作りに丁度良いそうだ。

縣さんが心の窓に来る前は、病院とスーパーに行く以外はずっと家にこもっていて、人と会話することもない一日だったそうだ。

しかし、おとといからは心の窓がきっかけとなり、外に出る機会が増えたのだ。

そして壮太と会って話したいという気持ちにもなり、心も軽くワクワクした想いで今日も心の窓に足を運んできていた。

縣さんは常にニコニコしながら、楽しそうに壮太と会話をしている。

その光景はまるで、今まで長い間離ればなれだった親子が、失ってしまった大切な時間を取り戻すかのように夢中で話をしている。

二人の間にはとても濃い素敵な時間が流れていた。

縣さんは心の窓に一時間ほど滞在して帰宅していったのだが、壮太が心配していたのは、縣さんのニオイが前回の来社時よりも更にニオイが強くなっていたことだ。

ただ縣さんだけを気にしていられる状況でもない。

相談者は縣さん一人ではなく、この日も次から次へと相談者が心の窓を訪れていた。

ただ幸いだったのは、この日来社した多くの人の中で、あの死のニオイを発する人は誰一人いなく、先ずは一安心できる日ではあった。

できればあの死のニオイを持つ人に会いたくないというのが壮太の希望であるのだが、現状では二人いる、それが現実であった。

何とかしてこの二人の命を救わなければいけないという、強い使命感を持ち壮太は、この難題に挑んでいく決意だった。

縣さんは次の日も、また次の日も心の窓を訪れ、僅かな時間ではあるが壮太との会話を楽しんでいた。

しかし縣さんから、あのニオイは一向に消える気配はなく、それどころか日を追う毎に少しずつ強くなっているような気がした。

『何か重い病気でも抱えているのだろうか? もしかしたら縣さんは、死期を分かった上で心の窓に来ているのかも知れない。縣さんの身体は大丈夫なのだろうか? 明日も来てくれるだろうか?』

壮太の心配は尽きなかった。

そして壮太の心配は悪い方に的中してしまい、翌日から縣さんは心の窓に姿を見せなくなってしまった。

これとは逆に、久しぶりに心の窓を訪れて来たのが星願さんだった。

星願さんが心の窓の扉が開いた瞬間『このニオイは! 間違いない、星願さんのニオイだ!』と判るくらい、酷く強いニオイを発していた。

「星願さん大丈夫ですか?」

「もうダメかも知れない。昨日妻に、勇気を出して球団からクビを宣告されていることを話しをしてみたのだが『もう我慢の限界よ、離婚してください』と言われてしまった。それで頭の中が真っ白になってしまい、何だか俺、壊れてしまいそうです」

星願さんが陥っている心理状態はとても悪い状況であった為、ここは一先ず落ち着かせようと考えた。

しかし目がうつろで方針状態になっている星願さんには、壮太が発する強い言葉も全く届かない状況だった。

『いったいこの状況をどうしたら良いのだろうか』

星願さんのニオイは時間を追う毎にどんどん強くなり、それは尋常ではないレベルにまで達していた。

『これは普通じゃない。これは縣さんに対する死のニオイだけじゃないような気がする。何か別の、強烈で危険な何かが混じっている』

その時、壮太の目の前で異変が起きた。

『んっ! あれは何だ!』

星願さんの背中には分厚い黒いマントのようなものが見え、星願さんはそれを羽織っているかのように見えた。

星願さんの背中で、真っ黒い異様な何かが漂っていた。

『何だ! 黒いものは? しかも臭い! あの黒く蠢くものから強烈な臭いニオイが出ているのか?』

そのニオイはとても強烈だったのだが、それ以上に黒く蠢き漂うものから受ける恐怖に体を仰け反らせてしまった。

「星願さん、大丈夫ですか? 体に違和感はありませんか?」

放心状態の星願さんの耳には、この言葉も届かないようだった。

「星願さん! しっかりしてください」

星願さんの頭の中では完全にパニックを起こしているようだ。

意識うつろな星願さんの口から時折出る独り言がとても気になった。

「独りぼっちになるのは嫌だ。永遠に皆と居られるようにしよう」

一瞬、背筋がゾッとした……思い詰めた星願さんが、家で良からぬことを起こさなければ良いと思っていた。

これはもう既に、心の窓で対処できる範囲を完全に超えていると感じていた。

そのあと星願さんは突然立ち上がり「早く帰らなければ」そう言ってうつろな状態のまま、心の窓から出て行ってしまった。

壮太は直ぐ警察に連絡をして、星願さんの事を話し応援を要請した。

心の窓と警察は普段から密に連携しており、連絡を受けた警察は直ぐに警察官二人がパトカーで心の窓まで駆け付けてくれた。

壮太はそのパトカーに同乗して、星願さんの自宅へと向かった。

星願さんのあのただならぬ様子、家でまだ何も起こっていないことを願うばかりだった。

パトカーに乗車して二十分ほどで星願さんの自宅に到着、星願さんの家は灯りもついており、外から見る限りでは変わった様子はなかった。

安心したのも束の間、玄関のチャイムを鳴らしてみるが応答がない。

何度も何度も鳴らしてみたのだが、やはり全く反応がなかった。

『何かあったのだろうか』と思った瞬間……「キャー!」

家の中から女性の叫び声が聞こえた。

警官は裏手にある庭へ回り、居間に繋がる大きな窓硝子を割り家の中に侵入した。

声の発信源は二階だったため、急いで二階に駆け上がり各部屋を確認していった。

いた! 女性の身体に馬乗りになり、首を絞めている星願さんの姿があった。

「やめろ!」

警官の一人は星願さんを目掛けて体当たり、星願さんの手は女性の首から離れ、身体は部屋の隅へと吹っ飛ばされていった。

壮太は直ぐ救急車を呼び、もう一人の警官は女性に人工呼吸を施した。

体当たりした警官は星願さんを押え込み、その場で現行犯逮捕した。

女性は人工呼吸の甲斐があり意識は戻り、その後、救急車で病院へと搬送されて行った。

逮捕された星願さんは抵抗することなく、後ろ手に手錠を掛けられた状態で伏せている。

その星願さんの身体に、何やら異変が起こりはじめたのだった。

肩の辺りからは黒い影のようなものが涌き出し、黒い雲の塊のようになっていった。

暫くするとその黒い塊は、かろうじて人間だと認識できるくらいの形となり、悶えながら星願さんから離れはじめた。

徐々に星願さんから離れていくその黒い塊は、ずっと何かを叫んでいた。

「失敗だ、失敗だ、やっとあの世に行けると思ったのに、失敗だ! 前の時は俺だけあの世に行けなかった。今度こそはちゃんと死のうと思ったのに、失敗だ……」

どうやら星願さんにまとわり付いていた黒い影は、自殺者の霊のようだ。

この霊は過去に家族を道連れにして無理心中を図ったのだが、その時は自分だけあの世に行くことができず、その後に再度自殺を図り死ぬことはできたのだが、この霊はあの世に辿り着くことができないことから、自分はまだ死んでいないと思い込み、もう一度星願さんの体を使い無理心中からはじめて、最後は自殺をしようと考えていたのだ。

なぜ星願さんの身体を選んだのか……

それは星願さんが発する負のオーラや気持ちが、この自殺者と同調してしまったことが原因だ。

この自殺者は自分と同じ想いを持つ人を探していた時、偶然にも星願さんと出会っていたのだ。

そして星願さんの身体を借りて、また同じように無理心中を図り、今度こそあの世に渡ろうと考えていた。

それが失敗に終わってしまい『失敗だ、失敗だ』と叫んでいた。

あの黒い塊の正体は自殺霊、また自分と同じ想いを持つ人を探しに外に行ったのだろう。

壮太はその時、あの黒い塊との長い戦いになるかも知れないと感じていた。

星願さんの背中から黒い影は消え、あの強烈なニオイも消えてなくなっていた。

しかし、その黒い塊の存在に気づいたのも、叫ぶ声を聞いたのも、壮太ただ一人だけだった。

当然、ニオイもそうだ。

警察の調べであとから分かったことなのだが、星願さんが住む家の一階の部屋からは、大量の灯油が見つかっていた。

家族全員を殺害したあと、最後は家に火を着けようと考えていたようだ……まさに間一髪だった。

星願さんは逮捕されてしまったが、家族の命を救うことができたことは良かったと思う。

もちろん星願さん自身の命も救うことはできた。

しかし奥さんとの離婚は避けられないことだろう。

今後は罪を償い、一般社会に出ることができた時は、また心の窓を頼り、相談に来て欲しいと願う壮太であった。






四.天使の光り


星願さんの事件から暫く経ったある日、久しぶりに縣さんが心の窓を訪れて来た。

縣さんから発せられるニオイは、前回会った時よりも更に強くなっていた。

「縣さん大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃないかも知れないが、大丈夫だよ。犬走さんも私ぐらいの年齢になれば分かるはず。所詮、運命には逆らえないっていう事がね。私は暫く入院していたの。でも貴方の顔が見たくて、外出の許可を貰ってここに来たのよ。私の色んな話に付き合ってくれて本当にありがとうございました。短い時間でしたが、成長した息子と一緒に居るような気がしてとても楽しかった。本当の息子は人生の順番すら守らず、私よりもずっとずっと先に逝ってしまったけどね。実は私、そのことをずっと許すことができないままでいたの。それが貴方と話をするようになってから、私の考えは少しずつ変わっていった。謙二のことを、やっと許すことができました。スッキリとした気持ちで、新たな場所へ行けそうです。ありがとうございました」

そう言って『寄付』と書かれた封筒を差し出してきた。

「これを役立てて下さい。犬走さん、これからも悩みを抱える多くの人を救ってあげて下さい。私のように毎日を寂しく過ごす老人や、辛い気持ちを誰にも打ち明けることができず一人で悩んでいる人、そして辛くて死を考えているような人々、そういう人達をどうか救ってあげてください。犬走さんならきっとできますよ。お願いしますね」

縣さんから放たれていた強烈なニオイは、心の窓を出る頃には全く違うニオイに変わっていた。

河原に咲いている沢山のユリの花が、優しく吹いている風に揺らされて、辺り一面を良い香りで一杯にしている、そんな感じのニオイがした。

確実に縣さんのニオイは変わっていた。

縣さんの背中からは、真っ白な光が放たれ、とても綺麗に輝いていた。

それはまるで天使の羽のようにも見えた。

たぶん縣さんは判っていたのだろう……これが最後の入院だということを。

その翌日、縣さんは天国へと旅立って逝った。

とても幸せそうな優しい顔で、最後の眠りについたという。




第二章 おわり












【第三章 もくじ】


一.困った問題

二.新たな力

三.また死のニオイ

四.不思議な因果関係








一.困った問題


ここ最近の壮太は、自身に芽生えたはじめた新たな能力に気づきはじめていた。

それは、あの元野球選手だった星願さんと縣お婆さんとの出会いで見た、不思議な黒と白の影のことだ。

それ以降は更にその力が増して、普通では絶対に見えないだろものまで見えるようになってきていた。

今までの壮太であれば普通の人では分からないようなニオイを感じ、そこから死期が近い人を判断することができていたのだが、それに加えて普通の人には見えない、霊まで見えるようになってきていたのだ。

それは壮太に霊感が備わってきたということなのだろうか?

その力は今後の仕事に活かすことができるのだろうか。

その機会というのは、すぐに訪れたのだった。

この変化を一番最初に使うことになるのは相談者ではなく、ごくごく身近な人にだった。

壮太と一緒の会社で、事務員として働いている北条(ほうじょう) 加菜恵(かなえ)さんだった。

壮太は一ヶ月ほど前から、北条さんに対して気になることがあった。

それはやはり、ニオイだ。

死を感じさせるような強いニオイではないのだが、特別な異変を知らせる鼻を突くようなニオイ、そのニオイが北条さんからは出ていたのだ。

壮太は自分に特殊な能力があるということは、会社の誰にも言ってはいない。

このことを知っているのはただ一人、壮太が前に働いていた会社の同僚であった梶谷俊平(かじたに しゅんぺい)だけだ。

会社の人に、自分には能力があることを内緒にしているのには理由があった。

それは、こんなオカルトな能力のせいで、親友だった同僚とは絶交状態になった過去があるからだ。

そんな人の死のニオイを嗅ぎわける能力があるということは隠し、その能力を黙って人のために役立てていきたい、それが壮太の考えだった。

だから北条さんに起っている異変のことは、どのように形で彼女に伝えてあげれば良いのだろうか、それが壮太としては悩みどころであった。

なにも考えず普通に対処するとしたら『僕は人から出るニオイで色んなことがわかるのだけど、最近、北条さんから出ているニオイが特殊なニオイに変わったんだよね。気をつけてくださいね』

とてもそんなことは言えない……もし言ってしまったら、大変なことになってしまう。

その後は社内でキチガイとして見られ会社をクビになるか、それとも気持ち悪いと避けられてしまうかのどちらかに決まっている。

どちらにしても良くはないことなので避けたいところだ。

しかし、今後の展開からこのニオイのことを、北条さんに伝えなければならないような事態が起こってしまうのだった。








二.新たな力


一緒に働く北条さんからは、今日も相変わらず異常を示すようなニオイが出ていた。

それに加えて、今日はとても元気がない様子だった。

壮太は『どうしたのだろう?』と、北条さんのことが一層心配になってしまった。

午前の仕事が終わり昼休憩の時間になり、壮太は昼食を買うため外に出掛けた。

昼の休憩時間は近くのスーパーで弁当を買い、社内に設けてある休憩ルームで食べようと考えていたのだが、北条さんも同じ考えだったらしく、同じ部屋で昼食を食べることになった。

壮太が買い物から戻ると北条さんは既に食事をとっていた。

壮太は北条さんが座る斜め向かいの席に座り、近くのスーパーで買ってきた『ハンバーグ&カニクリームコロッケ弁当』を袋から出し食べはじめた。

ちなみにその弁当の価格は四六四円の税込だ。

壮太は北条さんと会話をしながら食事をはじめたのだが、口に入れたハンバーグが喉につかえてしまうほどの驚くことが壮太の目の前で起こっていたのだ。

それは斜め向かいに座る北条さんの首から肩にかけて、壮太の知らない、見たこともない中年の男性がぶらさがっているのが、北条さんの左側から見えた。

壮太は思わず「うわっ! 北条さん大丈夫ですか?」と叫んでしまった。

北条さんは『何が?』というような顔でこちらを見て、そのまま静止していた。

「北条さん、身体が重くないですか?」

「そうね、最近は身体が重くて肩こりが酷いのよ。でも、なんで突然そんなこと言ったの?」

「いや……何でもないから気にしないでください。本当に何でもないから」

「そんなこと言われると余計に気になります」

壮太は悩んだ……今見たことをそのまま北条さんに言ってしまったらどうなるのだろうと……これを言ってしまったら一緒に仕事ができなくなってしまうかも知れない。

そう考えているうちに、今度は壮太が静止状態になっていた。

「犬走さん、大丈夫ですか?」

壮太の脳みそは一瞬、身体からお留守の状態になっていた。

北条さんが声を掛けてくれたことで、やっと壮太の身体の中に脳みそが戻ってきた。

「あっ、ごめんなさい、大丈夫です」

「気絶でもしたのかと思いましたよ」

「あのーー、北条さんはオカルトな話は好きですか?」

「私は好きよ。だって私、この世には絶対、霊とか宇宙人はいるって信じてるもん」

「そうなんだ、僕も霊はいると思っています。北条さん、実際に霊を見たことはありますか?」

「残念ながら、実際に見たということはない。此処にいるのかなとかいうのも感じたことないかな。犬走さんは霊とか見えたりするの?」

「んーーそうだね、んーーそうかなって、思うものは見えたことがあるというか、そういうものを感じたりしたことはあるかな」

「ねぇ、私には何か憑いているの? 私の守護霊とかは見えたりするの?」

ここまで会話をしてもなお、壮太は今見たことを北条さんに言うべきかを迷っていた。

「あっ、さっき、身体が重くないか聞いてたよね。あれって何か見えたっていうこと? もし見えたのなら、本当のこと教えてほしい」

「絶対に気持ち悪い人だとか、変人だって思わない?」

「大丈夫、約束するから」

壮太は戸惑いながらも北条さんの言葉を信じて、さっき見たことの全てを北条さんに話した。

北条さんは壮太の話をとても興味深そうに、そして真剣な眼差しで最後まで聞いた。

しかし、話が終了すると北条さんはうつ向いたままで黙り込んでしまった。

壮太は『しまった! やっぱり変人だと思われてしまったか……話しなければ良かったかな』と後悔していた。

しかし北条さんから出てきた言葉は、壮太の予想していた言葉とは全く別のものだった。

「私ね、実は三ヶ月前からある人からストーカーされているの。さっき見えたという男性は、その人の特徴に凄く似ているの。私はストーカーされているだけじゃなくて、生霊にまで取り憑かれていたってことなのね……私はこれから一体どうしたら良いの?」

『えっ!』

この時、壮太に驚くような異変が起こった。

それは突然、知らない男の声が聞こえてきたのだ。

ただその声は耳に聞こえるのではなく、直接脳に語りかけるように入ってきた。

「大丈夫だ、お前は私の言う通りのことをすれば良い。それ以外のことは、主の身体を借りて私がやる」

『えっ! 一体あなたは誰ですか? 何だこれは? それに何で、勝手に言葉まで出てくるんだよ』

「北条さん、大丈夫ですよ。北条さんの身体に取り憑いている生霊は、私が必ず離しますから」

そう言って壮太は両手の手のひらを北条さんの額の前でかざし、その後は静かに手を合わせ、その手を自分の額の前まで持っていった。

「もう心配は要りません。あとは私に任せてください、大丈夫ですから。ただ少し時間が掛かるかも知れません。ただ、必ず生霊には離れてもらいますから」

実際のところ、壮太の頭の中というのはパニック状態になっていたことだろう。

『何だこれは、何で俺はこんなこと言っているのだろう……それに、本当にそんなことができるのだろうか』

そして昼の休憩時間が終わり、二人はそれぞれ自分の席に戻り仕事をはじめたのだが、壮太としては内心モヤモヤが取れないままスタートしていた。

今日の午後は外部からの相談受付は全て休みとなる。

毎週水曜日の午後は、今まで受けた相談の報告書を作成する時間になっている。

ちなみに霊が見えるとはどういうことなのだろうか……

人によって見え方にも違いがあるとは思いますが、壮太の見え方はこんな感じだった。

壮太は生霊を自分の目で見たのではなく、直接脳に映像が飛び込んでくるという見え方だった。

ダイレクトに脳で感じて、脳で映像が映し出されていた。

脳で感じるだとか、脳が映し出すと言われても、中々理解することが難しいかも知れませが、わかりやすい例で説明すると……

昨日、数名の友人とバーベキューに行ったとします。

昨日のバーベキューはあまりにも楽しかったので、翌日なっても思い出してしまい、楽しい気分になることってありますよね。

でも楽しかった出来事は昨日のことで、現実として目の前にあるのは今の風景、当然ながら昨日一緒にいた友人は目の前にはいない。

当たり前なのだが場所は違うはず。

それなのに、友人の楽しそうな顔や一緒に遊んでいたことを思い出し、それを映像で観ているかのように思い出すことは誰でもありますよね。

そのことなのです。

昨日のことを思い出すことにより、目の前には実際ないものが脳内で映像として映し出して観ることは可能なのです。

霊が見えるというのは、こんな状況に近いのです。

実際に形としてないものは目で見ることはできないのだが、透明な霊の姿や魂は目を通さずにダイレクトに脳で感じ、そのまま映像として映し出し見ることができるのです。

壮太はそんな感じで霊を見ていたのだ。

話は少し横にそれてしまったが、壮太は何やら行動をはじめたようだ。

壮太は自分の額の前で手を合わせ、そして目を閉じた。

すると北条さんに取り憑いている男性が、壮太のまぶたの裏側にスッと現れてきた。

男性は今も北条さんの背後にいて、首や肩にしっかりとしがみついている。

それに、その生霊からはとても嫌なニオイも出ていた。

『これからどうしたら良いのだろうか……』

その時、またあの男性の声が聞こえてきて、壮太の脳内に語りかけてきた。

「先ずは生霊に、北条さんの身体から離れてもらえるようにお願いをするのだ。それでもダメであれば、その時は私が引き離す。ただ、後のやり方だと主の体力をかなり使ってしまうので、なるべくならば避けたいところだ。引き離した後はおそらく、主の体力は激しく奪われてしまい、疲弊してしまうだろう」

普通の考えであれば決して受け入れることができないような、とてもむちゃな話ではあった。

とにかく言われた通り生霊に離れてもらえるようお願いをしてみた。

しかし北条さんに取り憑いている生霊は私のことをバカにしているのだろうか、いっこうに離れる気配はない。

それでも何度かお願いを繰り返してみたのだが、北条さんに取り憑いている生霊は、一度だけこちらをチラッと見たものの、こちらで判断できるような動きはそこまでで、現状としては何も変わらなかった。

今、壮太がおこなっていることは、あくまでも壮太の頭の中でおこなわれていることだ。

先ほど北条さんと生霊を壮太の脳に焼き付かせ、それを壮太の脳内で除霊するというやり方をしているのだが、そうすることにより現実に取り憑いている生霊も除霊することができるのだ。

壮太がこんな経験をするのは勿論はじめてのことで、自分でも実際に何が起こっているのかすら分からない状態だった。

ただ分からないなりにも一生懸命、北条さんから離れてもらえるようお願いをしていた。

しかし、お願いするだけでは生霊を身体から離すことはできず、声の主が先頭に立ち、壮太の身体を借りて引き離すことになった。

結果的に壮太の体力をかなり消耗してしまうやり方になってしまったが、今の状況を考えると仕方のないことだと理解することができた。

この除霊には二時間半という長い時間が掛り、除霊が終わった後は、先に言われていたように壮太の体力はかなり失われ、身体は全くといっても良いほど力が入らない状態になっていた。

それと同時に、壮太の身体は全身が焼けるように熱く、熱を帯びた状態であった。

この熱を取り除いて体力を回復させるために、近くのコンビニでアイスクリームを買い、それを無我夢中で食べた。

熱は少しずつ取れはじめ、壮太の体力はいくぶん回復してきたのだが、完全というには程遠い状態だった。

その日の壮太は、ひどい倦怠感のまま一日が過ぎていった。

体力の消耗が激しかったからなのか、その夜は早めに就寝したのだが、深夜に目が覚めた時には寝汗がひどく、寝ていた布団は汗でびっしょりになっていた。

翌日は少しだるさが残る程度で、仕事に影響ないくらいまでに回復していた。

その日、壮太よりも後から出勤してきた北条さんは、壮太の顔を見るなり笑顔で駆け寄ってきた。

「今日は信じられないくらい身体が軽いの。あんなに辛かった肩こりも嘘みたいに治ったのよ。何よこれ、ビックリ。これって……昨日言っていた生霊を取ってくれたってことなの?」

「そうだよ、楽になってくれたのなら良かった。あとは根本的な解決をしていかなければいけないけどね。今日、警察に相談してみよう。今日、私の一番最初の相談者は北条さんですね」

「よろしくお願いします」

根本的な原因なのはストーカーの問題である、先ずは警察の協力を仰ぎ、問題の解決を目指していくことにした。

北条さんに取り憑いていた生霊は取り除くことができたのだが、北条さんに対するストーカーの問題は何も解決していないのだ。

北条さんの身には常に危険が付き纏い、未だそれについては回避できていないのだから、その部分は変りがないままなのだ。

この問題は警察に相談を完了させたのちも、壮太がしっかりフォローをしていくことになった。

しかし気になるのはあの声の主、あれはいったい誰なのだろうか?

それは解決はしないまま、この生霊の一件は終わろうとしていた。

ただ声の主は、壮太の協力者であることに間違いはないであろう。









三.また死のニオイ


秋も深まり日々寒さが増していくこの時期に、壮太の窓口に二人の相談者がやって来た。

二人のうち後方にいた一人の男性から、あの嫌なニオイが出ていた。

そう、死の予感、鼻を突くようなあの嫌なニオイだ。

相談者は二人とも男性なのだが、若い男性の方からニオイがしていた。

その若い男性は自身の相談に来た訳ではなく、隣りに座る知り合いの高齢男性の付き添いで来ていただけだった。

相談者の男性は、ニオイを放つ男性の近所で住まいしている高齢者らしい。

現在は一軒家で独り暮らしをしているそうだが、生活の中で起こる色んな不安を解消したいと、若い男性と一緒に心の窓を訪れていた。

この若い男性は普段から地域貢献のために色んな行事に係わり、ボランティアの活動にも積極的に参加している人物らしい。

高齢男性が持ちこんできた相談内容はさほど難しいものではなく、壮太は素早い対応で当日のうちに処理することができた。

高齢男性の相談を受けている間でも、壮太の感心の殆んどは、その隣りに座る男性から強く放たれている死のニオイ、そちらの方が気になって仕方がなかった。

しかし相談者でもない人に対して、こちらから問題を持ち掛ける訳にもいかず、壮太は悩みながらの対処となっていた。

相談の終盤、残りの作業は書類の記入だけとなった。

この相談所では同伴者があった場合は、同伴者の情報も記入しなければならないという規則があり、ニオイを放っている隣りの男性からも個人情報の提供を受けた。

ニオイを放つ男性の名前は、門田(かどた) 鉄男(てつお)、三十五歳、既婚者で六歳児のパパ、職業は消防士で常に危険と隣り合わせである仕事に就いていた。

『ということは、仕事中に命に関わるような危険が訪れるということなのだろうか?』

日々、市民を守ってくれている門田さんに対し壮太は、心から感謝の気持ちを伝えたのだった。

そして壮太は、大変な仕事をおこなっている門田さんに対して、気持ちの面で何かお手伝いすることがあれば是非とも協力したいと申し出てみた。

それに対して門田さんは「とてもありがたいことだ」と言ってくれ、一週間後にまた心の窓を来社してくれることになった。

門田さんはとても落ち着いた方で、現場でも冷静な判断をして人命を救っているのだろうと感じた。

一週間後……非番の日に門田さんは心の窓に来社してくれた。

その時に門田さんから受けた相談内容は、仕事上のことではなく、自身が住んでいる近所のことだった。

最近は年寄りだけの家が増え、心配事が多くなってきたと言う。

自分の空いている時間にはお年寄りの家に顔を出して、何か必要な物があれば買い出しにも行ったりしている。

地域の老人に対し自分ができる範囲内には成るのだが、色々と気にかけ行動しているのだが、現状はそれでもまだ足りていないと悩んでいた。

門田さんは早くに両親を亡くしているため、近所に住むお年寄りの方全てが親だという感覚でいるようだ。

子供からしたら、親のことが気になるというのは当然のことなのである。

心配事の中でも特に火事や病気、それに孤独死などを心配していた。

門田さんは過去に、救急で呼ばれた家で妻の遺影を抱き、畳の上で孤独死していたお爺さんを見たことがある。

それが今の門田さんの気持ちに強く影響している。

あのお爺さんは苦しさと孤独さを感じながら、そして誰にも看取られることなく、一人であの世に向かったのだから……さぞ無念であっただろう、それを感じられずにはいられなかった。

そんな門田さんに壮太は、色んな角度から提案をおこなってみた。

なるべく門田さんが望んでいる方向に向かえるよう、心の窓は協力していくということも約束した。

その後も門田さんとはプライベートを含めた沢山の話をした。

学生時代はバレーボールに没頭し、春高バレーにも出場したという実力の持ち主で、一時はプロも目指したこともあったという。

門田さんは身長が一七五センチとバレー選手としては小柄だったこともあり、夢を断念したという経験があった。

だから六歳の息子には身長を伸ばしてやり、是非ともプロとしてバレーボールで活躍して欲しいという希望があった。

そして門田さんと話していたこの時間、不思議だなと思うこともあった。

それは門田さんがあまりにも熱く語るからなのか、それとも心の窓の暖房が利きすぎていたからなのかは分からないが、いつのまにか門田さんは上着を脱いでTシャツ姿になっていた。

さすがは消防士、鍛え上げられた身体で、太い腕や引き締まった腹筋、それはTシャツの上からでも十分にわかるくらいであった。

「あれ、昔、怪我でもされたのですか?」

門田さんの鍛えられた左の腕には大きなアザがあった。

「あっ、これですか? これは生まれつきなんですよ。だから幼い頃の水浴びをしている写真にも写っていましたよ」

「そうなんですね」

その時はあまり気にすることなく、アザの話は直ぐに終わった。

その後はボランティア活動をしている話を聞いたりしていたのだが、門田さんは本当に素晴らしい人だと壮太は感心していた。

しかし、相変わらず門田さんのニオイはそのままだった。

それと、これは壮太の目の錯覚なのかも知れないのだが、門田さんの真後ろに、門田さんの身体と同じくらいの大きさはあるだろう黒い影を感じた。

壮太は『乱視がひどくなってきたのかな』と、その場はやり過ごしてし、門田さんとは約二時間の会話をした。

今年の秋はとても短いような気がしていた。

日を追う毎に寒さが増し、自宅でも会社でも暖房が欠かせなくなっていた。

そのせいなのか、最近は毎日のように消防車のサイレンの音を聞いていた。

『門田さんに何もなければ良いのだが……』









四.不思議な因果関係


門田さんかが心の窓を訪れてから三日が経った、この日は特に寒い一日となった。

市内では三軒の家が焼けるという大きな火事があり、門田さんもその現場に向かい消火活動をおこなった。

この火事の発端は、老夫婦が住む古い木造の家から出火したものだったが、この家ではファンヒーターと大きなストーブを使用して寒さをしのいでいた。

このところの悪天候で、洗濯物は家の中に干すしかなく乾きにくい状態が長く続いていた。

この老夫婦も家の中で乾かすしか方法はなかったようだ。

洗濯物が早くよく乾くようにと、大きなストーブをつけて洗濯物を干していた。

今回の火事の発端はその部屋で起こった。

部屋に設置してある物干しに掛けてあった、一枚の大きなバスタオルがストーブの上に落ち、そのバスタオルに火が付いたのだ。

それから火はどんどん勢いを増し炎となり、あっという間に部屋全体が火の海となってしまった。

老夫婦は運良く、隣の部屋が燃え広がっている火に気づき無事に逃げ出すことができたのだが、火の勢いはとても激しく、火は大津波のように荒れ狂いながら両隣りの家に向かって一気に押し寄せていった。

まもなく三台の消防車が到着して、直ぐに消火活動がはじまったのだが、その中には門田さんの姿もあった。

直ちに消火作業を開始した門田さんだったが、何故かこの現場に違和感があり、そして胸騒ぎも感じていた。

そして門田さんは、この火事の現場の異変に気づいた。

出火元の家を正面から見て右隣りの家に、まだ人が居るような気がしてならないのだ。

そしてこの家の住人だと名乗る女性が門田さんの所まで走って来た。

女性は右の家の家主の方で、まだ家の中には九歳の息子が残っていると言ってパニックになっていた。

『右の家……あの火の具合であれば、まだ中に入れる』そう判断した門田さんは、パニックになっている母親を少し落ち着かせてから息子さんの名前を聞いた。

そのあと隊長のところに行き、燃えさかる右の家に対して、突入の許可を要請した。

隊長から突入の許可を取り付けた門田さんは、火の粉舞う右の家の中へと入って行った。

当然ながら門田さんも危険を承知の突入であるが、同じくらいの歳の子を持つ親としては、絶対に見捨てることができなかったのだ。

門田さんは火が広がりはじめた家の中に入り、ひたすら息子さんの名前を大声で叫びながら家の中を探し回った。

「ゆうきくん、ゆうきくん!」

すると奥の方から微かな声が聞こえてきた。

「ここだよ」

声の出どころは二階だった。

「今すぐ行くから、ゆうきくん、そのまま待っていてね」

そう大声で伝えて、急いで二階に上がった。

ゆうきくんは自分の部屋の隅で怯え、膝を抱えながら座っていた。

発見した門田さんは、そのままゆうきくんを抱きかかえ家から脱出した。

そして、ゆうきくんを無事に、そして無傷で助け出すことができた。

ゆうきくんの無事な姿を目にしたお母さんは安堵し、その場で泣き崩れてしまった。

うずくまり泣いているお母さんの所にゆうきくんを連れていき、二人は抱きあい、お互いが無事であることを実感していた。

その後も懸命な消火活動がおこなわれ、今回の火事は無事に鎮火はしたのだが、火元の家を含めた三軒の家は全焼してしまった。

しかし、この大火事で一人の怪我人も出なかったことは不幸中の幸いであり、門田さんの素晴らしい活躍のおかげでもあった。

火事の翌日、門田さんは非番の日であったが、火事の現場検証をおこなうため、再び現場に出向いていた。

その現場検証も昼前には終わり、少し遅くなってしまったのだが、門田さんはそこから非番となった。

消防署から自宅までの距離は約一キロと近く、普段から通勤は自転車か徒歩でおこなっていた。

この日は徒歩、勤務に向かった日が雨だったからだ。

通勤路には自然がたくさんあり、徒歩でもとても気持ち良い道のりが続き、門田さんの家は最後に踏み切りを越えた所にあった。

今日はタイミングが悪く踏切まで来た瞬間に警報器が鳴り、目の前で遮断機が降りた。

電車が通過し遮断機が上がるのを待つ門田さんの目の前に、驚く光景が飛び込んできた。

『なんだ? 線路内に子供がいる!』

門田さんには迷っている時間などなかった。

直ぐに踏切の中へと入り、子供を助ける決断をしたのだった。

このまま、あの子を見殺しにすることなどできなかったのだ。

門田さんは遮断棒をくぐり、踏切内へと侵入し、そのまま子供が居るところまで全速力で走って行った。

もう少しで子供が居る場所という時、門田さんの視界の中に電車が入ってきた。

『もうダメだ、間に合わない』

そう思った瞬間、門田さんは子供に向けてジャンプ、両手で子供を突き飛ばした。

子供は二メートル先、踏切の端まで飛ばされ、電車との接触を逃れることができた。

ケガをして泣きじゃくる子供の横には、八両編成で走っていた電車の前から六両目の車両が横に停まっていた。

しかし、そこに、門田さんの姿はなかった。

車掌が電車から降りて線路を走って来た。

子供にひと声掛け無事であることを確認したあと、車掌はふたたび先頭車両に向けて走って行った。

運転手からは人と接触したとの報告を受けていたからだ。

先頭から二両目付近の脇で人を発見したが、その姿からして生存の可能性はゼロであった。

門田さんは子供を突き飛ばし電車から離したあと、自身は逃げることができず、電車にひかれてしまった。

車掌は関係各者に連絡を入れ現場の対応をしていた時、ある不思議な出来事に遭遇したという。

それは泣きじゃくる子供に車掌が駆け寄ったとき「あっ!」と言って斜め上を見て、うなずきながら笑っていたというのだ。

そのあと「大丈夫だったよ。ありがとう」と大きな声で誰かに答えていた。

車掌が「誰と話しているの?」と聞くと「僕を助けてくれた、おじちゃんと話していたの」と答えた。

その後も子供の話しは続いていたという。

「おじちゃんが言っていた。昔むかしね、僕に助けてもらったことがあるんだって。だから今度は、おじちゃんが助けに来てくれたんだって」

子供からその話を聞いた車掌からは言葉が出ず、ただ頷くだけしかできなかったそうだ。

そして子供の左腕には、大きなアザができていた。

私達が前世からの生まれ変りということであれば、今回のこの話は成り立つ話なのかも知れない。

門田さんは前世で受けていた恩を返すため、再びこの世に生を受けていたのかも知れない。

だとしたら門田さんは、この世に生を承けた意味があり、それを全うした人生だったというのだろうか?

壮太は後日、電車の事故から逃れることができた子供の家を訪れ、直接話を聞きに行ったのだが、子供はとても明るく話をしてくれた。

そして、その子供の後には、ニッコリ微笑む門田さんの姿があった。

門田さんは『四十九日を迎えるまでは、この子と一緒にいます』と言っていた。

事故のショックが残らないようケアしていたのだ。

壮太は複雑な心境でありながらも、この世には不思議なことはあるものだと実感していた。

かけがえのない小さな命を助けるため、一人の勇敢な命が消えて逝った。

ただこれは運命であったのかも知れないのだが……。

しかし、それを証明することもできない、そう誰にも分からない話なのだ。



おしまい



著者:通勤時間作家 (ゼット)

これまでの作品

『昨日の夢』『前世の旅 上』『前世の旅 下』『哀眼の空』『もったいぶる青春』『私が結婚させます』『相棒は幽霊』『鏡にひそむ謎』『チャンネルを回せば』





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ