277. 気掛かり
「ムヒッ」
私は木を載せた荷車に乗せていただき、ガラガラと馬に引かれようやく森を出ました。閑散としたこの情景だけを見れば平和そのものですわね。しかしながら、これは嵐の前の静けさなのかもしれません。
「……ムホッ」
本当に自国カティヌールはここファルシアンへ攻めてくるのでしょうか。
カティヌール王は一国の王にしてはどこかオドオドとした雰囲気を纏っておられますが、決して愚者ではありませんのよ。
カティヌールはこれまで常にどの国へも良い顔をして乗り切ってきました。どの国へも良い顔をするということは、実は他国から嫌われやすいのですわ。何故なら、ある1つの国に良い顔をするとその敵対関係にある国々から反感を買うのですから。
「ム、ムニッ」
しかしカティヌール王はこれまで、優れたバランス感覚でどの国からも敵対する程の反感を買ってはきませんでした。それがファルシアン相手にここまで拗れてしまったのはどうしてなのでしょう。
「そんな暗い顔をしなさんな。生きていれば良いこともありますぞ。……ムヒッ」
神域の民であるムースリ様が、運搬中の木を見ながらそうおっしゃってくれます。
「ええ、ありがとうございます」
神域の民の皆様も、この国、特にこの国の騎士から非常に嫌われておられるご様子。この国の王族を襲撃して騎士を何度も瀕死に至らしめたと言うのですから、嫌われて当然ではあるのですが……。
しかも襲撃した王族は、この国に救国の妖精を齎しエネルギアという脅威から身を挺してファルシアン西部を守った大変人気のある王女だったのです。ファルシアン西部からの人気は絶大で、西部出身の西の辺境伯令嬢様はそれはもう大層神域の民の皆様を毛嫌いしておりましたわ。
「ムニニッ」
私もこの国からは嫌われております。この国が窮地に陥った際に見捨てた国の姫なのですから。一国の姫を荷車で同行させている様を見れば、その嫌われようも明確ですわね。
冒険者達が表立って邪険にしてくるようなことはありません。よそよそしくはありますが、冒険者なりの敬意を持った態度で接してくれてはいるのです。しかし、身分差もありお互い気軽に話しかけられませんからね。
そのため、自然と私の会話相手は神域の民の皆様に限られてしまうのです。
「ところで、先程から何をなされておられますの?」
荷車の横を歩いておられる神域の民の皆様は、時折運搬中の木に触れては手を放し、ムニッと声を上げられているのです。また1人、木に触れて――。
「ムピッ」
恍惚とした表情でしばらく動きが止まるのです。そして、荷車においていかれないよう慌てて追いついてきます。
まるで危険な薬物を摂取しているようで心配なのですが……。上に向いた視線が白目のように見え、非常に危険な表情に見えますわよ。
「はっはっは。これは新たな聖樹様のお声を授かっておるのですよ。いやはや……、これは止められませぬな……、ムニッ」
「おおぅ、聖樹様……、ムホッ」
神域の民は植物の声を聞くことができるという伝承は本当だったのですね。しかし、植物の声を聞くたびにこのような表情になられるとは予想もしておりませんでしたわ。
「神域とは、いったいどのような場所なのですか?」
「ム、ムヒッ。……良いところだぞ。少々魔物が外よりも強いことがやっかいだが、人同士の争いはなく普段は長閑な場所だ。封印さえ安定していれば平和そのものよ。……ムホッ」
こちらの問いにムースリ様はなんでも気さくに答えてくださります。突然ファルシアンの王族を襲撃したということから野蛮な方々なのかと危惧しておりましたが、とても紳士的ですわ。時折木に触れて気が触れることには、少しばかり気が引けますが。
「緑豊かな森で植物と心を通わす民達が平和に暮らす地ですか。私もいつか行ってみたいですわね……」
「フニッ……。はっはっは、来たいのなら我々は歓迎しますぞ。封印を乱そうとする輩は追い返しますがな」
「しかし、外の王族が我々の暮らしに耐えられますかな。交流のある外の者達は、我々の暮らしぶりを原始的と言いますからな」
「……そうなのですね」
原始的な暮らしですか……。
それでも、今のように誰からも嫌われて生きていくよりはマシに思えるのです。神域はカティヌールからとても遠いと聞きます。それ程遠いのであれば自国とのしがらみも気にすることはないでしょう。
ただ嫌われずに生きていきたい。それが、それ程大それた望みなのでしょうか。
「ムプッ」