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二人ぼっち。

作者: 如月 子龍


天馬


14年前。

A国の原子力発電所で放射能漏れの事故が起こった。

外部に放射能漏れを防ぐ為の装置が自動的に作動。

内部には逃げ遅れた研究者、作業員、28名が閉じ込められた。

その中に二人の日本人がいた。

桜井優子とその息子、天馬だ。

放射能汚染の拡大を恐れたA国政府は取り残された28人の事は公表しなかった。



桜井天馬は高校二年になっていた。

彼は閉じ込められた28名の中の唯一の生き残りである。

事故後、母親を亡くした天馬は祖母の家に引き取られた。

その祖母も去年鬼籍に入った。

天涯孤独の身になったが、母と祖母が残してくれた十分過ぎる遺産があった。

それでもやはりまだ未成年。

保護者代わりとなる母の同僚が住む東京に転校となった。

名前だけの保護者のため、生活の全ては全部自分で行った。

部屋は意外とあっさり見つかった。家賃を二年分先払いすると言う条件で1DKのなかなか好条件の物件に決めた。

そして転校の手続きも自分で済ませた。

家電や生活用品も全て揃った。

今は夏休み。

二学期が始まるまで、ゆっくり一人の暮らしに慣れ、新しい街に慣れ、バイクを買った。


夏休みが終わり今日から学校。

始業式を終え、形式的なクラスへの自己紹介も済んだ。

天馬が通うのは都内屈指の進学校。運動部にも力を入れ文武両道を目指している。

今日は授業もなく早々に帰宅する生徒たち。

運動部は部活の準備をしている。

天馬はとりあえず学校を見て回る。

都心から少し離れている事も手伝って、大学を思わせるほどの広い敷地。

体育館は3つあり運動部の設備も充実している。

清潔感のある広い食堂。

一通り見て回ってそろそろ帰ろうとした時、後ろから声をかけられた。

「転校生君だよね?」

振り返ると女の子が立っていた。

一見、中学生か?と思うくらい小さくかわいい子だ。

「あ!私、中川美穂。」

「俺は桜井天馬。」

「天馬君ね。何?部活見学?」

「学校探索やな。部活はやらんと思うわ。」

「あ〜!大阪弁!なんかいい感じ。」

「そうか?大阪やと当たり前やからわからんわ。」

東京に来てから人とまともに会話するのは久しぶりだった。

「今から帰るの?」

「ざっと見て回ったからな。一緒に茶でも行くか?」「転校初日からナンパ?別にいいよ?」

「ほな、ええ店連れてってや?この辺全然わからんし。」

そう言って連れて行かれたのは普通のドーナツのチェーン店だった。

「ここやったらどこにでもあるやん?」

「女子高生がお茶するって言ったらここでしょ?」

楽しそうにドーナツを選ぶ美穂。

「天馬君はどれにする?」

「俺はアイスコーヒーだけでええよ。」

まだ午前中のドーナツショップはガラガラだ。

一番奥の窓際の席に座る。

目の前には幸せそうにドーナツを頬張る美穂。

それから学校の事、この街の事など、二時間近く話し込んだ。

店を出て美穂は駅まで送ってくれた。

「ありがとな?まだこっちにツレもおらんし楽しかったわ。」

「ううん。私で良ければいつでも誘って?彼氏も募集してるよ?」

冗談ぽく笑って自転車に乗って去っていった。


翌日。

今日からは授業も始まった。

進学クラスらしくかなりハイレベルな内容だ。

私語はほとんど聞こえない。

美穂がたまに天馬の方に振り返り微笑する。

その姿に自然と笑みがこぼれる。


休み時間。

気さくに声をかけてくるのは女子だ。

聞き慣れない大阪弁が新鮮なのか?ちょっとした人気者みたいだ。

それが男子にはおもしろく感じない事くらい同じ男の天馬にはわかる。

『クラス全体と馴染むにはまだまだかかるな。』

と、天馬は思った。


放課後、天馬は担任の教師に職員室に呼ばれた。

「桜井、少しは馴染んだか?」

「はぁ、まあぼちぼち。」

まだ二日目である。

「実は今月末から修学旅行なんだが…。」

「旅費の事ですか?」

「いや、それは問題ない。ただ、うちの高校は行き先を選択制にしてるんだが。」

何か奥歯に物が挟まったような言い方である。

「行き先はどこです?」

「北海道は定員いっぱいでな。もう一つは…大阪だ。」

なるほど、大阪からの転校生に修学旅行に大阪へ行けとは言いにくいだろう。

「かまいませんよ。なんならみんなを案内しますし。」

「すまんな。自由時間はわりとあるし地元の友達に会ったりしてもかまわないから。」

「はい。」


職員室を出ると美穂が立っていた。

「何してるん?」

「あ〜!ひっど〜い!かわいい女の子がわざわざ待っててあげたのに!」

「はいはい。ありがとね。」

「全然感謝の気持ちがこもってないよ。」

「じゃあ今日はドーナツおごるよ。」

「やった!」

本当に子供みたいに喜ぶ美穂。

美穂の自転車を押しながらドーナツ屋に向かう。

途中、天馬はつけてくる人影に気付いていた。

「美穂、次の門を曲がったら少し先に行ってろ。」

「どうしたの?」

「つけられてる。わかったな?」

黙ってうなずく美穂。

そして門を曲がると小走りで来る男を待った。

「誰や?」男はびっくりしている。

同じ制服を着ていた。

少し離れた所で見ていた美穂が歩み寄ってきて、

「浅香君?」

「知ってるのか?」

「うん。体育科の浅香君。」

すると、浅香と呼ばれた男が突然身構えた。

『ボクシングか。』

「美穂、下がってろ。」

「ダメよ!浅香君はボクシングの東京代表なのよ?」

「大丈夫だ。任せろ。」

その時、浅香のパンチが伸びてきた。

軽くかわす天馬。

そして浅香のパンチが天馬の脇腹を打つ直前、天馬のパンチが先に浅香のみぞおちににめり込んだ。

前のめりにうずくまる浅香。

美穂は事態を呆然と見ていた。

「おい!」

天馬が少し先に潜む人影に向かって言った。

「仲間やろ?こいつ連れてさっさと帰れ。ちょっとあざになるやろうけど他に問題はないはずや。」

その人影は仕方ないなというような重い足取りで出てきて、浅香に肩を貸しゆっくり去って行った。

「今のも知った顔か?」

天馬は美穂の方を振り返りながら聞いた。

「うん。同じクラスの岡崎君。」

「そういや見たことある感じやったわ。まぁとりあえずお茶しながら話そか?」

ドーナツショップで昨日と同じ席に腰を下ろす。

「で、あいつらは何や?過去に振った男か?」

「ううん。そんなんじゃないけど…。笑わない?」

「笑うような事か?言ってみ?」

「あのね…、勝手に私のファンクラブ作ってるみたいなの?」「はぁ?」

「だから、私のファンクラブ…。」

天馬は笑った。咳き込むほどに。

「だから笑わないでって言ったじゃん!」

「すまん、すまん。美穂ってすごい人気なんや?」

「ごめんね、迷惑かけちゃって。」

「ああ、全然かまわんよ?でもあんなんおったら彼氏はできへんな?」

「そうなの。悪い人達じゃないと思うんだけど。」

「気持ちがわからんでもないけどな。美穂かわいいし。」

美穂の顔が一瞬で真っ赤になった。

「さすが大阪人!お世辞はうまいね?」

そう言って無理に話題を変えた。

「でも天馬君て強いね?ボクシングやってたの?」

「格闘技経験はないよ。喧嘩はちょくちょくやってたかな。あ!今はわりと平和主義やよ。」

「ボクシングすればいいのに。高校チャンプとかってカッコいいじゃん?」

「あんまり興味ないなぁ。殴られたら痛いし。」

「そっか。殴られて顔を腫らした天馬君は見たくないかも。」

「そうそう。男前が台無しやん?」

「うわっ!天馬君てナルシスト?」

二人で笑った。

「そう言えば先生の話って何だったの?」

「ああ、修学旅行の話。」

「天馬君はやっぱり北海道だよね?」

「それが定員一杯で半強制的に大阪やって。」

「マジで?私も大阪。ひょっとして自由時間に案内してくれたりする?」

「ええよ。どっか行きたいとこあったらチェックしとき。」

「やった!個人ガイド付き!ちょっと楽しみ増えた!」

その後も一時間くらい話し込んで今日も美穂が駅まで送った。

「じゃあ、また明日な。」

「天馬君。今日ね、美穂って呼び捨てにされてちょっとドキッとしちゃった。」

「嫌やったか?」

「ううん。」

「美穂も俺の事好きに呼んだらええよ?」

「え〜?じゃあ天君?なんか変。やっぱり天馬君でいいよ。」

「じゃあな、美穂。気い付けて帰りや?」

「子供じゃないから大丈夫!また明日ね?」



大阪


九月末。今日から修学旅行である。

この1ヶ月で天馬がクラスに馴染めたかというと微妙なところ。

女子とのコミュニケーションはスムーズだが、男子とは何かダメである。

天馬だけと言うわけでもない感じで、クラスの男子全体がぎこちない。

進学クラスということも関係してるのかも知れない。

全員が受験のライバルという意識が男の方が強いのだろうか?


行き先に大阪を選んでるのは女子の方が多かった。

新幹線で天馬のとなりに座ったのはやはり美穂だった。

心なしかいつもより気合いの入った髪型をしてる。

「どう?かわいいかな?」

「いい感じちゃう?俺的には普通のボニーテールのが好きやけどな。」

「じゃあ明日はボニーにしてみよっかな?」

周りからみれば立派な恋人同士だがそういう事実はなかった。

昼前には新大阪に着いた。

ここからはバスで海遊館に向かう。

天馬にとっては懐かしいと言うほど時間がたっているわけでなく、見慣れた景色が流れていく。

海遊館では自由行動。

「必ず二人以上で行動するように!途中、昼食も済ませて14時に前の広場に集合。以上、解散!」

注意事項はそれだけである。

ハメを外してバカな事をして受験に不利になるような事はしないからだ。

「美穂。メシどうする?弁当持ってきたんか?」

「持ってきたよ?天馬君の分もね!私の手作りなんだから感謝してね?」

「美穂の手作りって食えるんか?」

「失礼な!私、料理得意なんだよ?」

いつの間にか二人にとって二人でいることが自然になっていた。

少し早いが海の見えるベンチに並んで座り昼食にする。

確かに美穂の料理は美味しかった。

しかも天馬が好きな物ばかりの弁当。

以前、会話で少し話した事を覚えていたのだ。

「美穂。」

「ん?なあに?」「美穂って、ええ女やな。」

「誉めてもおかわりはないよ?」

そう言って赤くなったほっぺたで嬉しそうに笑った。

それから14時まで、天馬はガイド兼カメラマン。

プラス荷物持ちだった。


14時になると全員しっかり遅れずに集合した。

バスでホテルに向かう。

わりと大きなホテルで、女子は本館。男子は別館。と、区別されていた。

「各自、部屋割り通りに自室に行き荷物を整理後、19時まで自由行動とする。尚、外出の際には必ず二人以上で携帯も持参する事。」

天馬は岡崎と同じ部屋だ。

美穂のファンクラブ会員。

それだけしか知らない。

話した事もなかった。

『さて、どうするか?』

天馬が考えていると携帯が鳴った。

「もしもし、天馬君?一緒にお出かけしよ?」

「ええよ。どっか行きたいとこあるんか?」

「う〜ん。たくさんあって迷うなぁ。とにかく30分後に下のロビーで待ち合わせでいい?」

「んで服どうするんや?」

「一応制服で着替え持ってくよ?」

「了解!」


30分後。

「お待たせ〜。」

「お!ボニーテールやん?」

美穂の柔らかくきれいな髪が後ろで揺れてる。

「天馬君が好きだって言ってたから。」

「おう。似合ってるで。」

「それでね、ここに行ってみたいの。」

ガイドブックを指差しながら言う。

かわいい小物が売ってる店だ。品揃えも豊富らしい。

住所と簡易な地図も載っている。

「キタやな。細かい場所はわからんけどすぐ見つかるやろ。」

「ほんと?じゃあナビよろしくね!」

最寄りの地下鉄の駅まで歩く。

切符を買い改札をくぐるとまずトイレへ。

制服から私服へ。

そこで天馬は初めて私服の美穂を見た。

「めっちゃかわいいやん!ちょっと中学生ぽく見えるけど。」

「たまには素直に誉めてくれたらいいじゃん?」

「誉めてるやん?俺は誰にでもかわいいとか言わんし。」

「えへへ、ありがと。」

地下鉄はちょうど高校の下校時間と重なり混雑していた。

「はぐれるなよ?」

そう言って天馬は美穂の手を握った。

美穂は照れくさそうにしながらもその手を握り返した。


二人は手をつないだままキタの街を目的の店を探し歩いた。

地図のおかげでさほど苦もなく見つかった。

店内は女子高生に占拠されていたが、美穂は躊躇せずに突入する。

ゆっくり全ての商品を吟味していく美穂。

すると美穂の動きがピタッと止まった。

「どないした?」

「これ、かわいい。」

じっと一点を見つめる美穂。

その視線の先には小さいビーズで作ったウサギのストラップがあった。耳がハート型になってる。

「あっ!このビーズ、ガラスみたい。」

確かに持ち上げるとプラスチックにはない重量感がある。

淡いピンクと水色の二匹。

「ねえねえ、お揃いでつけない?」

「でも結構高いぞ?」

「ほんとだ…。」

「他にもいいのあるかもやし探してみたら?」

「そうだね、残念。かわいいのになぁ…。」

後ろ髪を引かれながらまた店内を見て回る。

しかし、どうしてもさっきのウサギが気になるらしい。

財布を開けて中身を確認してため息をついてる。

結局、何も買わずに店を出た。

「そんなに気を落とすなや。ほらそこでソフトクリームでも食べよ?」

隣にあるソフトクリーム屋のベンチに座る。

天馬がマンゴーソフトクリームを買ってきて美穂に手渡す。

「ありがと。」

そう言って微笑むがやはり少し元気がない。

「ちょっとトイレ行ってくるわ。」

席を外す天馬。

「はぁ〜、昨日、買い物しなきゃよかったな。」

一人後悔する美穂の元に天馬が戻ってきた。

「ため息ばっかりついてたら老けるで。ほらっ。」

そう言って手渡されたのはさっきのウサギだった。

「えっ?えっ!どうしたん?」

「俺の携帯、ストラップないやん?ちょうど欲しいと思っとったんや。」

「でも、私のまで…。」

「せっかくペアでおるやつを離れ離れにしたらかわいそうやろ?俺と美穂がつけてたらこの二匹も結構会えるしな。」

美穂は笑顔で涙を浮かべながら

「うん。ありがと。私、大事にするね?一番の宝物にするね?」

「そこまでせんでもええけどな。」

「ねえ、もう一つソフトクリーム食べていい?ぼ〜っとしてたから味覚えてないの。」

「ええけど後でお腹痛いとか言うなよ?」

「じゃあ天馬君と半分こね?」

その後も服を見たり、ペットショップを覗いたり楽しく過ごした。

ホテルに戻ったのはギリギリだった。


修学旅行二日目。

今日の予定はユニバーサルスタジオだ。

バスで移動後自由時間。

団体行動がわりと苦手な天馬にとっては有り難かった。

今日は美穂の友達、優美も一緒に行動。

シーズンオフの平日。

上手く回れば主要アトラクションは全部行ける。

経験者の天馬のおかげで三人は1日を満喫した。


三日目は一日中自由行動。

朝食を済ませ下のロビーに行くと美穂と優美がいた。

「今日はミナミの辺りに行きたいと思ってるの。また案内してくれる?」

「ごめん。今日はちょっと行くところあるから午前中は無理やわ。」

「そう…。」

残念そうにうつむく美穂。

「でも用事済んだら合流するわ。」

「ほんと?」美穂の顔が明るくなる。

「昼飯は一緒に食おか。ほな途中までは一緒やし行こか。」


なんばの駅で美穂達と別れ天馬が向かったのは墓地だった。

途中の店で買った祖母が好きだった草餅と父と母が好きだったと祖母から聞いたシュークリームを供える。

天馬には母の記憶はない。天馬の母親像は全て祖母から聞いたものだ。

父は天馬が生まれる前に交通事故で死んだ。

「父さん、母さん、ばあちゃん、そっちはどうや?俺は元気やで。東京での暮らしもぼちぼち慣れてきたしな。」墓に向かって話かける天馬。

「俺がそっちに行くのはまだまだかかりそうやから、寂しいとは思うけど我慢してな。」

そう言うと立ち上がり

「ほな行くわ。次に来るのはいつかわからんけど元気でな。」天馬は駅に向かって歩きながら美穂に電話した。


少し時を戻そう。

なんば駅で天馬と別れた美穂と優美。

「どこから行く?」

「まずはたこ焼き!」天馬オススメのたこ焼き屋を目指す。

少し迷ったけど無事に到着。

二人は本場のたこ焼きに大満足だった。

「美味しかったね。また来たいなあ。」

「次はどうしよっか?」

「あ!あそこにお土産物屋があるよ?」

「先に買うと荷物になるよ?」

「二人でウロウロして迷うより天馬君来てから移動したほうが良くない?だから先に買う物を決めておけば最後に使う買い物の時間短縮できるし。」

「優美あったまいい!」そして二人で土産物を物色。

ふと時計を見ればかなりの時間が過ぎていた。

「昼を一緒にって言ってたからもうすぐ天馬君来るんじゃない?」

「もうこんな時間?じゃあ来た駅に戻っておいたほうがいいかな?」

店を出て来た道を戻ってるつもりだったが近道しようと裏道に入り込み迷ってしまった。

その時、後ろから来た二人組の男が背後で言った。

「声を出すな!」

手にはナイフを持っている。

声すら出せない二人。

「昨日、キタで一緒におるのを見かけたやつがおる。桜井天馬を知ってるな?」

頷く美穂。

「よし。そっちのお前、黙ってついてくれば危害は加えない。」

美穂を指差しながら言った。

「そっちはここに残れ。途中で騒ぐとこっちの子がケガする事になるぞ。」

男は歩き出した。

「大丈夫だから。」

美穂はそう優美に言い残し男の後をついて行った。

10分くらい歩いただろうか。

雑居ビルの二階、今は営業してそうもない元喫茶店ぽい雰囲気の場所に入った。

「ようこそ。」

出迎えたのは髪の長い美人だった。

その時、美穂の携帯が鳴った。

「天馬からか?携帯出しな。」

美穂から携帯を取り上げ、着信の名前を確認してからおもむろに女は出た。

「もしもし、美穂か?ぼちぼちそっち行くわ。」

「久しぶりやね、天馬。」

「誰や?」

「もう声も忘れたんか?」

「…輝美か?」「あら、覚えててくれたん?光栄やわ。」

「美穂はどうした?」

「ここにいるわよ。丁重に扱ってるから安心して。」

「要求はなんや?」

「とりあえず『メビウス』まで来てくれるかしら?」

「わかった。美穂には指一本触れるなよ!」

電話を切り机の上に置き美穂に向かって言った。

「天馬が来てくれるって。大事にされてるねえ。羨ましいわ。」

それからしばらく、部屋の中は無言が続いた。沈黙の中、後ろにいた男の携帯が鳴った。

「輝美さん。今、ひっかけ橋を過ぎたそうです。もうすぐ来ます。」

「そう。」

輝美は机の上にあった美穂の携帯を取った。

「かわいい携帯ね。私には似合わない。」

ストラップのウサギを見ながら言う。

その時、初めて美穂は口を開いた。

「返して!」

そして、輝美の手から携帯を奪い取った。

「へえ、大事な物みたいね?そのストラップ。」

輝美は強引に奪おうとする。

美穂はうずくまって丸くなりストラップを守った。

「これだけはダメ!」

そこへドアを開け、天馬が入ってきた。

「おい、指一本触れるなって言ったやろ?」

「天馬君!」

天馬に飛ぶように抱きつく美穂。

ストラップを握りしめた手には輝美の爪で引っかかれた傷から少し血が出ている。

「えへへ、ちゃんと私のウサちゃん無事だよ。」

「頑張ったな。美穂のウサギがおらんかったら俺のウサギが悲しむもんな。」

美穂の頭をクシャクシャに撫でながら言った。

「うん!」

「ヒデ。」

天馬は後ろの男に言った。

「お久しぶりです。天馬さん。」

「この事は高弘は知ってるんか?」

「…いえ。」

「呼べ。」

「…はい。」

ヒデと呼ばれた男はどこかへ電話をかけている。

「輝美。何が目的や?」

「目的?ウチを辱めた復讐よ!」「辱めた覚えはないけどな。」

その時、美穂は思っていた。

私の知らない天馬君の影の部分があるんじゃないかと。もしそうなら聞きたくない!と。

その気持ちを察したのか天馬は美穂に、

「大丈夫。信じろ!」

美穂はウサギを優しく握り頷いた。

「何があってもそこを動くなよ?」

もう一度頷く美穂。

「どうしてあの時、抱いてくれなかったの?」

「愛してないからな。愛のない女は抱けない。」

「ウチはどんな物でも手に入れてきた。ウチの誘いを断ったのはあなただけ。それがウチの唯一の傷なんよ!」

「それが愛せない理由やな。確かに輝美は美人で頭も切れる。だが、ただそれだけ。人としての魅力はないからな。」

「ウチは…ウチは!」

そう大きく叫ぶとナイフを取り出し天馬に向かって一直線に刺しに行った。

微動だにしない天馬。

音もなくナイフは天馬の腹に突き刺さった。

「いや―!」

美穂の悲鳴がこだまする。

その時、ドアが開き男が入ってきた。

「輝。もうええやろ?」

その場に崩れ落ちる輝美。瞳には涙が。

「天馬。すまんかったな。」

「気にするな。」

「でも輝の気持ちも分かってやってくれ。こいつはほんまにお前に惚れてたんや。」

「ああ。」

「軽い女やない。ほんまはまだ処女やしな。」

「それも薄々感じてたわ。」

「じゃあ何でや?何で抱いてやらんかった?こいつなりにむちゃくちゃ覚悟して決めた事やで!」

「惚れてなかったからな。それに、ツレが惚れた女は抱けんわ。」

「お前、それを…。」

「俺かてそこまで鈍くないわ。」

「輝は人一倍負けず嫌いなだけやねん。それがちょっと悪い方向にすすんでもたんや。」

輝美はうなだれ泣いている。

「それを正してくれるのは天馬しかおらんと思ってた。それがあかんかったんやな。やっぱり自分が惚れた女の為には自分が動かんとな。」

天馬はしゃがんで輝美の手を取った。

「輝美。俺はお前が嫌いやない。好きや。けどな、それは男女の愛やない。わかるな?」

無言の輝美。

「お前は自分を好きになってくれた男を利用しようとする。それじゃあかん。」

「…。」

「そう言う男は大事にせなな?感謝の気持ちを持つんや。そうしたら本当の力になってくれる。こいつみたいにな。」

高弘を見る。

「出会ったやつが敵になるか味方になるか、それはお前次第や。」

「天馬、もうええやろ?」

「せやな、後はお前に任せるわ。輝美にみんなが惚れたあの頃の輝美を思い出させられるのはお前だけやからな。」

「ああ、任せろ。」

「俺は美穂と話があるから、みんな悪いけどちょっと出て行ってくれるか?」

「わかった。」

輝美を抱きかかえ外に出る高弘。

「失礼しました。」

そう言ってヒデも出てドアを閉めた。

ドアが閉まった直後に美穂は天馬に抱きついた。そして、

「ちゃんと約束守ったよ。動かなかったよ。だから早く、早く病院行こ?」

「偉かったな。」

また頭を撫でる。

「でもその必要はないんや。」

天馬はお腹に刺さったナイフをゆっくり抜いた。

すると血がにじんでいた傷口がすでにふさがっている。

「えっ?」

「最初から話さなな。」

そう言うと近くの椅子に座った。

黙って美穂も隣に座る。

そしてゆっくり語り始めた。


「俺の父さんは俺が生まれる前に交通事故で死んだ。」

美穂がハッと天馬の顔を見る。天馬は話を続けた。

「そして俺は母さんと一緒にA国へ渡った。原子力発電所の技術者としての腕を買われてだ。そして…、美穂なら知ってるな?」

「…放射能漏れ事故。」

「そう…。母さんは前日までで勤務は終わり、俺を連れて帰国の挨拶に行ったんだ。そして事故にあった。」

天馬は目を閉じた。

しばらく間が空いてまた語り始めた。

「その頃の記憶ない。小さかったからな。公表はされてないが放射能漏れを防ぐ装置が作動し、母さんと俺を含む28人が閉じ込められた。そして二週間後、ようやく救助に入った時には生きていたのは俺だけだったらしい。」

「それじゃお母様も?」

「ああ。見つけられた時、俺は死んだ母さんの膝の上にいたらしい。」

美穂は絶句した。

「それから俺は国の機関で色々検査されたらしい。俺だけピンピンしてたらしいからな。だが検査に異常はなく、一年後、日本の祖母に引き取られた。」

そこで天馬は美穂に聞いた。

「聞いてて辛くないか?」

「大丈夫。天馬君の事、知りたいから。話して?」

天馬は続きを話し始めた。

「日本に来たくらいからの記憶はある。5歳くらいだったからな。小さい頃はよく怪我をして泣いてた。だが小学校に入る頃。指を切ったりしても次の日には傷口がきれいに無くなってるのに気がついた。」

「今みたいに?」「そう。子供心におっきくなると治りが早くなんるやと思ってたよ。そして年々傷の治りが早くなり今や瞬間的に治るようになった。見たやろ?」

「うん。」

「それが放射能の影響なんかはわからん。病院に行けば研究の対象になるのは分かってるから行かへん。」

「うん。」

「さっきの三人は俺の体の事を知ってる。意外と隠し通すのは難しい事やからな。話したと言うよりバレたって感じやな。」

「うん。」「そして今年。祖母が死んだ。俺にとったら最後の肉親だった。そして、母親の元同僚が俺の保護者代わりをしてくれると言うので東京に行き、美穂に出会った。」

「私が天馬君を見つけたんよ。」

天馬は笑い、

「そうやな。逆ナンされたわ。」

二人で笑った。

「美穂。ごめんな?怖かったやろ?」

「全然!天馬君が助けてくれるのわかってたもん。」

「輝美もほんまはええやつなんや。わかってやってくれるか?」

「うん。」

「やっぱ、気持ちはハッキリしといた方がええな。」

「どうしたの?いきなり?」

「惚れた女がおるってみんなが知ってたら無駄に傷付く人が減るやろ?」

美穂は直感した。告白される!と。

「なあ美穂。俺と、」

天馬の言葉を遮るように美穂が言った。

「ちょっと待って!」

「何や?どうした?」

美穂は深く息を吸って、

「私、天馬君が大好き!付き合って下さい!」

天馬は目を丸くした。

「えへへ。私から告白しなきゃ。将来、私の方が先に好きになったって言うためにね?」

「アホやなあ。俺は一緒にメシ行くかって言おうとしただけやのに。」

「嘘!ぜ〜ったい嘘!告白しようとしてたもん!」

「まあそういう事にしといたるわ。」

笑って美穂の手を引き寄せ

「俺も美穂の事好きやで。」

そう言って初めてのキスをした。

「大事にしてね?」

美穂は少し涙を浮かべながら言った。

「おお、任せろ。」外に出ると高弘と輝美はいなかった。

ヒデだけが待っていて

「高弘さんから伝言です。『迷惑かけて済まなかった。きっと輝美は変わる。また大阪に来たらその時は笑顔で歓迎する。』との事です。」

「そうか。」

「それじゃ、自分はこれで。失礼します。」

「ヒデ!」

ヒデは振り向いた。

「俺の女や!かわいいやろ?」

美穂の肩を抱き寄せながら言った。

「女は輝美だけちゃうから頑張れよ?」

ヒデはニコッと微笑み去って行った。

「あのヒデって人も輝美さんの事を?」

「ああ。輝美はモテるんや。美人やったやろ?」

「うん…。私とどっちが美人?」

「そんなん輝美に決まってるやろ?」

肩を落とす美穂。

「でもかわいさやったら美穂の圧勝やな。」

今度は目を輝かせる美穂。

「俺の女やねんから自信持てよ?」

「うん!」

「そんじゃメシでも行くか。こっから近いとこに美味いお好み焼き屋あるねん。」

「やった!あ!優美の事忘れてた。」

急に不安そうになる美穂。

「大丈夫やって。電話してみ?」

携帯を取り出し電話をかける美穂。

するとあっさり出た。

「優美?今どこ?大丈夫?」

「あ!美穂?今お茶してる。」

「えっ?」

「えっとね、サフランて言う喫茶店。天馬君が場所知ってるらしいから迎えに来てね?」

それだけ言うと電話を切った。

「な?大丈夫やったやろ?」

「どうしてわかったの?」

「ヒデの相棒のトシはめっちゃ女好きやねん。優美と二人きりになったら落とそうと優しくするのわかってるからな。」

それから合流した三人は何もなかったかのようにミナミの街を満喫した。


最終日は京都。

今日は団体行動ばかりだ。

京都の街はまだ暑い日差しが残っていたが、清水寺、金閣寺、銀閣寺、二条城などを回る。

天馬にとっては何度も行った寺社仏閣ばかり。中に学問の神様『菅原道真』を祀った北野天満宮が入っているのは進学校ぽい。

「今日で修学旅行も終わりね。」

「なんやかんやあったけどおもろかったな。」

「うん!いい事もあったしね?」

「何や?そんなにウサギが嬉しかったか?」

「それもあるけど…彼氏ができたもん。」

自分で言って照れてる美穂が天馬には愛しく思えた。

「でも美穂は変わってるよな。普通こんな体の男なんか気味悪がるで?」

「だってどんな体でも天馬君じゃん?それに怪我の心配しなくて済むもん。」

「そう言えば手の怪我、大丈夫か?」

「うん。手を洗ったりしたら少し染みるけどたいしたことないよ?」

「そうか。俺の大事な美穂やから気をつけてくれよ?」

「はい!了解しました!」


帰りの新幹線の中。

疲れたのか眠そうな美穂を見て、

「肩に寄りかかって寝たらええよ。」

「ありがと。」

そう言って天馬の耳元に口を寄せ、

「天馬君、大好き。」

そのまま目を閉じ眠りに落ちた。



二人の部屋


季節は晩秋。

この頃には美穂はよく天馬のマンションを訪れていた。

「いつもメシ作ってもらってすまんな。」

「いいよ。私、料理好きだし。それに天馬君が美味しいって言ってくれるから。」

そして、門限までには天馬がバイクで送って行った。


ある日、いつものように美穂を送って行くと玄関前に男が立っていた。

「お父さん。どうしたの?まだ門限前だよ?」

「今日は話がある。君も一緒にだ。」

天馬を睨みつけるように言った。

リビングに通された。

腕を組みじっと天馬を見つめる父親。

「初めまして。美穂さんとお付き合いさせてもらってます。桜井天馬です。」

「いつからだ?」

「9月の末くらいからです。」

「やはりな。二学期に入ってから美穂の成績が落ちている。」

「お父さん。それは天馬君のせいじゃない。」

「お前は黙ってなさい。」

なかなか攻略しがたい親父さんだなと、天馬は思った。

「君の志望校は?」

「特には決めてません。」

「決めてない?もう一年もすれば受験だぞ?」

「まだ一年あります。」

険悪な空気が辺りを支配する。

「美穂はK大の文学部を目指しているのは知ってるな?かなりの難関だ。今は恋愛などしている時期ではない。」

天馬は美穂の方を見て聞いた?

「そうなん?」

「…うん。」「じゃあ俺もK大の文学部にします。」

美穂の父親は鼻で笑った。

「君に入れるとは思えないな。」

「問題ありません。俺が入れない大学は日本にはありませんから。」

この言葉は父親を激怒させた。

「うぬぼれるな!」

天馬は取り乱す事もなく冷静だ。

「美穂は自分で志望校を選んだんか?」

「…ううん。」

「それやったら美穂の志望校やなくて親父さんの志望校やな。」

「娘の将来を考えて一番良い道を選ぶのは親としての勤めだ。何が悪い?」

美穂はただハラハラと見てるだけしかできない。

「美穂は立派な一人の人。自分の将来は自分で責任を持つはず。親のエゴを押しつけるのは良くないと思いますが。」

「エゴだと?」

「親父さんは美穂の成績が落ちたと言いました。それ以外で美穂の何を知ってますか?」

「…。」

「美穂は料理が上手です。前から上手かったけど最近は更に磨きがかかってきました。その辺の定食屋の料理に負けないくらいに。」

美穂は嬉しそうだった。

「それに直接聞いたわけじゃありませんが、美穂は本当は美大に行きたいと思ってるはずです。そして絵本作家になりたいと。」

美穂は誰にも話した事のないこと言い当てられ驚いている。

「でも将来のために今を捨てたりしてません。今を目一杯楽しみ、将来のために自分を磨き頑張ってます。」

美穂の父親は目を閉じ難しい顔で天馬の言葉を聞いている。

「俺には両親はいません。だから親心と言うのはまったく分からないと思います。でも娘の幸せを願わない親はいないと思います。」

天馬は一息入れ、また話し出した。

「でも、親の考える娘の幸せと娘本人が考える自分の幸せが同じとは限らない。それなら娘の望む幸せを応援してあげるのがいいんじゃないでしょうか?自分の娘の事をもっと信じてもいいんじゃないでしょうか?」

しばらくの沈黙の後、天馬がまた口を開いた。

「どうしてもダメだと言うなら俺は美穂をさらいます。俺には美穂が必要です。美穂にも俺が必要だと思ってます。そして美穂の夢への道を全力でサポートします。美穂の喜びが俺の喜びでもあるから。」

そこまで言って天馬は立ち上がった。「せっかく家族があるんやから離れ離れにしたくはありません。美穂の事をわかってあげて下さい。」

美穂は大粒の涙を流していた。

「泣くな美穂。」

「この涙はいいの!嬉しくて泣いてるんだから。天馬君に大事にされてるって幸せの涙だから。」

「後は親子の問題や。少しずつ、ゆっくりでええから距離を縮めて自分の意見もしっかり言うんやで?」

「うん!」

「ほな俺はぼちぼち帰るわ。」

「そこまで送るね?」玄関を出てヘルメットをかぶりキーを回す。

「ごめんな?なんか家族をギクシャクさせたみたいや。」

「ううん。私が逃げてただけだもん。これからは逃げずに向かい合うよ。」

「頑張れ!もしみんなが敵になっても俺がおるから安心しろな。」

「天馬君がいたら私は平気!」

「美穂!愛してるよ。」

「私も愛してる。」

「じゃあまた明日な?」

美穂はテールランプが見えなくなるまで見送って中に戻った。

父は自分の書斎にこもったようだ。

「よしっ!」

美穂はキッチンに向かった。

できる事からしていこうと思ったのだ。


「お父さん、入るよ?」

父は美穂が小さい頃のアルバムを見ていた。

「キンピラ作ったの。ここに置いて行くから食べてみてね?」

机の上に小鉢を置いて部屋を出ようとすると、父が美穂を呼び止めた。

「美穂。いい青年だな。」

「当たり前よ。私が惚れた男なんだから。」

美穂が去った部屋。

父は一人つぶやいた。

「惚れた男か。美穂ももう大人なんだな。」

そしてキンピラをつまむ。

「本当にうまいな。知らないうちに成長してるんだな。」

嬉しいような寂しいような、そんな感情が胸をしめつけた。

翌日。

「昨日はごめんね。」

「何も気にせんでええよ?俺こそ好き勝手言うてもうたし、やっぱりまだまだガキやな。」

「でも私の事、たくさん考えててくれた。嬉しかったよ。」「そんなん当たり前やん。」

少し照れたように天馬は笑った。

「うちね、お父さんもお母さんも孤児院出身なんだ。だから自分たちが不自由した分、私には苦労させたくないんだと思う。」

「そうか。」

「でも今朝ね。お父さんが『後悔しないなら好きにしてみろ。』って言ってくれたの。」

「いい親父さんだな。」

「うん。お父さんもお母さんも大好きだよ。もちろん天馬君もね!」

「大事にせえよ?」

「うん。今度、天馬君を食事に招待しろって言ってたよ。一緒に酒でも飲もうって。」

「俺、バイクやから飲まれへんわ。」

「って、違うじゃん!未成年だからでしょ?みんなボケてるわ。」

美穂は天馬が少しでも父親に認められて嬉しかったのかいつもよりハシャいでいた。

「でも天馬君て本当にどこの大学にでも入れるくらい頭いいの?」

「信じられへんか?」「うちの高校に中途入学できるくらいだから悪くはないと思うけど…。勉強してるとことか見たことないし。」

天馬はごそごそカバンの中を手探りし一枚の紙を美穂に手渡した。

最近帰ってきた全国模試の結果だった。

美穂は驚いた。

「これって…。」

全国順位の欄には『1』の数字。

「マジで?」

「そこまで驚く事か?」

「だって1番だよ?日本の同い年の中で一番頭いいんだよ?」

「たいした事やないよ。」それを全く自慢しない。

スポーツも万能。

美穂は自分では天馬に不釣り合いなのでは?と少し気持ちが沈んだ。

それを見越したように天馬が言った。

「成績が一番だからって別に特別やない。失敗もするし恋もする。俺が今一番真剣なんは美穂やで。」

「天馬君。」

「だからそばにおってくれな?」

「えへへ。絶対離れないから覚悟しなさいよ!」

美穂は天馬を好きになって良かったと心の底から思った。 二人ぼっち


二学期の終業式。

クリスマスイヴである。

朝の中川家。

「美穂。今日は天馬君と過ごすだろ?」

「うん。いいでしょ?」

「そうだと思って父さんと母さんはリッチにレストランを予約しといた。夫婦水入らずのイヴを過ごすよ。」

「いいことだよ。楽しんで来てね?じゃあ行ってきます。」

「行ってらっしゃい。天馬君によろしくな?」

「は〜い!」


終業式は滞りなく終わった。

「美穂は一回帰るんか?」

「えへ。今日はちゃんと着替え持ってきたから大丈夫!」

「用意いいな。まあ俺も持ってきたけど。」

途中、二人は駅ビルのトイレで着替えた。

それから電車で渋谷へ。

渋谷はクリスマスということで若い男女で混雑していた。

「大阪のミナミもクリスマスはこんな感じ?」

「そうやなあ。ビシッとキメた女の子とかはめっちゃおるわ。」

「いつか一緒に歩こうね?」

二人はシルバーのペアリングを買った。

「ほんで今からどうする?横浜の中華街まで行ってみるか?」

「う〜ん。きっと中華街も凄い人だよね?ケーキとチキンでも買って天馬君の部屋でまったりするのも悪くないよ?」

「よし。そしたらケーキは美穂の好きなん選んでええよ?」

「やった!私は絶対チョコケーキ!上に乗ってるサンタさんは私のだからね?」


日は暮れた。

夕飯はいつものように美穂が作った。

後片付けも終わり小さいテーブルにケーキが乗ってる。

「いつもとたいして変わらんイヴになってもたな。」

「どこでどうして過ごすかより、誰と過ごすかが大事でしょ?」

「俺は今までずっとばあちゃんとやったわ。甘い物はおはぎとかしか買わんばあちゃんがクリスマスはケーキ買ってきてくれるねん。」

「優しいおばあちゃんだね。」

「んで仏壇にケーキを供えるねん。もうキリスト教なんやか仏教なんやか。」二人で笑った。

「私もずっと家族で過ごすクリスマスだったなあ。美味しいものが食べれる、プレゼントが貰える、次の日から冬休み、好きな日だったよ。」

「今年はどうよ?」

「幸せいっぱいのクリスマスだよ。」

二人は優しいキスをした。

「そうや!指輪!」

天馬はハンガーに掛けてあったジャケットのポケットから渋谷で買ったシルバーリングを取り出した。

「俺がつけてやるわ。手、出して?」美穂は迷った。

右手?左手?

サイズは薬指のを買った。

左手を出して重いと思われないかな?

美穂はそっと右手を出した。

「そっちやない。」

天馬は美穂の左手を取った。

そしてゆっくり指輪をはめた。

美穂は泣いていた。嬉しかったのだ。

「美穂は泣き虫やな。」

「だって、だって、私が天馬君に嫌われたらどうしようとか考えて弱くなっても、全部優しく受け止めてくれるんだもん。」「あほやな。俺が美穂を嫌いになるなんかあるわけないやん?無駄な心配ばっかすんなよ?」

「うん。私ね、幸せだよ。」

そして美穂が天馬の左手に指輪をはめた。

二人で指輪を見せ合い、キスをし、そしてひとつになった。


どれくらい時間が経っただろう。

二人は抱き合ったままいつしか眠りに落ちていた。

天馬が目を覚ますと美穂が毛布にくるまり髪を結っている。

その後ろ姿がたまらなくかわいく天馬は後ろから抱きしめた。「もう、ダメよ。えっち。」

軽くキスをしてから

「ケーキ食べるの忘れてるし。はい、あ〜ん。」

天馬は言われるままにケーキを食べさせてもらう。

「うわっ!もうこんな時間やん?送ってくわ。」

時計の日付はすでに25日になっていた。

「あ!お父さんから着信あったみたい。怒ってるかなぁ…。」

「俺も一緒に謝るわ。」

「まだ起きてると思うから先に連絡しとくね?」

天馬が着替えてる間に美穂は電話をかける。

「用意できたぞ。美穂?」

美穂は茫然と立ちすくんでいる。視線も定まっていない。

「どうした?美穂?」

「お父さんとお母さんが…。」

続きの言葉が出てこない。

その時、美穂の携帯から男の声がかすかに聞こえた。

まだつながっている。

天馬は電話に出た。

「もしもし…。」

「あ!もしもし?私、警察ですが中川美穂さんの携帯ですね?」

警察?そして美穂の様子。

天馬は一瞬にして事態を把握した。

「美穂は今、電話に出られる状態じゃありません。俺が話を聞きます。」

「…わかりました。実は美穂さんのご両親が事故で…お亡くなりになりました。」

やはり…。最悪の予想が当たってしまった。

「ご遺体はG市のY病院に移っておりますので確認の為に来てもらえますか?」

「わかりました。なるべく早く行きます。」

美穂はベッドに座り込んでいる。

「美穂!美穂!しっかりしろ!」

「お父さんとお母さんが…。」

「とにかく行くぞ!」

美穂にコートを着せ手袋もつけてあげる。

バイクにまたがり

「美穂。乗れ!」

言われるままに跨る美穂。

「いいか?しっかり捕まってるんやぞ?」

返事はない。

天馬はバイクを走らせた。

しばらく行くと美穂の体が小刻みに震えているのがわかった。

泣いていた。

「クソっ!」

どうすればいいのか天馬にはわからなかった。


病院に着いた。

美穂を支えるように近くにいた警官に話しかけた。

「中川の娘、美穂です。俺は付き添いです。」

「お待ちしてました。こちらへ。」

案内されて夜の病院を歩く。

「こちらです。ご確認を。」

何もない部屋にベッドが二つ。白い布で覆われている。

天馬は美穂の手を強く握った。

警官が白い布をめくる。

青白い顔に変わってしまった美穂の母親がいた。

美穂は言葉無く腰が崩れ落ちそうになるのを天馬が抱き支えた。

警官はもう一枚の布もめくる。

「お父さん…お母さん…。」

「間違いありませんね?」

美穂はやっとのことで頷いた。

それを見ると警官は部屋の外に出て行った。

ドアが閉まると同時に美穂はあらんばかりの声をあげ天馬にすがりつき泣いた。

天馬はただ強く美穂を抱きしめるしかなかった。


夜明け。

天馬と美穂は病院の待合室で朝を迎えた。

天馬は一時も離れず美穂のそばにいた。

「私も一人ぼっちになっちゃった。」

少し落ち着いたのか美穂がしゃべった。

「一人やない。俺がおる。」

「うん。ありがと。天馬君がいなかったら私どうなってたかわからない。」

「ずっと一緒におるよ。だから泣くな。二人で全部乗り越えるんや。」

「うん。」


葬儀は美穂の父親の上司・松田が手配してくれた。

美穂の引受人にもなってもいいと言う。

参列者に挨拶する美穂の横には片時も離れる事なく天馬が寄り添っていた。

葬儀が済み手配してくれた松田に二人で挨拶に向かった。

「色々親切にしてもらって誠にありがとうございました。」

「礼には及ばんよ。それでこれからどうする?」

「誠に勝手なお願いですが保護者としてのお名前だけ貸していただけませんか?」

「と、言うと?」

「私達話し合って一緒に住もうと決めました。」

「しかし、君達はまだ高校生だ。」

「わかってます。でもお互い身内のいない者同士。そして一番お互いを必要としてる者同士なんです。」

そこで初めて天馬が口を開いた。

「今の美穂さんには自分が必要だと自負しております。卒業後には結婚するつもりです。どうか温かく見守っていただけませんか?お願いします。」

深々と頭を下げた。

「わかった。どうやら美穂さんの胸に空いた穴を埋めるのは君しかいないようだ。何かあればいつでも力になるからその時は頼ってくれ。」

「ありがとうございます。」

二人で頭を下げ暇を告げた。



年が明け5日が過ぎた。

美穂はもう天馬の部屋で生活を始めていたが、今日、正式に引っ越しをした。

残った美穂の実家は松田に売却してもらうように頼んだ。

美穂がそれを望んだのだ。

この頃美穂はようやく元気を取り戻しつつあった。

「今日は美穂の引っ越し記念に俺がメシ作るわ。」「えっ?天馬君て料理できるの?」

「簡単な物ならな。」

そう言って作ったのは具だくさんのお好み焼きだった。

「姫、お味はどうですか?」

「なかなか良いぞ。わらわは満足じゃ。」

笑顔も戻ってきた。

夜、同じベッドに潜り込む二人。

「これって同棲だよね?」

「まあそうやろなあ。」

「学校にバレたら退学かな?」

「ほぼ退学やろな。」

「天馬君と出会った高校やから卒業したいな。」「大丈夫やろ?今までも学校でずっと一緒におるのが当たり前やったやん?」

「それもそうね。今まで通りでいいよね?」

「そうそう。でも学校でキスとかはできんな。不純異性交遊とか言われてまうわ。」

「じゃあ、今いっぱいしちゃう。」

寒い夜も二人寄り添うと温かかった。



家族


二人は三年生になっていた。

新緑の季節。

美穂はすっかり立ち直り相変わらず仲むつまじい二人だった。

「明日で天馬君は18だね。」

「おう。特に何かが劇的に変わるわけやないけどな。」

「明日はご馳走にするから楽しみにしててね?」


その頃、学校では喜ばしくない噂が広がっていた。

『桜井と中川が同棲している。』

どこから広がったかはわからない。

そしてついに教師の耳にも入り、二人は呼び出された。

「お前たちが同棲してると噂になってるがどうなんだ?」

天馬は悪びれもせず言った。

「はい。そうです。」「そうですってお前…。」

「俺には美穂しか、美穂には俺しかいないんです。先生なら事情はわかってもらえると思ってます。」

「しかし…。やはり高校生で同棲と言うのは他の生徒に影響が…。」

「じゃあ結婚します。結婚は法で認められた権利です。その権利を使う事も高校生ではダメですか?」

美穂は驚いた。しかし天馬を信じて黙って聞いていた。

「これは俺の一存でどうにかなる事じゃないな。明日の職員会議で結論は出るだろう。それまでは自宅待機だ。いいな?」


天馬の部屋。

いつもと何も変わらない笑顔の絶えない部屋。

食事を終えて天馬が言った。

「もし、高校生活を続けられるとしても好奇の目で見られたり、嫌な思いをするかも知れんけど平気か?」

「全然平気!だって天馬君がいるからね!天馬君と離れて暮らすくらいなら高校辞めてもいいもん。」

「なあ美穂。」

「なあに?」

「結婚しよか。」「うん、いいよ。」

「えらいアッサリしてるな?」

「だって私は天馬君に愛されてる。私は天馬君を愛している。結果、結婚する。普通でしょ。」

皿を洗いながら振り向きもせずに言う美穂。

「美穂、泣いてるやろ?」

「泣いてなんかないよ。」

そう言う声がすでに泣き声だった。

「おいで。」

素直に天馬の元に歩み寄り天馬の膝の上に座った。

「ごめんな?ムードも何もなくて。ほんまは出会って丁度一年の記念日にプロポーズするつもりやったんやけどな。」

泣きながら首を左右に大きく振る美穂。

「私ね。幸せだよ。家族と呼べる人がいなくなって、それでも天馬君がいたから頑張ってこれた。そして、これからは天馬君と家族になる。幸せ。」

「愛しているよ美穂。」

「私も愛している。今もこれからもずっと。」


翌日。天馬の18歳の誕生日。

一限目は全クラス自習だった。

天馬たちの件で職員会議中だった。

二人は廊下で結論が出るのを待った。

ドアが開いた。

「お前たち、入れ。」

堂々と胸を張って入る二人。

「何か言いたい事はあるか?」

天馬は話し始めた。

「俺には肉親がいません。知っての通り美穂にも。でもお互いの傷をなめあうために一緒にいるわけじゃありません。お互いを必要としてるから。なくてはならない存在だから。みなさんにもそんな存在がいるんじゃありませんか?」

静まり返る職員室。

続けて天馬は話した。

「もしこれが大学を卒業し、就職もした二人なら祝福されるんでしょう。高校生は愛し合ってはいけませんか?俺たちはすでに出会ってしまった。愛し合ってしまった。二人でひとつなんです。」

続けて今度は美穂が語った。

「私が今、笑って毎日過ごせてるのは天馬君がいるからです。一番辛い時、片時も離れず天馬君がいてくれたから。もし天馬君がいなければ私はすでにここにいなかったでしょう。そんな私から天馬君を取り上げないで下さい。天馬君と出会った思い出の学校を、大好きな学校を取り上げないで下さい。お願いします。」

深々と頭を下げた。

「頭を上げなさい。」

校長先生が言った。

「私はあなたたちが羨ましい。その若さで永遠の伴侶に出会えたのだから。」

二人はいつの間にかそっと手をつないで校長の話を聞いていた。

「今回の事は不問にしましょう。結婚する事も問題ないでしょう。法で認められてるわけですしね?高校生不可とはなっていません。」

「ほんとですか?」

「仮にも校長である私が嘘をついたとなれば教育現場は崩壊してしまいます。」

二人は人目をはばからず抱き合って喜んだ。

「ただし!学校内では清い交際を通すように。」


二人の事は一日にして噂ではなく事実として広まった。

羨望の眼差しで見る者。蔑んだ視線を送る者。

応援、祝福する者。

反応は様々だった。

しかし二人にはどうでもいい事であった。

一緒にまだこの学校に通える。それだけで十分だった。



一年


夏休みも終わり今日から9月。

二人が出会って一年。

「私、一年前と変わった?」

朝、手を繋いで登校しながら美穂が聞いた。

「だいぶ変わったなあ。」

「嘘?どこが?」

「一年前よりさらに可愛くなった。料理の腕も学力もめっちゃレベルアップしたな。」

「料理は天馬君に美味しいって言ってもらいたいから。学力は天馬君と同じ大学に行きたいから。」

「俺は?」

「天馬君は全然変わらないね。」

「何や?成長力ゼロみたいやん。」

「違うよ?天馬くんは元々完璧やったもん。」

「完璧な人なんかおらんよ?美穂がおるから変わらず頑張れるんやよ。」


始業式が終わり下校時間。

二人はちょっと緊張していた。

「ほな、ぼちぼち行くか。」

「はい。」

美穂の言葉もいつもと違った感じだ。

二人が向かった先は市役所。

婚姻届を提出しに行くのだ。

市役所に着くと美穂の保護者として松田が付き添ってくれた。

「これをお願いします。」

職員は制服姿の二人に不審な顔をしている。

提出物には何も問題ないはずだ。

しばらくして名前を呼ばれた。

「桜井さん。おめでとうございます。」

意外にアッサリ終わった。

松田が言った。

「今日から晴れて夫婦となった。末永く幸せにな?」

「はい!二人で世界一の家庭を築きます。」


その夜。

二人の生活が劇的に変わるわけもなくいつも通りの夜だった。

「何も変わらないね?」

美穂が言った。

「俺はな。でも美穂はハッキリ変わったとこあるやん?」

「え〜?そうかな?」

「桜井美穂さん。」

「あ!」

美穂は少しの間固まった。

「何か今ちょっと感激しちゃった。そうか。桜井美穂になったんだね。」

「学校は卒業するまで中川のままやけどね。」

「今日から私、若奥様だね。」

「なんかエロい響きやな。ほな今日は新婚初夜やな。」

「一年たって天馬君が変わったとこ発見!エロオヤジ化してる。」

「しゃあないやん?美穂がかわいいから。」

アツアツな二人だった。


翌日、二人は美穂の両親の墓に参った。

元々中川家には墓はなかった。

二人でいくつもの霊園を回り景色のいいこの場所に墓を建てたのだ。

「お父さん、お母さん。私達、結婚しました。もちろん相手は天馬君です。喜んでくれるよね?私、今すっごく幸せだから心配しないでね。」

「お義父さん、お義母さん。美穂はおれが必ず幸せにします。世界一の夫婦になります。」



卒業


今日は卒業式。

朝、部屋を出る前から美穂は涙を浮かべている。

「今日で最後だな。」

「うん。」

いつもの電車。

いつもの道。

見慣れた校舎。

「明日からもう思い出に変わるんだね。」

春からは二人同じ大学に進学が決まっている。

「楽しい思い出がたくさんできるのは幸せな事やよ。」

「これから先もたくさん思い出作ろうね?」

「ああ。そして俺の思い出の中にはいつも美穂がおるよ。」


卒業式が始まった。

校長先生の話で始まり、次は

「卒業証書授与式」

生徒一人一人の名前が呼ばれる。

「桜井天馬。」

「はい!」

美穂は天馬の凛々しい姿を涙でにじむ瞳でしっかり見ていた。

次は美穂の番だ。

「桜井美穂。」

「えっ?」

「桜井美穂。」

「はい!」

中川でなく桜井と呼ばれた事にびっくりしたが感動で涙が溢れ止まらなくなった。

「おめでとう。幸せにな。」

校長先生の言葉にただ頭を下げるのが精一杯だった。


卒業式が終わった。

校庭には最後の思い出を残そうと帰らず写真を撮る卒業生が多数いた。

天馬は美穂の手を引き第二体育館へと向かった。

そして待ってくれていた先生に制服姿の写真を撮ってもらった。

「じゃあ美穂はあっちで着替えてきてくれ。」

「え?」

「大丈夫!行けばちゃんとやってくれるように頼んであるから。」

どう言う意味かもわからず美穂は言われるままにその場所まで行った。

女の人が待っていた。

「じゃあ私がいいと言うまで目を開けちゃだめよ?」

「はい。」

何がどうなってるのかわからなかったがその指示に従った。

かなりの時間が過ぎた。

「できたわよ。ゆっくり目を開けて。」

すると目の前には鏡に映った自分。ウェディングドレスを着ていた。

「美穂。綺麗だよ。」

振り向くとタキシード姿の天馬。

「俺のサプライズは気に入った?」

「天馬君。」

「美穂は何も言わなかったけどやっぱりウェディングドレスは女の子の憧れやろ?」

今にも泣きそうな美穂。

「天馬君の意地悪。いつも私を泣かせようとするんだもん。」

「笑顔で写真撮るぞ?」

出来上がった写真を見るまでもなく、ふたりの最高の笑顔がそこにあった。



ありがとう


70年後。

美穂の命は消えようとしていた。

そのベッドの横にはまだ40代にしか見えない天馬が寄り添っている。

あの事故の影響なのか天馬の老化の進行は遅かった。

「天馬君。天馬君はそんなに若々しいのに、私はこんなおばあちゃんになってしまってごめんね。」

「何を言うねん。今でも美穂は一番かわいいよ。」

「ありがと。ほんとに私だけずっと愛してくれて。」

「礼を言うのはこっちやよ。美穂に俺には贅沢過ぎるほどの愛をたくさんもらったよ。でも子供…、ごめんな。」

二人に子供は遂にできなかった。これも多分あの事故の影響だ。

「子供は出来なかったけどそれでも私は幸せだった。だから自分を責めないでね?」

「美穂はほんまに優しいな。」

「天馬君。私、少し眠くなっちゃった。」

「そうか。ゆっくり寝るといい。」

「おやすみのキスしてくれる?」

「もちろん!」

天馬はキスをした。

「おやすみなさい、天馬君。愛してるよ。」

「おやすみ美穂。いい夢見るんやぞ?愛してるよ。」

美穂は幸せそうな微笑みを浮かべて眠りについた。

永遠に覚める事のない眠りに。

天馬はそっと美穂の手にガラスのウサギを握らせた。

二匹のウサギはあの頃の光を失わず、輝いていた。

その日も9月1日だった。




その後、天馬を見かけた者はいない。

だが毎年、9月1日になると美穂の墓には花が備えられている。



「ねえねえ、ママ、この本読んで?」

「ほんとにこの子はこのお話が好きね。」

「早く、早く。」

「はいはい。」

本をめくる母親。

「天を駆ける馬。あら?女の人が書いたのね?桜井美穂さん。今度お礼の手紙書きましょうね?」


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