194. 邂逅
「まったく。ドラゴンの剥製のことは、あなたにも通達していた筈ですよ」
この国の王妃殿下が呆れた表情で呟かれます。美人ですが迫力があり、吊り上がった目も相まって恐ろしく感じてしまいますね。
聖王国の聖王妃殿下は柔和な雰囲気の方でしたが、あの方は政治に興味はなくただただ自適に過ごすことを良しとされていました。クロス聖王太子と結婚した暁には私もあのような王妃になるのだとばかり思っていましたが、あの生き方は結界で守られた国の中だからこそできたことだったのでしょう。
諸外国との争いが絶えないという外の世界で王妃を務めていくには、私も目の前の王妃殿下のような凄味を持つ必要があるのかもしれません。
「確かに聞いておりましたが母上、あのような、まさに今炎を吐こうとしている様子で設置されているとは聞いておりませんでしたよ。なんですかアレは? 動き出さないのが不思議な程です」
確かにホールにあったあのドラゴンはまるで生きているようでした。ドラゴンなど絵本で見た限りで生きている実物など見たこともありませんが、クチを開けて喉の奥が赤黄色く光っている様子を一目見れば、誰だって次の瞬間には炎が吐かれると思う筈です。
とっさに防御魔法を展開してしまった程鬼気迫るものでした。剥製だと聞かされた際の気まずさは、今思い出すだけでも顔が熱くなりますね……。
「それは仕方ありませんね。何しろあなたに通達した時点では、あの剥製はただ突っ立っているだけだったのですから。妖精様がお手を加えてくださったのですよ。あの迫力です、今から春の各国大使の反応が楽しみですね」
愉快そうに嗤う王妃殿下は、まるで肉食獣のようです。今後訪れるであろう各国大使達に同情してしまいますね。それにしても、また妖精様の話題が出ました。
「ところであなた。聖女が聖王国の外に出ても問題ないのかしら? 私達は歓迎しますが、聖王国から後で難癖を付けられるのは御免ですよ」
「問題ありません。今は私の妹が聖女の任を担っております」
「そう。だったら良いのですけどね」
聖女教育は実務と少しズレている歪な内容ですが、妹も今頃それに気付き問題なく結界を維持していることでしょう。
聖女候補中は精霊様は実在すると教えられます。そしていざ聖女に任命されると、真実を告げられぬまま光の間に放置されるのです。私も最初は必死で精霊様に語り掛けたものでした。しかし数時間も返答がなければ流石に精霊様など居ないと気付くのですよ。懐かしいですね。
教育内容にも光の間の中にも精霊様など居ないというヒントは色々と散りばめられているため、よっぽど頭が弱いということがなければ精霊様など存在しないということに気付くことができます。聖女教育が理解できる程度の能力ある聖女候補なら、誰でも悟るでしょう。
おそらくこのような歪な教育内容となったのには理由があるのでしょう。世間一般には精霊様は存在していることになっていますからね。そのような中、まだ幼い聖女候補に精霊様など居ないと教育なんてしてしまえば、どこから情報が漏れるか分かったものではありません。
「さて、長旅でお疲れでしょう。あなたに部屋を与えますのでしばらくはゆっくりしてなさいな。専属侍女も付けます。部屋の外に待機させていますから、分からないことはその侍女に訊ねなさいね。下がって宜しいですよ」
「ありがとうございます」
「では」
「これ、アーランドは残りなさい」
「……はい」
一礼してアーランド様を残し部屋を出ました。ようやく一息付けそうです。
「聖女様、私はカエラと申します。あなた様の専属侍女を申し付けられておりますゆえ、宜しくお願い致します」
気を抜いた瞬間に黒髪の侍女が話しかけてきました。全く気配がありませんでしたので、少しビクッとなってしまいましたよ。一礼したままですので顔は分かりませんね。
「こちらこそ宜しくお願いするわ。あと、聖女様はやめて。私はもう聖女ではないのだから」
王妃教育で侍女には敬語は不要と習っていました。これまでずっと敬語で話していましたし、専属侍女など初めて付くのですから、慣れずに違和感がありますね。それでも王太子妃候補ともあろう者が下の者に敬語を使うと相手に迷惑なのだそうです。
「承知致しました。ではエフィリス様、まずは湯浴みでお疲れを取って頂きます」
「お願いね、カエラ」
ようやく顔を上げた侍女に付いて浴場に行き、湯船に浸かります。カエラは切れ長の目で、どこか王妃殿下に似た方でした。まだ慣れていないせいか、それとも事務的な態度だからなのか、どこか冷たい印象を持ってしまいます。
それにしても、この浴場は素晴らしいですね。お湯から何か不思議な力を感じます。これは一種の聖域と言っても良いのではないでしょうか。長旅の疲れが一瞬で癒されました。
しかし……、ただの湯浴みに聖域? これも妖精様のおかげと言うのでしょうか。
思えば王国に入ってから不思議なことばかりです。もはや異常といっても良いくらいですよ。
王国は今年の初めまで不作続きで食糧難、王族や貴族ですら食べるのに困ったとアーランド様からお聞きしました。しかし王都までの通り道、人々が食料に困っているようには見えなかったのです。むしろ聖王国よりも豊かに見えました。そして、それらも妖精様のおかげと言うのです。
極めつけは光の道です。王都まで急ぎ足で進んだものの、王都にたどり着く前に雪が積もってしまいました。そのため到着が遅れると思われたのですが、突然雪原が2つに割れ街道が姿を現したのです。街道上から除けられた雪は道沿いに氷となり、日の光を浴びて光り輝いて、まるで光の道を進んでいるようだったのです。
あのような直接的な加護は異常です。私の知っている精霊様の加護は目に見えるものではなく、あくまで運が良くなる程度のものでした。何か良い結果となれば精霊様のご加護に違いない、といったものです。
王都の発展具合にも驚きましたが、そのような驚きなど取るに足らないくらい光の道は衝撃的でした。この国は何か超常的な存在から加護を受けていることは間違いありません。それが妖精様なのでしょう。
「カエラ。さっそくで悪いのだけど、妖精様にご挨拶はできるかしら」
湯浴みから上がり、宛てがわれた部屋にて専属侍女に声を掛けます。妖精様へのご挨拶は最優先で行うべきでしょう。城内に祠があるのであればすぐに向かえる筈です。離れた場所に神殿がある場合は、また後日になってしまうかもしれませんが。
「妖精様は自由なお方と聞いております。こちらから向かわれても中々お会いすることは叶わないかもしれませんよ。しかし、妖精様は聡明なお方でもあります。お会いする必要があるとすれば、自ずとお会いすることになりますでしょう」
なるほど、このような抽象的な物言いは聖女教育の中でもよくありました。つまりお会いすることはできないのでしょう。そして、夢など何か精神的なきっかけにより妖精様にお会いしたと自ら思い込むことになるのです。
「いえ。妖精様が祀られている神殿なり祠なりで祈りを捧げるだけで良いのよ」
「……失礼ながら、妖精様を祀る神殿や祠などはございません」
「え……?」
これ程の加護を受けている信仰対象だと言うのに、神殿や祠などが存在しない? そのようなことあるのでしょうか……。これは予想外です。
――パタン
「え?」
困惑していると室内に小さな音が響きました。見ると先程までは確実になかった筈のボードゲームがテーブルに広げられています。そして私のまわりを……、え? 妖精? 本当に?
私は思わず目を擦ります。聖王国を出て30日程、疲れは湯浴みで取れたと思っていたのですが、慣れない土地で思っていたよりも疲弊していたのかもしれません。妖精様のことばかり考えるあまり、ついに幻覚が……。
「やぁ!」
「ひょわっ!?」
「ゲーム! しよ!」
「……ッ」
「……?」
「え、ええええええええええっ!?」
こんなに普通に出没されるのですか? 妖精様が?? 信仰対象ですよね!?
まるで近所の子どもが暇だからと言って遊びに来たような気軽さではないですか!
なるほどなるほど、さすがは外の世界。聖王国の結界に閉じこもっていたため知りませんでしたが、外の世界ではそのあたりに妖精のような超常の存在が普通に居るということなのですね。
……そんなバカな!