327. それなら簡単
「潮? あー、王都と空気が違うとは思ってましたが……」
「分かりませんか? では、少々お時間をください」
私はジェイコブさんをお連れして、ここから最も近い畑へ向かいます。
町の中では子ども達が走り回っていますね。初めて見る雪が珍しいのでしょう。
「この白っぽくなっている所です。雪で分かりづらくなっていますが……、ジェイコブさんは何だと思いますか?」
畑にたどり着いた私は、その中で白く見える箇所を指差し尋ねました。
「んー、雪じゃねぇんですかい? 私ゃ畑仕事にゃ詳しくねぇですよ? ……さっき潮の香りって言ってましたか? つまり、アウリ様はこれが塩だって言いてぇんですかい?」
「確証はないのですが……、そうではないのかなと」
去年の夏、私は海を見ました。
そのとき感じた海の匂いが潮の香なのだと教えられたのです。海は塩水だから独特な香がするのだと。そしてこの畑の香。
「そりゃぁ気のせいではないですかい? 冒険者ってぇのは魔物と対峙する際、自分の匂いがどう魔物に伝わるのか常に意識してるもんです。今は風もない。雪も降ってる。こんな日は匂いってモンはそんなに広がらないんですぜ? これが仮に塩だったとして、それでも潮の匂いを感じるのは難しい」
なるほど、やっぱり先生が正しいのでしょうか?
去年私が水魔法に目覚めてから、それを故郷の不作問題に活かせないかと魔術師団長様をはじめとした多くの人に相談しました。そうして色々と教えて頂き私なりに学んできたのです。
その過程で、故郷の畑が余所の畑に比べて少し白っぽかったと話したことがあります。それを聞いた王城の文官様は塩害ではないのかとおっしゃられました。なんでも畑に塩が混じると作物が非常に育ちにくくなるそうなのです。
その文官様は王都から北に位置するバスティーユ領出身のお方でした。
王国の中央を南北に流れる大きな河に近い場所は年に1度、"双子神"様の逆流により海から塩水があふれるのです。
「魔術師団長様の計らいで石灰という物を頂いてきました。馬車に積んであった白い粉がそれです」
「む」
ジェイコブさんが片眉を上げて何かを考えているような表情をされました。
筋骨隆々の大きな体ですとそんな表情でも恐ろしく感じますね。でも唯一の協力者となってくれるかもしれない人です。怖いなんて言っていられません。
「塩害は知っておられますか?」
「ええ」
「その塩害を、石灰という白い粉を撒くことである程度緩和できるとか」
王都よりも海に近いバスティーユ領はその塩害が王都よりも深刻らしく、それ故に塩害対策も高度に発展しているとか。
白い粉である塩が原因の問題を同じような白い粉で解決できるという理由は、あまり賢くない私には理解できませんでした。でも賢い方々がそうだと言うのなら、そうなのでしょう。
「ええ、それも知ってますとも。これでも元ギルマスです。逆流の後に石灰を運ぶ依頼やそれを護衛する依頼、畑に石灰を撒くなんて依頼も冒険者ギルドにはよくありました」
納得顔でウンウンと頷かれるジェイコブさん。やっぱり塩害対策に石灰というのは本当の話のようです。
「つっても、雨の降らなかった数年間は逆流規模も小さく、そんな依頼もありませんでしたがね。で、アウリ様はこの石灰を畑に撒くのを俺に手伝って欲しいと、そういうことですかい?」
「いえ、違うのです。この領には私が物心付く前からいらした農業に詳しいお方がおられます。ジェイコブさんも館で見られたでしょう? 長身長髪の先生と呼ばれておられるお方ですよ」
「ああ、あのヒョロっちい兄ちゃんですか。で、その先生とやらがどうしました?」
「先生がおっしゃられるには、畑の白っぽい部分は肥料なのだそうです。魔物や動物の骨を砕いた骨粉という白い粉で、先生が独自にブレンド? ……したとか」
「うん?」
「だから塩害ではない。塩害ではない畑に石灰を撒くと逆に害となる。先生はそう言って石灰を使用しないように言われました」
私が王城にあがったのは2年前。でもそれ以前からお隣の伯爵家で働きつつ教育してもらっておりました。そうでなければこんな田舎の男爵の娘が王城で侍女をするなど難しかったでしょう。王城への奉公も伯爵様のご紹介で実現したのです。
ですから、私は王城に上がる以前からこの地の畑をじっくり見ることが少なかったのです。
でも全く見ていなかったワケじゃない。たまに畑が白っぽく見えるような気がすることを覚えておりましたが、領民達が骨粉というモノを撒いている光景は見たことがありません。
「私もね、ギルマスなんてのをやってましたが、そんなに学がある方じゃぁありません。難しいことはサブマスに任せきりでしたしね。でも、この問題は簡単だ。要はこの白いのが塩かそうじゃないか判れば良いんでしょう?」
ジェイコブさんはそう笑って、なんと畑の土を口に入れました。