4話
相変わらず仕事をしながら、帰り際にアメの路上ライブを見学し、ふたりでファミレスに行ったりする日常が、ただただ愛おしかった。ぽつねんと過ごしていた日々に彩りが生まれた気がした。いや、確実に生まれていた。
であれば、この事件もまた彩りのひとつだったのかもしれない。その日は仕事帰りに図書館で本を借りる事にして、ぼくはいつもとは反対側の西口に降り立った。
同じ駅なのに、雑然としている西口には滅多に来ない。ロータリーを歩いていると、下の路上からなにやら言い争う声が聞こえた。
ぼくが上から覗き込むように見ると、コンビニ前で楽器を手にした市民団体の手合いと女の子が言い合いをしていた。なにを揉めているのだろう。そう思ったのも束の間––––。
「!」
よく見るとその女の子はアメだった。市民団体のおじさんとおばさんは道路使用許可がどうのこうのと言っている。
ぼくは急いで階段を駆け降りた。革靴の音を鳴らしながら、ドタバタと––––。
「どうしたの、アメ––––」
「法律の話でなく、倫理の話をしているの。お巡りさんたちはどう思うの? 答えなさいよ」
アメはぼくに気付かず、相手に向かって叫んでいた。仲裁に入っていた警官たち(婦人警官もいる)も戸惑っていた。
「アメ!」
ぼくはもう一度叫んだ。
「あぁ、才。なにしてるの––––」
「いや、こっちの台詞だよ」
相変わらず自分の時間軸を中心に動いている冷静なアメに、ぼくは半ば呆れながら声を出した。
「この人たちがね、迷惑行為をしているから抗議していたの」
「だから、こっちは道路使用許可を取っているんだよ」
市民団体のおじさんは言った。
「どうなの、お巡りさん」
「いや、こちらでは今すぐに確認できません」
「仮に道路使用許可が出ていたとしたら、こんな場所で許可する警察も、あなた方も間違ってる! まず許可が出ているのかどうかをお巡りさん、本署に連絡して調べてよ」
「は、はぁ、そうは言われても今すぐには」
「この役立たず! 税金泥棒! もういい! 直接総理大臣に言うわ」
啖呵を切ったアメはすたすたとその場を後にした。
(総理大臣!?) ぼくは瞠目しながらアメを追いかけた。
「あっ、ちょっと!」
警官が声を上げて引き止めようとしたが、無視したアメはそのまま歩を止めなかった。
アメを追いながら、さっきの現場を振り返ると嵐が去ったような静けさで、市民団体のおじさんもおばさんも呆然としていた。
「アメ、どうしたんだよ」
「納得できない」
アメは憤然としていた。
「だからなにが? しかも総理大臣って」
ぼくらの姿は周りの通行人から痴話喧嘩に見えたことだろう。それでもひとりにはして置けなかった。
「アメ、いい加減止ま––––」
言い終わらないうちにアメが急に足を止めたので、ぼくは危うくぶつかりそうになった。
もうこの時点で図書館に行くことは諦めた。二個あるデザートのもうひとつを食べ損なったように。
「西口は駅前とはいえ、図書館の前でもある。あそこで楽器やスピーカー、マイクを使った主張は、図書館の利用者の迷惑になる。館内まで聞こえるの、その雑音は。勉強している学生とか、静かに読書しているお年寄りが気の毒」
「それで怒っていたのか」
「怒っていたというより、彼らのモラルを問うていただけ」
「アメは許可取ってるの」
「許可? なんの」
「いや、普通に考えたら警察の」
「取ってるよ。それに、私がいつも演奏している側は周囲の建物まで距離がある。そこまで音も大きくない。もちろん唄は駅向こうの図書館には届かない。私はたったひとりで唄っているし、音量も抑えているし、誰にも迷惑かけているつもりはない。西口にいるあのわけのわからない連中とは違う。彼らは自分らの主張のために大勢で集ってギターやらマラカスやらでどんちゃん騒ぎして、あれは演奏とは言えない。表現の自由も場を弁えるべき。あんなのと一緒にされたらたまったもんじゃない!」
アメの声が夜風を切り裂いた。
「うん。アメの気持ちはよくわかった。でもやり方があるよ。警察の本署でまず確かめて、そのあと役所とかにも問い合わせて、場合によっては市議会に陳情を出すとか考えようよ」
「いや、もういい。面倒だからいい。そんなことしている暇があったら、曲を作る」
「アメ––––」
もしかしたらアメは全部知っているのかもしれない。知っていた上で十人相手にひとりで立ち向かっていたのかもしれない。
「ところで、総理大臣ってのは」
「あぁ、あれはただのはったり。でもいつか会って直接言うことに変わりはない」
ぼくは思わず笑った。でも、アメはそうではなかった。
「私も––––」
「うん?」
「私も、いつまでも路上にはいられないってよくわかった。いずれもっと多くの人には届けたい。ちゃんとしたライブ会場で。私は必ずこの場所から日本武道館に行く。そのあと、この空も海も越えた向こうへ唄を届ける」
アメなら出来るよ––––言いかけたその言葉をなぜ飲み込んでしまったのだろう。