追想と睡魔
俺はアルテミスに手を引かれ、実家に帰った。アルテミスは冷えた麦茶を用意してくれた。
「彼のこと、キミの知っている限り聞かせてほしい。どうしてあんな愚行に走ったのか。」
俺は芝が中学生の時、凄惨な虐めにあっていたこと、それによって不登校になり、高校にも行けず、どうにか高卒認定試験を受けて今の大学に入学したことを話した。
「キミの性格上、クラスメートがそのような目に遭っていたら何としてでも止めそうだが?」
俺は中学生の頃を思い出した。あの時は、俺もそれどころではなかったのだ。
俺の父親は日本屈指の資産家で、政略結婚で璃々朱の母親と結婚することが決まっていた。しかし、結婚前にごく普通の女性に心を奪われ、その結果生まれたのが俺だった。
璃々朱の母親は俺達母子を赦さなかった。俺と俺の母は璃々朱の母親からの執拗な嫌がらせによって弱っていき、俺が中学校2年生の秋に俺の母は病死した。璃々朱の母親が俺の母に嫌がらせをしていた件は明るみに出なかった。
俺の父親は世間体のためか、それとも罪悪感からか、俺の母が死んでからは璃々朱の母親が俺を虐めることがないよう注意を払っていたのだと、最近になって知った。それでも俺は父親のことも璃々朱の母親のことも赦せずにいる。俺は早くこの家を出たかったが、二つの理由からここに留まった。
一つは璃々朱のためだ。璃々朱には母親からの異常な期待がのしかかっている。俺と違って優秀な妹だが、この家に独りでいてはいつか潰れてしまう。成人するまでは俺が支えてやろうと思っている。
もう一つは、復讐のためだ。俺は芝ほど勇敢な復讐はできない。ただ、いくら璃々朱の母親が俺を疎んじたとしても、俺がこの家の跡取りである事実は変わらない。俺を見るたびにあの女は腸が煮えくり返るだろうし、どうにかして俺を排除したいと思っているだろうが、できないのだ。暫くは俺の母が味わった苦痛の一端を味わわせることができるだろう。
「お兄ちゃん?」
アルテミスは自分のコップに2杯目の麦茶を注ぎながら言った。
「ごめん。ぼーっとしていた。」
眠くなってきた。疲れたのかな。俺は麦茶を飲んだ。
「それにしても、一瞬触れたくらいで能力が伝染するとは思わなかったよ。今後は誰にも触れないでね。この能力は地球人が持つにはあまりに大きいから。これを使えば、誰でも完全犯罪が可能になる。堂々と誰かを殺しても人間業ではないから罪を立証できないだろう。」
アルテミスは大きく欠伸した。俺もつられて欠伸をする。
「気を…付けるよ。」
俺がうとうとしていると、ガラスが割れる音で目覚めた。アルテミスが床に倒れていて、床には割れたコップと麦茶が零れている。
「アルテミス?」
俺は眠気で頭が回らない中でも異常を感じ取った。この眠気はおかしい。麦茶に睡眠薬が入っていたのだろう。璃々朱の母親が麦茶に睡眠薬を入れておいたのかもしれない。でも、どうして?そこで俺はハッと気づいた。
「今すぐ起きろ!」
俺は必死に妹の身体を揺すった。妹は起きる気配がない。ドアが開く音がした。
主人公と璃々朱は異母兄妹に当たります。主人公は家を出ていないと言っていますが、高校の時から寮生活で、ここで言う『家を出ない』は『完全に縁を切っていない』くらいの意味合いです。休みには必ず帰って、璃々朱の様子を確認していますので。